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「努力」って他人から見た状態に過ぎない。

今日は短めにちょっと書いておこう。最近、水面下である計画をひっそりと進行中。今までの自分とはまた違う活動が出来そうなので、これはこれでとても楽しみなこと。数年前、誰かと一緒にものを作っていた自分の体験が、少しでも生きてきたらいいなと思う。

打ち合わせの後に話していた雑談の中で、相手の子が「私は本当に努力が出来なくて…」とまるで悪いことのように言っていたので、今日は努力について自分なりに思っていることを書いておきたい。

まずは「努力」という言葉の意味をきちんと見ておこう。

【努力】目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

これだけ見るとまぁその通りだなと思うんだけど、人が使う言葉としての「努力」って、「苦手なことを克服すること」とか「苦労すること」とか「辛くても嫌でも頑張ること」みたいなニュアンスが含まれていないだろうか。そういうニュアンスで「勉強を頑張ること=努力」と勘違いして、親とか周囲に望まれたことを必死にやることを努力だと勘違いしてやいないだろうか。

そうじゃなくて。努力というのは他人からみた状態に過ぎないんじゃないだろうか。例えば、打ち合わせ相手の子は美意識が高くて、いつもスタイルアップのための筋トレや肌のお手入れ、新しい美容法やサプリを試したり、自分を綺麗に見せる笑顔やメイクの練習をしているんだけど、それはきっと本人からしたら、「日々やってる当たり前のこと」なんじゃないかと思うのだ。
だけど、それは私からみたら自分を美しくする努力を惜しまない人だなぁという風に映る。大変な努力家だ。

それは逆も然りで、私にとってこうやって文章を書いたり、何かを考えることは息を吸うぐらいに当たり前に出来ることで、多少時間は使っているけどこれを苦痛に感じているわけではない。占いに関することや好きなこと、興味を持ったことを学ぶことも、自分にとっては努力ではない。ただ興味があり、したいからするだけであり、それに苦痛は伴わない。
これも、(自分で言うのもなんだけど)他人から見たら努力家に見える場合もあるのかも知れない。


だから、努力している他人の姿をみて自分を卑下する必要もないし、あなたにも努力に感じないような、人より時間やお金を費やしている何かはあるんじゃないだろうか。それが他人から見たら努力に見えるだけで、本人の意識としては努力じゃないじゃないかや。そうやって、あなたが息を吸うように出来ることが、才能だったりギフトと呼ばれるものなのかも知れないね。だから、努力出来ない自分を否定する必要はないのかもね、と思う。

今はもし見つかってなかったとしても、自分にとって息を吸うように出来てしまうことって何だろう?これから出会えるんだろうか?そんな風に考えながら過ごしていたら、きっと何かしらヒントは現れるはずだから。これから出会える何かを待ちながら日々を過ごしてみたらいいんじゃないかな。

というわけで、努力は他人からみた状態に過ぎず、本人にとっては当たり前にやっていることこそが、本人が伸ばしている才能や元々持ってるギフトなのでは?という話でした。


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