トリプルファイヤーにまつわるイメージについて
トリプルファイヤーと聞いて多くの人がイメージするのは、日本語の響き、リズム、イントネーションとポストパンクっぽいサウンドの組み合わせのようだ。
私がトリプルファイヤーに誘われたのが2010年のことだ。それから5年ほどはポストパンク的な音楽に取り組んでいたと言って差し支えないだろう。当時の私がドイツのパレ・シャンブルグ、ベルギーのハネムーン・キラーズ、日本のアーント・サリーといったバンドに感化されていたのは紛れもない事実だ。
知り合いがシャレで思いついた「高田馬場のジョイ・ディヴィジョン」という通り名をプロフィール文で使用したところ、その文言が思いのほかキャッチーだったために、ポストパンク的なイメージが強化されてしまったのかもしれない。誠に恥ずかしい話ではあるが、正直に申し上げると、ジョイ・ディヴィジョンをそれほど聴き込んではいない。この時期の音楽に関していえば、イギリスのバンドよりもアメリカのバンドのほうが断然好みである。たとえば、DEVOやトム・トム・クラブ、トーキング・ヘッズ、B-52's、ブロンディ、ESG、リキッド・リキッド、ラウンジ・リザーズなどだ。むろん先日亡くなってしまったジェームス・チャンスからもたくさんヒントを得た。イギリスのバンドでいえば、ギャング・オブ・フォーやXTC、レインコーツ、スリッツ、デルタ5、オー・ペアーズ、エッセンシャル・ロジック、ディス・ヒートといったバンドをよく聴いていた。イアン・デューリーを忘れるところだった。危ない。
私個人としては、ZEレコードの作品に見られる「尖っているが陽気でチャラい」といった作風が好みに近く、なるべくならそうしたテイストの音楽がやりたいと考えていた。具体的にはオーガスト・ダーネルの関連作品である。感情表現に乏しく、いつもしかめっ面で、寡黙で陰気で決して明るくはない性格の私だけれど、いかめしい音楽よりも楽しい音楽が好きなのだ。
3作目の『エピタフ』以降、ポストパンク的なテイストにこだわらず、自由に伸び伸びと取り組むようになった。そもそもポストパンクと呼ばれるジャンルの魅力は、伸び伸びとした自由な発想にあると思っている。ある特定のジャンルのオーセンティシティーに水を差して脱臼させるのがポストパンクの精神である。フェイクであることこそが、ポストパンクのかっこよさの源泉にほかならない。それゆえ、ポストパンクをそっくりそのまま再現するような音楽に取り組むことは、ポストパンクの精神にもとると当初より考えていた。
鳥居がバンドに加入してからしばらくはポストパンクの直接的な模倣が見られたものの、徐々にポストパンク的なクリエイティビティのあり方を自分なりに咀嚼してアウトプットするようになり、ポストパンク的なサウンドからは距離を取りつつも、ポストパンク的なアティテュードに則り、伸び伸びと音楽に取り組み続けて現在に至る。トリプルファイヤーの音楽の変遷をこのように説明することもできるだろう。今振り返ってみると、当初の模倣も上手にできていたとは言い難い。しかし、その不器用さがむしろバンドに個性を与えていたように思う。
『エピタフ』以前のトリプルファイヤーが「高田馬場のローザ・ルクセンブルグ」だとしたら、『エピタフ』以降のトリプルファイヤーは「高田馬場のボ・ガンボス」だといえるかもしれない。要するにそれだけドラスティックな変化を遂げているのである。しかし、トリプルファイヤーの名前を聞いたときに多くの人が頭に思い描くのは、初期の「日本語ポストパンク」的なイメージなのだと思われる。
Spotifyでトリプルファイヤーの「人気曲」を確認すると、ランクインしているのは初期の曲ばかりだ。順番は以下のとおり。
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