見出し画像

ライク・ア・ローリング・ストーン

俺の心の中に一つの風景があるんだ。
クラスメートたちのキョトンとした顔。
彼らは(というか俺も)まだ分別つかない年齢で、いわゆるスラングなんて何一つ知らない。
彼らがもしも大人だったら「xxxx」とか「xxxx」なんて言葉を吐き捨てたろう。でも彼らはそんな言葉知らないから、ただキョトンとしていただけなんだ。

そう、俺を見て。

俺は全くの馬鹿野郎だ。今も昔も。確かその時はマスマティックスの授業中で、いつもと変わらず先公は訳のわからないことをしきりに説明していた。
俺は頭の中にいるネズミと鉛筆の先で遊びながら、初夏の良い匂いのする風にそよ吹かれていた。
俺が先公の話を全く聞いていないことに気付いて、奴は俺に簡単な計算問題を黒板で解くように言いつけた。

俺は頭の中のネズミに答えを尋ねた。
ネズミは答えた。
「xxxxだよ、すべて。」

俺は黒板の前まで来た。チョークを持ったが、何もできない。よほど簡単な問題だったんだろうな。クラスメートたちは眉をひそめたり、泣きそうな顔をしながら、俺のことを見つめていた。つまり「こいつxxxxだぜ。」そう言いたかったのさ。ただ誰も「xxxx」なんて言葉を知らないだけで。

だから俺は教壇の上に立った。
パンツを脱いでxxxxした。

お前たちが知らないことを少なくもも俺は一つだけ知っている。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」
歌にもあるだろう?ラジオで流れているぜ。

生まれ落ちた時から俺たちは、真っ逆さまに転がり落ちているんだ。
少しでも何かを積み重ねている気になっているなら、それは間違いさ。

俺が大きくなるにつれ、俺に浴びせかけられる罵声は口汚いものになっていった。その罵声は俺が大きくなるにつれ、大きな声になっていく。
結局のところ、俺はゴミ溜めの中で暮らしていたんだ。

年を取って賢くなったって?全くお目出度いトンチキめ。一体それの何が幸せなんだってんだ。
年を取るほど食わなきゃならない飯の量が増えるんだ。ボケ。ボケナス。足を一本切り落としやがれ。

ハイスクールで女の子と仲良くなった。大したアバズレで誰とでも寝るような女の子だった。
デートする場所もない俺たちはクスリをキメた後はxxxxする場所を探して工業地帯をうろついた。

俺にとって工業団地の大きな機械たちは神だった。
夜通し彼らは大きな音を立てて稼働していた。火が吹き出すこともあった。

大きな機械の片隅で俺たちはxxxxして、その後は深夜映画館にしけこんで朝まで寝た。

ある時彼女が言った。
「ベイビーが出来たのよ」
信じられるかい?
出来損ないの俺たちにベイビーが出来るんだ。
俺たちは結婚することにした。

一年後に無事にベイビーは生まれた。でもすぐに死んだ。風邪をこじらせたんだ。
俺たちはベイビーが風邪をひいて弱っていくのを見守るしかなかった。
俺たちは医者になんかかかったことはないから、俺たちが育てられたようにしかやれないんだ。

その頃、俺は工業団地の製鉄所で働いていた。疲労はピークに達していた。うっかりして溶けた鉄に近付きすぎ、作業服に引火した。俺は全身火だるまになってのたうち回った。
幸い火は消されたが、全身火傷した俺はジラフみたいな模様になった。病院に運ばれて暫く入院していたが、居心地が悪くて逃げ出した。ついでに工場も辞めた。家に帰ると女房は他の男の元へと逃げた後だった。
馬鹿な女だ。
他の男と暮らしたって得られるものなんてない。新たに失うものが増えるだけなのに。

仕事を失った俺は暫くホームレスをしていた。ゴミ箱を漁って飢えをしのいだ。夜はゴミの中に身を埋めて寒さをしのいだ。

ある日、俺がゴミを漁っていると小僧がじっと見ていた。俺は犬を追い払うように手を振って「シッシッ」とやった。
どうやら小僧も家がないようだった。
そして奴は俺の縄張りを狙っていやがった。俺は棒きれで小僧をしこたま殴った。
気に入らない小僧だった。

何処までもくっついて来やがる。
神様がもしいるんなら、こんな小僧は明後日の方向にやっちまえばいいのに。
仕方ないからゴミ溜めの中に身を埋めさせてやって、寒さのしのぎ方を教えてやった。
ああ、むしゃくしゃするぜ。俺たちはローリング・ストーン。俺はまだまだ転がり落ちる。そしてこの小僧も。生きていれば今よりもっと。

春になっていた。
俺は冬が嫌いだ。寒くて死にかけるからな。ちょっと仲良くなったホームレスは大抵冬に死ぬ。残りはイカれた若い奴らに蹴っ飛ばされて夏に死ぬ。命の危険があるという意味で俺は冬が嫌いだが、春だって嫌いだ。
春になると生ゴミが臭いやがる。冬の間に凍っていた生ゴミが春の陽気に溶けて路地裏はちょっとした臭気に満ちるんだ。春の陽気と生ゴミの臭いにはいつまでも慣れない。

そんな事情から俺と小僧は路地裏から公園に場所を移していた。公園は残飯にありつけないので腹が減るが、どうってことない。
飯を食うとかそういうの、どうだって良いんだ。俺ときたら、すっかり乾燥しちまって皮膚なんて松の皮みたいになっちまった。公園で草ばかり食べてるからxxxxはxxxxみたいだ。
ともかく春の日に俺たちは高台から海を見ていた。海の上には遊覧船が浮いていた。
俺は船なんか乗ったことがないが、さぞかし気持ちが良いんだろうな。
おい、小僧。と、俺は小僧を呼んだ。

船に乗ろうぜ。

そう言うが早いか俺は小僧を抱え上げて港に向かった。波止場には船が沢山浮いていた。
大丈夫、分かってる。船というものは勝手に浮くように出来てるんだろ?

夜を待って船に乗り込む。
何だってできるんだ。船だって動かせる。ロープを外して錨を上げた。これだけでもう何処にだって行けるんだ。船はゆらゆらしながら夜の波止場を漂ったが、湾の中をうろうろしただけで、結局波止場から出ることはなかった。
俺は船室でなんとか舵を取って波に乗ろうとしたが、結局明け方になって船酔いで立つこともできなくなり、諦めた。
結局、船を手に入れた俺にできたことと言えば、一晩中計器を滅茶苦茶にいじったことと、舵をぐるぐる回したことだけだった。

小僧は船の揺れるのをそれなりに楽しんだようだが、俺はむしゃくしゃして小僧を蹴っ飛ばした。が、船酔いが酷かった俺は小僧を蹴っ飛ばすこともできず、そのまま海に落ちた。

俺は泳げないんだ。泳いだことがない。
小僧が浮き輪を投げた。

なんとか浮き輪にしがみついて、しがみついて浮いてみれば波なんて大したことはなく、俺は余裕綽々と波間に浮いてみせた。

明け方の空の下、俺は波間に浮いている。名前なんてとうに捨てた俺は、何者でもない。その糞みたいな俺が、便所の中の糞みたいに浮いている。
xxxxだぜ、本当に。
どうしようもなくxxxxだ。

俺なんて奴は早く死んじまえば良いのに。
俺はなんでか、悲しくなっておいおいと泣いた。だが、俺の涙は波に消えて、俺の嗚咽もやっぱり波にかき消えた。誰でもない俺の泣き声など結局存在しないんだ。

小僧が甲板から顔をのぞかせてゲラゲラ笑った。
泣いている俺を見て、笑っていると勘違いしたらしい。馬鹿な小僧だ。だから俺も小僧を見てゲラゲラ笑った。俺たちは久しぶりに笑ったんだ。

その時。

浮き輪で浮いている俺に大きな波がかぶった。鼻から塩水が入ってつんとした。鼻から入った塩水は鼻水が混じって口から出た。俺たちの船に別の船が横付けしていた。
男たちの喚く声がする。どうやら、船の持ち主が他の船で追いかけてきたらしい。

俺は逃げるでもなく何でもなく波に浮いていた。どうなるかなんて知るか。殴られようが蹴られようが、それで死んじまおうが。

船のエンジンが回転しだして、俺は浮き輪ごと猛烈に引っ張られた。俺がここに引っかかってることを小僧が言わなかったんだ。
船は沖に向かって猛烈に進んだ。俺は猛烈に引きずられた。

海の表面ってのは硬いんだな。俺は浮き輪とともに、フライパンの上のそら豆みたいに散々に跳ねた。

陸地も見えない沖の上で船は止まった。
そろそろ俺を助けてくれないかな、なんて思っていたら甲板の上に男たちと小僧が見えた。
俺が見ている前で小僧は男たちに散々に殴られた。
俺は大声を挙げた。
でも俺の声は小さいんだ。大声なんて何年も出したことがないから。掠れて大声が出ないんだ。

誰にも俺の声が届かない。

小僧は俺の目の前でボロ雑巾のように投げ捨てられた。そして沈んだ。
全身を腫らして、どうせ腫れるなら風船みたいに浮けば良いのに小僧はブクブク沈んじまった。

俺は小僧の所に行こうとしたがロープが絡まって解けない。
俺は喚き散らした。つもりだ。だが、俺の叫び声は単なる掠れた呼吸音でしかなかった。

船は動き出した。
沈んだ小僧を沖に残して。

やっぱりフライパンの上のそら豆みたいに海面を跳ねながら俺は引きずられた。引きずられながら俺は神様に一つだけお願いをした。

ローリング・ストーンだ、俺は。俺たちは。
転がり落ちるんだ。生まれたときから。
xxxx。
神様、どうかxxxx。
世界に平和を、人間に愛を。
人間を、俺たちを助けて下さい。
生きている俺たちを。
死んでしまった俺たちを。
助けて下さい。

(短編小説「ライク・ア・ローリング・ストーン」村崎懐炉)