見出し画像

戦後世代としてのムラカミとイシグロ

村上さんの作品を読むと、ときどき戦争の影が見え隠れする。

ねじまき鳥の間宮中将はノモンハンで心に深い傷を負い、
1Q84のタマルは終戦の混乱で孤児となる。

ナツメグは満州からの引き上げ船で終戦を迎え、
あるピアニストは新兵として中国人捕虜の首を切り落とす。

ちなみに、中国人捕虜の首を切り落とす場面は象徴的で、いくつかの作品に繰り返し書かれている。

本作で明らかになるが、村上さんのお父上は日中戦争の時期に召集され、
中国大陸に送られている。そして、そこで中国人捕虜の斬首の場面に遭遇する。後に彼は小学生だった村上さんにそのことを話している。村上さんは
その話を聞いたことで、父親のトラウマの一部を引き継ぐことになったと語っている。作品に繰り返し描かれる斬首の場面は、おそらく父親から聞かされた話が元になっているのだろう。

しかし、父親の経験したこと、そしてそれを引き起こした戦争について、
村上さんはなぜ作品に繰り返し書くのだろうか。

そのことを考えていて、作家のカズオ・イシグロのことを思い出した。
村上さんと同じく戦後世代である彼は、長崎の出身で幼いころに両親とともに英国に移住している。彼はあるラジオ番組*で自分と戦争という文脈でこんなことを語っていた。

私たちは戦争の影の中で育ちました。周りには戦争を体験した人たちがいたし、戦争の傷跡が残っていたからです。30代も後半になったころから、
戦後世代としてある種の責任を感じ始めました。若い世代が戦争を自分ごととして理解できるよう、分かり易い形にして提示する責任を。

もしかすると、村上さんもイシグロと同じようなある種の責任を感じているのではないか。だからこそ、戦争で人生の方向性を大きく変えられてしまった人々を作品に繰り返し登場させて、我々に追体験させているのではないか。彼が幼いころに父親から話を聞くことで、彼自身が戦争を疑似体験したように。

このことに関連して、もう一つ思い出したことがある。村上さんが一連の
オウム事件に関して書いたことだ。この通りではないかもしれないけれど、だいたいこんな感じだったと思う。

悪しき物語に打ち勝つために、作家として良き物語を提示する責任がある。

村上さんもイシグロも書くものは違えど、その根源にあるものは近い形の
責任感なのかもしれない。

村上さんは本作の最後で、木に登って降りられなくなってしまった子猫の話をして「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」と言う。
戦争も始めてしまったが最後、それを途中で切り上げることはとてもむずかしい。それを私たちは二つの大戦から学んだはずだった。

村上さんは言う「結果は起因をあっさりと呑み込み、無力化していく。
それはある場合には猫を殺し、ある場合には人も殺す」
でも今わたしは思う。その前に、結果が起因を呑み込んでしまう前に、
私たちは深く考えたい。村上さんと共に。

*BBC desert island discs Fri 22 Feb 2002 Kasuo Ishiguro
https://www.bbc.co.uk/programmes/p009482g

#猫を棄てる感想文  
#猫を棄てる
#村上春樹  

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?