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宇宙は味方。〜私の説明書〜

この記事は、直接選抜試験に関係するものではないことを、初めに断っておく。
ただ私を応援してくれているある親子、そして同じような困難を持つ方へ伝えたい、宛先のない手紙である。
もしかしたら不快な思いをされる方がいるかもしれない、先に謝っておく。


発達障害はハンディキャップか

私は先日宇宙飛行士選抜用のツイッターアカウントでアスペルガー症候群 / ADHDであることをカミングアウトした。
これは別に言わなくても良かったことだと思うし、これまで何も気にせず付き合ってくれていた同志に距離をとられるのではないかと不安に思うこともあった。実際今も思っている。いつも偉そうなことを言っているけれど、毎晩寝る前にこのカミングアウトによって書類選抜で落とされる未来を想像しては、眠れない日々を過ごしている。そこはもうJAXAの言う"多様性"とやらを信じるしかないのだけれど、これはあくまで就職活動なのでどう転んでも仕方がない。


ちなみにカミングアウトしたところで別に世界は何も変わらなかった。というかほとんどの人が今まで通り接してくれている。むしろ「お前の顔を気にしているのはお前だけ」なんだと真に感じた。ただの自意識過剰。

「発達障害」なんて名前がついているのがよくないようにも思う。誰にだって得意なこと・不得意なことはある。それが顕著に出過ぎているだけ。本当にそれだけのこと。


頭の中の多動

振り返ってみても落ち着きがないということはなかったと思う。ただ頭の中が慌ただしかった。授業なんてこれっぽっちも聞いていなくて、いつも黒板の先を見ているような感覚があった。考えたいことが山ほどあって、本当に忙しかった。そしてその考えたいことの最たるものは宇宙だった。それ以外は図書館に行けばわかることも多かったが、宇宙だけは調べれば調べるほどわからないところに魅了された。ADHDは一般的に飽きっぽいと言われるが、それは単にある程度わかれば興味がなくなってしまうというだけで、自分がわからないことについては何時間でも、何日間でも、そして27歳になった今でも考えている。

そうやって生きていくうちに一つの脳では足りないと感じ始めた。だから今でも続けている対策として、私は自分の中にリトルスピカやリトルアインシュタイン、リトルアドラーなんかを住まわせている。(最近はリトルアストロノートが入居してきた)
そうすれば多少自分自身の脳には余裕ができる。気がしている。

スピカマンション



「空気を読む」?

小学生の時だった。クラスでいじめが発生した。なぜその子がいじめられていたのかは今でもわからない。クラスメイトから「あの子と話すのはもうやめようね」と言われたことを覚えている。全然意味がわからなくて断った。普通に話していたし、彼女は一人ぼっちだったので一緒にいる時間もだんだん長くなった。一緒にいて楽しかったし、やっぱり彼女がいじめられる理由はわからなかったので、クラスの雰囲気に同調することは決してなかった。
するとある日、私の机がなくなっていた。周りの友達に訊ねても、無視された。結局校庭に放り出されているのを見つけた。机上には「空気を読め」とサインペンで書かれていた。「空気を読む」という意味はさすがに知っていたが、読むべき空気なんてないじゃないかと思い、ずっとその机を使っていた。それ以降、登校しては校庭から机を運ぶ日々を送っていた。結局いじめていた側が呆れて、私の机はもう校庭に投げ出されることはなくなった。


中学校はとにかく荒れていたので、道を外れそうな生徒の対応で先生たちは毎日忙しそうだった。一見大人しくボーッとしていて、(自分で言うのもなんだが)成績も良かった私のことを問題児とは思っていなかったのではないだろうか。
ただ思ったことを口に出してしまう、先の例で言えば「空気を読む」ということは苦手だったので、理不尽なことを言う先生に延々と質問を投げかけ続けることは頻繁にあった。だから三者面談ではいつも成績の話ではなく、振る舞いについて叱られることが多かった。教師を小馬鹿にするなと言われた。母親が頭を下げていることにも疑問を持っていたので、私は頭を下げなかった。頭を下げないことを母親に怒られたが、これもわからなくて謝らなかった。今では申し訳なく思う。

そしてこれくらいの歳だったと思う、自分の中で何かが弾け出した。両親は反抗期だと思っていた気がするけれど、うまく表現できないが自分の「なぜ」が爆発する感覚があった。それ以降の私は言うまでもないと思うが、「問題児」のレッテルを貼られることになった。


高校に進学してから

高校は親の勧めでいわゆる地元の進学校へ進んだ。私の問題行動は止まらなかったが、周りの友人は寛容で賢い人が多かったので助かった。私が少し人と違うことに気づいていたのかはわからないが、機転を利かせてかばってくれたり、先回りして「理不尽に思うかもしれないけれど、〇〇はしないほうがいいよ」と嫌味のない形で助言をくれたりした。そしてその時初めて「空気を読む」の意味がわかった気もした。自分が口に出すから悪目立ちするだけで、みんな我慢しているのか、受け流しているのか、そういう術を身につけているんだなと気づいた。そこからは私も真似して受け流す練習をした。ときどき受け流し方を間違えて廊下に立たされたり、ぶん殴られたりすることもあったけど、それも涼しい顔で流していた。(のちに殴られたらせめて顔だけでも反省した感じを出したほうがいいよと友人にアドバイスをもらい、反省の顔を家で練習したりした)


大学は"私"だらけ

大学に進学すると、「私だらけ」だった。だから全く目立たなくなった。滑り止めで受けた大学に進学したのだが、行くべき場所だったんだろうと今は思っている。
そして何より大好きな宇宙の勉強をできるのが嬉しかった。

大学あるあるだと思うが、大学の試験は通常どこからか過去問を入手してきて、それを暗記して臨む手法が一般的だと思う。私はそれに何の意味があるのかわからなかったけれど、高校と同じく、これも生きる術なのだと思い友人の真似をした。

研究室はもちろん宇宙物理学を希望した。しかし宇宙物理学は人気が高く、かつ成績順に配属が決まる方式だったので、内心ドキドキしていた。けれどなんとか希望通り研究室へ入ることができた。過去問を回してくれた友人には感謝している。おかげでやりたいことを思う存分楽しむことができた。(余談だが宇宙物理学の研究室は本当に変わった人が多かった。けれど類友とでも言うべきか、今でも年に2,3回会うくらいには仲が良い。)
無事卒論も受理され、5年制大学と揶揄される某大学を4年で卒業することに成功した。


社会人生活の苦い思い出

大学時代までは友人の助けもありうまく適応しながら生活していたが、社会は厳しかった。
まず組織としての取り決めがとても多かった。「君は組織を理解していない。社会人なんてやめたらどうだ。」と説教くらったこともあった。それ以来周りの真似をして、組織の一員として働くことと向き合った。これによりリーダーシップ、フォロワーシップ、そしてチームワークなど、宇宙飛行士に必須の要素の大切さを学べたので、感謝している。

また学生時代とは違って、予期せぬスケジュールがガンガン入ってくる。最初は慣れなかったが、幸い同期に恵まれたので相談相手には困らなかった。タスクを全て付箋に書き出し、優先度順にPCに貼り付けていた。全部の付箋をゴミ箱に捨てられたら退社する、そうやって働いていた。
するとだんだんと差込案件にも動揺せず対処し、マルチタスクをこなせるまでに成長した。なにより私の特性をいち早く掴んで、私に向いていそうな仕事を多めに任せてくれた上司には、とても感謝している。


発達障害ではないかと疑ったきっかけ

とは言え社会人みんなが互いを理解できる訳ではない。この時まで私は自分が少し周りと違うかもしれないとは思っていたが、発達障害であるとは考えたことがなかった。
しかしプログラミングの仕事を一緒にやっていた方とのウマが非常に合わないことにストレスを感じ始めた。何かに縛られているような気持ちになっていた。毎日胃が痛かった。業務中にトイレで嘔吐することもあった。
そして吐きながらふと、小学校時代いじめられた時に「アスペかよw」と言われたことを思い出した。

家に帰り発達障害について調べた。確かに当てはまる部分が多すぎる。そして発達障害の特性を持つ人間は二次障害が起きやすいことも知った。それで自分は苦しいのかもしれない、そう思って心療内科へ足を運んだ。


結局アスペルガー症候群とADHDの疑いがあると言われた。発達障害の確定診断は難しいのだが、ショックよりも自分の脳について知りたい気持ちの方が強かったので脳波の検査もしてもらった。そして確定診断に至った。改善薬を試したりもしたが、自分が自分ではなくなる感覚がして、今は服薬していない。それに病気ではないので完治しないことも十分理解している。一生飲み続けなければならない上に本来の自分を見失うようなら、このままもがいたほうが良いと考えた。


それでも・・・

最初に診断を受けたときはかなり落ち込んだ。そして今回の選抜試験募集での健康診断にて、せっかく道が開かれたのに、宇宙飛行士になることは絶望的かもしれないと思った。勉強にも身が入っていなかった。健康診断に重きを置かれる書類選抜を心配している人は少なく感じ、なおさら苦しかった。

そこで思い切ってカミングアウトすることにした。
そしたら嘘みたいに身体が軽くなった。1/6Gだ。それと同時に「今までも生きづらかったのに、なんで今更カミングアウトを怖がっていたんだよ」と自分のことを笑ってしまった。今は清々しい気持ちでいっぱい。ようやくみんなと同じスタートラインに立てたと思っている。
もちろん書類で落ちるという不安から逃げることはできない。でもそれは私が決めることではない。だから私は全力で勉強を続ける。


新しい約束

そして今日、冒頭で紹介したある親子の母親から応援メッセージをもらった。私と同じ特性を持つ息子さんがいるそうだ。そして彼もまた私と同じ理由で宇宙に魅了されているらしい。

だから私は、同じように苦しんでいる方、生きづらさを感じている方に勇気を与えるためにも挑戦を続けようと思う。自信過剰でもなく、発達障害のストロングポイントをうまく活かせば最強の宇宙飛行士になれると信じている。
そして「アスペかよw」なんて言われない未来を作ってみせる。


最後に、メッセージをくださった方へ。
約束です。私が自分の目で見た宇宙を息子さんへ届けます。
発達障害の特性上、待ち合わせ時間を守ったりするのは苦手だけれど、心の約束は必ず果たします。

そして、これまで叱られてばかりの人生を送ってきた私を応援してくださる方々、いつも本当にありがとうございます。



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