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話し言葉と書き言葉 ②

あまり入れたくなかったのですが、あまりにも前からの続きなので前回はこちらから。

さて、こうすると「書かれているのに話し言葉」という疑問の持ち方ができなくなる。「音に忠実に書かれている言葉」は、話し言葉に含まれると考えられる。
そうであれば、書き言葉と話し言葉の両者に含まれる言葉が多く存在しているように思われる。むしろ、それらが重なった領域に存在していない言葉の使用こそが、違和感の正体であるように思う。

書き言葉にしか所属していない言葉を使うと、何を「使っていない言葉を」となってしまうし、話し言葉にしか所属していない言葉を使うと、読みにくくて仕方がない。読むときに不都合が出る。もっと言えば、自分の中で音として再生されるときに違和感が強くなる。

しかし、その一方でこれらを適切な分量(割合)で使うとキャラクターが出せるようにも思われる。音楽における不協和音のようなものである。そこに色が現れる。しかし、そればかりだと聞きづらくなってしまう。

それらが行き過ぎたときに不自然さを覚え、私がいうところの「過度なキャラクター化」が起きてしまうのではないかと思う。

そして、問題は不自然さの基準になる。
これは、各人の「使用語彙」や生きてきた環境に影響されるように思う。
漫画などで特徴的な話し方をする人がいる。それを真似する人がいる。
知っている人からすれば、面白いかもしれないが、なぜか知らない人にもそのまま話してしまったりする。
ほとんどの確率で距離を取られることになる。

いわゆる厨二と呼ばれるものの違和感は、演じているものと見ているものの自然のずれで起きている。
あのときに出てくるキャラクターは、なぜか文語とも呼べない(中途半端が故の)現実には使用されない書き言葉を使ってしまうため過度なキャラクター化を引き起こし、痛々しいことになってしまうのだろう。

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