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【対談④】視点が2つあることの意味(音楽教室)

「講師じゃない人」がいる音楽教室、というテーマで、15周年記念の対談を収録しました。「講師じゃない人」は果たして、どんな仕事をしているのか。その人がいることで、何が変わるのか。開校以来の15年を振り返りながら、核心に迫っていきます。

<全5回>
①「講師じゃない人」が見てるもの
②「講師じゃない人」がやってること
③「講師」の描く社会、実際の社会
④視点が2つあることの意味
⑤社会と繋がる教室を目指して

■プロフィール
ミュージック・キャンバス
2009年に夫婦で開校した、川崎市・新百合ヶ丘の音楽教室(歌)。個人レッスン専門で、年間1,500レッスンを実施。

宮本由季(講師)
音楽高校→音楽大学→街の音楽教室勤務→現職

宮本淳(講師じゃない人)
理系大学→メガバンクのグループ会社(公共経営部門)→クラシック音楽事務所→現職


視点が2つあることの意味

由季:うちはたまたま、(教室を)2人で始めたことによって、視点が2つあったわけじゃない?私は本当にダイレクトに、生徒さんの反応、心、成長、そういうものにだけ、グッと特化して目を向けられた。で、淳君はそれ以外のことに注力するっていうことだったから、ちょっと冷静な視点が、私は持てているんだと思うんだよね。それを一人の人間で、この両方の視点が、「最初から」持てるでしょうか、って言われたら、ちょっとやっぱり、もう、ままならないっていうか、単純に。

淳:矛盾してるんだもん。「なるべく多くのものを生徒さんにあげたい」っていう先生が・・・、それがだから、先生としての理想だと私は思ってるんだけど、「惜しみなく」っていうか。だけど、さっきの話じゃないけど、やっぱこう、ある程度の「サービス性」を持ってやる、っていうことは、「きっちりとやらなきゃいけない」っていうところであって、それを一人の視点で「両方持つ」って無理だもん。

由季:無理だと思う。だって結局、自分が自分で線を引く、「これ以上は行かない」と線を引くことって、ある種、すごいストレスになるっていうか、こんだけやりたいのに・・・。

淳:それこそ、先生が「出し惜しみ」しているんじゃないか、って疑われちゃう。

由季:そうだよね、そうだよね。だから、生徒さんにはもう、たっぷり「自分の渡したいものを渡しているんだ」っていう、その実感が、先生の、次のモチベーションを生むし。

淳:だから、(教えるのとは)別の人が、規約なり、教室の仕組みを作っていて、ある程度の枠を設けてるってなったら、生徒さんも納得しやすいっていうところもある。でも今、考えると、それはそういうスタイルでやってきたから、それが功を奏した。要するに、他の教室との違いにもなったという・・・。

由季:うん、うん。

淳:今、考えると、私がフルタイムでコミットするって、結構、賭けだよね。って思うよね?

由季:どういうこと、コミットって?

淳:だって、2人分、稼がなきゃなんないわけじゃん。教室としてね。

由季:そうだよ、うん、そうそう。

淳:普通だったら(音楽教室という仕事で)稼げるなんて思わないからさ。例えば、会社員として働いて、空いてる時間に教室のことをする。世の中の人としては、そういうイメージをする。

由季:いまだに、そう思われていること、すごいいっぱいある。なんか夫婦で教室やってるんですっていうと、「夫が経営のことやってて・・・。」、「ああ、2人でインストラクター?」、「違います、夫は経営のことを。」、「ああ、じゃあ旦那様、お忙しいですね。お仕事もされながら、そっちのことも。」、「いえ、旦那は勤めておりません。ここが会社です。」って(笑)。

淳:だからさ、そうなんだよ。

由季:その先、なんかみんな、口をつぐむ、みたいな。

淳:(教えること以外に、教室で)何をすることがあるんですか、って思うよね。

由季:そう。

淳:ただそれは、あなたでさえ、そこまで言語化できてなかったところもあるからさ。

由季:うん、毎日見てるのにさ。15年、毎日見てんのに。

淳:ただ、まあ、自然に教室が動いているわけではない。

由季:そうなんだね。私、ちょっと今日~、なんか、ごめんなさいね~(笑)。

淳:いえいえ(笑)。私が見えてないものも、本当はいっぱいあるはずだから。それはお互い様ということだけど。ただ、遊んでるわけではないですよ、っていう(笑)。

由季:それは知ってるよ。それは大丈夫(笑)。逆に、もうちょっと遊んでもいいと思ってるぐらいだけど、私は。

淳:だから、逆に言うと、色んな方面のことを勉強しなきゃいけないな、というところもあるよね。人の心の動きとかもそうだし。

由季:うんうん。

淳:まあ、だから「犬ぞりの本」を読んでるわけじゃないんだけど(笑)。でもなんか、やっぱりこう、興味が偏ってるとさ。いろんな人が来るっていうことを・・・、その範囲を狭めてしまうから。

由季:うん。淳君、ほら、昔からよく言ってたよ。僕は専門家じゃないことへのコンプレックスがあるって。なんでも基本的には平均、まあ、平均の上ぐらいのところが常にこう・・・、何でもできてしまうことが、私にとっては、「よく知ってるねえ~」と思うんだけどさ、淳君にとってみたら、それがやっぱり、少しコンプレックスだったんでしょう?

淳:そうそうそう。そんなもんで、だって、「仕事になるような差」は生まれないからね。だから、この教室の中でのポジションとしては、専門家と「それ以外の人」ということになるから、あなたの価値を高めるにはどうしたらいいか、ということをやってきた15年でもある、っていう話かな。

由季:うん。

淳:だって、専門家を専門家たらしめたることが、この教室の価値になるわけだし。あとその~、「単なる専門家じゃねぇぞ」って。

由季:うんうんうん。

淳:何て言うのかな。「しっかりと気持ちを理解できる専門家ですよ」っていうのが、付加価値になるじゃないですか。

由季:うん、うん。

淳:この先生のもとに行けば、もしかしたら僕のことわかってもらえるかもしれない。

由季:うんうんうんうん。

淳:で、その上で、技術があって、ちゃんと成長して、「通って良かったです」、ってなる。っていうことがやっぱり、教室の存在価値だから。その両面のバランスだよね。だから、あなたが例えば「普通の人(専門家でない人)」と接することというのも、実は、レッスンに役立ってる、っていうことになる。

由季:うん。いつだったか、そういうことがちょっと、自分の中に足りないなって。それを家庭内で、じゃあ、淳君との会話の中から、全てが補えるかっていったら、それも違うな、と思って。全く異ジャンルの人と接するとか、積極的に世の中に、こう、出て行ってみる。世の中って、どうやって回ってるんだろう?って。例えば、子育てしてるお母さんって、どんな一日を過ごしているんだろうとか、子供に対して親がね、何を望んでるんだろうとか。
あと逆に、いろんな生徒さん、いろんな業種の生徒さんから、例えば、こう、話を聞く。レッスンの中で、レッスン以外の事って話しづらい、お互いにね。時間の無駄だと思われてしまうんだけど、私は、「その人がその人である理由」を知ることが、レッスンには、本当に必要不可欠だと思ってて。

淳:(歌の中の)「表現」っていうところを重視しているから、というのもあるよね。

由季:うん。もちろんそうだね。でもね、技術っていうことだけを見ても、例えば、技術の習得までのプロセス、「何を大事にするか」っていうのも、やっぱり、その人のアイデンティティーが決めてるから、結局。あたしが操作できないのよ、そこって。

淳:学ぶことへの「向き合い方」というか・・・。

由季:そうなの。だから、「こういうやり方がいいですよ」って、私が100回言ったって、その人が生きてきた、その何十年にはね、もう到底、威力が叶わないわけ。もう厚いの、壁が。だったら、私がそちら側を知ることによって、私がもっと柔軟になれば、その人に寄り添う形でレッスンができるんじゃないかって。

淳:「その人なりの学び方」をサポートするという・・・。

由季:うん、そうそう。だって、私がやってきた「やり方」がベストだとも思わないし、それがまして、全然違う生い立ちの人に、「私はこうやって来たんです。うまくいきました。あなたもそうですよ。」とは言えないんだよね。

淳:受け入れられないと、結局、「やらない」となっちゃうもんね。

由季:だから私は、100人いたら、「100通り」を知りたいの。でも、その「100通り」って私、魔法使いじゃないから(そのままでは)見えないの。だから、その人が、「どういう風に社会と繋がってるか」、話を聞くことによって、もしくは、「生い立ち」なんかを知ることによってとか、あと、その人がやっぱり、「人生で大事にしているものは何なんだ」っていうことを考えると、見えてくるんだよね。うっすらうっすら。
あと、自ら話をしてくれる人もいる。例えば、「私はすごく、スタートダッシュが遅い人間なんですけど、最後の巻き上げる力は、めっちゃ、あると思います。」とか、こう、やっぱり、「学びだってわかってても、本当に「好き」がないと、火がつかないんです。」とか、逆に、「課せられた課題に対しては、絶対うまくできます。でも、自分から能動的に、パッションで動いたことがないのが、すごくコンプレックスです。」とか。色々な話をしてると、その人が、「自分攻略法」みたいなのを教えてくれることもあるんだよね。

淳:なるほどね~。

由季:そこまで行きつきたいのよ、私。

淳:だから、それはあれだね。要するに、「音楽の~」っていうところの、もっと手前の、「支える学び」というか、「学ぶ方法」をも、あなたが研究をしているというような感じだね。

由季:知りたい、それについてを。

淳:学ぶ・・・。そうだね。

由季:プロセスというか。こう、なんだろう、「歩み方」というのかな。

淳:技術だけ教えると言っても、それが入らなければ「教え」にならないし、「教わる」にならないわけでしょ?

由季:そうそうそうそう。

淳:だからそれ(=技術)が「入るために」どうするか、っていうところも含めて、レッスンなり、その準備なりになる、ということだね。

由季:その人の日常の中に「音楽がある」ということが、素晴らしい価値なんだって、その人に、本当に思ってもらうためには、やっぱり、私が、「その人の人生」に興味がない限りは、お邪魔させていただけないというか。だから、「あの、すごい「ごめんなさい」なんですけど、ただの興味本位で、話を聞いてもいいですか?」って言って、その人の生い立ちとか、仕事とか、話してもらえる範囲のところに、ちょっと立ち寄らせてもらうわけ。私の中で「社会と繋がる」って、そういう行為なのね。
私、やっぱレッスン室の中にいるから、自分が社会に出ていくことっていうのも、まあ、できなくはないんだけど、一番「目の前の社会」は、その生徒さん達だよね。言ったら、今、小2の子から八十何歳までいるわけでしょ。これ社会じゃん、そのまんまね。その社会の、何億人の縮図が、ギューって集まってるのが「ここ(教室)」でしょう。思春期の子もいるし、彼氏彼女のラブラブな時期もあるし、落ちる時もあるし。体力が衰えていくことにすごく危機感を持つ年代とか。家族に翻弄される時代ってのも、あるでしょう。

淳:社会やね。

由季:社会なの。

淳:だから多分、(私とは)向き合い方は違うんだけれども、「2人の意識していることは同じ」ってことかな・・・。「仕事として提供する」っていう意味では、「その社会に対して提供すること」だから、ちゃんと、カッチリとしたものを作らなきゃいけないっていうことでもあるよね。

由季:そうそう。そうなの。だから、そこに先生の、なんていうのかな、ある種の甘えとか、ルーズな部分っていうのを、寄りかかるようにしてしまうと、やっぱりそれは、それこそ社会を舐めてることになるし、その人の存在価値を軽んじてることになるというか。だから、きっちり敬意を持って、「線を引く」って、そういう意味じゃない?「相手にちゃんとリスペクトの意を表する」っていう意味だと思うんだよね。

淳:責任の分担というのかな。

由季:うん、それが、教室というものを継続、存続させていく上では、実は、すごく大事な部分だということだね。

淳:いや、本当そうですね。あなたのレッスンの「こだわり」みたいなところは、なんか、腑に落ちるものがありました。

由季:そうだね。それは・・・、だから、今日、淳君の話を聞いて、「自分がやってること」が乖離しているわけないよな、と思ったの。「お互いのやってること」が、別個なわけがないっていうか。

淳:社会に向けてやってたんだ、我ら(笑)。

由季:そう(笑)。

淳:お互いにね。

由季:そう、社会と繋がるっていうことに、「なっていったんだ」と思う。そうなんだと「実感していった」のだと思うんだよね。だから、うちの教室が社会の中で、まあ、その~、「存在していて良いんだ」と、15年間認められて、これから先も、私たちが「そこに居る」っていうことの価値になるんだろうなっていうのを・・・。

淳:だから逆に、社会が変わっていくんだとしたら、我らも変わっていかなきゃいけない。

由季:そういうことだよね。だからやっぱり、情報に敏感であるとか、生徒さんの心の動きに、私がちゃんとアンテナを張ってる、淳君が社会のアンテナを張ってる、ってことなんだね。

【対談⑤】に続きます。


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