「大人」と「子ども」の社会が分断されているのがずっと違和感なのかも
ずっと違和感だったこと。
この時期のセンター試験だ。
机に向って記述していく姿を見て、学ぶってなんだろうなぁ、と思っている。
そのまま大学に行って卒業したら「がんばれよ」って急に投げ出される仕組みにもね。
当時、僕は就職相談会に行かなかった。というか、行けなかった。
いい出会い方をしたら魅力的な企業もあっただろう。
だけど、恐怖だった。
みんなでスーツを来て、何者でもないものたちが有象無象に入り乱れる。
そのTV中継を見ながら、僕はそこでは戦えないと思った。
こんな交わり方ヘンだろ!って。
センター試験も同じで、「何かを判断するための大事なものだ」と飲み込みたいけど、うまく飲み込めない。
これはなんだろうと。
今思えば、もっと違う選択で成長できたり、なりたい存在の方法ってあるはずだ!と思いたかった気がする。
働き方研究家を名乗っている西村佳哲さんのTwitterでいいなぁと思ったことを書く。
「分断」をキーワードに語る人を最近よく見かけるけど、自分は、大人の社会と子どもの社会の分断が、いちばん気になるな。分断したまま受験に明け暮れさせて「就活」で一気に橋を渡らせる様子も、素直に渡っている姿も、橋のたもとで展開する子どもたち相手のビジネスにも。
激しく納得。
子どもと扱われてしまう時代に、「こんな存在でも生きていけるよ」って思わせる体験は大事じゃないか。
じゃあ自分が何かを世界の全てを知っているわけではないのだけど、子ども時代に多様な人間が混ざり合うことは大事だと思う。
僕はゆくゆくはそういうことをやっていきたいと思っています。
ていうか、一対一のくらし体験サービス「南伊豆くらし図鑑」はその起点の一つなんだと思う。
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