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サークルCat Plaze(皐月臨さん)のウルトラゴアホラー映画レビュー同人誌「映画の独り言」レビュー「アレックス(仮)の心象風景」

無頼のウルトラゴアホラー映画ファンの女性・アレックス(仮)が
喀血しながら,その吐いた血で書いた血の本「映画の独り言」だが
僕の洞察力が足りず
肝心の「アレックス(仮)の心象風景」には迫れなかった。
捲土重来を期して再度本書のレビューに挑戦する。
「真実の追求」無くして僕のレビューは永遠に完結する事は無いのだ。

僕は負けず嫌いなんだ。

アレックス(仮)の心象風景に迫る手がかりを
他でもない彼女自身が表紙に堂々と残している。
彼女の左手には「ルカぺリア」の円盤のパッケージが握られ
右手にはフィル・スティーヴンス監督の
「フラワーズ」の円盤のパッケージが握られている。

そもそもアレックス(仮)は6年前(2018年)に
「ルカぺリア」を観て冥府魔道に堕ちた訳だが
堕ちた彼女は好んで「女が酷い目に遭う映画」を観る様になった。

「ルカぺリア」は勿論「フラワーズ」もまた「女が酷い目に遭う映画」で
あって本書におけるパスカル・ロジェ監督の「ゴーストランドの惨劇」の
彼女のプレゼンをまあ聞いて欲しい。

(前略)とゆー感じなのだが,この映画とにかく女の顔を殴る!
もうボッコボコ
ロジェ監督の作品は大抵女の顔面の扱いが惨い(むごい)のだ!
そして何より楽しいのが(後略)

彼女のプレゼンには
「ロジェ監督はもっと女に優しくして欲しい」だの
「ホラー映画は基本女が酷い目に遭って怪しからん」だの
「ホラー映画に於いても女の地位向上を!」だの
「ホラー映画に於ける女の役割は見直されなければならない!」だの
が一切無く「女が顔面を殴打される場面」を
「楽しい場面」の一環として挙げているのだ。

昨年末購入した「サスペリアPART2 UHD+BD-BOX」にある
「ジャッロの深淵」という特典ではジェンダーの立場から
主人公のマークがこっぴどく叩かれている。

マーク(デヴィッド・ヘミングス)は
「男女平等なんて幻想さ」「男と女は違うんだ」
「女ってのはこう…か弱くてか細くて…」
「女に(考える)脳なんてないさ」
「古代ギリシャの昔から知性は男の所有物って相場が決まってるんだ」
等々のステキ発言を繰り返すが

「ヘミングスがずっと見下していた女(ダリア・ニコロディ)に助けられ」
「ヘミングスが真犯人によって死ぬほど恐ろしい目に遭って」
「彼の女を見る目が女によって改められ彼が猛省する姿が素晴らしい」

と気鋭のジェンダー論者の急先鋒が
「サスペリアPART2」を「褒めている」のである。
ジェンダー論者が
「女に威張り散らしていた男が女によって凹まされ猛省する映画」
を尊ぶ事がよく分かったよ。

アレックス(仮)はジェンダーにもフェミニズムにも与する事はない。
監督の創作意図を虚心坦懐に等身大に受け取ろうとしているのだ。

「映画の独り言」の表紙の話に戻るが本書に於いてアレックス(仮)は
「ルカぺリア」を気違いの人殺しの思念で読み解く
驚異のレビューを展開して僕が飲んでいた緑茶を
ヘルガ・ウルマンの如くダバーさせたが
「フラワーズ」のレビューは掲載されてない。
左手に握られた「ルカぺリア」のレビューは披露したが
彼女は未だ「フラワーズ」という「必殺の右」を温存してるのだ。

一体全体何時から僕は「映画の独り言」が「全1巻」だと思い込んでいた…?

「映画の独り言」第2巻の登場を震えて待ちたいと思う。

またアレックス(仮)が表紙で
「ルカぺリア」と「フラワーズ」を両手に携さえて登場すると言う事は
『「こういう映画」がスキなワタシのコトをもっと深く知って欲しい』
って気持ちの表れだと受け取ったよ。

ところで…皆さんはニチアサの
「ひろがるスカイプリキュア(通称ひろプリ)」
という女児向けアニメを知ってますか?

「ひろプリ」は「大きなお友達」も観ていることは
つとに知られておりますが
「大きなお友達=気持ち悪い男のオタク」だと思っておられるでしょう?
実は「女の大きなお友達」も「ひろプリ」を観ておりまして,
SNSで盛んに実況されてるのですが

「誰かソラ(・ハレワタール)ちゃんを救ってあげて!」
「誰かシャララ隊長を救ってあげて!」

と叫びアニメの女性キャラが救われる事によって
自分もまた救われる思いを感じているのです。

一体如何なる「救われない日々」を送っているんだよ…。

男のオタクの端くれとして男のオタクが気持ち悪い事は認めますが
女のオタクに言われたくないのである。

アレックス(仮)は「女が酷い目に遭う映画」を好んで観て

「誰かxxx(映画の女性登場人物)を救ってあげて!」

と叫ぶ様な真似はしません。
ではアレックス(仮)は何ら「救い」を求めていないのでしょうか。

皐月臨さんのツイートを引用させていただきます。

皐月さんのとっての「救い」とは「酷い酷い酷い映画」を
観終わった後の「虚無」を
「次の酷い酷い酷い映画」をビデマで物色・発見し
「虚無」を一時的に埋める事によって得られるのです。

それはロメロ監督の映画「ゾンビ」を観終わった後に生じた
「虚無」を埋める為に「サンゲリア」でオルガ・カルラトスの眼球に
木片がゆっくりゆっくり突き刺さって行く模様を
眺める「僕」と余りにも似ていて
僕の瞳には実は「虚無」しか映っていない様に
アレックス(仮)の瞳にも「虚無」しか映っていないのではないか,
彼女の心象風景とは「ルカぺリア」を観たときからずっと続く
「終わる事のない虚無」が広がっているのではないかと予感させ
「女のウルトラゴアホラー映画ファンの心象風景」など
「気違いの人殺しの思念」など
見るのではなかったとの後悔だけが心中に苦く広がるのだ。

彼女は「オタクの里」で壁に向かって映画レビューを吐くのが嫌になって
人間界にやって来てネットや同人誌を通じて
「自分の意見」を発信していた筈だ。
しかし…実は彼女はオタクの里の壁の前から一歩も動いておらず
依然として壁に向かってレビューを吐いているのではないか。
彼女が出会った筈の人々は皆彼女が見た夢であって
彼女は死んだ魚の目になって虚無の目になって涙を流しながら
壁に向かってレビューを吐き続けているのではないか。

それは創作者としては「正しい態度」なのかも知れないが
その「正しさ」が彼女の魂を無限に傷付けているのではないか。

僕がもし占い師で彼女の運命を見る機会があったなら
「ワタシはシアワセになれますか?」
との質問に対し彼女の手相を見てハッとして代金を全額返し
「この金で何かうまい物でも食え」
と助言するだろう。
何故なら…何故なら
「その予定はない」
と彼女の手相に余りにも明確に刻まれているのだから。

僕には…彼女を「救う」コトなど到底出来ないのである。
僕は…「自分を救うコト」で手一杯なんだ。

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