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黄泉比良坂墓地太郎事件簿「墓地太郎、死す」

(目次)



あらすじ




Z都S区大牟婁おおむろ町にある黄泉比良坂よもつひらさか探偵事務所。その所長である黄泉比良坂墓地太郎は泣く子も黙る霊能探偵である。低廉下劣の人格故に万人に嫌われ付いた仇名は「ひとりぼっちの墓地太郎」。墓地太郎が絡めばどんな安易な事件も迷宮入り。探偵助手の猫之助と共に霊能探偵墓地太郎は今日も難事件に挑むのだ。
黄泉比良坂墓地太郎事件簿シリーズ第5弾。
お馴染みのメンバーが登場する中、この度の事件は「墓地太郎、死す!?」主人公たる墓地太郎が死んでどうなる探偵事務所!
(2万7000文字、読了時間70分)

一番後ろに梗概があります。お時間無い方は梗概だけでもご覧ください。

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1、墓地太郎死す


7時12分ZZ駅発P駅行の新幹線が約10分の待合時間の後に出発して、車内には空き席を探す数人の乗客が往復した後、一部の車両で不穏の空気が俄かに広がり、それが乗客のざわめきと添乗員の悲鳴に変わった。
「お客様の中に!お医者様はいらっしゃいませんか!」
だが、座席に斃れた中年男の血色を見る限り、必要なのは医師でなく神職である事は明瞭であった。
「お客様の中に!」
添乗員は言った。
客がざわめいた。

そんな事故が小さな新聞記事となり、死因も単なる心臓発作と片付いた頃に、Z都S区の葬祭ホールに豪奢な祭壇が作られた。
大きなホールで弔問客の二、三百は優に入るだろう。祭壇は数えて五段。造花の白花が照明を反射している。中央に死んだ男の巨きな遺影が飾られる。
豪奢であるが、何処か空虚である。祭壇を埋めつくした造花の白々しさ。献花、花輪に並ぶべき差出人の名札の僅少。

見た目の豪奢と裏腹に空疎空隙の祭壇なのである。詰まる所は要するに、旧帝の時代に於いて建築された豪奢の葬儀場は折からの不況で流行が廃れて、いまの葬儀の流行は小さなホオルでの家族葬密葬或いは自宅葬直葬を主流にして、最早巨大なホオルなど需要が無い。無い所に需要と供給の神の御手が導いて、要するに豪奢な葬儀場とて安価なのである。旧帝時代の旧い葬儀場であれば尚の事、新しくて最新の死体安置所を備えたこぢんまりとしたホオルより遥かに安い。そんな安さが白々しいのだ。

亦。
空間、デイアスティマは単に空間座標のことのみを示すのではない。居並ぶ累々の面相が織り成す力学が、空間(ディアスティマ)を形成する。その白々しい三百人規模の大ホオルに圧倒的に足りないのは人間関係の力学なのである。葬儀場に集まったタッタ数人という僅少がディアスティマの空疎空隙になっている。即ち故人の人徳の顕れである。故人の圧倒的不人気が侘しいホオルをより一層もの侘びしくしている。

形式的儀礼的にホオルの入口には係員の手によって、故人の名前を冠した看板が立てられた。

「故 黄泉比良坂墓地太郎葬儀」
遺影が朗らかに笑っている。仏頂面しかない本人の写真を葬儀会社のサービスで、CGを駆使して笑顔にしたのだ。真実味のない軽薄の写真。
だがその内実が伴わない軽薄さが、何故か故人によく似合う……。

と、故人の友人である賽河原地獄彦は、弔問に来た男に経緯を語る。
「本当にまあ……」
地獄彦は高く掲げられた故人の遺影を仰いだ。
「人間は死ぬんだなあ……」

高く掲げられた遺影が、彼の目には磔刑に処せられた罪人に見える。古来より邪教徒は見せしめに磔刑に処せられる。邪教とは何か。国政にまつろわぬ人々だ。本当の意味で邪教など無い。嘗ての歴史で処刑された邪宗門は衆目に理解されない無辜の人々であったが、それでも多くの民衆は磔刑に向かって石を投げたのだ。
滲み出る生理的嫌悪故にZ都S区牟婁伏町の万民から忌避された悪逆の霊能探偵、黄泉比良坂墓地太郎。彼が磔刑にされた邪宗門の如く、白々しい祭壇の直上に高く掲げられる。
弔問客が少なくて良かった。
少なくとも石を投げる人はいない。

「本当に」
弔問客である洒落神戸探偵事務所の所長である洒落神戸毒路丸氏も遺影を見上げた。故人との確執が懐かしい。人間は死ぬのだ、まさにその通り。
洒落神戸探偵は名探偵と名高い。いまやテレビ局による公開捜査番組は茶の間の人気を博す高視聴率を誇っており、そこに登場する探偵たちは国民の誰彼が知る名士たちなのだ。
洒落神戸探偵は中でも人気の探偵でいまや全国で行われる公開捜査の引く手あまた、官憲からの呼び声も高い時代の寵児である。彼の明瞭の推理、見目麗しさ、凛とした美声に国民は魅了され、心酔する。

国民からしてみれば大スター、洒落神戸毒路丸探偵と二束三文の低俗探偵など月と鼈(スッポン)。雲泥万里。天地開闢の訣別がある。

故人を偲ぶそこに、黄泉比良坂探偵事務所の知ったる面々も揃った。猫耳のような癖毛のある好青年は事務所の一切をひとりで取り仕切った事務員兼探偵助手の人三化七猫之助君。それから隣の少女は過去に起こった事件を縁に探偵事務所に出入りしていた憑依系女子高生、夜蝶アゲハ嬢である。

偉大なる霊能探偵黄泉比良坂墓地太郎、死す。人間の物差しでは測れない気宇壮大の人徳は、終生誰からも理解されないまま、寂しく逝ったのだ。

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黄泉比良坂墓地太郎事件簿
「墓地太郎、死す」

作、御首了一
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2、閻浮提から下方に向かって四万由旬


我々の暮らす閻浮提(えんぶだい)から下方に向かって四万由旬ゆじゅん
広大無辺の地獄界に三度の祝砲が鳴る。
「地獄に落ちた野郎共、死鬼衆その数十万人!」

「無間地獄耐久レースの開催death!」

会場の観客席を埋め尽くす百万人の神々が熱狂的に快哉を叫ぶ。
「是!是!」

開催を報せる号砲と共に無間地獄に聳える火の城からは炎熱の熱風が吹いて一斉に十万人の死鬼衆を焼いた。死鬼衆たちは蝋燭の如く燃えた。炎風が肺腑に入り五臓六腑を焼いた。屍人たちは黒煙を上げながら火焔を噴いた。その屍人目掛けて巨大の番犬が遅いかかり、彼らを爪と牙で引き裂いた。
大きな毒蜂が黒雲の如く飛来して、彼らを幾度となく刺した。
大蛇が地表を覆い、屍人を噛んで締め上げた。
巨人が現れて棍棒で彼らを粉々に砕いた。
それら責め苦を味わいながら屍人たちは死んで、滅して、生き返ることを繰り返した。彼らは死体の儘で居ることも、生きる事も許されない。死鬼衆は責苦の中で激甚の艱苦に喘ぎながら常に死に、常に生きた。会場にいる十万人の屍人達の叫喚が谺した。

「是!是!」
彼らの絶恨を見て、如来が、菩薩が、天部が熱狂した。

「嗚呼ーーーッッッーーー!!」
その男はあらん限りの力で悶絶した。痛い、苦しい、痛い、苦しい。痛みは怒りに変わり、苦しみは悲しみに変わる。怨嗟と愁嘆と悔恨、憎悪、凶暴、自棄。それを上回る絶望。
「どうしてこんな目にーーッッーー!!」
何が悪かった。どうしてこうなった。
誰の所為。憎むべき者は。
絶え間無い悶絶の中で男は記憶を反芻する。
が、その間も無く獄卒の鉄棍が男の頭蓋を砕き、男は思考力を無くした。痛み、恐怖、不安という原始の観想が絶苦の嵐の中に狂騒していた。

「さあ……ッッ!無間地獄耐久レース六道杯!位置に憑いてヨーイ、Don!!」

「是!是!」

焼かれる死鬼衆共を六十四の目を持つ巨人達が鉄棍で追い立てる。

「是!是!」
観客席の神様達が歓喜を叫ぶ。

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3、青年が夜道を歩き、黒闇カマラに出会うこと




青年が気がつくと彼は暗夜行路のただ中にいた。
夜の丘陵地帯の真ん中に何処までも続く道があり、彼は路傍に立っていたのだ。暗いから夜、と彼は思ったが夜では無い。
闇なのだ。現に彼は自らの身体が見えている。その覚知は夜の視界ではない。暗い訳ではない。単に空が黒いのだ。
青年は途方に暮れていた。人道の場所ではない。さては此処は霊界だろうか。己は死んだのか。人は死ぬと彼岸に渡る。彼岸とは現世とは何もかもがアベコベなのだ。空が黒いことだってあるだろう。

月と思われていたものが落ちて青年の足元に転がった。柔らかな光を放っている。青年はそれを拾おうとしたが、光玉が逃げた。逃げてまた離れたところで立ち止まり、青年に相対する。捕まえようとすれば逃げて、諦めれば止まる。これは一体如何なる事にやあらん、と青年は考えた。どうも光の玉は生きている。そして、それは己に害意は無いらしい。青年は光の玉から離れてみた。光玉は動かない。近付いてみた。一定の距離を保って光玉は道を進む。
どうやら、光玉は己を先導しているらしい。
青年は結論した。道端の青年には前後が分からぬ。何一つ縋るものがない。光玉の放つ柔らかな光が彼にとっては安寧に思われる。光玉が己を導くというのなら、それに従ってみるのも悪くない。

光玉と共に歩くと路傍に小川が流れていた。
いや小川ではなかった。百足であった。沢山の百足がぞろりぞろりと行進して、それが黒い川に見えるのであった。百足たちは何処へ行くのだろうか。黒虫の川は何処までも続くように見える。
ぞろりぞろりと百足たちが黒川となって流れていく。百足が川になるには幾匹の百足が必要かしら。青年は考えた。星の数、砂の数ほどの百足が青年と歩速を並べている。

闇天の丘陵地帯に続く一本道と、青年と、青年を導く光玉と、道沿いを流れる百足川。

少し行くと道端にバス停留所が見えてきた。いまは彼岸も公共交通機関があるものか、と青年はひとまず光玉と百足達と停留所に向かった。停留所の傍らに粗末な待合所の小屋が、置かれていた。人間の二人も入れば満席の、板張りの小屋に褪せたホウロウ看板が打ち付けられている。誰かがいる。

そこに居たのは黒衣黒髪の美女、黒闇カマラであった。

「僕は自分の名前も分かりません」青年は言った。
「みんな、そんなものよ」
黒闇カマラは言った。
「ここは?バスが来ますか?」
青年は尋ねた。
黒闇カマラは青年の目先が背後のバス停留所にある事に気が付き、
「ああ、あなたにはこれがバス停に見えるのね」と言った。

「バスは来ないわ」彼女は言った。
板張りの待合所から黒影が飛び出して、青年を弾いた。小太りの中年男だ。
「金霊……ッ…!!」
小太りの男は青年を導く光玉を捕まえようとしていた。が、光玉を捕まえる事は出来ない。
「生意気な…ッ!」小太りの中年男は贅肉の弛んだ体躯を弾ませて四肢を投げ打ち光玉に踊りかかった。

青年はその姿を見て、卓抜たる生理的嫌悪に襲われた。こんなに醜悪の生き物がいるのだろうか。何故この御仁が、いや人たるに認めるのも憚られる、見るからに浅ましき貪欲は豚畜生と呼ぶのが相応、だが青年の持つ仁徳に鑑みて、天下平等、人間を蔑むこと勿れ。差し引きして豚男爵と呼ぶのが良かろうか。

「ブフッ……!」
豚男爵殿が地面に転がった。腹底を見たが光玉は捕まっていない。
「コン畜生……ッッ!」

「何をしておられるのですか」
青年は豚男爵に尋ねた。
「貴様のような浅学には分かるまい。貴様が連れてきたその玉はあらゆる吉祥の象徴、有すれば巨万の富を得ると言われる神宝なのだ。土中の金塊から起こった精気を一千年の長きに渡り凝集し、神気を帯びたもの、即ち金霊と申すもの。そのような珍奇のものと何故貴様のような愚鈍の輩が一緒にいるのか知れないが、貴様、それを吾輩に寄越せ……ッ!!」
と言い終わらぬうちに黒髪黒衣の黒闇カマラ嬢が茨の鞭で豚男爵殿を笞った。

「あああ、痛いいい……ッッーーー!」
豚公爵殿は悲鳴を上げた。鞭が豚肉に巻付き、茨棘が豚皮に刺さる。
「ぎいやぁぁッッーーー!」
堪らず豚男は黒髪美女に懇願した
「ずみ゛ま゛ぜぇんッッ……!!……金ならあります!金なら……ッッ!!」
豚男爵は懐から紙幣を差し出した。青年には見覚えのない通貨だ。こちらの世界で流通しているマネーなのだろうか。
「穢らわしい因業め!」
黒闇カマラは鉈を取りだして悶絶する豚男爵の頭を割った。
血飛沫と脳漿を噴血して豚頭は盛大に割れた。頭蓋の型崩れる圧により眼窩より眼球が飛び出し、破砕は鼻腔に到達し豚頭の耳口鼻が血を吹いた。
豚男爵は即死して、筋肉の痙攣が暫くした後にそれも弛緩して死体となった。
一瞬の惨殺劇に青年は戸惑ったがあまりにも黒衣の夫人が平静であるので、豚男爵の死などたいした話ではないのかもしれない、と思惟を始めた。

「行きましょうか」黒闇カマラは言った。
「バスは来ませんか?」青年は言った。
「来ないわ」黒闇カマラは言った。
青年は眼前の道を見た。これよりは峻険の山道が続いている。山を越えるのは骨が折れそうだ。青年は振り返った。来た道は消えている。
ヒイ、イ、と風が鳴る。
屍人の悲鳴のような風音だ。
此処は寂しい。

百足の川に豚男爵の体液が流れて、死臭に釣られた百足たちが豚男爵の死体に群がり始めた。いまや豚男爵の体躯の形の百足の山となって、豚皮の内外に百足が蹂躙している。豚男爵の口からぞろりぞろりと百足たちが体内の内蔵を目掛けて行進する。この勢いであればあっという間に豚男爵など骨だけになるのだろう。
荒涼。懐から零れた沢山の紙幣が旋風に舞って闇夜の中の紙吹雪となった。

青年はそれを見て世の無常を感じるのであった。

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4、黒衣の女とは


偉大夫、黄泉比良坂墓地太郎の通夜式までにはまだ時間があったが、会場には黄泉比良坂墓地太郎を慕うもの達が極々僅かに現れるのであった。

「この町内きっての霊能探偵が御逝去したと聞いてお話を聞きに参りました」
と牟婁伏町のメディアである「病んでるニュース」編集長、牟婁伏小学校6年2組の大牟婁勘太郎少年は探偵事務所探偵助手の人三化七猫之助に取材を申し入れた。
「うーん」
猫之助は困った。
「霊障だ、との噂もありますが……?」大牟婁勘太郎君は言った。噂話に尾ひれが付いて、気付いてみたら訳の分からぬ怪談に仕上がっている事が多々ある。猫之助が何と話をしようとも言葉は切り取られ独り歩きし、故人の伝説に加わるのだろう。果たして故人の名誉の為に如何なものか。かと言って折角足を運んだ小学生編集長に何も申さずお帰り頂くのも、青少年健全育成の配慮に欠けるのではないか……。

「おじさんが何でも答えてあげよう!」
と故人の友人にして、同業を営む賽河原探偵社を営む賽河原地獄彦が言った。地獄彦はサービス精神が旺盛なのだ。
「おじさんは他殺だと考えてるよ!」
地獄彦は言った。目眩。猫之助は頭を抱えた。

地獄彦と少年編集長が楽しく話をしている傍らで、夜蝶アゲハが少年編集長に尋ねた。
「勘太郎君はひとりで来たの」
「そうだよ」
幼い勘太郎が取材の為と称して無茶ばかりするので、勘太郎には近所の幼馴染である年上のお姉さん、御斎美津子という少女が保護者代わりに追従する事が多い。
「変ねえ」
「どうしたの?」
「女の人がいたような気がしたのだけれど」
「係の人だったのでは?」
係の者でもない女御が黄泉比良坂墓地太郎の葬儀に参列するなど、有り得べく筈も無い。それくらいに墓地太郎の毒臭は女御に害悪なのであった。
牟婁伏町の歩く公害、それが黄泉比良坂墓地太郎なのである。

「私もそう思ったのだけれど」
「どんな人?」
「黒い髪の綺麗な、黒服の……」

「成程、呪殺!」と地獄彦と話をする少年編集長の筆記が捗る。彼の手刷りの新聞、「月報、病んでるニュース」の次号の一面は決定した。牟婁伏町の小学校に掲示されるだけの小さなメディアであるが子供たちの情報伝播力は馬鹿にならない。子から親へ、親から町内へ。たちまち墓地太郎の死の真相?は広まるだろう。
「時におじさん、」と少年編集長の目が光る。
「なんだね?」とおじさんの目も光る。
「墓地太郎氏が亡くなる直前に黒い服で黒髪の女の人と一緒にいた、という証言がありますが?」
「なんだって!?」地獄彦が大仰に驚いた。
「なんだって!?」猫之助が素っ頓狂に驚いた。
「何ですって!?」夜蝶アゲハが凄絶に驚いた。

それこそ、「有り得べく筈もない」椿事である。墓地太郎の近くに居て平気な女御など居る筈が無い。断じて居ない。絶対に居ない。

「黒髪……?」
それは先程、夜蝶アゲハ嬢が見かけたという女性にも通じる。
自分たちの知らない所で何かが起こっている。黒衣の女?猫之助は訝しむのであった。

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「大変だ!」一度、事務所に帰った猫之助が葬儀場に戻り珍しく血相を変えた。顔面が蒼白と青褪める。

「どうした」地獄彦が言った。
「事務所のお金が無くなっています……」
金庫に入れてあったはずの事務所の通帳と印鑑が無くなっている。
「盗まれたの?」
「そうとしか……」
犯人など決まっている、我らが怨敵、鬼畜探偵豚太郎に他ならない。
「あのクズ……!」夜蝶アゲハが歯噛みした。
「いや、まだ決まった訳では……」
「他に誰がいるのよ……!」
所長自らの手により事務所の金が横領され、犯人と目される所長は原因不明死。
「でも帰ってきた所持品には通帳も印鑑も無かった……」
「まさか一緒にいた女が持ってる……?」
墓地太郎が女と逢瀬していたという椿事に、興味本位も手伝って騒然としていた一同であったが、こと金銭が絡むに至り、俄然自体は切迫性を帯びた。葬儀ホオルでは既に墓地太郎の祭壇が組まれているにも関わらず、支払の原資たる事務所の金銭が紛失したのだ。
このままでは?
「自腹?」
「嫌よ!」
悪徳探偵豚太郎の為に、一銭とて自費は支出したくなどない。彼らは香典すら用意が無いのであった。
消えた事務所の預金の手がかりは今のところ、墓地太郎と一緒にいた黒衣の女に聞くしかない。
「探そう」猫之助は言った。黒衣の女を。きっと黒衣の女が消えた金銭の手がかりを持っているに違いない。葬儀代が払えないのは困る。

「事件ですね!」
屍人の犯行!?
黄泉比良坂探偵事務所盗難被害。犯人は悪徳と名高い所長自らか!?
塾に向かおうとしていた大牟婁勘太郎少年のペンが疾駆と走った。
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墓地太郎が黒衣の女と共に居たという話は難なく裏が取れた。
洒落神戸探偵の助手、閻魔ドロン氏もまた墓地太郎と黒衣の女との密会の目撃者であったのだ。

「あれはネエ……」閻魔ドロン氏は語る。
墓地太郎が喫茶店に座っている。その前に黒衣の女。
「依頼人の話を聞いているのかと思ったヨ」
だがそんな依頼人はいなかった筈だ、と猫之助は思う。
「でも不思議なのはネエ……」
閻魔ドロンの開襟シャツから覗く金髪の胸毛が気になる、と夜蝶アゲハは思う。

デモ不思議ナノハ……墓地太郎はずっとモバイル端末を見ていて、ちっともオンナノヒトと話をシナイ。オンナノヒトもズット黙っているし、恋人同士にしても変な感じデシタ。

「おっぱいのサイズは?」
猫之助は聞いた。
「何言い出すのよ」夜蝶アゲハが噴飯した。こんな時におっぱいなど。
だが、それもまた大事なキーワードなのだ。墓地太郎は複雑怪奇の生い立ちから母性に対する撞着が執念じみていて、特に女性の胸への偏執は異常性を発揮していた。詰まる所、墓地太郎はおっぱいの大きな女性にしか興味が無いのだ。
それ故に生前、探偵事務所ではまず依頼を受けるかどうかは依頼人が女性であればおっぱいのサイズで決まるという悪癖があり、依頼を引き受けるにしても墓地太郎の粘着的な視線から逃れる事は困難。それらの苦情を処理していたのが猫之助である。

「おっぱい小さかったデス」
閻魔ドロン氏は言った。
新たな謎が増えた、猫之助は思った。

「あ」
「あ?」

「思い出しました。墓地太郎は、女性に対して突然怒り出したんです。喫茶店のテーブルを叩いて、フザケルナ!もう終わりだ!と言って女性を置いてお店から出て行ってしまったんですよ」

「そんなショッキングなシーンをどうして忘れていたんですか?」
「ボク、ソレ見てなくて。ラバトリーに入っていたので。出てきたら墓地太郎の座っていたテーブルには誰も居なくて。でも隣の客がそんな話をしているのを耳にしたんです。さっきの男の態度ってすごくない?とか」

ううむ、二人は痴話喧嘩をしていた?

美容室「髪切虫」の客の桜田さん
「あの評判の悪い探偵がね!まさか女の人と一緒に歩いてるなんて!もの好きの姉さんもいたものね!で、私も話の種になるかと思って少し後をつけたのよ。そうしたらあの男ったら笑っちゃうわよねえ」

信号となれば必ず赤信号。立ち止まれば鳥の糞が大量に飛散。カラスに襲われる。自販機の前では財布を落とした事に気がつく。何も無い所で転ぶ。転んだ拍子に脱げた靴が犬に奪われる。買い物主婦の自転車がぶつかりネギが目に刺さる。そこに来てゲリラ豪雨で傘が無い。

「あんなに運の悪い人間がいたものね!ちなみに私は傘を持ち歩いているから大丈夫。やっぱり日頃の備えよねえ」

「それで、隣の女の人はどうしてたんですか?」
と猫之助に尋ねられ、桜田さんは虚として黙した。
「はて……?」
「はて?」
「おかしいわね、あの男が女と一緒にいるから面白くて尾行したのに……、」
「のに?」
「覚えてないわ」と桜田さんは断言した。
「覚えてない!?」
そんな事があるだろうか?いや、オバチャンだから仕方ないのか?
だが、桜田さんが墓地太郎を尾行した契機が黒衣の女御にあるのならば、黒衣の女が墓地太郎と一緒にいたのは間違いないのだろう。

「それで、その後どうなったのですか?」
桜田さんは尾行を続けたのだろうか?

「それが出来なかったのよ」

何故なら墓地太郎がその場で昏倒して、救急車で運ばれたから。
「駅前はちょっとした騒ぎだったわよ」

人が集まり騒然とした中に救急隊が来て意識不明の墓地太郎を運んだのだと言う。

「それで桜田さんはどうしてたんですか?」
「あたし?あたしは写真撮ってたのよ」
「写真ですか?」
「スクープだと思って」

「その写真見せて貰えませんか?」
少年編集長、大牟婁勘太郎君が言った。
「いいわよ……」と桜田さんは言ったが……
「消しちゃったのかしら……」
と写真が見つからないらしい。
「スクープだったのに」大牟婁勘太郎君が言った。
スクープでは無いよ、と猫之助は思った。
しかし、死亡直前の墓地太郎が救急車で運ばれた事など猫之助は知らない。ましてや救急車で運ばれた墓地太郎が何故博多行の新幹線になど乗っていたのだろう?何もかもが分からないのであった。

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大牟婁勘太郎少年編集長を迎えに来た御斎美津子から猫之助は墓地太郎が新幹線に乗る直前の様子について話を聞く事ができた。

勘太郎が故人が黒衣の女御と逢瀬していたことを知ったのは御斎美津子の目撃談によるものであった。

「あの日私は雨の中……」御斎美津子は話を始めた。
「勘太郎君が塾から帰るのを待っておりました……」
それを聞いた大牟婁勘太郎少年は大いに驚いた。
「えっ……ッッ……!」
彼の、少年の小さな眼球が見開く。
「お姉ちゃん……ッ!僕、お姉ちゃんがいた事なんて、知らなかった……よ……ッッ!!」
美少女、御斎美津子の口元が歪み、口端から笑みが零れた。
「フフ……フフフ……アハハハハハ……、勘太郎ちゃんたら……!」
陰のある黒髪の美少女といえば御斎美津子もまたその一人に該当する。だが、彼女は常に大牟婁勘太郎に同行しているので、墓地太郎との接点はない。
一頻り笑った後に御斎美津子は言った。
「ああ、おかしい……、勘太郎ちゃんたら……。だって私、勘太郎ちゃんのお母さんに頼まれて、陰から見守っていただけなんだもの。勘太郎ちゃんに気付かれないようにしていたのよ……ッッ!!」

御斎美津子はいつも勘太郎の傍にいて勘太郎を見守っている。その日もまた御斎美津子は勘太郎を背後から見守っていた。
雨が降っていた。御斎美津子は傘を持っていなかったので、ずぶ濡れになった。勘太郎までが傘を持っていなかったらどうしようと御斎美津子は不安になった。幸い、勘太郎は傘を持っていた。
「偉いわ……ッッ、勘太郎ちゃん……ッ!」御斎美津子は安堵した。

勘太郎が歩く少し後ろを御斎美津子は尾けて歩く。

「その時です……」
御斎美津子が墓地太郎を見たのは。
「駅の構内に入って行きました。そのすぐ後ろを黒い服を着た女がついて。」

御斎美津子は話し終えた。
そして。

「それだけ?」
猫之助が尋ねた。
「そう」
御斎美津子が言った。

猫之助は話を整理した。駅の構内に黒衣の女と墓地太郎が一緒に?

「ちょっと待ってください。」
猫之助が言った。
「所長の後ろに黒い女の人が歩いていたからと言って、それが共連れであるとは限らない。ましてや逢瀬など……!」

「成程」御斎美津子は言った。
「逢瀬と思われる他の要因があった筈です」
「ええと」御斎美津子は再び話し始めた。

そういえば。
女の人が墓地太郎の肩に手を置いていたんです、歩きながら。

「肩に手を置く……?」
「はい……」
肩に手を置いて歩く間柄は恋人同士でもないような気もするが……他人では無い。
「逢瀬、かなあ?」
話を聞いていた夜蝶アゲハも半信半疑だ。
「肩に手を置きながら浮いてました」
「浮いて……?」
「浮かれて、ということ?」
「いえ、こうフワフワと」
「物理的な意味合いで?」
人間は逢瀬に於いて気分が盛り上がっても浮かない。墓地太郎と逢瀬という異次元展開に時空が歪んだのだろうか。
「でも、ここまでの話を聞けば確かに所長はひとりでは無かった。そして所長が死んだ時にはもうその女は消えていた……」
「ん?その女が墓地太郎を殺したということ?」
「俺は他殺だと思う、絶対!」地獄彦が言った。勘太郎少年が手早くメモした。
「絶対!他殺!」地獄彦が重ねて言った。
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数々の証言を集めたものの、謎は何一つ解決しないのであった。
「そういえば」と猫之助が言った。
「急に祭壇を組み始めていました」
「どんな?」
「お餅を供えていたような…確か百人一首の……」
「何?」
「小野妹子から連なる小野一族の後裔で……」
「誰?」
「地獄と現世を行き来していたと云う……」

「最近、アイツ、FXをやってたんだよ」
「FX?」
「そう、仕事もしないでずっとケータイ見ながら、ああじゃないこうじゃないと……」
「外国為替証拠金取引?」
「そう、なのかな?」

アゲハによると高レバレッジのFXに手を染めていたらしい。
「何をやっても混沌癖がある奴が資産運用なんて自殺行為だ」地獄彦は言った。
「マネ活流行ってますからねえ」
「ん?それで会社のお金にまで手を付けてしまった?」
「吾輩の豪運を見給えとか言って、損はしてなかったみたいだけど…」
一寸先は破産が待ち構えているのが外国為替証拠金取引なので、儲かるかどうかは何とも言えない。

「そういえば最近、墓地太郎から変なものを頼まれたんだよな」と地獄彦
「どんなもの?」
「紙銭」
「紙銭?」
「中国の葬式なんかで使うんだけどさ、紙で作った霊界用の通貨でさ……」
紙銭を燃やすとあの世の家族に届くのだと言う。沢山の紙銭を備えるほど、死者の罪が軽くなり、良い輪廻が得られるのだと言われる。
「要するにあの世で使える賄賂的な……」
それを大量に購入したのだと言う。
「尋常じゃない量というか……」
「あ。それ、燃やしてるの見たよ。その小野…の祭壇で。」
「なんで…?」
「さあ?」
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5、青年が三途の川を渡り小野篁に出会うこと


バス停留所で殺された豚男爵の死体に夥しく百足が群れて豚肉を貪り喰らう。肉片と化した豚男爵を置いて青年と黒衣の女、黒闇カマラは金霊の導きに従って先を進む。

「この道は何処に進むんですか?」青年は尋ねた。
「もうお分かりかと思うけれど……」
と黒闇カマラは言った。
「あなたはもう死んでいるのよ!!」
「……ええっ!!」
と、青年は驚いてみたものの、自らの置かれた状況を鑑みれば、それは極々自然と理解出来る。やはり青年は死んでいて、彼岸に渡っているのである。

・己は何故死んだのだろう
・生前の己は何者であったのか
・何故己は記憶が無いのだろう
・己は何処へ行くのだろう

数々の疑問が頭脳に浮かぶ。しかし、最たる不安は生死の問題ではない。他界観の問題だ。仏教に於いて地獄とは六道の最下層に位置して、古代仏教によればそれは八層の地獄から成り最下層の地獄は無間地獄。斯く地獄は2000年の自由落下の末に到達し、刺され裂かれ、焼かれること一中劫、即ち349京2413兆4400億年の長きに渡り殺され続ける。
記憶を失った青年が生前に於いて如何なる咎を負っているか知れず、ともすれば罪状無間地獄の刑にて、青年がこれより
349京2413兆4400億年の惨殺刑に処せられるとあれば、青年の歩速はもう一歩も進まないのであった。

いま青年はダンテの神曲の如く、古代ローマの詩人ウェルギリウスならぬ黒闇カマラによって地獄を案内されようとしている。だが、ダンテは生きながらに地獄を案内されたのであり、現世への帰還は約束されていた。が、青年は既に死んでいるので、地獄に堕とされたならば、それが無間地獄であろうとコキュートスであろうと救われないのだ。
「僕はどうなるんでしょうか」
死にたい、苦しむくらいならば。青年は思った。だが青年は既にして死んでいるのだ。

「ダ、メーーーーッッ……!!」
豚男爵が黒霧の淀みから発生して青年に告げた。
「貴様は地獄、イ、キィィィーーーーッッ!残、念……ッッーーー!!」
と醜悪の笑みで青年に言うや否や……
「ポゴ……ッッ……!!」
黒闇カマラが豚男爵の両眼をくり抜き、破砕機械で挽肉にした。

「ア゛ア゛ア゛ーーーーッッ!!だずげでぇぇッッーーーー!!」
粉骨して豚男爵はミンチされ、骨粉と挽肉はまたもや百足たちのご馳走と化した。

「安心して」黒闇カマラは言った。
「私があなたを守るから!!」名前の無い青年は、初めて彼女を正対して凝視した。迷いの無い誠実の眼。清純の眼光。清廉潔白の顔相。

「嗚呼、己は君を信ずる」
青年は心裡に思う。

「ゲヒャヒャ……児戯児戯児戯……」
豚男爵の亡骸が嗤ったが、百足達が彼の者の口を塞いで彼の声は途切れた。

そうこうして青年と黒闇カマラ、そして光玉は山陵を越えて道中の行く末である河原に出た。
百足川はこの川に合流しているのであった。道中共にした百足達が機械搬送的に入水していく。
「さようなら」青年は百足たちに言った。
少女たちの霊魂が、河原で小石を積んでいた。だが丸みを帯びた石礫は詰んだ所で転々と崩れるのであった。少女たちは泣きながら石を積み、積んでは崩れてまた泣くのである。

「不憫だ!」青年は鬼哭した。
「彼女たちを助ける事は出来ないだろうか」

積み上げては崩れる石礫を前にさめざめと少女が泣いている。その石礫を進んで壊す地獄鬼の如き者がいる。

羯諦ぎゃーてい羯諦ぎゃーてい!」と喚きながら少女の積み石を蹴るのは豚男爵。小太り中年丸眼鏡の悪鬼であった。

「あいつ、また生き返ってる!」青年は言った。
「しぶといわね」黒闇カマラは言った。
「おい、豚野郎」カマラは言うなり、笞刑を与えた。
「何をするか!」小太り中年丸は言った。
「子どもらを苛めるんじゃない!」
「苛めるとは心外な!吾輩は世情の厳しさを教えているのだ!言わば之は教育……ぶひぃッ……!」
黒闇カマラは小太り中年丸の手足を釘打して、固定された四肢を鋸で挽いた。

「ギィィィッッ……いだぁああいッッ……!痛あ゙あ゙あ゙ッッーーーー!!」
小太丸はジタバタ暴れてあらん限りの力で逃れようとしたが、釘打たれた四肢は外れること叶わずに、悶絶の末、小太り丸は泡を噴いて死んだ。こんな人間になってはいけない、と改めて青年は道徳心を強くするのであった。

「さあ舟に乗りましょう」と黒闇カマラは言った。「渡河賃を出して」
青年は金銭を持っていないので大いに困ってしまった。
人間は死んで七日目に三途の川を渡ると言う。渡るための船賃は六文である。葬儀が行われた者は荼毘に伏す前に渡河賃として六文銭を渡される。だが青年は死んだ記憶を失っていて、正しく六文銭と共に供養された覚えがない。つまるところ無一文の亡者である。青年は自らが無一文である事を恥じるのであった。
「お金なんて持ってないよ」青年は言った
「本当?よく探して?」カマラは言った。
「吾輩はあるもんねぇ……ッッ!!」復活した小太り中年丸が札束を見せびらかした。

巨大な奪衣婆と懸衣翁がやってきて、渡河賃を求めた。
「そら金だ!貧乏神め!」と小太り豚丸は紙幣をバラ撒いた。「拾え!拾え!」とそんな態度が奪衣婆らの不興を買って生皮を剥がされた。

「痛あ゙ああいいいーーー……ッッーーー!」

青年はいよいよ困ってしまった。
六文銭が無ければ自らも生皮を剥がされるのだろうか。
「いいえ、」黒闇カマラが言った。

六文銭が無ければ三途の川の一番深い所、江深淵なら歩いて渡る事が出来るのよ。

江深淵は川底に大蛇がおり、歩く者を食らうという。また常に鬼が見張っていて、川面から出た人頭を叩いて沈めると言う。

「ええ、、、」青年は項垂れた。そのような難所を渡河出来る自信がない。
「ゲヒャヒャ貧乏人め!」生皮を剥がされた豚男爵が青年を嘲笑った。

と、その時。
巨大な足が天から降りて、豚男爵を踏み潰した。
「ぎょぷッッ……!」豚男爵は肉片と化して四方に散った。亦た、豚男爵の紙幣が旋風に舞った。

豚男爵の血飛沫を拭いながら、その鬼足を見上げると巨人の官憲である。紙幣舞う紙吹雪の中に官憲は小さくなって青年に挨拶をした。
「小野篁よ」
カマラが青年に言った。
「この紙幣、渡河賃として確かに預かりましたぞ」
「いえ、それは僕の金ではない。」
「貴方のでは無い?では誰の?」
「人格が低廉悪逆の小太丸眼鏡の中年男性のお金です」
「その御仁は今何処に?」
「たった今、踏み潰されて消えました」
と青年は説明した。
小野篁は周囲を見回して「ふむ」と唸った。
「どうも貴方様は不思議な縁でこちらに参った様子。それに、とても高潔の御仁とお見受けする。幸いに沢山の金銭も受け取った事だし、よろしい、特別の計らいで私が渡河に協力しましょう」
小野篁は青年たちを型に乗せて彼岸に渡した。
「今後もお困りの事があれば、どうぞ私をお呼びなさい」
青年は小野篁から小さな鈴を貰った。
「それを鳴らせば、参りますので」

それで青年とカマラら無事に三途の川を渡る事が出来た。
「吾輩を置いていがな゙い゙でぇぇ……ッ!」
黒豚眼鏡丸が言った。青年はゴキブリのごとき黒豚眼鏡丸氏に幾許かの同情を覚えたが、黒闇カマラ嬢は、あれは悪鬼の類なので一寸の同情もしない方が良いと説明をした。
「煩悩という奴は幾らでも増えるのよ」
むしろ調伏するために奴の姿を見たらすぐに退治した方が良いらしい。
「だって増えたら困るもの」黒闇嬢は言った。

—--

6、数日前に黄泉比良坂探偵事務所に安楽死優美が訪れたこと




「本来なら貴様らに協力する義理はないが……」
警視庁の勅使河原鬼一警部補は言った。
「被害者の遺族だよ」
夜蝶アゲハは言った。
「お嬢ちゃん、彼奴の死に事件性は無いんだよ」勅使河原鬼一警部補は複雑の顔で言った。彼らの筆頭であった黄泉比良坂探偵事務所の所長が死んだ。長らく警察との確執を抱えていた男だけに関係者全てに苦手を感じるが、所長以外は善良の人々であることを勅使河原警部補も重々承知している。にも関わらず依然として彼らの一挙手一投足に身構えてしまうのは、所長の業が苛烈であった故である。

新幹線で心臓が停止していた黄泉比良坂墓地太郎氏が病院に救急搬送された時、彼の所持品は衣類の他に何もない。

これは彼が所持品を入れた黒牛皮の鞄を遺失していたからで、後に篤実の市民が鞄を拾って交番に届けたため、それが分かった。

勅使河原警部補は語る。
「鞄が落ちていたのは、喫茶如月駅の店内であった、と拾得者の話から報告を受けている。また実際に警察が喫茶如月駅に尋ねたところ、故人が喫茶如月駅を利用していた確証も取れている。鞄の中には財布の他にモバイル端末など数点の身の回り品があるだけで、通帳や銀行印は入っていなかった。」

更に財布の中には紙幣と小銭、保険証、数枚の店舗カード、クレジットカードが入っていた。通帳や銀行印だけが抜き取られた可能性は薄いと考える。

「このメモは?」
「何のメモだろう?パスワード、かな」

搬送された病院はD塔病院。
新幹線がZZ駅を出発して直ぐに異変が発見されたため、次の駅で待機していた救急隊が病院に搬送している。奇しくも故人は同日の日中にも同じ救急隊によって同じ病院に搬送されていた。

尚、目撃証言が寄せられている黒衣の女については病院はその姿を把握していない。

その代わり、日中の搬送時に当人の身元引受け人として現れたのは白いスカートにカーディガンを合わせた春コーデの女性である。

「ん?新キャラ??」
「今後は白服の女??」
「何?モテ期なの??」

勅使河原警部補の話を聞いて猫之助たちは益々混乱した。

—----
D塔病院救急棟の看護師、内沈ミゲルから黄泉比良坂墓地太郎を引き取ったという白服女の特徴を聞いて夜蝶アゲハには心当たりがある。

遡ること五日前。
夜蝶アゲハが猫之助に会いに探偵事務所を訪れると、生憎、猫之助は不在であった。その代わり探偵事務所所長の墓地太郎が居た。

「臭い!」アゲハは言った。事務所の中に墓地太郎の匂いが充満していた。生ゴミの匂いだ。
「出てけ!」墓地太郎は言った。
夜蝶アゲハが帰ろうとした時に、探偵事務所のドアーが開いた。
現れたのは白い春コーデの女であった。フワフワ系の女御である。
「なんかぁ……臭くないですかあ?」と女御。

夜蝶アゲハは墓地太郎の匂いを消臭するためのスプレーを散布した。
「何かご用ですか?」夜蝶アゲハは言った。墓地太郎に喋らせると何もかもが上手くいかない。閑古鳥しか鳴かない事務所に折角来た現金を逃がす訳にいかない。墓地太郎が野垂れ死ぬのは一向に差し支えないが、猫之助が路頭に迷うのは可哀想だ。

「吾輩の客だぞ」墓地太郎が夜蝶アゲハの背後で喋った。
「後ろに立つな、キモ太郎」アゲハは小声で叱咤した。
「お前が応対するな、帰れ」と墓地太郎が言った。小声だ。極度に人見知りの墓地太郎は既に見知らぬ客の訪問に萎縮が始まっている。そんな人間に接客を任せる訳にはいかない。
「お」
墓地太郎が言った。
「おっぱいが大きい、ナ」
何故か急に大声になる。対人技術が皆無のため、声音の階調が調整出来ないのだ。
「死んでくれ!」夜蝶アゲハは思う。

「今日はどうされましたか?お話聞きますよ」
女性は不安そうに夜蝶アゲハの背後にいる汚物を眺める。
「ぐふ」キモ太郎が愛想笑いをした。
思わずアゲハは墓地太郎に消臭スプレーを散布した。
「げぇぇ……ッ、何をするか!」
「あ、ゴメン!つい……」夜蝶アゲハは謝った。それ程、キモかったのだ。

白服の春コーデの女、安楽死優美あらくしゆみは語る。
「ちょっとぉ、最近、貧乏神??に取り憑かれちゃってえ、みたいな?」

安楽死優美は平素、主に仲良くしている知人男性達から授受する金銭によって生計を立てている。それで満足な金額を得ることは難しいが節制しながら謙虚の気持ちを忘れずに清貧の暮らしをしているのだと言う。

「やっぱりぃ、程々が大事?だと思うのお」

ところが、安楽死優美に金銭をくれる殿方たちが最近になって毎月の授受金の減額を申し出始めたのだ。

「数人なら良かったんだけどぉ……」

このままでは安楽死優美は人たるに値する生活も維持できなくなる。かと言って知人男性たちにも無理はして欲しくないのだ。彼らには末永く健康でいて欲しい。

「貧乏神がついてると思うのよぉ……」

夜蝶アゲハは真剣に話を聞く振りを見せながら、眼前の春コーデが何を喋っているのかひとつも理解出来ない。夜蝶アゲハの知っている世界ではない。墓地太郎は理解出来ているのだろうか。チラリと彼女は背後のキモ男を一瞥した。

鼻息が荒い。墓地太郎は興奮しているようだ。
「キモイ!」夜蝶アゲハは消臭スプレーを投げつけた。
「痛い!」墓地太郎は言った。

「え、何!?」春コーデが言った。
しまった、と夜蝶アゲハは動揺した。何を言っているか分からない春コーデと、女狐に欲情するキモ太郎。どうしてこの難局を乗り越える事が出来るだろうか。そもそもこの貧乏神なんたら、という依頼は成立するのだろうか。

シナを作って色気を振りまく春コーデに金銭を巻き上げられた男たちの生活が破綻を迎えただけであって、貧乏神云々の話ではない、どう考えても無い、絶対。この女の頭は膿んでいる!と夜蝶アゲハは考える。

が、

「憑いてますぞ」黄泉比良坂探偵事務所所長にして稀代の霊能者黄泉比良坂墓地太郎は言った。
「ウソぉ!」夜蝶アゲハは言った。ここにも頭にウジが湧いた男がいる。墓地太郎の鼻の穴が広がっている。
「吾輩に任せれば何でも大体大丈夫!」
周囲に漂う生ゴミ臭が強まって、夜蝶アゲハの催す嘔気が酷くなった。
「おぇぇ……」
堪らずアゲハはえづいた。
「噴破、噴破!」
探偵事務所所長の鼻息は益々荒くなり、
「早速除霊して進ぜよう!」と。

依頼人である安楽死祥子を椅子に座らせて、「噴破!」とキモ太郎は脂の乗った芋虫のような指で彼女の肉体に触る。

「キモ!」ブヨブヨとした指の感触を想像してアゲハは言った。
その芋虫は女御の肩から首筋、鎖骨にかけてリンパの流れを整えながら肉体の起伏を上下になぞる。
「噴、噴、噴」
鼻息を荒げている。時々大きく鼻から息を吸い込むのは安楽死祥子嬢の匂いを嗅いでいるのだと思われる。芳しい女人の匂いである。

「ぶふふ」そうして口角が上がり締まり無く薄ら笑いを浮かべている。

「ふふふ」と、安楽死優美も満更でもない様子。
私だったら死ぬ!と夜蝶アゲハは思う。かつてこの探偵事務所に誤って闖入した依頼人女性たちも等しく墓地太郎の汚穢に耐える事が出来ずに逃げ出してきた。墓地太郎は万人にとってキモイ。それは真理である筈だのに、墓地太郎と春コーデの乳繰り合いが成立している?一体、自分はいま何を見ているのか。

大人の、世界なんだろうか。アゲハは考えた。
職業、つまりはプロ意識なんだろうか。社会に生きる営みの実直を見ているのだろうか。

「祓えましたぞ」
霊能探偵が言った。
「肩が軽くなったわ」
女御が言った。

「お代が必要かしら?」安楽死嬢が言った。
「必要よ」アゲハが言った。ここで口を挟まねば、良い格好を見せたい豚太郎が相談料を反故にしてしまいそうだ。
「いや結構」
豚太郎が言った。
「結構じゃ、ない。霊能相談は五千円です。」
「帰れ、小娘。……近所の小娘が悪戯しに来るのですよ。こいつは部外者ですカラナ。本当にお代は結構ですよ」
「でもそれじゃ悪いわ」
「何の何の」
「では、オジサマもぉ、私に貢ぐ殿方の中に
ぃ、入っちゃう?」と安楽死嬢は言った。

「うーん、入っちゃう!」と豚太郎が言った。
「おおい!」アゲハは止めようとしたが、豚太郎に押しのけられた。

「きゃ、本当?これからも相談に乗ってねん?」
「いいとも!」
アゲハの前で二人は連絡先を交換した。

—----

なんて事があったのよ、と夜蝶アゲハは言った。
「最低だな……」地獄彦が言った。
「もしかして事務所のお金を貢いじゃったんじゃないか?」
「ええ……?」ありうる、と猫之助は思った。本人の使い込みにより、本人の葬儀代が賄えない。もういっそ逃げてしまいたい。
「闇ルートでコイツの死体とか売れるんじゃないか?」
「こうなった以上、それも良案なのかもしれない。」

などと猫之助が逡巡、考えていた時に。

「キャァァーーーーッッ……!!」
やおら、女人の悲鳴が上がるのであった。
—--

「キャァァーーーーッッ……!!」
やおら、女人の悲鳴が上がるのであった。
悲鳴を上げたのは夜蝶嬢である。

「どうしたの?」猫之助は嬢の元に寄った。
「死体が動いてる……ッッ!!」
「ええっ……!?」
と猫之助と地獄彦が棺桶を覗いたが、
「動いて……る……?」
どう動いているのか分からない。
「口の形が違うのよ」とアゲハ嬢。だが、所長の死体の口の開き方まで猫之助は覚えていない。
「時間が経つと硬直して変わるんじゃないか」と地獄彦。そんなこともあるかもしれない。

「それよりも」
「それよりも?」
「金策だよ」と猫之助。明日には火葬を終えて請求が発生してしまう。
「死体を持って夜逃げする?」
「それなら死体は置き去りでも良いのでは?」
「やっぱり闇ルートに……」
「自分たちで焼いて山にでも埋める?」
「火葬はやっぱり火葬場でないと……」
「霊能力があったんだから、死体に有効活用の方法は無いものか」
「夜に光るとか?」

などと緩慢な雑談に興じていると……、夜蝶嬢が蒼褪さめて絶句している。
棺桶の中を注視したまま、猫之助の肩を叩く。
「ああ……ッッ……!!」
今度は猫之助が驚きの声をあげた。
どうした、と寄った地獄彦もまた。
「あ、あああ……ッッ……!!」
と仰天するのであった。
棺桶の中には墓地太郎の亡骸が納められている。故人の顔が拝めるように棺桶には窓があり、多分に漏れず墓地太郎の尊顔が其処には覗いているのであった。
が、
墓地太郎の額に、先程までは無かった文字が浮かび上がっているのであった。

皮膚を掻いたような条創が幾筋か伸びて文字見える。
「ム リ ー」

「ムリー?」
「そう読めるな」
「何これ?」
「もしかしたら……」と猫之助は言う。
「所長には全て今の話が聞こえていた?それで霊界からメッセージを?」
「なんだって……!?メッセージ?」
だが、「ムリー」が何のメッセージなのか一同には分かり兼ねるのであった。

「さっきは何の話をしていた?」
「夜になったら死体が光るとか?」
「それが無理ってこと?」
「さあ……?」
浮き出た文字は墓地太郎からのメッセージなのだろうか。墓地太郎は如何にかせん。何一つメッセージは伝わらない。

「死んでもコミュ障か……」地獄彦が言った。

などと無駄話をしていた所に美容室「髪切虫」の上桐さんから連絡があった。
「桜田さんがそちらの所長が救急搬送された時の写真を見つけたのよ」
と、写真をアゲハのモバイル端末に送ってくれた。

が。
「この写真、ヤバくない?」
墓地太郎と救急隊が写されている。それを取り巻く群衆。それから墓地太郎を覗き込む黒衣の女。

「あ、これはヤバい」と猫之助。
黒衣の女は浮いているし、透けている。
「霊だ!」
あまりにも誰彼の目にハッキリ見えていたのですっかり人間女性だと思っていたが、墓地太郎は黒衣の女霊に取り憑かれていたのだ。

「人間の女性が墓地太郎と一緒に居て平気の筈がないもんな…」
一同は得心を得たのであった。

「いつの間に?」墓地太郎は霊に取り憑かれたのだろう?性根は腐っていても稀代の霊能者である。並大抵の霊が叶う筈がない。

「あ」とアゲハ。
「何?」
「もしかして春コーデを除霊した時の?」
「先程の話?貧乏神に取り憑かれたとか?」
「そう、その貧乏神……」
「これが……?」
再び黒衣の幽霊を見る。貧乏神、には見えないが……不幸の陰気は十分に、写真からも溢れている。

「あ、」と墓地太郎のモバイル端末を触っていた地獄彦が言った。
「開いた」
モバイル端末に組み込まれたアプリケーションの多くはパスワードが掛かっていて開くことが出来なかった。

「財布の中にパスワードみたいなメモが入っていたじゃない」
そのパスワードを使って開くアプリを探してみると、最近ハマったというFXだ。

「ぎょ」
レバレッジ25倍で購入したポンド・円のペアが大暴落して、取引がロスカットされている。
「1000万円が融けてる!」
「そんな大損を!?」
「何やってんだ豚太郎!」

その時、墓地太郎の通帳からの予約振込が完了した通知が届いた。
「300万円を振り込んだって通知が!」 
「誰に!?」
「安楽死優美だ!」
春コーデ女の安楽死嬢墓地太郎は高額の金額を振り込んでいた。
「何やってんだ豚太郎!」
何を言われたのか知らないが、豚太郎が女狐に騙されて大金を貢いでしまった。
「死ね!」
「死んでる!」
豚太郎の電話が鳴った。それに出る猫之助。
「もしもし黄泉比良坂墓地太郎探偵事務所ですが……は?返済?……借金……??事務所が抵当‎……??」
事務所を抵当に入れて1500万円の借金をしたらしい。
「年利が20%!?」

—---
D塔病院看護師、内沈ミゲルからの話。

「本当は退院などさせられる状況では無かったんですけれど」
救急車で運ばれた墓地太郎は高熱に犯されており、肺炎の診断が下った。更には倒れた衝撃からは左足の橈骨が骨折。歩く事も困難。

「いつの間にそんなにボロボロに?」
「やっぱり貧乏神に取り憑かれたから?」
「財布を落として保険証も無い状態で、医療保険が適用されずに十割請求……。」
「地味に手痛い出費……」
「病院から出た途端にカラスに襲われておりましたね……」
「可哀想……」

—---

七、五人の王による十王裁判が始まること


青年たちが夜道を進むと石畳の広場に着いた。

その入口で青年は大きな音が地の底から響くのを聞いた。石畳の広場の周囲には高さ千尋に達しようかと云う五本の石柱が立っている。

地底から響く地鳴りは轟を増して、地平は激震に揺れた。青年たちは立っている事も出来ず地に膝を着けて這伏した。
「なんと恐ろしい地震だろう!」
轟の中で青年は言った。
「これから地獄の審判が始まるのよ!」
カマラが言った。

そして青年はそれぞれの石柱に巨大な五人の地獄の王が参内したのを見た。
「これより裁判を始める」
地獄の王たちの声が山々に響き、空気は雷震して紫電の筋が幾条も走った。その衝撃で青年は後方に弾き飛ばされる程であった。
後方に飛んだ青年の身体を黒闇カマラが受け止めた。

「貴様の罪を告白しろ!」
五王の一人、秦広王が質した。王達の声で山々が揺れる。巨人達の威圧を前に立っているだけで精神力が削られる。

「汝、殺生の罪は有哉」秦広王が質した。
「偸盗の罪は有哉」初江王が質した。
「邪淫の罪は有哉」宋帝王が質した。
「十善戒の罪は有哉」五官王が質した。
五王に対して黒闇カマラと小野篁が青年を弁護した。
「この者は一度も罪を犯した事はありません」
「本当か」閻魔王が質した。
いつの間にか青年の両側に二人の童子が立っており、青年の咎について証言した。
「大王様、本当でございます」
巨大な鏡が天から下った。
「浄玻璃よ、この者の咎を現しなむ」
だが、鏡は曇ったまま何も映す事が無かった。

「ふむ」閻魔王は言った。
「お前には咎が無い。六道の輪廻から解脱して浄土に行く事が出来るがどうするね?ご希望があれば無論、六道の何処にでも転生出来るが」

「たまには畜生道に堕ちるのも良いものだよ。」

—-

ジャータカの物語

昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のはなし。

河には2匹のワニがいて、或る日妻のワニが夫のワニに言った。「河畔の木に猿がいて、彼奴の心臓を食べたいワニ」
夫のワニは言った。「さもありなん」
そして夫のワニは猿に言った。「背中に乗りなさい、彼岸に連れて行ってあげるから」
猿は喜んでワニの背中に乗った。大河の真ん中でワニは猿を河に落として心臓を取り出そうとしたが猿は言った。「我の心臓は此岸の木枝に吊るしなむ。いまそ取りに戻りなん。」ワニは再び猿を背中に乗せて此岸に戻り、猿の心臓を欲すると猿は曰く。「木の枝に心臓が吊るされている訳ないだろう?」

お釈迦様は曰く。
騙す者はまた騙される者である。この猿こそ前世の私である。

—---

青年の影から中年小太りの豚男爵が現れて言った。

「ゲハーーーッッ!!人間界だ、人間界に戻してくれ!」
地獄の五王たちは眉を顰めた。

「この不浄の汚物はなんだろう?」
「こんなに醜悪の汚穢は見た事がない」
それで閻魔王は浄玻璃に命じて彼の者の生前の咎を映した。

浄玻璃は言った。
「キモイ!」
生理的嫌悪の数々が生前の咎として映し出された。

「仕事をしながらお菓子を食べるな!食べカスが落ちて汚い!」
閻魔王はキモ太郎を叱った。閻魔王は仕事をしながらお菓子を食べる輩を生理的に受け容れない。
「お菓子ばっかり食べて、だらしないから太るんだ!」
五王達は青年から豚男爵を切り離そうとしたが、豚男爵は青年に深く根を張って切離する事は難しいようであった。

青年は嘆いた。
「どうして私はこのような不浄の者に取り憑かれてしまったのだろう!」

閻魔王たちは合議した。
「貴様に咎が無いのは承知したが、貴様の魂が不浄に取り憑かれてしまったので、可哀想だが貴様は地獄に堕ちるしか無い。」
青年は其れを聞いて大きく落胆した。豚畜生の為に自らが地獄の責め苦を負わねばならない。青年は自らを待ち受ける痛苦を思ってぶるぶると震えるのであった。

「だが」と閻魔王は言った。
「もしこれより始まる試練に打ち克つ事が出来たなら、貴様の望みを叶えてあげる」

「大王様、試練とはなんでしょうか…」
「それは…」

—-

八、青年が無間地獄耐久レースに出場すること




「無間地獄耐久レース、ヨーイDon!」
聖観音菩薩が号砲を鳴らしてレースは開幕するのであった。
開幕の途端に身を焦がされて全身を焼かれながら、毒虫たちに全身を刺されながら、大蛇に喰らわれながら、巨人たちに鉄棍で潰されながら、串刺しされながら、釜茹でられながら、人々は自我を見失い間断なく続く痛苦そのものと化すのであった。
肉片である人々はそれでも巨人たちに追われながら前身しなければならない。一歩の事に新たな痛苦に苛まれる。
あらゆる痛苦に犯されるのであった。

「ゴール出来れば極楽浄土だよ!ファイト!」聖観音菩薩が言った。

青年は隣の男の眼球がくり抜かれるのを見た。その眼底から鬼の爪が突き出てて、頭蓋を真っ二つに割るのを見た。脳髄が灼熱で燃えた。
鬼は舌を引き抜いて、釘打ちした。隣の男が甲高い声で悲鳴をあげた。

屍人たちは肉体が朽ちても再生するが、責め苦が次々到来するので、再生する間もなく朽ちるのである。
隣の男が巨大な獣に食べられた。巨大な獣はすぐさま糞便して、その中から男は再生を始めたが、糞便の蛆虫たちが再生せんとする男に群がり吸血した。蛆虫は男の体内で次々蛹になって羽化して蝿になって男の周囲を飛び回り、男の体内に産卵管を挿して入れて卵を産み付けた。蝿の数が倍々に増えて男の腐乱を舐ぶった。

青年は十万人の死鬼衆たちが永劫の破滅を続けるのを見ていた。

青年にも荒れ狂う業火が舌を伸ばし、彼を黒焦げにしようとした。青年は痛苦を覚悟したが、青年に触れようとすると業火の火力は弱まり青年に届かない。
「大丈夫よ」
黒闇カマラは言った。

「死ぬ゙ぬ゙ぅぅッッーーー」
青年に取り憑いた豚男爵が燃えている。巨大な獣が豚男爵を食べた。
「食べな゙い゙でええーーーッッ!!」

「ゴールは何処なんだろう?」青年は言った。
「8万由旬先がゴールよ」カマラが言った。
「どれくらい歩けば良いの?」
「ひと時も休まず歩いて23年くらいかしら」
「流石に無理だよ」青年は言った。

「呼びましたかな」
青年の前に小野篁が現れた。
「ゴールが遠過ぎて困ってる」
青年は言った。
「宜しいでしょう」
小野篁はそう言って青年らを肩に乗せて、空を飛んだ。

—---

九、吉祥天女が降臨すること、それから青年が無間地獄を脱すること


「もしかして」と猫之助は言った。
「これ、鏡文字じゃないかな」
夜蝶アゲハと地獄彦は墓地太郎の棺桶を囲んでいる。
墓地太郎の死体に浮き出た「ム リー」の文字の謎を解こうとしている。

「死人の世界は逆世界だから…ほら」猫之助は字を写して、それを裏側から透かせた。

「マテ」の文字が浮かぶ。
「マテと読めるな。」地獄彦が言った。
「何を?」アゲハが言った。
「何をだろう?」
「待つ必要無くない?」アゲハが言った。
「ないな」地獄彦が言った。死体にシリコンを注入して防腐処理をして、霊能者の腐らない死体として闇ルートのオークションに出品する段取りを進めている。葬儀場の事務所にエンバーミング業者の紹介をしてもらった所であった。二束三文かもしれないが、それもやむを得ない事態であった。

「待って!」
夜の葬儀場に何処からともなく声がする。
—---

「待って!」
夜の葬儀場に何処からともなく声がする。
地獄彦は言った。
「誰の声?」
周囲に人影は無いのであった。猫之助は気配を探したが、誰の気配もない。
「待つのよ!」
だが、声は空耳では無い。
「あっ!」アゲハが悲鳴を上げた。
「墓地太郎が光ってる!」
霊能探偵、黄泉比良坂墓地太郎の死体が光っている。
「まさか本当に光るとは」地獄彦が言った。
「売れるかな?」

「売らないで!」
声は女人の声である。それが墓地太郎の死体から聞こえている。
見ていると、墓地太郎の死体が丸く光り、その光は死体から離れて光の玉となって中空に浮いた。

「ナニコレ?」アゲハが言った。
「墓地太郎ちゃんわ、まだ死んでおりません」光の玉は言った。
「ええ?死んでるじゃん!」
「そうだよ死んでるよ!」地獄彦が言った。
「死んでないのよう!」光の玉が言った。

「死んでませんたら、死んでないですからあ!」光玉は言った。
「待って!」アゲハが言った。「この声は聞き覚えがある!」

春コーデの白服の女、安楽死優美の声である。
「安楽死優美!」アゲハは言った。
「そうよ」光玉は言った。
墓地太郎を色香で惑わせ、大金を騙し取った張本人である。
「女狐!金を返せ!」アゲハは言った。
「待って、話を聞きましょう」蒼い顔をした猫之助が慌ててアゲハを止めた。
「どうしてあなたは光の玉になって墓地太郎の中にいるのでしょうか……?」
「それはーー……」

光玉となった安楽死優美は言った。
「わたし、神様だからぁー…」
「……神様……!?」
「そうよぉー」
アゲハは混乱した。アゲハの思っていた神様とは異なる。
「猫さん?」理解の追いつかないアゲハは猫之助に救いを求めた。その猫之助は蒼褪めた顔をして、光玉を見ている。
「多分……、それ本当……」猫之助は言った。

仏教系の中には人間界に転生する神様が頻繁にいる。特に天竺出身の神様は転生が好きで節操なく人間界に現れる。神はあらゆる時代、あらゆる場所に同時的に存在する。神は偏在している。だから同時代に同じ神が何人も転生していることもありうる。

「多分…吉祥天様あたりかと……」
「あたりーー」と安楽死優美の光玉は言った。
「転生して22歳でぇす」
ピチピチなのであった。
地獄彦はと言えば、神気に当てられて気絶している。霊感の高い者程、神気の感受性が高いのだ。猫之助やアゲハは然程霊感が高く無いので相対していられる。

「吉祥天様が所長と一緒に何をしておられるのでしょうか……」猫之助が慇懃に尋ねた。
「あたしぃ……、お賽銭をくれる坊やたちに吉祥を授けているんだけどぉ」
アゲハは安楽死優美が、色気を使って男たちに貢がせているだけなのかと思っていたが、実際には信者が奉天する神様にお布施を捧げていたものらしい。

「もしかして墓地太郎も神様だって分かってたの!?」
「そうよぉー、わたし信者君たちには貰った金額の分以上にアゲアゲしちゃうんだからぁ」
「どうして神様がこんな所に客として現れたんですか……?」
下劣探偵豚太郎の構える汚い事務所である。どう考えても神様が用のある場所ではない。
「わたしぃ、転生して現世をエンジョイしてた、みたいな?そしたらぁ……運悪く黒闇天ちゃんと巡り合っちゃってぇ……」
「黒闇天……?」

「ああ、吉祥天様のお姉様に当たる神様で、吉祥天様が幸運を授ける神様である事に対して黒闇天様は……」
「お姉様は不運の神様なのよねえ……」
「吉祥天様と黒闇天様は切っても切り離せないご縁で、吉祥天様のいらっしゃる所には必ず黒闇天様もいらっしゃる。」
「まさか、現世に転生してまで近くにいるとは思わなかったわぁ……」

現世に顕現して今生をエンジョイしていた吉祥天こと安楽死優美は、近所に住む仲良しのお姉様、黒闇カマラが黒闇天の化身である事も知らぬまま、交友の誼みを結んでいたが、先日、黒闇カマラは悪い男に騙されて首吊り自殺をしてしまった。その第一発見者は安楽死優美であったが、男への憎悪に駆られた黒闇カマラ姉は死して大悪霊になってしまい、安楽死優美に取り憑いてしまった。本来であれば黒闇カマラが自殺した時点で天上に還って神様に戻る所であるが、吉祥天と黒闇天の縁故が強過ぎて神魂は絡まり合い、吉祥天の持つ吉兆の力も悪霊と化した黒闇天の力に毒されて神力を発揮することができない。ほとほとに困って黄泉比良坂探偵事務所を訪れたのであった。

「墓地太郎ちゃんがぁ……上手に絡まりを解してくれて助かったのよぉ」と安楽死優美こと吉祥天。
「でもぉ……」
引き離された黒闇カマラの神魂が、陰の気が高い墓地太郎と調和し過ぎて、今度は墓地太郎に取り憑いてしまったのだと言う。

「じゃあ、墓地太郎と一緒にいた黒衣の女というのは‎……」
「大悪霊になったお姉様なのよぅ」
「道理で…」
生身の女御が墓地太郎と逢瀬する筈もない。不運の神様に取り憑かれるとは如何にも墓地太郎らしい逸話である。ひとりぼっちの墓地太郎。さぞや不運の神も居心地が良かったことだろう。

「お姉様に取り憑かれた墓地太郎ちゃんわぁ…」文字通り不幸が爆発した。まず、持っていた金融資産は次々破綻。FXで1000万円の損失が確定してロスカット。
「喫茶如月駅で、破産しちゃったのよねえ」
「ああ、喫茶如月駅で怒り出したというのは……」
洒落神戸毒路丸探偵の助手、閻魔ドロン氏が喫茶如月駅で黒衣の女と一緒にいる墓地太郎を見かけた時の話である。

「FXが暴落して墓地太郎ちゃんが破産した瞬間ね」
「ん?墓地太郎は黒闇天が見えてない?周囲の人には見えるのに?」
「大悪霊となったお姉様の力で、墓地太郎ちゃんの霊気が欠乏して、墓地太郎ちゃんだけお姉様が見えなくなっちゃったのよね」
「それから財布を落として、鳥の糞だらけになった上にゲリラ豪雨に降られて、転んで骨折して、靴を片方野良犬に持ってかれて、肺炎になって、病院に担ぎ込まれて……」
「貧乏神って怖い……」

「それで墓地太郎ちゃんわぁーー」
離れなくなってしまった黒闇天との縁を切るために、単身ZZ県に向かったのだと言う。
「そこには平安時代から使われていた地獄の通用門があってえ」
地獄に行って仮死する事で、黒闇天を切り離し黒闇天を天界に戻そうとしたらしい。
「でも途中で不運の力が強過ぎて死んじゃったのよねえ」
「ああ、新幹線の中で……」

ところが墓地太郎はそれをも見越して、地獄返りの秘術を自らに施していたのだと言う。
「そんなのがあるんですか?」
「地獄の中で閻魔王に仕えてで官吏として働いている人間がいるのよ。その人にお供物をたくさん捧げて縁を作ったみたい。」
「あ、祭壇」
墓地太郎が死ぬ直前に作った祭壇と、大量に燃やした紙銭がこれにあたる。
「お金で解決……?」
低廉下劣の墓地太郎らしい方法だ。
「破産していたのに、よくそんなお金がありましたね」
「勿論、借金よお」
確かに事務所を抵当に入れて悪徳高利貸しから借金をしていた。

「それで今は必死になって現世に生き返ろうとしているのよぉ」
「そうなんですか……」
「ちなみにぃ……今の墓地太郎ちゃんの様子を見る事も出来るけどぉ……見たい?」
「見れるんですか?」
「墓地太郎ちゃんに頼まれてえ、墓地太郎ちゃんがちゃんと地獄から帰れるようにガイドしてるのよぅ」
吉祥天の力の一部を墓地太郎に貸して、地獄道の道案内をしているのだと言う。
「見たい?」
「見たい!」

と、吉祥天様が投影した墓地太郎の姿は……。
「誰……?」
そこに映し出されたのは……。
—--

「あそこは咎人を釜茹でにするところですな、ほらあれは石川五衛門とその一族」
「あそこで大虎たちに食われているのは弓削道鏡」
「あの最も恐ろしい苦しみを与えられているのはどなた様でしょうか」
「あれは提婆達多さんですね」

小野篁によって歩けば23年かかる無間地獄の最果てに辿り着いた青年らは見事に無間地獄耐久レースに勝利したのであった。

「見事なり!」閻魔王は言った。
「さあ、望むべく転生を授けよう!六道のいづれか、或いは極楽浄土か選ぶが良い!」

と閻魔王は青年に言った。
青年は黒闇カマラを見た。
「もちろん浄土よ。そうすれば私たちはずっと一緒に暮らせるのよ」
これまでに付き添った黒闇カマラにもちろん青年とて特別の情を抱いている。他に選択肢はあるまい、と青年にも思えるのであった。

だが……、
「んんん残念ーーーーッッッ……!!!」
地獄の業火に滅却された豚男爵が復活した。

「浄土などさせぬぞぉおお!!」
豚男爵の執念は凄まじ。青年の浄土を何としても阻もうとするのであった。

—--

と、そんな映像が中空に現れて、アゲハ達はいよいよ困惑するのであった。
「ええと?」

「この清廉の青年が墓地太郎……なの??」
「そうよぉーー、このイケメンが墓地太郎ちゃん」
「なんで!?」アゲハは叫んだ。墓地太郎と言えば万人が嫌う醜悪の相貌。斯様なイケメンが墓地太郎であろう筈がない。
そもそも悪鬼の如く青年に付きまとう豚男爵こそが墓地太郎そのものでは無いか。

「それがぁ……」少しく事情は異なるらしい。
「黒闇天ちゃんはぁ……」
貧乏神である黒闇天は不運をもたらし、吉兆を遠ざける。だが……
「人間たちの幸運ってぇ……」
現生利益は神界では因業そのものであるらしい。人間は幸運を願う程、業深くなるらしい。
吉祥天に縋る人間ほど、地獄行きになる可能性が高い。
「でもぉ……黒闇天ちゃんはぁ……」
そのような人間の因業を落とすのだ。特に悪徳の象徴たる金銭を浄罪して蟠った因業を浄化する。

貧乏神が取り憑いた人間は清貧に至るのである。そうしてあらゆる不浄が浄化されたのが
「今の墓地太郎ちゃんなのよお」
人間は悪徳を浄財して清貧に至ると斯くも精悍を増すのである。
「別人ね」
「これが本当の墓地太郎ちゃんなのよう」
「じゃあ墓地太郎に取り憑いた、墓地太郎そっくりの悪鬼は?」
「黒闇天ちゃんが禊いだ墓地太郎ちゃんの因業なのよぉ」
墓地太郎の醸し出す生理的嫌悪は彼の因業故である。墓地太郎が彼の因業に酷似しているということは、墓地太郎の人格の大部分が因業に染まっていたという事に他ならない。

「その話、マジで……??」アゲハは墓地太郎の根幹が可成りの美丈夫であった事に驚きを禁じ得ない。
「それで今はどういう……?」
状況なのだろう?

—---

幽界は現世とは理が逆理となる。そのため、現世に於いては醜悪の醜女と呼ばれる黒闇天は地獄界では絶世の美女と転じるのである。
その黒闇天は原始以来、男運が悪く伴侶が無い。一時の神生に於いては閻魔王の側室に納まった事もあるが閻魔王の正室は閻魔王が人間であった頃の妹君で、閻魔王の正室として強固の存在感を放っている。
それで黒闇天は現世に化身して、伴侶となるべく御仁を探していたのであった。が、之が全く上手にいかない。今生もまた色恋に失敗して悪鬼と化したが、如何なる天の導きか、黒闇天にマッチングする闇深い魂に出会ったのである。その、彼女のお眼鏡に適った美丈夫こそが、

「ひとりぼっちの墓地太郎」なのであった。
「本当は、墓地太郎ちゃんが黒闇天ちゃんを祓って地獄から反魂する予定なんだけど……予想以上に黒闇天ちゃんが墓地太郎ちゃんを見初めちゃったのよねぇ……」

「駄目よ!」カマラが叫んだ。

カララ・チリ・エイ・ソワカ
カララ・チリ・エイ・ソワカ
カララ・チリ・エイ・ソワカ

カマラが真言を唱えると小太り中年丸眼鏡の肉体が義理義理と締まり、小太り中年丸眼鏡は圧壊された。
「な゙あ゙ぁぁーーーいだあ゙ぁぁーーぃぃぃーーーッッ……!!」

黒闇天が浄財し続けた黄泉比良坂墓地太郎の煩悩が悲鳴を上げた。黄泉比良坂墓地太郎の魂を黒闇天と墓地太郎の煩悩が取り合っている。
「黒闇天ちゃんも必死なのよね……」

「浄土よ!」
「反魂だ!」

黒闇天が勝てば黄泉比良坂墓地太郎は晴れて浄土し、彼岸で彼女と幸福に添い遂げるだろう。
悪鬼が勝てば、墓地太郎は低廉醜悪の徒に戻り、再び現世で悪鬼さながらの一生を過ごすのだ。

「それを決めるのは……?」
「本人しか無いわよねぇ……」

今や全ての判断は墓地太郎(本体、青年、美男)に掛かっている。

「浄土よ!」
「反魂だ!」
二人が青年に決断を迫る。
「全ての衆生の目標が叶うのよ、一緒に浄土で添い遂げましょう?私、何でもするから!」と黒闇天。
「そもそもこの貧乏神を退けるために、わざわざ地獄に来て、生き返る為に吾輩が憑いているのだ、本懐を忘れるな!」と黄泉比良坂・ザ煩悩・墓地太郎。

二人に言い寄られて青年は……

「どうするの?」と小野篁。
「どうするの?」と閻魔王。

—-

「ハイ、お終い」
吉祥天は地獄チャンネルを閉じた。
「あんまり生者が見てると血を噴いて死ぬのよ」

「あ……」アゲハの鼻から鼻血が垂れている。猫之助も苦しそうだ。

「墓地太郎はどうすると思う……?」アゲハは猫之助に聞いた。
「……」猫之助は無言だ。

「吉祥天様、こちらからの言葉を所長に伝える事もできるのでしょうか……?」
「できるわよぅ、ずっと私もあの子に憑いているしぃ」吉祥天の光玉は言った。

「所長が持ち逃げした事務所の預金通帳と銀行印が何処にあるか、お尋ねできるでしょうか?」
それが分かれば最悪、墓地太郎は戻らずとも良い。
「ああ、あのお金ぇ??あれはねぇ……」

—----

十、めでたし、よろづごと全て解決の花が咲くなり

黄泉比良坂探偵事務所の一日が本日も始まる。
地域のローカルニュースを壁新聞でお届けする「病んでるニュース」今月号のトップニュースは「悪徳探偵反魂する!!」に決定されて、誌面に協力した御礼に事務所にも一枚の複写が送られた。

「おはようございます」
出勤した猫之助は黄泉比良坂探偵事務所所長にして稀代の霊能探偵、黄泉比良坂墓地太郎に挨拶をした。
それに対していつもの如くボソボソと陰湿な挨拶を返す墓地太郎。
「今日もお仕事のお時間ですよ!先生、張り切って働きましょう!」と猫之助。

いつもと変わらぬ日常が帰ってきた……ように見えつつも。

「この豚太郎!」と黒闇カマラが笞を振るう。
「いだだだッッ……!!」
「怠けてないで働け……ッッ!!」

吉祥天に多額のお布施をしていた事で、黄泉比良坂墓地太郎は無事に反魂する事が出来たのだが、事務所のお金を使い込んだことで、方々に借金を無心する羽目になり…。

結果としてあちらこちらで無償労働を強いられる事になった。
いまは人気探偵、洒落神戸毒路丸の事務所で手伝いをさせられている所だ。

「こんなの吾輩の仕事では無い……ッッ!!」
来る日も来る日も下級霊の浄霊をさせられている。
「つべこべ言うな、豚ッッ……!!」と黒闇カマラ。墓地太郎が怠けないよう監視している。そのため……

「実は評判が良いんだよ、彼」と洒落神戸探偵。
性格に難はありつつも腕の確かさが評判を呼ぶらしい。

「先生……、ありがとうございます…」と丁重に御礼申し上げるのは、1年前に亡くなった山田さん宅のお爺さん。中々成仏のタイミングが噛み合わずに浮遊していたのだ。
「ああーーーッ、成仏ぅぅ……」

バイト代も着々と溜まって使い込まれた資金ももうすぐ元に戻るだろう。

「折角、黒闇さんが不浄を落として美男子に変わったのに……」と所長不在の事務所に遊びに来たのは憑依系女子高生の夜蝶アゲハ。霊界チャンネルで見たイケメン墓地太郎が現世返りした時に、悪鬼墓地太郎と融合して元通りのキモ太郎に戻ってしまった事を嘆いている。

無間地獄耐久レースの勝者となった墓地太郎(イケメン青年)は事務所の金銭を使い込んでしまった罪悪感から黒闇天と浄土に渡るよりも、生き返って贖罪する事を選んだ。折角の浄土行きを辞退する代わりに、墓地太郎(青年、イケメン、誠実)は黒闇カマラも一緒に反魂することを望んだのである。
「もう一度現世においでよ」
と青年墓地太郎(誠実)は黒闇カマラに言った。

「黒闇さんは、墓地太郎の事を気に入ってたんでしょ?」
「不浄を落とした墓地太郎所長(青年、誠実)の事が好きだったのであって、不浄そのものである今の所長を見たらすっかり興醒めしたそうだよ」
「そんな、折角現世に戻ったのに!」
地獄から還っても墓地太郎の春は遠し。

「吉祥天様にお金を貢いで、一文無しになって黒闇天様の元で真面目に働いて金稼ぎなんて、まるでアベコベだね」
「禍福は糾える縄の如し、何が幸福かなんて分からないものだよね」
と、猫之助は家主不在の事務所の窓辺から
空を見た。

平和だ。

(了)

(黄泉比良坂墓地太郎事件簿「墓地太郎、死す」御首了一)

#小説
#お客様の中に神様はおりませんか
#ネムキリスペクト
#NEMURENU
#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門


【梗概】



黄泉比良坂探偵事務所所長墓地太郎が死んだ。舞台は葬儀場。棺桶に墓地太郎の死体が納められている。死体守に集まったのは探偵助手の猫之助、友人代表の地獄彦、出入りの女子高生夜蝶アゲハの三人組。
墓地太郎の死の真相はともかくも、墓地太郎が逢瀬していた黒衣の女の正体が気になって仕方ない。事務所の通帳と銀行印が紛失したとあって、いよいよ黒衣の女探しが始まるのだが。

かたや、幽界にて記憶喪失の青年は黒衣の美女黒闇カマラと中年小太り丸眼鏡の悪霊、豚男爵と出会い共連れして地獄を目指す。先導は金霊と呼ばれる光玉である。三途の川を越えて平安時代の官僚にして、地獄の御使い小野篁と出会い、彼らはとうとう十王裁判の法廷に立つ。

猫之助らの黒衣の女探しは何も進展がない。進退窮まった彼らは墓地太郎を闇オークションに売って資金化し、葬儀費用に充当出来ないか画策する。
そんな折に墓地太郎の死体から現れたのは先日黄泉比良坂探偵事務所に現れた頂き女子、安楽死祥子の神魂であった。「だって、わたし神様だから」彼女は吉祥天の化身だと言う。
彼女によれば墓地太郎は貧乏神こと黒闇天女に取り憑かれてご縁切りするために地獄に渡ったのだと言う。
吉祥天が映し出した霊界チャンネルを見て驚く猫之助たち。地獄にいる墓地太郎は彼らの知る醜悪さが浄化されて誠実な美丈夫となっていた。それも煩悩三毒を浄財する黒闇天の力に依るものなのだという。
墓地太郎青年は浄化が完成されている事で、十王裁判で無罪放免となったものの、煩悩である悪鬼豚男爵が切り離せないことから黄泉比良坂墓地太郎の真魂は無間地獄耐久レースに参加する事になる。無間地獄の恐ろしさを垣間見ながらも黄泉比良坂墓地太郎(青年)は黒闇カマラと小野篁の力で難なく無間地獄耐久レースをゴールしたのである。
ゴールした墓地太郎青年には黒闇カマラと極楽浄土に往生するか、悪鬼豚男爵と融合して現世に生き返るか2つの選択肢が与えられる。
さあ、と手を差し伸べる黒闇カマラと豚男爵。
墓地太郎青年の決断は、豚男爵と融合し現世に生き返りつつ、黒闇カマラも一緒に現世に反魂させる事であった。
生前、黒闇天に取り憑かれたことで作られた借金を返済するため、黄泉比良坂墓地太郎(醜悪)は黒闇カマラの監視の元、精々と精勤するのである。所長不在の黄泉比良坂探偵事務所の窓際で探偵助手である猫之助は平和が戻った事を喜んでいる。

黄泉比良坂墓地太郎事件簿シリーズ





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