見出し画像

お金とぼくの物語2

こんにちは。

前回「お金とぼくの物語」の続きです。

前回の記事を書いていて気づいたのは、ぼくは『物を欲しがる』物欲が旺盛で、とにかく欲しいものは欲しい。ストレートに書けば、欲求に素直と言いますか、我慢ができないと言いますか。その点は全然悪いことだとは思っていません。

さらにもっと言えば、「欲しい」というのも含めて、「やりたいことはとにかくやりたいんだ!」という強い欲求があること。

あとは、前回書いた子供の頃から20代後半くらいまでは、”自分の外側”のものばかりを欲しがっていた、ということ。

例えば、遊ぶもの、身に付けるもの、車やバイクなんかの乗り物。これらを持ってたり身につけたり、もしくは乗ったりすることで自分を満たしかったんでしょう。それだけじゃなく、それらを装着して初めて自分に自信を持てたのかもしれません。自分からの承認欲求を満たしていた、とでも言うのかもしれません。

そして、今回さらに書いていく、国税局を退職する直前からここ最近に至るまでの自分は、結論から言うと、”自分の内側”のものばかり欲しがっていました。

物欲から資格取得などの成長欲とでも言えば良いのか、そういう欲に変化していきました。

自己啓発本、資格、心理学の勉強など、自分の内面的な部分に身に付けるものにお金を使っていました。ですが、全てが身について、成果があって、自分を成長させたものばかりではなく、途中で挫折したものも少なくありません。

それでは、具体的なエピソードを書き進めていきます。

国税局を退職することを決めてからのエピソード

車も手に入れ、身につけたい服を買うことも習慣化していた頃、次々に転職していく国税局の優秀な同期の影響を受け「自分も続かなきゃ」っていう焦りが芽生え始めていた。

さらに、「初めまして。」にも書いたとおり、担当していた滞納法人案件の社長さんが自死したことを受け、「お金の悩みを独りで抱え込んでいるような人を助ける仕事をしたい!」という想いもずっと持っていたので、「なんか資格を取って、転職に向けて装備してかなくちゃ」ていう気持ちにもなっていた。

まず勉強を始めたのは、『不動産鑑定士』。仕事終わりや休日に専門学校に通った。費用は30万円くらいしたと記憶している。半年ほど学んで挫折。アホだ。ドブに捨てた。

次は、「お金のお医者様」という響きに興味関心が湧き勉強を始めた、ファイナンシャル・プランニング技能士資格。一般的にファイナンシャルプランナーと呼ばれているものだ。

3級は自宅でテキストのみを使って勉強し合格。2級はAFPと呼ばれるものと同時にめざすことになるのだが、ここからは専門学校に通って最短で取得。ここまで取ったら上をめざそうということで、さらに学校に通い続けて、CFPという国際資格まで取得した。

この間に国税局を退職して、会計事務所に転職していた。

国税局から会計事務所へ転職後のエピソード

ファイナンシャルプランナーについて、当時は一生この資格を名乗って仕事をしていこうと考えていたので、お客様と面接をして保険や税金、金融商品などいろんなお悩み相談に応じていくロープレを有名な先生の指導を受けながら実践的に学べるという講座まで受講した。資格取得から含めると50万円近く使ったはずだ。

この間に、スカイラインは手放していた。勉強で忙しくて乗らなくなったのと、都会での維持費が安くなかったのが理由だ。

FP資格の専門学校で出会った税理士先生にお誘いいただいた会計事務所に転職していたのが、そこでの役割は、記帳代行業務をやりながら、さらにCFPの資格を活かして顧問先にいろんな税務上や社会保険、生命保険などのお得になるアドバイスをしていくことだった。

にもかかわらず、次々に取得していくことに喜びを覚えていたぼくは、正直フワッとした気持ちで、税理士試験の勉強をしようと、また簿記・会計系の専門学校に通い始めていた。が、すぐにそれは挫折。20万円ほど注ぎ込んでいた。

そうこうしているうちに、税理士先生の思惑が後継者探しだったことに気づき、自分のめざす未来と、税理士事務所で期待されていることに違いが生じてきたため、再び転職した。

外資系保険会社へ転職後のエピソード

FP資格の専門学校に通っていた時にお世話になっていた女性から保険会社を紹介していただき、中途採用試験を受け採用された。配属先が関西圏となり、そのタイミングで関東から引っ越し。

1級ファイナンシャル・プランニング技能士資格を取った。ただ、いつの間にか自分がやりたいこと、より、資格を生かせる仕事、を優先するようになっていた。

恥ずかしながら、営業が全く向かず、最後はうつ状態になり1年もたたないうちに退社した。

初めて失業者になった。国税局を退職してから2年も経っていない間の出来事。

それからは、わずかな蓄えと失業手当とで生活。ハローワークにも初めて通った。

この時「自分は今、どこの会社からも必要とされていなんだ」と、平日の昼間に街中を歩きながら感じていた。自暴自棄になっていた。

約4ヶ月仕事が決まらなかったが、ようやく大阪の不動産管理会社の総務部で働くことになった。家はその会社が管理している物件の管理人室を低価格で貸してもらえることになった。

この頃は、資格を取るとか、〇〇が欲しいとか言ってる余裕はなかった。

管理会社ではいろんな仕事をしたが、最終的に、家賃を滞納している住人やその保証人から家賃回収する仕事をしていた。

「あ、一周回って、税金回収みたいな仕事やってるやん。これなら公務員でも一緒やん」

そう思ったぼくは、再び公務員に戻ることに決めた。

タイミングよく「税金徴収経験者を求む」と書かれた中途採用の募集が、大阪府内の自治体であったのだ。無事その年の採用試験に合格し、翌年4月から再び公務員となり、自治体職員として働くことになった。

4月の採用まで時間があった時、知人の勧めで心理学スクールに1ヶ月間だけ通い、基礎前編を学んだ。

市役所では再び税金滞納整理の部署に配属された。国税局で培った知識や経験が大いに活かせる職場だった。

昇任試験にも合格し、3年目からは係長にもなった。この時、部下の人たちが全員年上ということで、人間関係やコミュニケーションの難しさを感じ、採用前に通った心理学スクールの基礎後編講座に再び通った。

その後、6年目に大きな転機を再び迎えた。滞納税金回収とは全く畑違いの企画部に異動となった。初めての仕事で首長(会社でいう社長)の直下の部署で首長のブレーンで庁内中の各部署に首長の代わりとして指示を出しまくる仕事。各部署の仕事を知らないと指示は出せない。指示の相手は課長クラスばかり。中途半端な指示ではキレられ仕事が滞る。すると自分の課長からキレられる。その繰り返し。

言い訳だが、自分は公務員としては税金回収しかしてきてない人間だった。行政の企画的な仕事は全く素人だった。質と量とスピードの全てを求められてた。

朝は始業時間より2時間前には出勤し、帰りは毎日終電。休日出勤もしばしば。ある朝自宅で立てなくなった。数日休んだのち、診療内科へ。

「適応障害による抑うつ状態」という診断結果で、翌日から休職するよう指示が出た。

結果、3ヶ月間休んで職場復帰。その間は読書していた。その時であったのが「嫌われる勇気」だった。アドラー心理学が面白かった。すでに学んでいた心理学に似通っていた。

「職場復帰したら、心理学を一から学び直そう。そして、ぼくがなぜ鬱になったのか知りたい。そしてぼくみたいな人が出ないようにしたい」と思った。

職場復帰後は、再び債権回収の部署に配属され、以前のように差押え業務がメインとなって、心の問題は解消されていった。

そして、職場復帰から1年後、通信教育で、ある大学の心理学科を受験して合格。だが、たまにあるスクーリングに体調不良で行けなかったり、毎日の通信の授業がどんどん滞り、半期で挫折。昔から通信講座が超苦手だった。学研とかもほとんどやらず付録だけを楽しみにしているタイプだったことを後から思い出した。この時、入学金と半期の授業料で20万円以上をまたドブに捨てた。アホ過ぎた。

だけどこの時、もう一度自分に問うた。

「心理学を一から学びたいのか?学びたくないのか?どうなのか。」

答えは「学びたい!」だった。

この気持ちを大事にして、以前に通っていた大阪の心理学スクールの最上級コース「プロカウンセラー養成コース」に通うことを決意した。30万円以上したが、今回は無事卒業し、心理カウンセラーとなった。自分的には通信教育分の浪費は回収できたつもりだ。

そして、その学校で学ぶ過程であることに気づいた。

「自分が公務員に向いている」というのは、親から刷り込まれた思い込みだった、ということに。

それ以降、国税時代から想い「お金の悩みを独りで抱え込んでいるような人を助ける仕事をしたい!」というのと、心理カウンセラーとしての知識を掛け合わせて将来独立しよう!という想いが芽生えた。

そこからは独立に向けて、コーチングを受けたり、起業に向けたいろんな講座を受けて準備した。

そして、2018年夏に自治体を退職して、起業した。

その時点で、400万円ほどの蓄えがあり、負債はゼロだった。

それから1年間は、お金とのつき合い方カウンセラーとして活動して走り続けた。

でもしっかりした事業計画があったわけではなく、「なんとかなっていくだろう」という甘さしかなかった、と当時を振り返って思う。アホ過ぎた。

お茶会には来てくれるけど、個人セッションやオンラインコンテンツの販売まではなかなか繋がらない。心もどんどん疲弊していくし、蓄えも徐々に減っていった。

翌年2019年1月、お世話になっている方や仲間とともに、初めてNYに旅をした。

旅は楽しかったが、資金はすでにギリギリの状態だった。

次回は、この後現在に至るまでを書きます。

サポートしていただけるととても嬉しいです☺️✨どうぞよろしくお願いいたします🙇‍♂️サポートは、夢実現のため、大切な人の応援のために使わせていただきます‼️