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変化は、小さな回数なんだと納得した話

変化って?

変化といったら、サナギから蝶になったり、蕾から花が咲くように。

ドラゴンボールのフリーザなら第一形態から最終形態のように。

僕は変化っていうと、こう劇的な、ガラッと変わった姿を想像してしまう。

人の場合はどうだろう。

おそらくゆっくり形態が変わっていくものだと思う。

5歳、10歳、15歳、20歳、25歳・・・・・。

身体は徐々に変化していく。

だけど、心だったり、知識はどうだ?

裸になっても、これと言った心の変化、成長?は見えづらい。

その人が身を置く環境次第で、かたちは揺れて、変わる。

体ではなく、心というか。"目に目えずらい変化"ってなんだろうなって漠然と考えていたら、糸井重里さんが発行するほぼ日刊イトイ新聞の「今日のダーリン」で糸井さんがほぼ答えのようなものを書いていた。

すごくよかったので、引用させてください。

以下12月18日の「今日のダーリン」から

昨日、ここで書いた「変わる」ということについて、
 ずっと続けて考えていた。
 「小さい変化を、数多く重ねること」が、
 いいことなんじゃないかと、直感的に思ってみた。
 なんだか、そのこと前にも考えたことがありそうだぞ?
 博多に来て、まだそれを考えていて、思い出した!
 横尾忠則さんだ!
 吉本隆明さんが「どんなことでも、毎日欠かさずに
 10年続けたらかならず一丁前になる。」と言ったことと、
 マルコム・グラッドウェルが紹介していた
 「ある分野でプロのレベルで活躍するためには、
 総計で1万時間の練習が必要である」という法則のことを、
 雑談のなかで横尾さんに話したら、そうかなぁと、
 「ぼくは時間の分量よりも、回数が重要だと思うよ」
 と言われたのだった。
 これがまさしく「小さい変化を数多く重ねること」だ!
 このほうが、総時間量で考えるよりも
 「変わる=変化」の回数が多くなるのだ。
 「喧嘩は買ってでもしろ」は、だーめだーめ!
 「変化は買ってでもしろ」こそが正解なんだよねー。
 ぼくはもう知ってしまったよ、変化がすべてだ。
 いいかい? 進化だって変化だろう? 進歩も変化だ。
 発展も変化だ。成果も変化のおかげだ。成長も変化だ。
 驚きも変化だ。うれしいと感じることも変化だ。
 生まれるも変化だ。申し訳ないけど死ぬも変化だ。
 出会いも変化で、別れも変化だ。
 強くなるのも、おもしろくなるのも、上手になるのも、
 おいしくなるのも、金持ちになるのも、貧乏になるのも、
 ネガティヴだと思われていることも含めて、みんな変化!
 生きていれば、変化する。
 そして、それらの変化を経験した人生になっていく。
 じぶんの変化が、人を変化させたりもするし、
 だれかの変化が、じぶんを変化させもする。
 ぼくらは、変化しようとさえ思っていたら、
 毎日のように、いくらでも変化する可塑性を持っている。
 今日も博多に来て、何度もぼくは変化している。
 小さい変化を、いくつもさせてもらったよ、ありがとう。
 変化についての発見は、さらに変化を加速させている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
進歩も成長も「変化」のひとつの表現形態ってことです。

変化は大なり小なり、常に揺れていると思ったし、その回数の集積なのかもしれない。今日は「ローカル×ローカル」というイベントです。僕にとっては体に変化はなくとも、心にとってはとても大きな変化の時間です。

もし、お時間がある方、ふらっと覗いて見てください。


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