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【10/3横浜戦○】時間だけが知る意味、ぐっちを応援した6年間

「誰か好きな選手のタオル一つ買ってあげるよ!」小雨の降る神宮の帰り道、そう言われた息子が選んだのは、「坂口智隆」と書かれたタオルだった。「山田とかバレンティンじゃないんだ!渋いねえ!」と、夫は笑って言った。「でもたしかに、坂口今日もめっちゃ打ってたもんね!」と。それは、ヤクルトが10点差をひっくり返してサヨナラ勝ちをした2017年7月26日、ついこの間に思えるのに、考えてみれば今小学6年生の息子はその時まだ、1年生だった。

「誰だ?」と、私は思った。「山田哲人とか、バレンティンとかじゃないのか」と、夫と同じことを思った。そのあと、私がその選手のことをひたすら応援するようになるなんて、そしてその5年後、私は小学6年生になった息子と、小学3年生になったむすめと、その選手の引退試合で号泣することになるなんて、その時は知りもせずに。

いや、それどころじゃない。私はきっと、息子が小学6年生になり、保育園の年少だったむすめが小学3年生になることすら、わかっていなかったのだ。時間は、誰にもに平等に、与えられ、奪われていく。時間は誰かの傷を癒し、誰かの命を削っていく。そのことを、わかっているふりをしながら、いつだって私は、わかっていなかったのだ。

時間の持つ、残酷さとそして、優しさを。

打たれ始めるととりあえずぐっちの守備をひたすら見てたなとか、一塁を駆け抜けるところがとにかく好きだったなとか、守備からベンチに戻る時の走り方がかっこいいんだよなとか。

そんな全部を、ひたすらに思い出していた。もうそれが見られなくなるなんて、これがすべて「いつかの思い出」になるなんて、そんなこと今でもやっぱり、信じられない、とそう、思いながら。

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それは、そんな遠い記憶じゃない。ここに座って、毎試合出場するぐっちの姿を見ていたのは、ほんの数年前の話なのだ。ほんの数年前、ぐっちは年間3割を打って、毎試合毎試合毎試合、そこに立っていた。「いるのが当たり前」なのだと、その時の私は、そう思っていた。

野球があること、それを目の前で見られること、そこにぐっちがいること、活躍してくれること。

それは、ほんとうは、当たり前のことじゃ、なかったのだ。

打ちますように、げかしませんように、出られますように、一軍にいられますように、あと一年でも長くプレーしてくれますように

私が神宮で抱く祈りは少しずつ、変わっていった。

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ぐっちは引退の理由を聞かれて言った。「『まだ、1、2年できるんじゃないか』と思い始めた時に、そういう気持ちで野球に向き合っているのは違うんじゃないかなと思い、決断しました」と。

まだ、1、2年できると、私だって思っていた。あるいはその痛みさえなくなれば、またあの時みたいにたくさんたくさん、ヒットを打ってくれるはずだ、と。

だけど、ぐっちはいつだって、決して言い訳しなかった。「痛みさえなくなれば」とは、決して言わなかった。何も言わず、一人で143試合、痛み止めを飲み続け、そこに立つために痛みに耐え続け、そして一人そっと、ユニフォームを脱ぐ決断をした。

まだ見ていたい。まだその姿を見ていたい、一年でも長く応援していたい、ここで見ているだけの私はそう思うけれども、だけど、その間ずっとぐっちは、痛みを抱えながら、痛み止めを飲みながら、そこに立ち続けたのだ。その壮絶なプロの戦いを、誇りを、私はきっと、わかっていなかった。いや、わかっていたつもりで、全然わかっていなかった。ぐっちが抱えていたものは、もっとずっと重くきついものだったはずなのだ。

時間が持つ重みや、ぐっちがそこにいることや、ぐっちが抱えていた痛みや、そういったものを、きっと私はいつだって、わかっていなかった。

だけど時間だけはきっと知っていた。ぐっちに引退を決意させる「時間の経過」は、同時にぐっちの痛みを癒していくものであることを。


高津さんは嶋さんに言った。

「嶋、私たちは見ましたよ、あなたの底力を。」

嶋さんはみんなに言ってくれた。

「見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!」

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言葉というものは、人を導くことができるのだと、つくづく思う。この2連覇は、高津さんの「言葉」に導かれたところも、多分にあると思う。言葉は時に鋭くなることを、恐ろしい力を持つことを、怖いほどに知るからこそ、「正」のパワーを持った言葉がすばらしい力を発揮するところを見られたことは、言葉を扱う仕事のはしっこにいる私にとって、ものすごくものすごく励まされ、そして救われたことだった。

でも、そんな高津さんが、言葉でみんなを引っ張る高津さんが、言う。

「ぐっち、あなたのその痛みを見せず戦う姿は、僕たち監督やコーチが何かを言よりもずっと多くのことを後輩たちに伝えてくれました」と。

言葉の魔術師みたいな高津さんが、ぐっちのその姿を、言葉以上のものだと讃える。私はこの6年間見続けてきたぐっちのその姿を思い出し、また泣いてしまう。

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私も結局、ぐっちのその姿にひたすら、励まされ続けてきたのだろう。ぐっちを好きになってからの6年間は、私が会社を辞めてからの6年間とまるっと重なる。新しい環境で、言い訳せず、黙々と戦い続けたぐっちから、私はたくさんのものを学んできたのだと思う。

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何もわかっていなかった私だけれど、それでも、今日、何度も涙を拭いながらそこに立ち、「不屈の魂を教えてもらいました」とファンに感謝の言葉を述べてくれたぐっちを見ていて思う。ぐっちを応援できたことが、ぐっちのファンでいられたことが、誇りだと。応援させてくれて、ここでその姿を見させてくれて、ありがとう、と。ただそれだけを思う。

時間はいつかまた、今日を特別にしていくのだろう。きっと、時間が経った時にまた、今日が持つ意味を、私は知るのだ。


もうどんだけ泣くんだというくらい泣きながら、しまいには息子とむすめまで号泣しているのを見ながら、もう二度とベテランは好きにならないでおこうと思う。こんな思いをするくらいなら、誰かを好きにならないでいようと思う。だけどそれでも私はまた、ヤクルトたちを応援し続ける。あの日、あの時、息子がぐっちのタオルを手にした時にはじまった物語は、たぶんまだ、先があるのだ。

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てっぱちがベテランになる日、村上くんがベテランになる日、ぐっちの姿を追った丸ちゃんがベテランになる日。私はきっと、結局、また、そのベテランたちを思い続ける。いつかみんなに最後が来ることを知りながら、それでもそれに気づかないふりをどこかでしながら、でもやっぱりずっと、同じ場所で祈り続けるのだと思う。どうか怪我することなく、一日でもながく、そこに立ち続けてくれますように、と。どうか、その野球人生がすばらしいものでありますように、最後は笑って、そこを去ってくれますように、と。


そーまが打ち、ヒデキが打ち、そしてむねちゃんはなんと、最後の最後にとうとう56号を打った。そして、みんなみんな、去っていくみんなを思って泣いていた。「泣き虫はだれやねん」と、私は一人つぶやいた。もう、視界は霞んで、みんなの姿はよく見えなくなっていた。ただ、ただひたすらに、手をたたき続けた。手を振り続けた。これからの新しい道を歩んでいくぐっちに。そしてぐっちのいない道をまた歩き続けていく、ヤクルトたちに。

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ぐっちが好きだ。そして、ヤクルトが好きだ。こんなにさみしくて、やりきれなくて、たくさんたくさん泣くことになっても、やっぱり誰かを応援できること、このチームのファンでいることは、すばらしいことなのだと思う。あほみたいに泣くヤクルトたちを見ながら、あほみたいに泣いて、そして、このチームが大好きだ、と思う。好きになってよかったと、さよならの日の今日だってやっぱりそう思う。

ぐっちの痛みが少しずつ和らいでいきますように。これからのぐっちの新しい人生がまた、すばらしいものでありますように。ぐっちがいないヤクルトが、それでもまた前に進んでいきますように。

ぐっちありがとう。応援させてくれて、ありがとう。

マシュマロおへんじ


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