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音楽と身だしなみ

大晦日。昼過ぎに東京から実家の愛知へと向かった。親戚へのお土産として猫の肉球の形をしたフィナンシェを買ったのち、改札を通ろうとiphoneをかざしたら止められてしまった。新幹線のチケットとモバイルPASMOが紐づいていなかったのだ。出発までの残り時間は10分程度。2023年から年末年始の新幹線が全席指定になっている。これを逃したらリカバリーが利かない。焦る。しかし、この失敗は前にも経験がある。すかさずブラウザから設定を変更して、改札を通り、なんとか新幹線に乗り込むことができた。

移動中、アーロン・コーエン『シカゴ・ソウルはどう世界を変えたのか──黒人文化運動と音楽ビジネスの変革史』を読みながら過ごした。4000円近くする本だから買うのを躊躇した。けれども音楽関連の本は絶版になりがちで、その結果プレミア価格の古本が市場に出回り、より入手しづらくなる。だから今買っておくべきだと判断した。いわゆるところの「買い支え」をしたい気持ちもあった。

17時頃、名古屋駅に到着。たいしてお腹が減っていなかったものの、恒例行事として新幹線のホームにある住よしできしめんを食べた。つゆにほんのり酸味があって美味しい。しかしなぜつゆに酸味があるのだろうか。なんでも鰹節は発酵食品だから酸味があるそうだ。へえ。

名駅(めいえき=名古屋駅のこと)タカシマヤの地下で実家へのお土産にお酒を物色する。デパ地下ほど近づきたくない空間はないと改めて思う。人混み、のろのろ歩き、渦巻く欲望、そして無秩序。これぞまさにストレッサーである。しかし背に腹は代えられないから我慢せざるを得ない。試飲を勧められて飲んだ玉泉堂酒造の美濃菊という日本酒が美味しかったからそのまま購入した。

しかし誰が何と言おうと歩きスマホだけは許しがたい。当方はニューヨーカーのごとく風を切って歩きたいからだ。言ってみればスマホは片手に収まるデパ地下である。誰もがスマホを持つようになり、ストリートにデパ地下的空間が出現する結果となった。ニューヨーカー歩き派の人間には住みづらい世の中だ。

名駅からJR、名鉄と乗り継ぎ、一時間ほどで実家の最寄り駅に到着。普段、渋谷のストリームやスクランブルスクエアといった巨大な建造物のふもとで、スティーリー・ダン『幻想の摩天楼』のジャケットのような格好で生きているせいか、18歳まで過ごした地元の風景が、やけにちんまりしているように感じられる。しかしあの頃のほうが世界は広かったと思えてならない。

実家に到着したのち荷解きして晩ごはん。すこしだけ紅白を観る。新しい学校のリーダーズが出ていたので、一瞬躊躇したものの、話の種として「昔イベントで一緒になったことあるよ」と母に伝えたところ、「へえ」と反応は薄かった。自分でも言いながら「それがどうしたよ」と思わないでもなかった。まるで虎の威を借る狐ではないか、と卑下するほどではないかもしれないが、黙っていられなかった自分がいじましく思えてならなかった。

華やかな世界への憧れはとうに消えてしまった。というのも、消極的で控えめな人間には水の合わない環境だと確信したからだ。できるのなら、刺激的で騒がしい空間ではなく、人口密度が限りなくゼロに近い穏やかで静かな空間で過ごしたい。理想は図書館だ。『サウスパーク』に登場する「ブッダ・ボックス」のような被り物も良い。

なるべくなら隅っこのほうで大人しく過ごしたい。その一方で、うちに秘めたクリエイティビティを発揮したいとも思う。そしてせっかく何かを作ったからには誰かに評価されたり、喜ばれたりしたい。注目は浴びたくないが評価はされたい。このアンビバレンツが日々の暮らしをややこしくしている。

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