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【10/26横浜戦◎】優勝するために、誰一人欠かせなかった。

「その瞬間」、私は何を思うのだろう、と、いつも思っていた。もし、いつかヤクルトが優勝したら、その時何を思い、そしてその日の空には何を見るのだろう、と。

「いつか」は、ほんとうにやってきた。2年連続で最下位に沈んだチームは、今日、多くの人たちの予想を覆し、(私の予想だって覆し、)優勝を決めた。空には、半月に向かって欠けていく月がとても、とても美しく浮かんでいた。

「その瞬間」、私はただ、泣いていた。それは38年間で味わう初めての感情だったのだと思う。「ママ泣きすぎ!」と、むすめは笑った。「ママ見て!月がすごいきれい!」と、息子は言った。

この日を、子どもたちと一緒に見上げた月を、私は一生忘れないだろうと、そう思う。


思えば、「ヤクルトファンで埋め尽くされた神宮球場」というのは、とてもレアだ。普段は、半分はビジターのファンで埋まっているし、シーズンによってはビジターのファンの方が多い…ということだって、ある。

でも今日は、神宮内野席はすべてヤクルトファンで埋まっていた。配られた「優勝決定時の乾杯用です」というヤクルト1000を片手に、なんだかお祭りのような空気も感じる。

なんといっても、今日からビールの売り子さんもいるのだ。

「なんか、こういうのもいいね」と、私は子どもたちと言い合う。「来られてよかったね」と、やっとそう、口にすることができた。そう、ここに来るまでの道中、いや、この一週間くらいずっと、言いようのない緊張感があったのだ。


朝、「僕思ったんだけどさ」と、急に息子が言った。「たぶん、ファンが『怖い』って思っちゃだめなんだよね」と。

それまで、朝からなんだかめずらしくそわそわして、緊張した顔をしていた。「今日決まっちゃうのかな、いやでも、まだだよね!…でも、今日もし負けたら、しんどいよね、あー…」と、ぶつぶつ言っていた。

でも急に、何かを決意したかのように、「ファンが『怖い』って思っちゃだめなんだよね」と、そうつぶやいたのだ。

「…いや、そうだよね、その通りだよ」と、私は答える。ほんとうに、その通りだ。

この一週間ほど、何度も何度もその「怖い」気持ちと戦った。「甲子園で優勝が決まっちゃうのかな!」なんて言っていたのがもう遠い昔のよう、気づけば残り3試合で1.5試合勝たなきゃいけない、というところまで追い詰められていた。最後の最後に、「去年のヤクルトだ…」と思わずにはいられない試合が続いた。もう、目をそらせたくなる場面が何度もあった。ここまでがうまく行き過ぎてたんじゃないか、やっぱり最下位からの優勝なんて、そもそも無理だったんじゃないか、でもここで優勝を逃したら、私はまた何年も、このチームの優勝を見られないんじゃないか…。

不安は、次々と襲った。それはもう、情けないほどに。

だけど、私のそんな、情けない不安をいつも吹き飛ばしてくれたのが、今年のヤクルトだった。


21日の広島戦、7回に一気に7失点をし、逆転を許して負けた試合で、サンタナは一人、何かを祈っていた。

その直後、サンタナはソロホームランを打った。その試合は逆転負けで終わってしまったけれど、そしてそれはもちろんとても痛い敗戦だったけれど、だけどサンタナの祈りは、私の中の何かをも変えたのだと、そう思う。

ここで「見ている」私が、目をそらせていちゃいけない。待っている結果がどんなものだったとしても、今は「優勝したい」というその気持に、真正面から向き合わなきゃいけない。いつまでも「でも優勝できないかもしれないし」なんてことを、そんな心の保険を、かけていちゃいけない。それを逃す可能性だってもちろんある、でもそれでも、選手たちはその緊張感の中、怖さを持つ中、「優勝したい」と、戦っている。私も、真正面からそれを、見つめていよう、と。そんな風に、少しずつ思うようになっていった。

それを、もちろん息子も一緒に見ていた。息子もきっと同じように、今年のヤクルトを見ながら、そう思えるようになっていったのだろうなと、思う。

「腹をくくる」ことを教えてもらったのは、私たちの方だったのかもしれない。

最後のマクガフの投球を、むすめは祈りながら見ていた。

それは、いつも、どんなに負けた試合だって「でも楽しかったね!」と、笑ってくれたむすめの、心からの「勝ちたい」という祈りだった。こんなに何かを強く願うことは、むすめにとっても初めてのことだったかもしれない。

マクガフが抑えてくれた瞬間の、子どもたちの嬉しそうな顔、それもたぶん、初めて見る表情だった。

「思い通りにいかないことなんてたくさんある」のだと、ヤクルトの試合を見ながら子どもたちはたくさんたくさん学んできた。どれだけ願っても、かなわない思いがあることも。

だけど今日みたいに、その願いがほんとうに、届く日がある。それはまた一つ、すばらしい光となって、子どもたちの心に残るだろうと思う。それがこの先の、小さな宝物になるといいなと、そっと願う。


誰かを応援すること。「負ける」可能性のあるものを応援すること。それは時に、なかなかにつらいものだ。96敗する年があり、16連敗する年がある。何をやってもうまくいかなくて、どうやっても勝てなくて、勝ち方がわからなくなる時がある。ほんとうに辛そうな表情を浮かべる選手たちに、どんな言葉をかけていいのかわからなくて、なんでこんな、負けるものを好きになってしまったんだろう、と、途方に暮れる。

その最中にいるときは、「でもいいことだってあるよ」と言われても、なかなか素直には信じられない。

だけど、しんどいことが、報われる日はたしかに、ちゃんとある。今目の前にあるものが、手にしているものが、絶望しかなかったとしても、あらゆるものは変化していく。それがいつか、希望につながっていくことだって必ず、必ずある。だから何かをそっと信じて、見守りながら、また日々をコツコツ生きていこうと、そう改めて思う。

8月、同じこの横浜スタジアムで、日本代表として歓喜の輪にいるてっぱちと村上くんがいた。それを見ながら私は、ああほんとうによかった、二人がしっかりと結果を残し、この輪に加わった経験はきっとこの先の野球人生にだって良い影響を与えるはずだ、と、心底思った。

そして同時に思った。「でもできることなら、この二人が、マクガフだって一緒に、ヤクルトのユニフォームを来てこの輪の中にいるところが見たい」と。

オリンピックの侍ジャパンの活躍を見ながら私は改めて、ああ私はヤクルトというチームが好きなのだな、と、そう思ったのだ。

今日、てっぱちと村上くんと、そしてマクガフはほんとうに、ヤクルトのユニフォームを着てその歓喜の輪に包まれた。あの日願った姿が、そこにあった。やっぱり私は、このチームが好きなのだ、と、何度もそう思う。

そして、同時に思う。

例えば歓喜の輪に入ることのできなかった選手がいる。今年、このチームを去る選手がいる。だけどその一人ひとりの選手たちも含めた誰もが、欠かすことなく、今のヤクルトを作ってくれた。前半戦を支えてくれた選手、ベンチで鼓舞してくれた選手、二軍で必死に戦う姿が若手たちを鼓舞した選手。

誰も、誰一人として、欠かすことはできなかった。

野球というのは、チームスポーツなのだ、と、今、改めて思う。タイトルを取る選手がいて、ホームランを打ちまくる21歳がいる。でもその選手だけじゃ、チームは強くならない。そこには、ほんとうに、いろんな選手たちの、あらゆるプレーの、声がけの、積み重ねがある。うまくいかない日だってあった、もうこんなんじゃ一生優勝なんて見られないと思った日だってあった。

だけど今日、みんなのその一つ一つの大切な積み重ねが、大きな大きな結果につながった。

それはもちろん、紛れもなく、大きな希望だ、と、そう思う。

ヤクルトを好きになったことを今、誇りに思います。大好きなチームのみんなが、歓喜の輪に包まれたことを、ほんとうに、ほんとうにうれしく思います。「優勝」というその喜びを教えてくれたこと、ほんとうに、ほんとうに感謝しています。

そしてまた、ここから始まるヤクルトの物語を、ずっとずっと見届けていこう、と、改めてそう思います。

素晴らしいこのシーズンを、ほんとうにありがとう。いいときも、そうでないときも、いつだって大好きだけど、優勝を決めた今年のみんなはひときわかっこよかったです。大好きだ。

たくさんの希望をありがとう。すばらしいシーズンを、ほんとうにありがとう。大好きです。

東京ヤクルトスワローズ、優勝、おめでとうございます。

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