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「正しい答え」はいつまでも見つからないからこそ【11/10広島戦●】

息子が塾で、「不安」と「心配」の違いを習ってきた。「不安」は、自分に対して抱くもの。「心配」は、他人に対して抱くもの。と、息子が教えてくれた。なるほどなあ、と、私は思った。ヤクルトたちに私が抱くのはいつも、「心配」なのだなあ、と。

前回のドームの試合で、本当のところは勝った余韻に浸りきれないくらい、ぐっちの足に当たった死球が気になって気になって仕方がなかった。もしまた大きな怪我になったらどうしよう、骨折していたらどうしよう、シーズンが終わるとはいえ、またリハビリ生活になってしまったらどうしよう。心配だった、しぬほど心配だった。せっかくのドーム初勝利が、吹っ飛んでしまうくらいに。

もちろん毎日、「勝ってほしい」と強く願いながら応援する。目の前で目指すべきものは、一勝だ。だけど誰かが怪我をした時、そして誰かがチームを去る時、その時ようやく、さらに大切なものがあったことに、気づくのだ。

だから今日、ぐっちが1500安打の表彰を受けるために、歩いてグラウンドに向かう姿を見て心底ほっとした。「歩いてる。。。!!!」と、思った。それだけでもう、うれしかった。

去年の一年間があって、そして今年の一年間があった。やっぱり私にとって今年は、「神宮で打席に立つぐっちを応援することができた」、そういう一年だったのだと思う。

勝つことも、いい数字を残すことも、タイトルを取ることも、どれもこれも大切だけれど、試合に出て、打席に立つ所を見られるということが、どんなに素晴らしいことなのかと、それを知った一年だったのかもしれない。

ぐっちがシーズン最後に打った犠牲フライを見ながら、もしかしたらこれが、今シーズン一番うれしかった瞬間かもしれない、と、私は思った。


野球の結果は、毎日毎日変わる。昨日勝ったチームに、今日は負ける。昨日打てていたのに、今日は打てなくなる。

見ているこちらの気持ちも、毎日毎日変化する。負けてもいいからと思う日もあれば、なんでこんなに弱いんだと腹が立つ日もある。このままでいいと思う日もあれば、これじゃいけないと思う日もある。なんなんだこのチームと思う日もあれば、そうそうこういうところがいいんだよなあと思う日もある。

変化する日々の中、いつだって正しい
答えは、わからないのだ、と思う。
配球のように、守備シフトのように。「セオリー」はそこにあるけれど、「正しい答え」は、たぶんいつまでだって見つからない。


どの球種を選んでも、バットを振っても振らなくても、
結果が出ればそれで良かったと言われるし、出なければそれは間違いだったと言われる。そしてそれは、どんな仕事でも同じだ。

だから、選んだ道に向き合い続けること、誠実であり続けることが、大事なんだよな、と思う。結果が出なかった時に、考え続けること。バットを振り続けること。自分の役割と向き合い続けること。

そして、今目の前にあるものを、今だけのこのチームを、今そこでプレーしてくれている選手を、今、この瞬間に、応援していくこと。

寂しさとやるせなさを運ぶシーズンの終わりに、改めてそんなことを思います。

今シーズンも、noteを読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。

仕事が忙しくなったり、こども関連のスケジュールが何かと慌ただしくなったりと、個人的にも大きな変化のあったシーズンだったけれど、その中でこうして毎日試合noteを書いてこられたのは、読んでくださる方、コメントをくださる方、サポートを入れてくださる方、みなさんのおかげだと心から思います。一つ一つが本当に励みになりました、本当に本当に、ありがとうございました!

オフシーズンもぽつぽつと、書いていきたいと思います。来年もまた、素晴らしい試合がたくさん見られますように。ぐっちが首位打者をとりますように!




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