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日本霊異記にて、安倍晴明と白狐伝説の結びつきを見いだす(気がした)

先日こんな本を購入しました。↓

安倍晴明『簠簋内伝』現代語訳総解説 戎光祥出版

コミック、小説、映画などのメディア展開で一気に有名になった平安時代の陰陽師、安倍晴明が遺したとされる陰陽道の秘伝書!これさえあれば式神を駆使するのも誰かに呪いをかけるのも解くのも思いのまま。

なにせつい20年ちょっとくらい前までは京都の晴明神社なんて「知る人ぞ知る」神社、京都駅でタクシーを捕まえて「晴明神社へ」といっても通じなかった...なんて言われます。それが今や京都の名スポットのひとつに。おそらく21世紀でもっとも出世した神社のひとつでしょう。そこでわたくしもこの書で陰陽道を駆使しつつそんな晴明神社の出世にあやかろうかと。

もしみなさんの中で憎らしい相手に呪いをかけたいと思っている方がいらっしゃったらわたくしにお任せあれ。依頼料は応相談、詳細は直接ご連絡いただいたうえで。

と、ネタを飛ばしたところで本題に。

安倍晴明の陰陽道の土台には北極星信仰があると言われます。天上において不動の位置(実際には少~し動く、しかも昔の人にも知られていたらしい。よく見てますね!)にある北極星は天皇とも結びつけて考えられていたと言います。そして安倍晴明が駆使した陰陽道にも(おそらく中国の道教がルーツの)北極星や北斗七星にちなんだ呪術があるようです(というか上記の本にも少し書かれています)。

そして北極星&北斗七星と言えばこれらを神格化した妙見菩薩という神とも仏ともとれる信仰の対象がいます(なにしろ「星を"神格化した"仏さま」ですから)。仏教とも神道とも縁が深いどっちつかずな立ち位置であったゆえに廃仏毀釈・神仏分離の際に大きなダメージを受けてしまい、現在ではかつての信仰の様子を知ることが難しくなってしまっているとも言われています。

そんな妙見信仰についてちょっと調べてみたところ、妙見信仰と安倍晴明の関連を連想させるような面白い話(複数形)を見つけました。出典は日本霊異記↓

講談社学術文庫 「日本霊異記 全訳注」 中田祝夫

私度僧だったとも伝わる景戒によって822年頃に編纂されたと考えられている日本最初の仏教説話集。古文の授業などでもおなじみですが、この説話集に妙見菩薩の霊験を伝える話がいくつか出てきます。

そのなかの下巻第五に収録されている「妙見菩薩の変化して異形を示し、盗人を顕しし縁」という話は以下のような内容となっています。

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河内国安宿郡の信天原(しではら)に山寺があり、妙見菩薩に燈明を捧げる習慣で知られていた。称徳天皇の治世にも信徒たちがお金を出し合って燈明を捧げ、また寺に勤める僧侶たちにも施しを行っていた。しかしこの寺の僧侶たちの一人が欲に目がくらんでしまい、その信徒たちから捧げられた銭の一部をこっそりと着服し隠してしまった。

しかし後日彼がその着服した銭を持ち出そうと隠した場所に行ってみたところ銭がなくなっている。代わりにそこには矢に当たった鹿の死体があるばかりであった。

仕方なくこの僧が鹿の死体を運び出すために人を集め、彼らを連れて戻ってみると鹿の死体は跡形もなく、彼が着服した銭があった。そのため彼はその場にいた人たちに自分が施しものを着服した事実を自ら暴露する結果となったのであった。

この鹿は本物の鹿ではなく、妙見菩薩が僧の悪行を示すために行ったものであることは明らかである。

おしまい

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妙見菩薩がその不思議な霊験で不届きな僧の盗人行為を顕わにするという話ですが、日本霊異記にはほかにも同趣の話があります。ある人が絹を盗まれてしまったために妙見菩薩に熱心に祈りを捧げていたところ、その盗まれた絹が強風に煽られて宙に舞い上がって鹿の角に引っかかり、その鹿が持ち主のところまで絹を届けた。その後その鹿は天へと舞い上がって消えていった...という筋書き。

どちらも紛失したものが妙見菩薩の霊験によって発見される、という内容。これは「妙見」の漢字が「妙に見す(たえにあらわす)」と読めるために紛失物・盗難物を見つけ出してくれる神仏と見なされるようになったからのようです。

「北極星と関係ないじゃん!」とツッコミ入れたくなりますが...日本人は言葉遊びやダジャレが好きだとよく言われ、信仰でもそうした面がよく見られます。現在でもタコの英語がオクトパス(octopus)だから「置くとパス」でタコのお守りが受験対策で人気を集めるといった面白い現象が生み出されていたりもして、日本人の伝統的なメンタリティの根強さを感じさせます。

そんな言葉遊び&ダジャレを信仰にも取り入れる日本人のセンスはすでに平安時代初期には存在しており、広く行われていたことをこれら妙見菩薩の説話は示しているのでしょう。昔の人達になにやら親近感が湧いてきちゃいますね。

北極星&北斗七星そのものが「妙に見す」星、見失なうことがない星なわけですけど。

さて、この話で気になるのは「信天原(しではら/しでのはら)」という地名。具体的にこれが現在のどこを指しているのかは残念ながらわからなくなってしまっているそうですが、物語の舞台となっている河内国安宿(あすかべ)郡は現在の大阪府柏原市南部~羽曳野市南東部に該当するとされています。

そうなると安倍晴明に関わる伝説として有名な「葛の葉伝説」の舞台である大阪府和泉市の「信太(しのだ)の森」との関連がちょっと気になってきます。「信天の原」と「信太の森」。「しで/しでの」と「しのだ」。ちょっと強引?でも「しのだ」が「しだ」と読まれていた可能性もありますし、漢字の「天」が「太」に変わった可能性も捨てきれません。

↓は信太森葛葉稲荷神社で撮影したものです。末社が多くて混沌とした雰囲気がなかなかいい味を出しています。

さらに、上記の説話は称徳(孝謙)天皇の治世の時代の話ですが、称徳天皇の名前(諱)はなんでしたっけ?

そう、「阿倍内親王」!

ちなみに称徳天皇の母親は光明皇后ですが、その名前が話の舞台にもなっている「安宿(あすかべ)媛」です。この「安宿」の「安」はCheap(価格が安い)の意味ではなく、渡来人と関わりがあるそうです。遠い地から海を渡って日本にたどり着いた人たちがようやく地に足をおろして落ち着ける場所を見つけることができた喜びを示した名前であろう...という説を読んだことがあります。つまりこの「安」は安らぎとか安堵の「安」なのでしょう。

この「安宿(あすかべ)」と「あべ」との間に密接なかかわりがあるのはもちろん、前者が後者に変化したと考えるのもそれほど無理な話ではないはず。「日下部」とか「白壁」に代表されるように「部」というのは皇族や豪族が支配している土地に付けられる名前と言われています。となると「安倍(阿部)」という姓は中央政権で豪族となった渡来人の一族が所有していた土地がルーツではないか?と妄想を繰り広げることもできそうです。いずれにせよ説話の舞台となった安宿郡が渡来人の影響力が強い地域であったと見ても問題ないのでしょう。しかもそれが皇后と天皇の名前と深く結びついている。

そして妙見信仰はインド発祥で中国・朝鮮半島を経て日本に伝わってきた外来信仰。そして陰陽道もまた中国の道教の要素を多く取り入れています。

さらに、日本霊異記の下巻の第32にも妙見菩薩の霊験を示す話が収録されています。以下のような内容↓

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大和国武市郡波多(はた)の里に呉原忌寸名妹丸(くれはらのいみきなにもまろ)という漁師がいた。ある日彼が淡路島周辺で漁をしていたところ、急に大しけに見舞われてしまい船は大破、同行していた漁師たちは溺れ死んでしまった。

彼は洋上を漂流しながら必死に妙見菩薩に祈りを捧げ「もしわたしを助けてくださったらわたしの体と等身の妙見菩薩像をお造りします」と願を立てた。すると彼はついに陸に漂着し、命を助かることができたのだった。

彼は妙見菩薩に深く感謝し、立てた願の通りに等身の妙見菩薩像を作った。これもまさに妙見菩薩の優れた霊験と菩薩への信仰の力ゆえの出来事である。

めでたしめでたし

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この話に登場する呉原忌寸名妹丸は渡来系の古代豪族として有名な東漢氏の人物、そして地名の「波多(はた)」は秦氏の拠点だったと考えられています。

そして秦氏と言えば狐の神秘化に絶大な影響を及ぼすことになる稲荷信仰のルーツと目される一族、そして聖徳太子との関連も深く、さらに聖徳太子が建てた四天王寺には彼が佩用したと伝える北斗七星を刻んだ七星剣が伝来しています(ただしこの剣は現在東京国立博物館に寄託)。

信天(しで)、阿部(安倍)、稲荷信仰に基づく狐の神秘性、妙見信仰、そして北斗七星…

ますます信太の森の葛の葉伝説に近づいていきます。しかも妙見信仰と深く結びついたうえで。そしてさらにトドメの一撃、上巻の第二には「狐を妻として子を生ましめし縁」という話が収録されています。伝説・妖怪好きな人たちの間ではけっこう有名な話だと思いますが、以下のような内容です↓

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欽明天皇の治世、美濃国に住むある男が妻になる女性を求めて旅に出た。するとその途上、広い野原で美しい女性と遭遇する。その女性は男に向かって妙に馴れ馴れしい素振りを見せるので彼が声をかけてみると「お婿さんを探しているの」と答える。

そんなこんなで意気投合、マッチングに成功した二人は男の家で結婚し夫婦になった。その後女性は男の子を産んだが、ちょうど同じ時期に彼の飼い犬も子犬を産んだ。するとこの子犬はことあるごとに女性に吠えかかり、おそいかかるようになる。

女性は怖がってこの犬を殺して欲しいと夫に頼んだが、彼はかわいそうに思って殺さずにいた。するとある日、女性が食事を用意するために踏み臼小屋に入ると親の犬のほうが急に襲いかかってきた。身の危険と恐怖に駆られた女性はたちまち狐の姿に変化し、その本性を露にする。

万事休す、と逃げ去ろうとする女(狐)、それに対して夫は自分の妻の正体を知って驚きつつ、「子供まで作った仲なんだからお前を忘れたりはしない、いつでも戻っておいで」と声をかける。

ということもあって、この狐はときどき夫の元を訪れて一晩をともに過ごしたという。そして夫のもとに戻ってきて一緒に寝ることからこの女性は「来つ寝(きつね)」と名付けられたという。

そんな日々が続いていたが、ある日女性は別れ際に歌を残すとついにどこへともなく去って行って戻ってこなくなった。その歌とは、

「恋は皆 我が上に落ちぬたまかぎる はろかに見えて 去にし子ゆえに」

この二人の間に生まれた子が「狐の値」の一族の先祖である。

めでたし(?)

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さて、こうなるともう偶然の一致で片付けるわけにはいかないでしょう。そう、葛の葉伝説はこれらの「日本霊異記」の内容に全面的に依拠したうえで作り上げられたものである!と判断しても問題ないと思います。

おそらくこの類似点に関しては過去に何度も語られたことがあると思いますが、いろいろと面白い妄想が浮かんできます。

まずなぜ信太の森があるこの地域でこのような伝説が生まれて語り継がれるようになったのか? 語り継がれた理由は江戸時代に説経節や歌舞伎、浄瑠璃などの題材となったから、で説明がつくと思いますが、生まれた理由となるとどうでしょうか?以下のような選択肢がまず浮かびます。

1.もともとこの地に安倍晴明の出生地(ゆかりの地)という伝承(もしくは実際にゆかりの地だった)があり、そこに「安倍(阿部)&妙見信仰」つながりで日本霊異記の伝説が取り入れられて葛の葉伝説の原型が作り上げられた

2.この地域はもともと渡来人系統の人たちが多く住んでおり、日本霊異記に取り上げられた妙見信仰や稲荷信仰(神秘的な狐への信仰)が受け継がれ続けてきた土台があった。そこに同じく日本霊異記に記されている狐と人間の異類婚姻譚と舶来由来の知識を持つ安倍晴明の話が取り入れられて伝説の原型が生まれた

3.この地域の名前の「信太」という地名(10世紀はじめに編纂された和名類聚抄に登場。その後枕草子にも出てきます)と日本霊異記の「信天」の類似からまず日本霊異記の信天原の伝承と共通した骨格を持つ伝承がこの地で語られるようになり、その後なんらかの事情で狐との異類婚姻譚や安倍晴明の話が加わった

ほかにもいろいろな選択肢がありそうですが、気になるのは狐の伝説が先か、安倍晴明が先か?でしょう。安倍晴明に関する伝説なり歴史なりがあるところに狐の伝説が入り込んできたのか、その逆か。

その手かがりがひとつあります。信太森葛葉稲荷神社のほど近くにある菩提寺というお寺に伝わる伝説。↓のような内容です。伝説の舞台、信太の森とされる地にある「信太の森ふるさと館」にあったものです。

安倍晴明が登場しない狐と人間の異類婚姻譚がこの地に古くから伝わっていたことを示しています。しかも、行基によって作られたと伝わる地蔵菩薩の霊験譚として伝わっている形。日本霊異記では編者の景戒が行基を深く敬愛していたらしく、行基の不思議な験力を伝えるエピソードも記しています。

となると、このお寺で行基のすばらしさを語る際に日本霊異記の内容を依拠した可能性も出てきます。そしてその過程でそこに記されている人間と狐の異類婚姻譚も取り入れられたのではないか...なんて想像も可能ではないでしょうか。

つまり、結論としてこの地に安倍晴明の伝説が入り込んできたのはかなり後の話、そのためこの信太の地は歴史的な面から見て安倍晴明、もしくは母親のゆかりの地という可能性はほぼ消える、と言い切ってよいのではないでしょうか。

さらに安倍晴明の出生地に関しては常陸国(茨城県)説もあります。これは冒頭で触れた「簠簋内伝」の注釈書として世に流布した「簠簋抄」という書物に記載されている安倍晴明を巡る伝承を元にしたものです。

茨城県には現在でも「信太」という地名があり、先述した和名類聚抄にも登場します。ちなみに読み方は「しだ」です。

ここに記されている伝承はまさに葛の葉伝説をそのまま取り入れて土台としたもので、茨城の地を訪れていた白狐が阿倍仲麻呂の子孫と出会い、結ばれて生まれたのが安倍晴明、という設定になっています。

となると、その土台となっている「信太の森=安倍晴明もしくは母親のゆかりの地」の根拠が失われた段階でこの常陸説もかなり弱くなる。

結局のところ安倍晴明の出生地に関しては「わからん」としか言いようがないわけですが、これでとりあえず候補を少し絞れたかな、と(笑)

常陸国説に関してはもうひとつ、この「簠簋内伝」を巡る伝承でもちょっと気になる部分があります。

「簠簋内伝」ならびに「簠簋抄」ではこの書物はもともと安倍晴明が唐へ修行に赴いた際に師匠(伯道上人)から与えられたもの、という設定であり、さらに師匠はその内容を文殊菩薩から授かったことになっています。

なぜ文殊菩薩なのか?

知恵を司る仏さまだから、ということもあるのでしょうが、文殊菩薩と安倍晴明となると奈良県桜井市にある安倍文殊院が気になります。

この安倍文殊院には有名な「渡海文殊菩薩群像」が所蔵されています。これから海を渡る旅に出ようとしている獅子に騎乗した文殊菩薩とそのお供たちからなる堂々たる仏像群です。詳しくは同寺の公式サイトで↓

同寺では阿倍仲麻呂と安倍晴明を同族としたうえで両者の生誕の地としています。そして安倍晴明が若い頃に修行をした地、とも。わたしが訪れたときには説明をしてくださったお坊さんが「二人の生誕の地です」と断言されていて「ほんまかいな?」と大変失礼ながら内心でツッコミを入れてしまったのですが(しかも根っからの関東人なのに西国言葉で😂)。

ただ、そうした伝承が古くから伝えられており、それがこの「簠簋内伝」「簠簋抄」における安倍晴明の伝承に取り入れられたと見ることもできるのではないでしょうか? なにしろ「海を渡って仏の教えや知恵を授けようとしている文殊菩薩」と「海を渡って陰陽道の真髄を授かろうとしている安倍晴明」の構図は似ていますしね。(本尊の渡海文殊菩薩像が作られたのは鎌倉時代初期、有名な快慶による作とされています)

そうなると、「簠簋内伝」「簠簋抄」における常陸国生誕説は「ほかの地域の安倍晴明出生地・修行の地に関する伝承を元に作られたうえで常陸国を出生地としている」という構図になります。

矛盾しているとまではいいませんが、かなり無理がありますよね?この点からも常陸国説はかなり弱いかなぁ、と思わざるを得ません。

話がちょっととっちらかった感じになってしまいましたが、まとめてみると…

1.葛の葉伝説は日本霊異記の内容に依拠している。それもかなり全面的に

2.葛の葉伝説が信太の地に生まれた背景には日本霊異記に登場する地名や人名との類似や渡来人が居住していた歴史的背景がかかわっている可能性あり

3.安倍晴明と白狐の異類婚姻譚が結びついたのはかなり後のこと、室町後期~江戸時代初期くらい?

4.葛の葉伝説を伝える信太の地域にはもともと白狐の異類婚姻譚があり、後に安倍晴明が「乗っかった」可能性が高い。

5.ゆえに当地における安倍晴明伝説の歴史はそれほど古くない。

6.当地の伝承を土台にした常陸国の安倍晴明に関する伝説はさらに新しい

といったところでしょうか。

ほかに気になる点としては安倍晴明と妙見信仰との関わりです。白狐との異類婚姻譚と安倍晴明が結びついたのは妙見信仰を媒介としたものなのか、それとも日本霊異記に登場する「阿部内親王」や「安宿郡」といった名前からの連想、あるいは安倍氏に関連する歴史/伝承によるものなのか?実際のところどうなのか?

前者なら安倍晴明の陰陽道には妙見信仰も深く関わっていたことになる一方、前者なら両者の結びつきはあくまで後世の人たちによってもたらされたに過ぎない、ということになる。

どうでしょうか?

ちなみに「簠簋内伝」「簠簋抄」では常陸国に在住していた安倍晴明が鹿島明神(どの鹿島神社かは不明、鹿島神宮か?)に参詣した際に小さなヘビを助けたところ、その小さなヘビはじつは龍宮のお姫さま、お礼に龍宮に招かれる...という「なんでここで浦島太郎?」的な内容が出てきます。

鹿島神社といえば鹿、そして先述したように日本霊異記の記載されている妙見信仰の霊験譚には鹿が重要な役割をする話が2つあります。となるとこの2つの書物における安倍晴明伝にも直接・間接を問わず日本霊異記の内容が入り込んでいる可能性が出てきます。

そのため安倍晴明と妙見信仰の結びつきは後世になって作り上げられたものであり、実際には直接関係はなかったと見ることもできそうですね。う~む...🤔

「日本霊異記」を通して読んだのはずいぶん前の話ですが、そのときにはこのようなことは思いつきもしませんでした。既存の資料も視点や興味が変わると違った見方ができるようになる、という良い手本なのでしょうか。

いろいろと考えを巡らせつつ「これは面白いな」と思ったので長文覚悟で投稿してみることにしました。かなりの乱文になってしまいましたが、ご拝読ありがとうございました。

おっと、せっかくなので安倍晴明&伝説ゆかりの地も。信太森葛葉稲荷神社はよく知られていますが、この神社そのものはそんなに古くなくて江戸時代中期。それこそ白狐の伝説と稲荷信仰が直接結びついたのはこの時期の可能性さえもあります。

そこで伝説における「信太の森」とされている地とその地にある聖神社の画像を↓。信太森葛葉稲荷神社からちょっと歩いたところにあります。現地には先程挙げた「信太の森ふるさと館」という資料館もあります。


ここから聖神社


狛犬(?)がインパクト大だったほかは全体的にきれいに整備されすぎている感じであまり風情は感じられませんでしたが...信太の森ふるさと館の前には歌手のイルカさんの原画を元にしたモニュメントもありました。

最後にもうひとつ、安倍晴明は陰陽道に基づく占いを行うために天文学に通じていた、との意見もありますが、ヨーロッパの占星術が実際の天文学とは別物であるのと同じように当時の陰陽道の占いと実践的な天文学との間にもかなり距離があったと思います。

遣隋使、遣唐使では一行が途中で難破してしまったエピソードが出てきます。それこそ阿倍仲麻呂も中国から日本へ帰国しようと思ったら途中で難破して失敗しているわけでして。

その一方で民間の船はそれ以前から頻繁に日本と大陸・半島とを往来していました。この差はいったいなんだ?「それは当時遣唐使・遣隋使の日取りを決めていた陰陽寮の知識が実際の天文学とはかけ離れていて机上の空論と化していたから」という説があります。

わたしはこの説に同意するとともに「安倍晴明=天文学者」のイメージに対して過大評価は禁物、と主張したいです。


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