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ヨルシカが愛される理由──ヨルシカ LIVE2023「前世」ライブレポ 【考察編】

 2023年1月・2月に、大阪城ホール(大阪)・日本武道館(東京)の二箇所にて、ヨルシカ LIVE2023「前世」が開催された。4daysで4万人以上を動員。キャパシティとしてはヨルシカ史上最大級の開催となった。
 5年ほどヨルシカの音楽の虜となっている筆者はその歴史的瞬間を見逃すまいと、大阪1日目・東京1日目の公演に駆けつけた。

 「前世」ライブレポには、ライブそのものの追体験を楽しめるよう執筆したレポート(5000字、追憶編参照)を中心に、ヨルシカのこれまでのライブ作品の振り返りこれらを踏まえた考察(合わせて3700字、本記事)、の3つの章を収録している。各々のニーズに合わせてご覧いただきたい。まだまだ余韻に浸っていたいというヨルシカの虜の貴方には、最後までお付き合いいただこう。(感想は #むすたんぐ_前世 でツイートしていただけると喜びます。)

【前編・追憶編はこちら】


ヨルシカにとって「ライブ作品」とは 

 ここでは、今までのライブから、他のアーティストとは一線を画す場面もあるヨルシカの、ライブとの向き合い方について見ていく。

月光─2019,2022

2022年3月30日、東京ガーデンシアターにて

 2019年10月に東名阪の1000人前後のライブハウスで開催され、そのキャパシティの狭さから幻のライブと化していた「月光」。念願の再演が2022年3月に会場を改めて行われた。2019年4月公開の1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」同年8月公開の2ndフルアルバム「エルマ」を引っ提げたコンセプトライブ作品となっている。若い男女の人生が交錯する様子を描いた両アルバムにはそれぞれ、青年が女性に送った手紙が入った木箱、女性の日記帳が特典として付属し、話題を呼んだ。
 15の楽曲と6つのPoetryが織りなすのは、青年の走馬灯。もう一度あの人に会いたい、という叶わぬ願いがえも言われぬ余韻を残す物語だ。


盗作─2021

2021年10月1日、東京国際フォーラムホールAにて

 2021年の夏に全国6箇所で開催された「盗作」。途中メンバーのsuis氏が新型コロナに罹患し、会場・日程の変更があったものの、北は北海道から南は福岡まで、全8公演を走り切った。2020年7月公開の3rdフルアルバム「盗作」2021年1月公開のEP「創作」をテーマとしたコンセプトライブだ。
 この一連の作品は、音楽の盗作をする男と、その妻をめぐる話を描き出している。「盗作」はn-buna氏自ら執筆した小説にCDが付属する形で発売された。ライブ「盗作」は14曲と5つのPoetryを経て、主人公の男が妻との出会いを懐古するように進む。ヨルシカにとって、音楽で物語を紡ぐのでなく音楽は物語の一部にすぎないということが確信に変わった作品でもあった。


前世─2021,2023

ヨルシカ LIVE2021「前世」DVD発売告知映像より

 そして「前世」というタイトルを冠したライブ作品。初演は2021年1月のオンラインライブであった。八景島シーパラダイスの大水槽の前で撮影された映像は、魚たちをも演出の中に引き込み、前代未聞の美しさを呈している。ヨルシカ初の試みとして、ストリングスを織り込んだアコースティック編成での演奏となった。
 水族館という限られた設備の中でもセットが作り込まれており、小道具や照明からも物語の展開を考察できるという完成度の高い映像作品となっていた。

 前述した二つのライブとは異なり、アルバム曲に限定したコンセプトライブではなく、ヨルシカのさまざまな時期の楽曲が演奏されるオムニバスライブのような形である。


総括

 ヨルシカがテレビ番組に出演することはない。メディア露出も少なく、「容姿で音楽を判断されたくない」という思いから2017年の活動開始以来一度も顔出しをしていない。「誰かのために音楽を作る」という行為を否定し、良い意味で自己中心的に音楽をするn-buna氏は、どんな思いでライブを企画しているのか。

 先ほども述べた通り、ヨルシカでは楽曲は物語の一部という認識がなされていると考える。ヨルシカのライブとは、ただ演奏をして観客を盛り上げ共に楽しむ場ではなく、Poetryやステージのセットにも作り込みをして描きたい物語を追求する、いわば映画のような作品だ。楽曲をパズルのように組み合わせて線状に羅列し、一つひとつに厚みを持たせる。会場を出る時、ふとセットリストを再生すると、その曲がなぜだか違って見える。魔法のような何かだ。

 ヨルシカにとってライブはアナザーストーリー。読まなくてもすでに物語は完成しており特段支障はないが、読めば新しい世界が見えてくる。それを生演奏とともに肌で感じるという行為こそが、ヨルシカの作品を補完するライブ作品なのだ。



「前世」から見る、ヨルシカの本当の魅力

【注意】LIVE2023「前世」のネタバレを含みます。ライブ本編のレポートを記録した追憶編が未読の方はお読みになることをお勧めします。

 終演後、膝に落ちた百日紅の花びらたちで手遊びをしながら、ぼうと会場全体を眺めていた。とにかく人が多い。ひとつのステージを、1万もの人が取り囲んで、1万もの人が見守っていたんだ。ここにいる人たちは皆、ヨルシカのライブという今日の日を楽しみに生きてきたんだ、と。
 活動を開始してからもうすぐ6年。知る人ぞ知るアーティストだったヨルシカが、こんなにも多くの人に作品を待ち望まれるようになったのは何故なのだろう。

 ヨルシカは、特段に目立つようなアーティストではない。テレビ番組で耳にして好きになる、という動機もありえない。ネット上で見つけて、suis氏の透明感ある歌やn-buna氏の作り出す幅広い音楽に足を止めたとしても、それだけではアルバムを購入したり、ましてやライブ会場をわざわざ訪れるまではしないだろう。

 ヨルシカがここまで大衆を動かす、その理由は何なのか。


アナザーストーリーが果たす役割

 前の章の総括で、ヨルシカにとってライブはアナザーストーリーに過ぎないという考察を展開した。アーティストによっては、生演奏を聴いてもらって初めて自分たちの音楽が完成する、ということもある(特にロックバンドはそうだろう)。ヨルシカはなぜそうではないのか。理由はいくつかあるが、

  1. そもそもヨルシカの紡ぐ物語自体が「アナザー」だから

  2. そもそもヨルシカは同じ物語を紡ぎ続けているから

この二つが大きいのではないだろうか。

 1つ目。前の章では、「月光」「盗作」のCDに、物語の根幹を成す特典がついていると説明したが、厳密には特典付きの初回限定盤と、特典なしの通常盤に分かれていると言える。Composerのn-buna氏が何を意図してこの曲を作ったのか、その真実を知りたいと思えば前者を買えばいいし、音楽にしか興味がないから後者を買うという人もいる。ここまでヨルシカの物語を中心に考察してきたが、もちろん彼らは音楽をメインに創作をしてきたアーティスト。物語はその厚みを増すスパイスでしかないという見方ももちろんあって良い。

 2つ目が本記事のメインテーマに関わる。ヨルシカは、一貫して同じ物語を紡ぎ続けている。楽曲も小説もライブも、すべてその物語の一場面に過ぎない。ライブに行かなくとも、他の媒体のみでも彼らの物語を体感できるのである。

 

一貫した「生と死」の物語

 LIVE2023「前世」で彼らが観せた物語。それは、単なる二人の生き物の、生と死をめぐるささやかな日常の風景でしかない。
 もちろん、主人公が実は犬だったという展開には度肝を抜かれた。彼女の苦しさや切なさを的確に表現するのは、ヨルシカの持つ音楽性抜きで完成し得ないことも確かだ。

 だがヨルシカは、特別な変化を何ひとつしていない。作品のモチーフには、夏への憧憬や月明かり、夏の終わりを表す百日紅などが一貫して使われ、その世界観を作り上げている。そして物語としても、互いに強い想いを抱いた二人が輪廻するのを繰り返し描いているのだ。もちろんそれは若い男女だったり、夫婦だったり、男性とコーギーだったりするのだが。普遍的な「生と死」を、ただ描き続けている

 だからこそヨルシカは愛されるのだ。

 誰を応援するでもなく、直接的な失恋ソングを歌うでもなく、ただ、どこにでもいる生き物たちの、生と死の繰り返しを描き続ける。忙しなく現代を駆ける人々の耳に入りたまらなく心を打つのは、普段意識することがなくても、生き物である限り「生と死」の概念が体の奥底に沈んでいるからである。理由もなくなんだか惹きつけられるような何かが、そこにはあるのだ。ヨルシカの作品を、他人事とは思えないのだ。


生き物の共感を呼び起こす「前世」

 月光、盗作、前世。いくつかライブ作品シリーズがある中で、今回のLIVE2023「前世」は今までと一味違う作品だったと思う。

 今までのヨルシカのライブの感想として私は、一番に「世界観に圧倒された」と口にしていた。だが今回は、単純にそうと言えなかった。なんだか自分のことのような、そわそわするような、不思議な心持ちになりながらセットリストを聴きかえす。
 会場にいた誰しもがそうであろう。どこか無視できない気がする。自分の中にも「前世」のシナリオがあるような、そんな気がする。
 何故なら生と死を描くヨルシカは、いつも私たちの中にあるのだから。


 今日の夜、もしかしたら貴方も、前世の夢を見るかもしれない。




 

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