見出し画像

世界は「自分にはどうにもできないこと」であふれているけれど【8/28横浜戦●】

自分でどうにもできないことに、心乱されるのはどうなのか、と、ずっと思っていた。基本的に、自分のことは自分で決めたい。同時に、他人のことを自分が変えるのは不可能だ。

だけど、自分になんとかできることなんて、実際はほんの少ししかない。どれだけ言っても息子は宿題をしないし(ここは鎌倉のホテルだけれども息子はもちろんまだ夏休みの宿題を終えていない)、むすめはいつでもどこでも踊ることをやめない。

そして勝ってほしいと五時間祈ったチームは、今日も勝たない。

気づけば今日も、「自分にはどうにもできないこと」で胸は痛む。世界は悲しいニュースであふれている。自然の力にはもちろん、人はかなわない。

ヤクルトは今年、もう何回めかも忘れたくらいのサヨナラ負けをした。むすめがすやすや眠る横で、iPadのDAZNはほしくんがサヨナラを打たれるところを映していた。現実というのは、思ったよりも残酷なものだよなあ、と、思う。むすめがどうか悪い夢を見ないように、と、私はつい祈る。

泣いても、わめいても、怒鳴っても、携帯投げつけても、今日のヤクルトの結果は変わらない。iPadの前でどれだけ祈っても、その祈りがほしくんに届き、この試合を左右することはまずない。私たちはただここで、その試合を見守ることしかできない。そして世界は、例えばむすめのこれからの人生は、そんなことであふれている。

だからたぶん、「思い通りにならないことばかりだ」というのを、知ることはきっと大切なことだ。むすめは今シーズン何度も、「思い通りにならない」試合を見続けた。悪夢みたいな試合もたくさん見てきた。でもそのどれもこれもが、「自分にはどうにもできないこと」なのだ。その「自分にはどうにもできない」ということを知ることもまた、必要なことなのだ。

大切なのは、思い通りにいかなかった時、そして自分にはどうにもできないことで傷つく時、それでも生きていく術を見つけていくことだ。例えばむすめがこれから大好きな人にフラれた時、大切な人とのサヨナラを経験する時(待ってサヨナラという文字は今見たくない)、それでも続く日々を、どう生きて行くかということだ。

繰り返し繰り返し、ばかみたいに負け続け、何度も更新される今季ワースト試合を見せつけてくれるヤクルトは、きっと私たちにその訓練を課してくれているのだろうと思う。全然いらないけど。

そしてヤクルトたち自身がまた、傷ついても傷ついても、そこで戦い続けなきゃいけないのだ。二週間前、8回1失点の好投をしても、そのあと勝てない試合が続くこともある。それでもそこで、投げ続けなきゃいけない。2試合連続で負け投手になることがある。厳しい声が寄せられる。でもまたそこに立たなきゃいけない。チャンスで1本が出ず、苦しい思いをする。でもまた、打席に立たなきゃいけない。良いことはずっと続かない。でも、同じように悪いことも続かない。だから良い時がまた来ると信じて、誰もが生きていくしかない。

世界は、自分にはどうにもならないことであふれている。だけどふと思う。自分にはどうにもできないことを、赤の他人がやることを、これだけ強く「想う」ことができるのはもしかしたら、素晴らしいことなのかもしれないな、と。それは誰かを愛することが、どれほど傷つくことにあふれていても素晴らしいことと、同じように。

良い時も悪い時も、日々は続く。ヤクルトの試合はまたやってくる。思い通りにいかないことばかりだけれど、自分にはどうにもできないことばかりだけれど、でもそれでもまた、私たちは日々を紡ぐ。また明日は少しだけ良い日になると信じて。大好きな人が、笑うことを祈りながら。


ありがとうございます…! いただいたサポートは、ヤクルトスワローズへのお布施になります! いつも読んでいただき、ありがとうございます!