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誰もが身を削りながら、「最後」に向かいながら、限りある人生を豊かにしてゆく 【2/8ヤクルト浦添キャンプ】

「僕も稲葉選手がいなくなり、青木選手がいなくなりしたときには、『寂しいなあ』と思いました。でも神宮に足を運んで、ヤクルトのユニフォームに身を包んだ選手たちが動き回っているのを見ると、やはり同じように応援してしまいます」(村上春樹『村上さんのところ コンプリート版』)

村上春樹が以前書いていた、その言葉を今、かみしめる。

去りゆく人がいて、ユニフォームを脱ぐ人がいた。私はその度に、言いようのない寂しさややるせなさを感じてきた。

だけど一方で、新しく入ってくる人がいる。そして、「再び」ヤクルトのユニフォームに袖を通してくれる人がいる。

石山や星くんの、何度も何度も神宮で、祈るようにしながら見ていた見慣れたそのフォームも、そして初めて間近で見る寺原や清水くんのフォームも、表情も、どれも胸に迫るものがある。

「寺原、渋くてめちゃくちゃかっこいいね」とオットが言う。うん、本当にかっこいい。全員がかっこいいこと知っているけれど、やっぱり野球をしているところが一番かっこいい。

久しぶりに見る(それは本当に長い時間に思えた)、ブルペンに立つ投手陣の球は、選手たちの姿を見ないあいだこちらが勝手に思い描いていたよりもずっとずっと鋭い。期待の一球は、あっという間にプルペン捕手のミットに吸い込まれてゆく。

みんな、一球一球、魂をこめるように投げる。初めての登板に向けた緊張を振りほどくように、崖っぷちから這い上がる気迫をこめるように。

それは本当に、魂を削るような作業なのかもしれない。言葉通り、少しずつ、身を削り、肘を磨耗してゆくものなのかもしれない。

それは、生きることそのものだ。みんな、働きながら、書きながら、走りながら、少しずつ身を削ってゆく。つまり誰もが皆、そうして「最期」に向かってゆく。

だけど、身を削りながらブルペンで投げ込むことは、一方で、選手生命をより豊かにしてゆくものでもある。限りある人生を、彩り豊かにするために。

みんなが最後に向かいながら、でも、投げているその時間が素晴らしいものになるように。少しずつ、身を削ってゆくのだ。

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けいじくん&寺島くん、高梨くん&梅ちゃん、大下くん&くらもん&中尾くんが、坂道ダッシュをしている。おじいちゃんやおばあちゃんがたくさん乗ったバスがその坂道を登って行って、みんな手を振っている。中尾くんのお母さんにも気づいて、みんなで手を振る。中尾くんは少し恥ずかしそうにしている。いいなあ若いっていうのは、とてもいいな、と、私はまた思う。

「次さんかいめー!」というトレーナーさんの声に、「いや次4回め!!」とみんなで一斉に、必死に抗議していて、お客さんたちが笑う。

ああまた今日も、しんどいトレーニングの中にユーモアがあっていいな、と私は笑いながら思う。

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河田さんがひたすら外野ノックを打つ。松山に引き続き、やっぱり今日も、私は鬼コーチに気持ちを持って行かれる。

鬼コーチのノックを受ける若手たちもそりゃすごいけど、あれだけノックを打ち続ける鬼たちの方がすごいんじゃないかという気がしてくる。だんだん河田さんの疲労が心配になってきて、「私ちょっと代わってこようかな」とまじめに言うと、「ママぜったいむりだから。あんなとばせないから。」と、むすめに冷たく言い放たれる。いやでも代わってあげたい。(なんだよその気持ち)

今年から外野手登録になった渡邉くんがダイビングキャッチをして、お客さんから大きな拍手があがる。さっき一塁で守備練習をしていた荒木は、今度は外野ノックを受けている。えらいよなあ荒木…と、またしみじみと思っていると、荒木はボールを取り損ね、河田さんが「今のどうよコータロー!」と叫ぶ。コータローは、「ちょっと遅かったと思います」と答える。またお客さんが爆笑する。

暮れゆく空に、ボールが消えてゆく。河田さんの声が響く。お客さんは笑う。今日も平和だな、と私は思う。

浦添には、私がずっとずっと好きだった、沖縄の「冬」の風が吹く。私がずっと好きだった島で、私が知らなかった景色を見ている。好きなものが重なりあう、そんな世界を見せてくれてありがとう、と私は思う。


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