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福祉ニュース雑記2023/5

めっっっちゃ遅なった!
もはやnote自体が習慣として絶滅してる!!!
きおくが ないのか・・・?

さあ5月も気になった福祉ニュースを紹介していくよ!
てかメモ見たらひとつしかなかったよ
デデドン!!



合理的配慮を放棄した特例子会社、裁判で不利な和解を呑む(障害者.com)


「甘えるな」「特別扱いはしない」
これほどではないけど、こういう意見は特例子会社や一般企業の障害者雇用枠の中だけではなく、
割と就労支援関係の事業所の中にも広い意味でこのような考えを持つ人がいたりするから悲しい。
例えば「この先一般企業に勤めるならある程度周囲に合わせる能力が必要なので、これぐらいは合わせてもらおう」
みたいな。
障害者雇用とかそういうのなしでクローズで一般の企業への就職を目指すなら、
周囲の理解も得られないしそりゃある程度は合わせられないとやっていけないのかもしれないけど、
特例子会社や障害者雇用、なんなら就Bから就Aとかでならそうではないでしょと思う。
相手に障害があることを知っている状況なら、合理的配慮ありきで労働環境を作っていかないといけないはず。

でも実際にこんな企業がいるからやりきれない。
実際がこうだったらさっきの理屈も通っちゃうじゃないか。

「『できない』ではなく、まずほかの方法を考えるように」
についてはもはやこっちの台詞やわとも思うし、
「こちらは提案しただけなのに、向こうが強要と受け取った。なぜならば、高次脳機能障害には『解釈のズレ』があるからだ」
「職場への復帰や環境の改善を拒否まではしていない」
「一般的にスーツは社会人としての機会や活動範囲を広げるもので、原告はそれを理解していない」
こんなもんよくあるハラスメントした側の主張となんら変わりないでしょう。


第一審の判決もさることながら、
「一度に多くの指示が出来ない特性上、支援者や弁護士とのやり取りがどうしても長引いてしまい、ガラケーの復元が第一審までに間に合わなかった」
みたいな裁判のシステムそのものにも合理的配慮が行き届いていない課題があるんだなと思った。

この裁判については、上記記事の参考欄にあった
ライター兼翻訳者の長谷川祐子さんが詳しく追っていたので、過程が分かりやすかった。


この中でも、裁判自体に合理的配慮が十分でないという課題があることがわかる。

つまり「障害の特性」というのは、当事者にとってはある「事柄」についてごく一般的「社会通念」を理解していても、それが当事者の「障害の特性」よって、どうしても行為として実行できない、そのことが心身の機能障害として作用しているという関
係になっているということは、どちらかといえば障害に関する初歩的認識のレベルだと思いますが、
この「判決」を書いた裁判官は、(無礼だと怒られそうですが)そもそも「障害の特性」に関する基本的理解が不十分か欠けているのではないかと思いま
す。

第一審判決への金政玉氏のコメント(長谷川祐子「岐阜特例子会社裁判 きょう名古屋高裁で控訴審第一回口頭弁論」より)

ただ裁判官自身の合理的配慮への理解不足は置いといて、
裁判の準備に関する合理的配慮ってどこまでできるんだろうなと思うところはある。
特に今回のような「障害の影響で証拠の提出が間に合わない」というところについて、期限を延ばすみたいな配慮はできるんだろうか…?
「試験の時間を延ばす」みたいなレベルのもんではないっぽいよね。

気持ちとしては配慮してほしいなと思うけど、それによって相手側にも準備の時間が更に与えられることになるし、もちろん原告の支援者側で障害のない人たちについても準備の期間が更に与えられることになる。
まあその裁判って争いを法律に則って解決するものだから、存在するすべての証拠が出揃うのが正しい形だと思うんだけど。
そういう意味ではすべての証拠が揃うよう、配慮があってもいいと思う。
勝ち負けに重きをおいて見ると、配慮によって不利有利みたいな話も出てくるのかもしれないけど。


致命的な「解釈のズレ」があるのは、
どう見ても企業側でしょうね。合理的配慮というものがそもそも正しく解釈できていない。

私は「甘えたくて」障害の説明をしているのではない。
「楽をしたくて」できないと言っているのではない。
必死に頑張っているけど、それでもどうしても出来ないことがある。見た目でそれはわからない。
今までやってきた努力と訓練で見つけてきた、自分に合わせた対処法を取ればできる。
それを理解して、合理的配慮をしてほしいから、つまり、自分に合わせたやり方で取り組む事を認めてほしいから、他人にできるのに自分に「できない」なんて辛くて言いたくないけど辛くても「できない」と伝え、症状について説明をしてきた。

報告集会での女性の発言(長谷川祐子「岐阜特例子会社裁判控訴審で読み上げられたこと」)より

どうしてもできない部分があるから配慮をして欲しいのであって、
もうその「『できない』ではなく、まずほかの方法を考えるように」の段階は終わってるんですよね。
当事者はそんな次元にはもういない。

原告女性の苦しさが文章からでも伝わってくる。


司法のことは詳しくないので私のここまでの雑感自体すでにうんこなんですけど、
こういう和解で終わった裁判例や判例って後の裁判にどこまでの拘束力があるんでしょうかね。
ある程度拘束力があるのなら、この争いは原告だけではなくて、
同じように目に見えない生きづらさを抱える人たちにとって、勇気をもらえるとかそういう精神的なパワーだけでなく、実質的なパワーになるのではと思う。




んで5月の振り返り

5月のプライベートはエグゼ3してたんと映画観てたぐらいしかないか。
エグゼ3は一昨日完全クリアしました
デルタレイエッジは取ってないけどね!(孤独


せや!超序盤にラジオとった。
ようやく大好きなSOUL’d OUTを好きなだけ喋る。

1時間長尺のアホ仕様。
しかもまだ前編。
前編の熱量が高すぎて後編への腰が重い...。
一気にやればよかった笑


そして6月は上半期終了!
なんか観た映画も聴いた音楽も大豊作なので、一気に喋れるようなことがしたいね!
その前にSOUL'd OUT後編ともう1本映画の話も録りたいんですけどね!

noteももう1本書きたい!


わーわーいいながら、
今月もサバイブや!!!!

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