ポピュラーピアノの意味するところ
「ポピュラーピアノ教えます」というところは多々あり、そこでレッスンを受けたことがある人も多々いると思うが、そもそも何を基準にそう言っているのか、はっきりしない。クラシックのように、譜面を再現することでポピュラーを弾くことも可能だからだ。その場合、学ぶのはクラシック奏法で、ポピュラーとは言えないと思うのだ。
ポピュラーピアノは、そもそも奏法の違いであって、クラシックのように細かく書き込まれた譜面は使わない。メロディー+コードくらいのシンプルな楽譜を使って(または耳コピだけで全然使わない人もいる)、即興で音を組み立てながら、音楽を作っていく奏法だ。だから、クラシックとは全く頭の使い方が違うし、知っておくべき理論も異なる。何より、演奏中の気分や性格まで変わってしまうというのは、両方弾く人なら共感してもらえると思う。
ポピュラーピアノを習っていました、と聞いても、実はクラシック奏法のまま、ポピュラーの楽譜を使ってそれを弾いていただけ、という場合がものすごく多い。確かに、リズムや構成、和音の響きなど、クラシックとは異なる部分はあるけれど、奏法としてポピュラーを学ぶのとは違う。
ポピュラーミュージックを長く弾きたいと思うのなら、クラシックのように一曲づつ読譜するのではなく、最低限のセオリーを勉強し、様々な音楽を聴いてそれを応用しながら、適当に研究しつつ、試行錯誤を繰り返していくのが近道だと思う。(適当に、という部分は結構ポイントで、完璧でないと気が済まない人は、性格的にクラシックが向いている) これにより、自分で好きにアレンジしたり、即興で弾いたり、誰かとセッションしたりという楽しみも手に入る。ポピュラー音楽をクラシック奏法だけで弾いていると、即興表現の自由さが獲得出来ないし、多分いつか物足りなくなる。
一般的に言って、全くピアノ経験のない大人が、より遠くに到達できるのはポピュラー奏法である。なぜなら、クラシックは既に存在する楽譜に指を合わせる必要があるため、長年の日常生活で様々な手癖を持つ大人には、どうしても上手く動かせない、という部分が存在してしまう。指の細かい動きの制御は、残念ながら年齢と共に衰える。一方ポピュラー音楽は、自分に合うテクニックを使って、頭脳次第でどんな風にも表現可能、という側面がある。
ではなぜ、クラシック奏法でポピュラーを弾くようなやり方が多いのかと考えてみたら、これは楽譜出版社の陰謀ではないかと思えて来た。楽譜出版社は、一時的な流行に乗っかり、次から次へと、ポップスの楽譜を出版している。その大部分は素晴らしい編曲とは言い難く、編曲者が安いギャラでやっつけ仕事的に作ったような妙な楽譜が、大量に売られている。それでもどんどん出版するということは、それなりに売れるのだと思われる。
もしポピュラー奏法を多くのピアノ愛好家がマスターしてしまえば、皆ネットで無料のコード譜をダウンロードしたり、耳コピだけで済ませたりするだろうから、これらの粗悪編曲譜は需要が減少。だからわざわざ、「ポピュラーピアノも、楽譜を使って弾くものですよ」と思わせておきたいのではないか。同じ曲を初級とか中級とか、いくつにも分けて出版して、利益も倍増。ちょっとだけ理論を知っていれば、自分のレベルに合わせて、易しくも難しくも、いくらでも編曲可能なのに、である。紙資源が勿体無い。
もしピアノ未経験から始める場合、楽譜通り弾く音楽がやりたいのか、楽譜云々より自由に表現する音楽をやりたいのか、と考えるのが良いと思う。「ポピュラーピアノ」という言葉には、罠が隠されているかもしれない。
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