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ムサビ授業7:花まる学習会 こどものための教育とは

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダーシップ特論 第7回(2021/05/24)
ゲスト講師:高濱正伸さん

◆「クリエイティブリーダーシップ特論(=CL特論)」とは?
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースで開講されている授業の1つです。
「クリエイティブとビジネスを活用して実際に活躍されているゲスト講師を囲んで、参加者全員で議論を行う」を目的に、社会で活躍されている方の話を聞き、受講生が各自な視点から考えを深める講義となっております。

◆注記
この記事は、大学院の講義の一環として書かれたものです。学術目的で書き記すものであり、記載している内容はあくまでも個人的な見解であります。筆者が所属する組織・企業の見解を代表するものではございません

はなまる学習会 代表 高濱正伸さん

今回のゲストは「はなまる学習会」代表、高濱正伸さんです。
前回のteamLabに続き、著名人の登壇となりました。

1959年熊本県人吉市生まれ。県立熊本高校卒業。東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。 1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、学習塾「花まる学習会」を設立。 『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』、『小3までに育てたい算数脳』など、著書多数。実はムサビ(というか本学科)で客員教授も務められています。

NewsPicksをはじめ、メディアへの出演も多いので、興味のある方はぜひそちらも参照ください。記事も多く、どれも読みごたえのある内容です。

自分の心を見ることの重要性

高濱さんのことは以前より好きで、今回の講演以前に様々な書籍やセミナーを拝見していました。

今回もご多分に漏れず、軽妙な語り口から本質的なことを語られていて面白かったです。以前より発信されていることと被る内容も多かったですが、それだけ一貫性があるということでしょう。

ムサビでの講演だったため、大学院生に向けて話していただきましたが、テーマは「心」ということで、「自分の心を観察して、考え抜け。それを仕事にすべき」というメッセージをいただきました。

高濱さんの話されていることで、とても共感しているのは以下の一節です。

不幸せな人は決められない。なぜかって言うと、自分の心を見てないから。
分かるか分からないかで世界を処理しようとしている。外の、偏差値とかの枠組みを見てて。感じるか感じないかで世界を処理していない。

「俺はこれをやった時幸せだな」とか、「私これをやった時に幸せだな」とか、それを土台に構築していけばずっと良いことがやっていけるんだけど、「こっちの方が人が認めるブランドだな」とか言っているわけですよ。それだといつまで経っても幸せになれない。

以前の自己紹介のnoteで、筆者が幸福に関心があることは書いたのですが、特に日本においては「自分が何をすれば幸福か」、他人から基準を与えられないと分からない、という人が多いと感じています。

―人生で取り組む課題は、自分で設定すべき。
現行の教育に対して問題意識を持ち、教育者という立場でそれに取り組んでいる高濱さんはとても素晴らしい活動をされていると思います。

おそらく皆さんのまわりにもいると思います。勉強はできる、学歴もある。でも仕事はできない。端的に言えば、社会では使えない大人です。

先日、落合陽一さんの「Weekly Ochiai」という番組に出たときに、意味じくも天才である落合さんがこう言いました。

「東大も含め、入試というのは所詮人が作ったもので、評価基準も明確なので、『試験対策』を鍛えれば、合格できる。しかし、博士課程となると『誰も見つけていなかった課題』を見つけて、研究しきらねばならない。ここで大きな差になる」と。

ここまで述べたのは、まさに、我が子に博士課程で「自分の課題」を設定できる、真の能力なのです。

筆者の受けてきた教育(お受験)を振り返る

高濱さんの話の趣旨は上述の通りなのですが、その後に筆者が思ったことを書きます。

実は「教育」というテーマには筆者自身もとても思い入れがあります。大学のゼミでは「教育経済学」の第一人者である教授のもとで研究しており、アルバイトも4年間通じて塾の講師をやっていました。

親類には学校の教師が多く、母親は長らくナニーという仕事に従事していており、兄も小学校の先生です。

そういった背景も影響してか、受けてきた教育もちょっと変わっていたかもしれません。その最たる例は、有名私立小学校を受けるための「お受験」を経験したことかと思います。

兄と姉がその小学校に通っていたため、1人だけ違う学校に行くのはかわいそう、という理由もあったらしく、幼稚園児のときから親に連れられて、複数の塾に通っていました。

3-5才のときに電車や車で遠くまで行き、お勉強をするというのは一般的ではないと思います。同じ幼稚園の友達でもお受験をする子は少なく、塾では全く違う地域の子と友達になりました。

塾では恐い先生も多く、当時教わったことは今でも記憶に残っています。
ともだちのことをおもいやりましょう
 :お受験ではとにかく集団行動が見られます。皆と同じことができるか。例えば、折り紙は一番上のものを取りなさい、と教え込まれます。
 ⇒自分が好きな色を選ぶと、協調性がないと評価されるらしい。

なにかかくときはていねいに
 :紙に書くときは丁寧に。「〇」で囲んでグルーピングする課題があるのですが、「〇」を書くときに隙間を作ってはならない。最後まで囲わないと、「どろぼうさんがはいってきちゃうでしょ!」と注意されたものです。
 ⇒理由は未だ不明です。粗雑な子どもは受かりにくいということなのか?

おかあさんとりょうりをつくりましょう
 :なぜか料理の作り方を覚えなければいけない。これは筆者の受験時に実際に出題されたのですが、「卵焼きはどうやって作りますか?」みたいなことが聞かれます。
 ⇒家で両親と共同作業(?)しているか聞くための質問だったのでしょうか。それに備えて、母は受験日の朝に卵焼きを作るというファインプレーをしていたのですが、なぜか「煮てつくるー!」と屈託なく回答してしまい、帰ってから怒られたという余談があります。

子どもにとって良い教育とは?

上のエピソードは25年くらい前の話なので、いまはお受験も大分変わっているのかもしれませんが、当時はとにかく「協調性」を叩きこまれました。そうした選抜があったので、小学校の周りの子はみんな社会性が高かったと思います。

こうした教育について、自分の感想としては、幼少期の習い事で非認知能力は高まったのだと思いますし、良い面も多かったとは思っています。

ただ、子どものタイプによって向き不向きはあり、また、教育が行き過ぎる、その後の性格が歪んでしまう、というのも見てきました。

まあ、園児なのだから、適した環境に置かないと難しいことはしない(能力も伸びない)一方で、あまりにやらせすぎると逆効果になる、ということなんだと思います。

これはその後の教育でも言え、小・中学校くらいで、「~しなさい」をやりすぎると、「良い子」へのプレッシャーでその後の人生がおかしくなってしまう、というのは切に感じるところです。

言い換えると、「~でなければならない」というプレッシャーが、「自分が何をしたいのか分からない」を生んでいるということです。

これが結局、高濱さんの言っている「自分の心が見えなくなっている不幸な人」の背景にあるのだと思います。

※こうした話になると、個人的な日本の学校教育の問題意識であったり、諸外国と受験制度の違いみたいな話をしたくなるのですが、とても長くなるので別の機会に書きたいと思います。

印象的だった話

今回も印象的な話が非常に多かったのですが、「その中でも特に」というものを摘録的に書かせていただきます(筆者個人の備忘のために)。

・20代は何に心が震えるか考える時期。就職ランキング、偏差値、、に翻弄されてんじゃねーよ、ということ。

・ワークライフバランスという言葉があるが、「ワーク」は嫌なものを前提としている。本当に輝いている人は、ワークが好きで仕方ない。「こころが震える」。そこに正直に、そういった仕事を選べると本当に幸せ。

・妻は心の共振を求めている。答えを言うのでなく、相手の心を見る。
 「自由研究」をしてほしい。夫婦のあり方なんて正解はない。

クリエイティブリーダーシップとは?
~自分の心で見つめ続けること~

高濱さんの凄さは、若いときに教育に対して課題意識を持ち、それに対して一貫して取り組み続けているということだと思います。

ご自身も仰っていましたが、仕事というのは課題を見つけることにあります(=新しくないと仕事にならない。「この仕事やれてないぜ」を探す)。

今までのCL特論でも良くテーマにあがっていましたが、課題を考え抜き、「これに取り組みたい」まで煮詰めること。それが1つでもできれば、人生を通じたテーマになる、ということを感じました。

大学院に入って早2か月になりますが、自分の中でやりたいことはあるものの、先行研究をリサーチしていくと「本当にやりたいは何か」がボヤけることもあり、芯となるものを煮詰めたいと思いました。

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