シリーズ人間 山内慎人さん(MMA Studio A's)インタビュー (1/2)
みなさんお世話になっております。
久しぶりのインタビュー今回は修斗、パンクラスなどに出場していた鋭い打撃とやわらかな人柄が魅力の山内慎人さん(MMA Studio A's)にお話を聞きました。
第一回は生まれと育ちそして格闘技を始めた頃のお話を伺いました。
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山内さん(以下山) 今成柔術って何で集客してますか?
ー たぶんなんにもしてないんじゃないですかね。
山 昔村田さんとスパーしたことあるんですよ。
ー いつですか?
山 その時仕事で一緒だったRJWの芹沢さんの
(=ミサイルの異名を持つパンチで鳴らした
元和術慧舟會の格闘技選手・今はレフリー)
ビックスクーターの後ろに乗せてもらって
和光市のA3ジムに連れてってもらって
一本だけスパーさせてもらいましたけど
何本もとられましたよ。
もともと小中高は野球やってて
その時はガッツマン修斗道場に入ったばっかりで
まだそんなに格闘技もやってなかったですが
今は全然格闘技の方が長くなりましたね。
ー その流れで人生を聞かせていただいていいですか?
山 生まれは岩手県の二戸市です。
車で十分ぐらい走ったら青森で何もないとこですね。
だから東京きてびっくりしましたよ。
向こうはどこも行くとこないですけど
こっちは行くとこありすぎるから(笑)
あと地元ではじいちゃんばあちゃんが何話してるか
全然分からなかったですね。
ー なんで東京来たんですか?
山 元はダンスがしたくて来たんですよ。
元々は野球しながら趣味でダンスしてて。
一番最初はブレイクダンスから入って
東京でダンスやってた先輩が盆とかに戻ってきた時に
教えてもらったりしてましたね。
ダンスは身体能力高くないとできないし見た物は再現する能力が必要で
それが格闘技と似た所があって
自分に向いてたんじゃないかなと思ってますね。
元々はダンスしたくて高校卒業して
東京アナウンス学院っていう所にダンス学科があって
そこに行きたいって親に言って
「ダンスなんかやってどうすんだ。」
って言われてそれでダンスやってた先輩の一人が
美容師しながらダンスのスクール通ってるのを聞いて
手に職つけながらダンスの勉強すればいいのかと思って
美容師見習いになるって安易に就職したんですよ。
東京のその美容室が大変なとこですぐ手が出るんですよ。
オーナーに山内く~んって呼ばれて
裏行ったらばちーんばちーんって平手打ちされて髪の毛掴んで
ひっぱりまわされて顔ぼろぼろになったまま
お客さんにシャンプーしたりして
お客さんもオーナーの事知ってるから笑って話したりしてて
オーナーに親の事ぼろくそ言われたりして半年くらいでやめて
その美容室で見習いで働きながら美容師の学校行くはずが
学校の方は入学だけして一回も行きませんでしたね。(笑)
ー どういうつてで行ったんですか?
山 普通に高校に就職の募集が来てて
それで行ったらそんな感じでしたね。
そういう理由でやめたの友達には言ってたんですけど
親には言えなくて岩手帰ってから母親に言ったら
ショック受けて泣いてましたね(笑)
でも半年くらいで戻ってきちゃったからまた東京行きたいと思って
それで一個上の先輩が
お前がほんとに東京来たいならうちに居候していいよ
って言ってくれて出てきたんです。
それで生活も立てるためにバイトしないといけなくて
ダンスも全然できなくて
それで21歳になる年に東京来てる友達で集まって酒飲んでて
大学で柔術のサークル入ったって奴がいて
三角締め掛けてもらったんですよ。
今思えば全然極まってなかったんですけど。(笑)
これ面白いな~と思って
その頃明大前に住んでてなんか格闘技のジムあったな
と思ってそれが
ガッツマン修斗道場だったんですよ。
ほんとに家から歩いて30秒位の所で
マッハさん(桜井マッハ速人 元修斗ミドル級チャンピオン)
の写真とか貼ってあって
それで入会したんです。
最初はプロになりたいとか全然なくて
一般の会員で昼の仕事しててその時の仕事で
芹沢さんと知り合ったんです。
ー 昼の仕事って何してたんですか?
山 派遣会社の派遣する側ですね。
パチンコ屋の面接行ったらこれからうちで
派遣やるからやってみない?
って言われて入りまして。
派遣の登録してきた人に説明会で話して
それぞれ職場に派遣するような仕事で。
それでガッツマン入って一年ぐらいは
全然仕事で行けてなかったんですよ。
その時にガッツマンで職員やってた人がやめて
職員探してて練習できるし
いいかなと思って軽い気持ちで職員になりましたね。
その頃には生活に追われててダンスへの
気持ちは薄れてましたね。
職員になってからは毎日練習できるようになったので
強くなっている感はありましたね。
ー ガッツマンはあの頃修斗のプロの大会やってましたよね。
山 やってましたね。
ガッツマン興業は僕がそのまま前の人から引き継いでリリース出したり
契約書作ったりホテル押さえたりとかマッチメイクは桜田先生がやって
それ以外は全部やるという感じでした。
それから年月を経てくると
「山内いいカードない?」
って聞かれてじゃあそれやろうってなったりとか
先生の代わりのオファーの電話したりとかも何回かありましたね。
それで当日も全部インカムつけて自分が回す感じだったんで
ガッツマンの選手だけどガッツマンの興行には出られない
っていう事になってたので
ケーズファクトリーとかサステインとかにお願いして
試合してましたね。
それでデビュー戦はケーズの北沢タウンホールでしましたね。
もちろん先輩も後輩もみんなガッツマンの選手はガッツマンの興行に
出るんですけどね(笑)。
思い出深いのは一番はパンクラスの川原誠也戦ですね。
あんな勝ち方できると思ってなかったので。
ー ぼくもその時パンクラスで試合してて修斗から来た山内さんて選手は
KO勝ちばっかりで危ない選手だなと思ってましたよ。
山 その頃は色々あって先生が
パンクラスだったら話できるからどうだ?
って話でパンクラスに出る事になりましたね。
あの後結局パンクラスで五試合して二勝三敗でそれから
試合してないですね。
その頃はもう選手がみんな抜けてたんで
練習相手もいなくなって一日中サンドバック打つだけでたまに
先輩か後輩呼んでスパーリングするぐらいなんで
そりゃ勝てないですよね。(笑)
斎藤曜選手に簡単に組み負けちゃったし
サンドバックが練習相手みたいな感じで
キックボクサーみたいでしたよ。
人に頼むのが苦手で一人でどうにかしようと思っちゃって
それが今でも同じですね。(笑)
修斗出ていた時が練習環境は充実してましたね。
スパーしてて下がったら下がるんじゃねえって
後ろから蹴られましたからね。(笑)
今でも人に何か頼む時の頼み方がわからないんですよね。
なんて言って頼めばいいんだろうとか。
だってFINISHも大体は赤字でしたからね。
(=山内さんが開催しているグラップリングと打撃の大会)
ー でも回を重ねて形を残したじゃないですか。
出ようかなっていう人も増えて。
今成柔術の人もいっぱい出てますし。
山 ジムをやっていく上でまたFINISHを
再開してもいいかなと思ってるんですよ
ー 今は他の大会もできてますけど山内さんには
FINISHは続けて欲しいですよね。
オープンして間もないジムはどうですか?
山 まず来てもらうにはどうしたらいいかをすごい考えてますね
会員さんに最近様子がおかしいって言われて漢方もらいましたよ。
不安を解消してくれるような漢方を。(笑)
今はSNSでインスタがいいのかティックトックとか
集客を勉強しながらやってますね。
一応ホームページもちゃんと作ってるんですけど
大阪のBLOWSの中蔵さんがSNSの僕の様子をみて
おかしいと思ったらしくて
大丈夫か山内?
って連絡来て状況を説明して相談したら
そもそも今の若い子はホームページ見ないぞ
って言われて。
SNSとかグーグルマップとか見てくるよって言われて
今やるのはインスタとティックトックを
重点的にやっていくしかないかなって思ってますね。
ー 今日は昔の話もインタビューさせて頂きたいんですが
アマ修斗の思い出からいいですか?
山 ガッツマンの職員になってからプロを目指すんですが。。。。。
次回は山内さんの詳しい格闘技遍歴を伺いました。
おたのしみに!!
指導がやさしくて丁寧な山内さんのジムはこちら
↓↓↓
山内 慎人
修斗フェザー級 クラスA
(Masato Sannai)
1982年 5月11日生まれ
岩手県二戸市出身
173cm 68kg O型
面白い人に話を聞いてみたいです。 リアクションあるとはげみになります。 メッセージ添えて頂けたらなお嬉しいです。