マガジンのカバー画像

【2019シーズン】ヤクルトスワローズ観戦記

163
ヤクルト観戦記、2019年シーズンはこちらにまとめて入れていきます。(オープン戦含む) 勝った日も、負けた日も、試合のある日は毎日更新しています。
運営しているクリエイター

#横浜戦

記録が途切れるリスクを背負ってもなお、走り続けたこと 【9/14横浜戦●】

シーズンも終盤。順位はほぼ見えている。CSの可能性はもうなくなった。試合は0-7と差が開いている(ええ…)。そんな時、あなたならなにをしますか。私は、「ネフタリ・ソト 年俸」とぐぐっていた。9500万円だそうです。コスパが良すぎる。 まあ、それは冗談ですが(ぐぐったけど)、それくらいにはもう、遠い目にもなる試合であった。 「シーズンも終盤。順位はほぼ見えている。CSの可能性はもうなくなった」という試合において、それでもなお、打ち込まれると悲しくなるこの気持ちとは一体なんな

負け続けるヤクルトを見ながら、息子は成長してゆく【8/29横浜戦●】

「ビジター外野席」に座ったはずが、なぜか三方を横浜ファンに囲まれていた。私はチケットを見返した。私のことだ、間違ってチケットを買うとか余裕であり得る。 でもそれは何度見返しても、「ビジター外野席」だった。「ビジター外野席」とはなんなのか、そもそもビジターとは一体なんなのか。私はしばし考え込む。そこには何か哲学的な問題が含まれているのかもしれない。 朝から鎌倉のホテルのプールで1キロを泳ぎ切った。子どもたちはひたすらにプールの中で追いかけっこをしていた。すっかり初秋の気配を

世界は「自分にはどうにもできないこと」であふれているけれど【8/28横浜戦●】

自分でどうにもできないことに、心乱されるのはどうなのか、と、ずっと思っていた。基本的に、自分のことは自分で決めたい。同時に、他人のことを自分が変えるのは不可能だ。 だけど、自分になんとかできることなんて、実際はほんの少ししかない。どれだけ言っても息子は宿題をしないし(ここは鎌倉のホテルだけれども息子はもちろんまだ夏休みの宿題を終えていない)、むすめはいつでもどこでも踊ることをやめない。 そして勝ってほしいと五時間祈ったチームは、今日も勝たない。 気づけば今日も、「自分に

足早に過ぎ去る夏を思いながら【8/27横浜戦●】

夏休みも本当に締めくくり。というわけで、横浜(ならびに鎌倉)の旅、に出ることにした。 「山東」で水餃子を食べて久々に中華街をぷらぷら歩いていると、中華街はタピオカ街みたいになっていた。10歩歩くとタピオカ屋、四方八方から押し寄せるタピオカの波に、子どもたちは素直にのみこまれ、母さんはタピオカを買うはめになった。三人でマンゴータピオカを飲みながら歩いていると、高校生にでも戻ったような気になった。嘘ですなっていませんごめんなさい。 正真正銘、数年前まで高校生だったけいじくんは

「誰かのため」と心から思えるそんな日に【8/14横浜戦◯(はなまる)】

8回表、カツオさんが伊藤裕季也からホームランを打たれた時、一塁側からは、今日一番の大声援と拍手が送られた。それはとてもとても、あたたかい拍手だった。 ノーノーを達成した瞬間じゃない。ノーノーが破られた瞬間だ。だけどヤクルトファンは、その瞬間に、大きな大きな拍手を、小さな大エースに送った。 そういうところだ、と、私は思った。ヤクルトファンの、そういうところが大好きだ。 その拍手に応えるかのように、カツオさんは、そのあとの打者をしっかりと打ち取った。カツオさんは8回を投げき

それぞれの1本には、黙々とバットを振り続けた時間がある【8/13横浜戦◯】

ツーアウトからランナーをためる、相手のためたランナーはもれなく返す、それはいつものことだ、今さら驚くことでもない。と、思いつつ、大きなため息とともにビールを飲む。上田はピッチャーの登板前にもちゅーした方がいいんじゃないのと思う。それくらいのことしかもう考えられない。 サヨナラの余韻が残る中、迎えた試合だった。だけどまあ、そうなのだ、なんだってそううまく行くわけじゃない。だけど一つのミスからなかなか立ち直れないピッチャーを見るのは、なかなかに辛い。 なっしーが5失点をした後

どうか19歳の人生が「野球をやっていてよかった」と思えるものでありますように【8/12横浜戦◯】

その打球は、私たちが座っているライトスタンドの方めがけて、すっと飛び込んできた。まるで、ライトスタンドが打球を呼び込んだみたいに。村上くんのタオルを掲げていた熊本出身のオットが、大喜びではしゃいでいる隣で、私は目の前で起こったことがなかなか理解できなかった。 いつもそうだ、私はどんなことも、ストンと自分の中に落ちるまでに時間がかかる。 それが、村上くんのプロ初打席だった。新井さんが神宮での最終戦を迎えたその日、村上くんは、プロ初打席で、ホームランを放った。 あれからもう

傷を負いながらも走り続ける誰かを思いながら【8/1横浜戦◯】

ノーヒットノーランを達成するピッチャーは、ほとんどいない。 私が目の前で見たノーヒットノーランの試合はひとつだけだ。なんだったかは忘れたけど。つまり、ほとんどの試合において、ピッチャーはランナーを背負った状態で投球をすることになる。そして、多くの場合、そこで一度くらいは失点もする。人は誰もが、無傷ではいられない。 だから大切なのは、ランナーを背負った時こそ、失点を許してしまった時こそ、そのあとにどういった投球をするのか、そのピンチを切り抜けるのか、ということになる。 山

もがき続ける日々の中で掴む何かを【7/31横浜戦●】

本当に、本当に、本当に、いつも同じ負け方だなあ…、と、今日もまたため息をつく。傷はまあ、それなりに深い。 先制をする。逆転される。追いつく(でも追い越せない)。そしてサヨナラをされる。今日もどこかで見た流れが繰り広げられる。あと1点を取ることが、そして1点を守ることが、とてもとても難しい。 でもその中で、てっぱちは2試合連続でホームランを放つ。エイオキは今日も元気にスリーベースを放つ。 若手が躍動しまくる日々があり、ベテランがしっかり仕事をしてくれる日々がある。誰も打て

いつか三線の花を、咲かせるように【7/30横浜戦】

ほしくんが、マウンドに立つのを、民謡居酒屋の「郷家」の席に座り、スマホで見ていた。私は、むすめを呼ぶ。私の膝の上で、むすめがほしくんを見つめる。粘られた末に、ほしくんは、佐野をレフトフライに打ち取った。 1つのアウトで、私は泣きたくなる。おかえり、おかえりほしくん、と思う。 ほしくんは、続くソトを三振に打ち取り、筒香をセンターフライに打ち取った。私の表情を見たゆずこが、「逆転したの!?」と聞く。「ううん、ほしくんが三者凡退に打ち取った」と、私は答える。でもこれは、実質逆転

たいしのバントと、雄平の代打と、それぞれの役割と。【7/10横浜戦◯】

あのスクイズが決まらなかった時のことを、今でも何かあるたび思い出す。あの日、たいしはどんな気持ちでベンチに戻ったのだろう。そして、どんな気持ちで戸田へ向かったのだろう。 今日、たいしは、8回裏、1アウト1塁の場面でバントの構えを見せた。 あの日と同じことを私は思った。いや待って、たいしには打たせてあげて、と。 たいしは、1球目で失敗し、2球目は見送った。あの日のスクイズ失敗が頭をよぎる。でもたいしは3球目でしっかり、見事にバントを成功させた。 ベンチでみんなに笑顔で迎

その1点は重いプレッシャーにもなるけれど【7/9横浜戦●】

去年、宮古島で見ていた広島戦で、初回に4点の援護点をもらったじゅりが、ベンチの中で、えらく不安げな顔をして座っていた。 宮古島のきれいなビーチを目の前に、いやなんでやねん!と、私はつっこんだ。4点ももらったんやん!自信持って投げればいいやん!と、私は海に向かって叫んだ。どちら方面が神宮かはわからないけれども、とりあえず海の向こうに神宮はあるのだろう。 でも今、この時のじゅりの気持ちがなんとなく、わかる気がする。ピッチャーにとって援護点というのは、もちろん心強いものであると

その離脱の経験だって、糧にして 【7/8横浜戦◯】

神宮へ向かう電車の中で、なおみちがいる打順を、子ども達と予想しまくった。 なおみちを1番にしても面白いかもしれないし何なら2番でもいいしもちろん6番とか7番とかでもいい。なんといっても、なおみちがショートに入ってたいしと一緒に内野を守ることだってできるわけで夢が広がりまくる。 なおみちが一人いることでこんなに可能性が広がるよどうするよ!!と、私たちははしゃぎまくっていた。それはあの、希望だらけのオフのワクワク感に似ていた。 *** プロ野球という厳しい世界に身を置く選

だけどそれは長いペナントの、一つの勝ちなのだ 【6/2横浜戦○】

みなさんは16連敗後の一勝の喜びを知っていますか?私は知っています。それは、セ・リーグにおいて、ヤクルトスワローズというチームを(なぜだか)応援することになった人たちだけに許された特権です。その喜びは例えるならば、優勝が決まった瞬間の喜びのようなものではないでしょうか。違いますかそうですか。 ・・・いや、好きになってから優勝を経験したことはないけれど。優勝の喜びは知らないけれども16連敗後の一勝の喜びは知っている。 早めに球場へ着いて練習を見ていたら、バッティング練習を見