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栄光への脱出

~ 僕の過払い金返還請求体験記 ~

僕はだらしのない性格から、20年以上、クレジットのローンを払い続けてきた。
これまでにブラック・リストに載ること二度、現在もクレジット・カードを作ることは出来ないし、銀行のローンを組むことも出来ない。世間にはもっと手ひどい目に遭っている人もいるので僕などまだ甘い方だろうが、まずはローン界の中堅選手とでも言ったところであろうか。

ここで、ブラック・リストなどとは無縁な善男善女のために少しく解説をすると、この「ブラック・リスト」は、返済の滞った悪質な債務者、つまり僕のような人間がいたずらに借金を重ねることの無いように、親切な貸金業界で流通している「悪質債務者リスト」である。そしてこのリストに名前が載ると、7年はリストから名前が消されることは無い。つまり7年間は、新しく借金ができないのである。もっとも、このリストを作成する情報機関はいくつかあるらしく、必ずしも7年でリストから消えるとは限らないようである。

ともあれ、僕の一度目は、ちょうど7年でリストから抹消された。
これは、最初にブラック・リストに載って新規のクレジット・カードが作れなくなったあと、面白半分に事あるごとにカードの申し込みをしていたら、ちょうど7年で新規のカードが作れてしまったので、実証済みである。
そして、そのカードでも支払が滞り、二度目のリスト・アップと相成ったのは、前述の通りである。

僕のローン史を事細かに記しても、退屈な上に恥をさらすだけなので、ざっくりとだけ記しておこう。

社会人になった当初は僕も会社勤めをしていたので、クレジット・カードは簡単に作ることが出来た。
いざ持ってみると、実に便利である。
たまたま現金を持っていなくても、飲み食いが出来る。
給料を待たなくても、買物が出来る。
リボルビング払いなので、月々の負担も大したことは無い。
当時は、3枚のカードを持っていたと思う。
3社からの請求は、一見大したことは無いようでも、当時の薄給にはいささか重かった。
そこで、1社からドカッと借りて他社の分を返し、月々の返却が1社からで済むようにする。
ところが返済をしてしまうと、またしてもカードの借入枠が出来てしまうので、つい使ってしまう。
まさに、よくあるパターンであった。

そこへ持ってきて、7年勤めた会社を辞めてフリーになる、などと言う暴挙に出てしまう。
当然、フリーランス当初は、さほど仕事が来ない。これまで遊びのためだけに使っていたカードが、生活の糧ともなってしまった。
あっという間に支払いは滞り、一度目の破綻へと至った。
そして前回も述べた通り、ブラック・リストに2回も載ったということは、上の過程を2ターンもこなしたということなのである。

前回述べたような経緯で、20年以上かけてじっくりと熟成された借金オヤジが、出来上がった。
泡盛なら、立派な古酒になる。
サントリーの『山崎』だって、25年が最高級品である。
ワインでも、20年も寝かせれば、そこそこであろう。もっともワインの場合、採れた年によって大きく評価が変わるようなので、僕の場合、採れた年が問題となる可能性はある。

ともあれ、そこへ昨今の、「過払金返還請求」ブームである。
むやみとテレビCMで、「払いすぎてませんか?」などと言うナレーションが聞かれるようになった。
電車に乗っても、この手のチラシがやたらと貼ってある。
熟成オヤジとしては、当然、気になる。
気にはなったが、いささか「弁護士」に対しては懐疑的だった。
それに、あまりにもこの手の広告が多すぎ、どこを選んで良いものやら、決め手にも欠けた。
そんなこんなで、気にはなったが、動き出せずにいた。

そこへ、学生時代からの知人であるK氏の登場である。
氏は、僕の大学時代の先輩であり、そもそも僕が東京の映像制作会社へ勤めるきっかけを作り、最近では「釣り」などという底なし沼へと引きずり込んだ、僕を熟成させた張本人と言ってもよい。まさに、堕落オヤジを仕込ませれば天下一品の、手だれの職人さんのごとき人である。

その氏が、「過払金返還請求を始めた」と言い出したのである。しかもそのうち1社は、弁護士事務所を通さず、自ら簡易裁判を起こすと言う。この人は、こういうことを始めると、妙に熱心に研究する。困った熟成職人さんだが、こう言う点では、ある程度の信頼度はある。

そこで僕も、乗っかることにした。もちろん僕は、「自分で簡易裁判を起こす」などと言う、七面倒なことはしない。氏が色々と調査して選び出した弁護士事務所に、僕も「過払金返還」を依頼することにしたのである。

二月末の日曜日、都内でも弁護士事務所などの多い、とある街へと僕は出かけていった。その事務所の売りは、「面談は一度だけ、後は電話連絡だけでOKです」というもので、最初だけは、事務所に出向く必要があったのである。
この事務所を紹介してくれたK氏と違って、僕は行き当たりばったりである。準備も、この日の朝に過去の預金通帳を引っ張り出し、支払経歴のあるローン会社をダラダラッとメモ帳に書き出しだけであった。
それだけでも、6社あった。6社もあると、ちょっとウキウキ気分である。

僕の身中に昔から棲みついている「獲らぬタヌキ」が、すでにポンポコと踊り出していた。

事務所は、駅からほど近い、ちょっと古ぼけたオフィスビルの5階にあった。日曜なのでほとんどのオフィスは閉まっており、開いているのは、その弁護士事務所くらいであった。

ちょうど昼休みの時間と重なった事もあり、三人の女性とエレベーターが一緒になったのだが、いずれもこの事務所で働いている女性が、近所のコンビニで弁当を買って戻るところであった。
彼女たちも僕が「客」である事をすぐに察知したようで、エレベーターの「開」ボタンを押して、「どうぞ」と、僕に先を譲ってくれる。
ほとんどのオフィスが閉まっているなか、その事務所だけが妙に明るく、喧噪に包まれていた。

先ほどエレベーターで一緒だった女性の一人が、「先ほどお電話をいただいた、○○さんですか?」と、尋ねてきた。
「いえ、××です」と名乗ると、すぐにパーテイションで区切られた応接室へと案内され、「××さんがお見えです」と、事務所へ声をかけてくれた。

ほどなく、一人の女性がやって来た。名刺を差し出したので見ると、弁護士のアシスタントのようであった。
彼女が持ってきたのは、「予備審査」なる書類であった。「身上書」と「過去の借入会社」を記入する2枚からなっていたように記憶している。
いずれも記入は、鉛筆であった。普通こういった書類は、ペンで記入するものと思っていたので、少しく不思議に思う。
彼女は、それらの書類に記入して待つように言い残し、すぐに去っていった。

僕が「ええっと、会社の住所は……」だの「ええっと、妹の住所は……」など、ノロノロと「身上書」を書いていると、ほどなく、別の女性が現れた。またしても名刺をくれるも、今となっては何者だったか不明である。
彼女は、まだ半分ほどしか記入されていない身上書を呆れたように眺め、「以下はこちらでお聞きしながら作成しましょう」と、僕から身上書を取り上げ、必要な欄を手早く記入した。
そしていよいよ2枚目の、「借入一覧」に取りかかる。これからが本番である。

僕が当日の朝バタバタと準備をして法律事務所に持っていったのは、締めて6社であった。
1社あたりの過払金が50万程度としても、6社あると300万円にもなる。100万ならば、600万。200万なら、なんと1200万円。

僕の身中に棲む「獲らぬタヌキ」はポンポコと踊り狂っていた。


『身上書』の記入も終え、いよいよ弁護士先生の登場である。
来るなり彼は、僕のリストのうち2社に、ササッと「×」を入れた。そして一言、「この2社は、法定金利でやっていた事がわかっていますので」

僕のタヌキたちが、ピタリと踊りをやめた。

さらに、追い打ちがかかった。
残された4社のうちの1つ、A社は、僕があまりにも滞納を続けたために民事訴訟を起こされ、結局、強制返還のハメとなったところなのであった。
弁護士曰く、「訴訟を起こされた時点で、当然、利息は『法定金利』に計算し直されています。そうでないと、裁判所も提訴を受け付けませんから」

僕のタヌキたちが、背後でヒソヒソ話を始める。なかには、帰り支度を始めた者までいる。

しかしここで、福音がもたらされた。
「ここは、間違いなく『不当金利』でやってますね」と、その弁護士が、ある1社を指したのであった。

帰りかけていたタヌキたちも、立ち止まった。

ここは、僕の永きに渡る借金生活のなかでも、もっとも長いおつきあいの会社であり、おそらくは、もっとも多額の借金を重ねていたところである。
当然、利息もたっぷりと払い「過ぎて」いるはずのところである。
結果、「たっぷりと返って」くる事が期待されていたところなのであった。
しかしここでも、壁が立ちはだかった。

もっとも期待の持てるそのN社は、まだ返済途中であった。
しかも滞納を続けた結果、僕とN社の間で、返済計画の変更合意が行われていたのである。

問題はその際に、「法定金利での再計算」が行われた可能性もある、と言う点であった。
その合議は2年前に取り交わされたのだが、当時、僕は「法定金利」なるものへの興味も知識も皆無であった。
今、その時の書類を見ても、その点に関しては何の記載も無い。
当時そう言った会話があったかどうかも、記憶にない。
担当弁護士も、「先方から『取引履歴』を取り寄せ、それを見てみない事には、わかりませんねえ」と言うだけであった。

しかも、完済してからでないと、手続きを始められないと言う。
現在、そこへの支払残金は、7万円ほどである。そして月々の支払は3千円ほどなので、完済するには、まだ2年ほどかかる予定になっている。
もちろん、一気に返済が出来るようになったら、そうしてもよい。
しかし現在の収入では、なかなかそうもいかない。
さらに、このローン会社よりも優先して返さねばならぬ、「友人・知己からの借金」もある。

僕の行く道は、果てしなく、遠い。
歯を食いしばっても、遠いものは、遠い。
そんなにしてまでも行きたくはないが、行かざるを得ない。

ふたたび僕のタヌキたちが、ざわつき始めた。
いったん立ち止まった者も、再びきびすを返した。
なんとか残っている者の間からも、「帰ろ、帰ろ」の声が聞こえる。なにしろ「獲らぬタヌキ」たちなので、努力や忍耐などする気はさらさらないのである。

結局、今回は、完済できている3社を相手に、「過払金返還請求」の手続きに入る事となった。
当初の期待の、半分である。
時は吐息もまだ白い、二月末の事であった。

そして五月の半ば、仕事の最中に、1本の電話がかかってきた。
過払金返還請求を依頼している、弁護士事務所からであった。

僕の「獲らぬタヌキ」たちが、ワラワラと集合する。
「残りの借金一括返済」タヌキ、「引っ越し費用」タヌキと言った比較的堅実な者から、「プラズマテレビ購入」タヌキ、「休暇を取って旅行」だの、「レーシック手術」だのと言った、ちょっと浮かれ気味の者まで、多種多様である。

皆が固唾を飲んで見守る中、告げられた報告は、次のようなものであった。

最初にその事務所を訪れた際に「ここは割と良心的に対応します」と言われていたS社への過払金は、40万ほどであった。そして返還の条件としては、その90%を3ヶ月後に支払う、というものであった。条件としては、まあまあ、良心的である。しかし、手数料、謝礼等をさっ引くと、手元に入るのは30万円ほどである。

「レーシック」「プラズマテレビ」「旅行」組のタヌキたちが、ブツブツ言いながら、解散し始める。

そしてもう1社、何年か前に相手方から「借入金返却訴訟」を起こされたA社は、やはり提訴の段階で法定金利に計算し直されており、0円。それどころか、その弁護士事務所の計算によると、逆に僕の方にまだ13000円ほどの未払いがあると言う。ただ、先方では「残金0円」と言う事になっているので、さすがに払う必要はないが、当然、1円も返っては来ない、それどころか、事務所の手数料としては赤字であると言う。

3社目のL社は、まだ返済途中のN社を除くと一番の高額が期待されていたところだったのだが、すでに時効でとの事で、金額も教えてもらえぬ始末であった。

結局、今回の件で手続きを継続する事となったのは、S社ただ1社だけとなった。

ここに至って、なんとか踏みとどまっていた「引っ越し」「借金の一括返済」組もゾロゾロと帰り出す。
残ったのは、「近しい人への借金返済」「収入が少なかった時の補填」と言った、地味な連中だけとなった。

これも帰りかけていた「N社の残金返済」タヌキにはなんとか留まってもらい、実際に返金があってからその去就を考えていただく事にはしたが、ついさっきまでザワザワと騒がしかった僕の周囲は、閑散とした、寂しいものとなってしまった。

この分では、残るN社も、すっかり期待薄である。なによりも、返済を終えてからでないと、話も始められない。
なぜか僕は、ビンボーと縁が切れないのであった。

以上で、「過払金返還請求」の第1部は完了である。
第2部は、N社への返済が終わってからとなるので、一体いつになる事やら、わからない。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。