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休日は公園のベンチで読書しながら日向ぼっこ

地元の友人たちとワンボックスカーに乗って居酒屋に移動しているときに、友人のひとりが「こっちに帰ってこないの。まさみちに東京は向いていないと思うのだが」と言ってきた。

「わかった。君はつまり人生を謳歌する気概もなく社交も避けがちで家に籠もって鬱屈しているだけなのだから都会で暮らしていても意味がないといいたいわけだな。しかし、こうした残念な人間にも居場所が用意されていのはむしろ都会のほうではないだろうか。ぼくは匿名性が担保された環境に心地よさを感じているのだよ。あ、ちょっと待って。空にかかっているあのSFっぽい巨大なアーチは一体何?え、あれが商業施設?うそ。よく見ると劇場版のアニメっぽくない?あ!わかった。今いるのってアニメの世界でしょ」

などと言っていたら友人がハンドル操作を誤り、車が海に突っ込んで目が覚めた。なにもそんな『インセプション』のように律儀に終わらせないでも良いのでは?と思わざるを得ない夢らしい夢。最近飲酒してから寝るせいで眠りが浅いために夢をよく見る。今日はバンドメンバーに大げさなジェスチャーを交えてグルーヴの差異について解説する夢を見た。それはかつて実際に行っていたことである。

休日のお昼過ぎ、家に籠もってSNSなどを見ていてもただ気が滅入るばかりなので、本を数冊抱えて家を出て、途中のコンビニでコーヒーを買い、近所の公園のベンチに腰掛けて読書するようにしている。家から10分ほど歩いたところにあるその公園はなかなか広く、遊具も充実しており、ドッグランのスペースもあるので、家族連れやカップル、愛犬家などで賑わいを見せている。むろん公園の中には自分のような独り身が一息つけそうな場所がない。

公園の端っこのほうまで行くと、ドッグランの柵の裏側に、公園に面した川の方を向いたベンチがあるのだが、人気がないのだろうか、いつでも空いているので、毎回そこに座って読書している。その場所は文字通り周縁的である。こうした中途半端な空間がとても落ち着く。これが誰もいない寂寞とした公園であればこうはいかないはずだ。個人と集団のあわいでゆらゆらしているからこその心地良さだといえる。公園に背を向けているのも奏功している。できることならばこのような空間を設計した人に感謝を伝えたい。家の外でこうして一息つけるのもあなたのおかげだと。

イヤホンをして音楽を流しながら読書。子どもが騒ぐ声や犬の鳴き声が程良く混ざって聴こえるのが心地良いし、家で読むよりも本に集中できる。少ならからず人の気配があったほうが集中できるということなのだろうか。ちょうど西日に向いているので、日が沈むまでそこで粘るようにしている。日光のパワーによってセロトニン的なものが分泌されることを期待しているのだ。

先週の『躁鬱大学』に続いて坂口恭平の『自分の薬をつくる』を読んだ。この2冊の内容はほとんど重複している。しかし『自分の~』のほうは坂口恭平とワークショップに参加した相談者との対話がまとめられたものであるぶん読みやすいしすんなりと頭に入ってくる。

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