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記録にならないその仕事を、見ている人がきっといるから【10/30巨人戦△】

ここで試合が終わるんじゃないかとすら思える(私は本当に終わったのかと一瞬思った)盛り上がりの中、石山は静かに、10回裏のマウンドに向かった。

相手チームの優勝は決まった。こちらの最下位も決まった。勝つために、そして優勝するために、戦う野球選手たちにとって、残りの試合をどういうスタンスで戦えば良いのかと、迷うことだってなくはないだろうと思う。

なんのために投げるのか、なんのために戦うのか。

でもとにかく石山は、その「勝つことのない10回裏」のマウンドへ向かった。

もう勝つことはない、優勝することもない、それどころか最下位さえ決まったそのマウンドで、投げるというその仕事を、任される。

いつも誰もが、チームが「勝つ」ことを期待されてそこに立つわけではない。それは不動のクローザーにだって、時に同じことなのだ。

相手チームの優勝を目の前で見ることだってある。好投していても、次に投げるピッチャーが打たれて、勝ちが消えることもある。

でもそれは、どんな仕事にだって言えることだ。

仕事はいつだって、一人で完結するわけじゃない。私は個人事業主だけれど、そして基本的にはいつも一人でいるし一人を好むけれど、それでも毎日毎日(ほんとうに毎日毎日)いろんな人とコミュニケーションをとり、いろんな人と関わり、そしていろんな人に助けられて支えてもらっている。私が一人でできる仕事なんて、ほんとうに一つもない。まっっっっっっったく、ない。そもそも欠陥だらけの私に一人で仕事ができるわけがない。

みんな関わりあっている。それは俯瞰してみればつまり、「チームプレー」だ。

何度も言うように野球というスポーツは、「個」の側面が強いスポーツだけれど(バッターとピッチャーは1対1で向かい合う)、それでももちろん、チームとして戦い、チームとしての一勝を目指す。そしてそのチームでの仕事の中には、いわゆる「敗戦処理」があったり、そして「相手チームの優勝が決まった最終回裏での投球」があったりする。でもどれも、欠かせない、誰かがやるべき仕事なのだ。

そこでどんな仕事ができるかだよな、と、私はたまに思う。もう「勝つ」ことはない、求められるのは引き分けという「最低限」だ、でもそこで、どんなピッチングができるのか、それは、すごく大事なことだ。

だからヤクルトたちだって、もう「優勝」はないけれども、(というか最下位だけれども、)そういう時にそれぞれがどんな仕事ができるだって、大事なことなのだ、と思う。人間だからふてくされたくなる時だってあるけれど(私だってふてくされたくなる)、でもそういう時こそできるだけ、あがいていたいじゃないか、と思う。

それはものすごくかっこいい仕事ではないかもしれない、でも、その姿を見ている人は必ずいる。今日の石山の姿に心打たれる人が、励まされる人が、きっといる。

そういうのが、仕事だ、と、私は思う。

その、記録にならない仕事を、チームの誰かが、応援する誰かが、きっと見ている。それに鼓舞され、なにかを決意する人がいる。そうしてつながりあって、なにかを動かしていく。

そういう力を、私は信じていたい、と思う。

巨人のみなさま、巨人ファンのみなさま、優勝おめでとうございます!!(あと、今のチームのままで、十分、十分、十分、強いと思います!!!!!!)



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