黄泉比良坂墓地太郎事件簿「かごめ」

「xxxxx!」
その日、恐山杜夫は罵詈雑言を喚き散らし、目につく墓石を片端から倒した。
「xxxxx!」
ユンボとは油圧式のパワーショベルカーのことであるが、杜夫はユンボのレバーを操って鉄腕を振りかざし、ヘヴィ級ボクサーの如くダイナマイトなブロウを墓石に見舞った。墓石は倒れ、崩れ、粉砕された。
夏の日であった。蝉が鳴いていた。土埃に塗れた黒い汗が玉となって流れた。杜夫の肺腑を輻射熱が焼いた。
「xxxxx!」
現場監督が杜夫を熾烈に罵った。そして呪いの言葉を吐いた。汚い言葉だ。
「xxxxx!」
杜夫も薄汚い言葉で現場監督を罵った。何人かの人足たちが其れを聞いた。

地図の上からも消滅してしまった廃村の、片隅にある廃寺が所有した墓地に、もう訪れる者はいない。
墓地は旺盛に茂る夏草に埋まっていた。

このような山奥の土地を買って電気畑を作る者がある。
太陽光から電気を作るのだ。
それをエコロジイと呼ぶ連中がいる。電気畑は作られたらすぐに売買される。買った人間もいづれ転売する。いまやエコロジイも資産運用の道具なのだ。預貯金を寝かしておくよりかは電気畑でも買って不労所得でも、と電気畑を買う人間は少なからずいて、そのような人間は得てして当該土地になど興味を持たぬ。であるからして電気畑は永く放置され、土地が荒れる。荒んだ土地は杜撰に殖えた雑草が周辺農地に種子を撒き散らし、土砂が流れ、棄てられたゴミが溜まる。そういう物が街場にあると苦情が止まぬため、昨今電気畑はなるべく人目のつかない山奥に作られる。

いま杜夫たちはそうした電気畑業者から仕事を請け負って墓地を更地にしようとしている。

奥に一等古い墓石があった。積年の風雨に晒されて、漬物石のようになっていた。
最初から漬物石であったかもしれない。貧しくて墓石の買えぬ家もあるのだろう。と杜夫は思った。
当然、杜夫は漬物石たる墓石にも容赦をしなかった。
石が割れた。

割れたと思ったら血が、噴き出した。
杜夫は噴き出した血を浴びて全身を真っ赤に染めた。人足たちは騒然となった。現場監督も近寄ってきた。
「鉄分を含む水は錆びて赤くなるのだ。」と杜夫は思った。大方地下水でも溜まっていたのだろう。
尚も血の噴出は止まなかった。杜夫は呑気に構えていたが周囲はいよいよ騒然となった。
しかし。杜夫は見たような気がする。
血が噴き出す瞬間に、墓石の割れ目から覗く女の顔を。
蒼白で無表情の女が、杜夫を睨んだような気がする。
杜夫は自らの血までも急速に失われていくのを感じた。
噴出する血液が杜夫を赤く染めていくに従って全身が燃えるように熱くなった。
そうかと思えば震えるような悪寒も感じた。
動悸がして心臓が止まった、ように感じた。

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「彼女がいなくなったんです」と恐山杜夫は訴えた。
「失礼乍らあなたには彼女がいるようには見えませんが?」と黄泉平坂探偵事務所の所長たる黄泉平坂墓地太郎は応えた。
「あちゃあ」と黄泉平坂探偵事務所の助手たる人三化七猫之助は顔をしかめた。
黄泉平坂墓地太郎の不愛嬌は天下一品である。本人にその自覚はないし友達もいない。家族もいない。黄泉平坂墓地太郎は天涯孤独の身の上である。
それが性格に起因するのか、その環境が性格に起因したのかはここでは問わない。
空気も読めない。間も悪い。猫之助は墓地太郎の隣にいて常々思う。爆弾と一緒に歩いているようなものだ。

「彼女を探して欲しいんです。」と杜夫は言った。
「鏡を見てから出直したらどうです?」と墓地太郎は言って笑った。「ははは。」
「うわあ」と猫之助は思った。
「全く冗談も大概にして頂きたい。」と墓地太郎は言った。

「先生、もう少し話を聞こう」と猫之助は言った。
「嫌だよ、面倒臭い。」と墓地太郎は猫之助に小声で言った。小声とは云え杜夫は目の前にいる。当然聞こえている。杜夫は憮然として顔をしかめた。

曰く杜夫の主張は以下の次第である。
杜夫は工事現場で働く日雇い人工であるが、日雇いの仕事には奇態なものも多くある。
その日は廃村の墓地を更地にしていた。
古い墓石を割ったら血のような地下水が噴き出したのだが、どうもその地下水を浴びてから具合が悪い。気を失ったようで、記憶が朧気に霞む。耳鳴りが止まないし、眩暈がする。身体と精神がばらばらになったような違和感を感じる。

「どうやら狂ってる。」と墓地太郎は猫之助に耳打ちした。
「先生、黙ろう。」猫之助は言った。

何処をどうやって帰ったのかも不明瞭で、何とか家に帰った。
「そしたら一緒に住んでいた彼女が居なくなってるんです。」
と話を続ける杜夫であったが
「ああ、まただ。」と突然呻いた。「歌が聞こえる」頭を抑えて蹲って仕舞った。

カ・・ゴメ・・・カ・・ゴメ・・・・カ・・ゴノ・・ナカノ・・・トリハ・・・イツ・・イツ・・デヤル・・・

「あの日以来、頭の中に、女が居るんです。あアぁッ、止めてくれ!」杜夫は頭を掻きむしって叫んだ。「五月蝿い、五月蝿い」床の上を転げる。
「誰なんだ、クソ」

「変な奴が来ちゃったなあ」と墓地太郎は猫之助に耳打ちした。それを聞いて猫之助も
「変な奴が来ちゃったなあ」と思った。

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かごめ論考その1
こども遊びに「かごめかごめ」と歌う遊びがある。多くの遊び唄は英国のマザアグウスのように意味を掴ませぬナンセンスであって、ナンセンスの意味を問うてもそれは答えの出ぬ無限回廊。
だが、其処に人々の共通理性が存在し、一定の認識を得るならば、その認識の意義を問うことはやぶさかならず或る種の真実を見極める事にもなろうと思う。

そも「かごめ」とは。
かごめは籠目であると言われる。籠を編んだ網目が籠目である。其れは何の籠なのか。「かごのなかのとり」と後述されるので鳥籠である。「いつでやる」鳥籠の鳥は籠を出る予定にある。何故鳥は籠から出されるのか。籠から出された鳥はどうなるのか。不穏を感じる。
籠は飼育である。飼育は鳥にとって不自由の象徴であるかも知れないが、同時に庇護であり、生命の保証でもある。籠から出るという事は庇護を喪うと云う事である。
庇護を喪う鳥のなんと心細きものか。籠から出た途端に何者かに喰らわれる未来も有るのだ。悪魔が、舌なめずりしながら、鳥が出やるのを待って居る。

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恐山杜夫は泣きながら街路を歩いていた。
彼女がいなくなったのは墓荒らしの呪いである。頭の中に女が住み着いてしまったことも。
これは間違いない。
呪いを解きさえすれば解決するであろうのに、頼みの霊能探偵事務所は所長が人格破綻者でまともに取り合ってくれない。
杜夫は沸ふつと怒りが沸いた。だがそれ以上に己の無力が情けなく、哀しかった。悔しくて涙がほろほろと零れるのであった。あの時、割れた墓石の隙間から覗いていた女。きっとあの女が俺の中に入り込んじまったに違いない。
あの女がどうかして俺の彼女を隠しちまったに違いない。
そう思うと杜夫は彼女、仮死魔・アントラ・零子が異次元の狭間に囚われて、今も杜夫の助けを待っているような気がして、臓腑が重たくなるのであった。

杜夫の頭に響く歌は童歌の「かごめ」だ。

籠の中の鳥は、何時出やる。
杜夫には零子が鳥籠に囚われている気がする。
零子はどうやったら救い出せるのだろうか。
零子はきっと何処かに囚われている。

零子は杜夫よりも十歳若い。初めて会ったのは杜夫が十六歳の時だった。零子は黄色い帽子を被って赤いランドセルを背負っていた。
ランドセルの重さに振り回されながら杜夫を見て「お兄ちゃん」と呼んだ。「死ねる」と杜夫は思った。「お兄ちゃん」その響きだけでご飯3杯分は死ねる。杜夫が東京の大学を卒業した二十三歳の春。二人は付き合い出した。杜夫は社会人1年生、零子は中学1年生であった。
それから六年後、杜夫が三十歳になる前日に二人は同棲を始めた。
それから二年。三十二歳になった杜夫は、零子に出会った時間と零子に出会わなかった時間が丁度等分となった。杜夫の一生は零子の一生でもある。
その零子が杜夫に何も告げずにいなくなる事など。

「ヘイ、ユー」
街路ですれ違った男が振り向きざまに杜夫を呼び止めた。
杜夫は泣きながら振り向いた。
その杜夫を男は両の人差し指でビシッと指さした。
「ユー」

「ユー」という言葉は二人称代名詞である。英語文化圏で使われる。
だが目の前の男はどう見ても純粋な日本人だった。彫りの深い顔立ちがくどい。

「ユーは面白い事になってマスネエーー」その男は言った。
「失礼は止めなさいよ。」傍らの男が言った。「センセイ!この人、面白イヨ!」彫りの深い男が言った。
「人に面白いとか言っちゃいけないよ、ドロン君。」
先生と呼ばれる男が失礼を詫びた。彼は外国暮らしが長くてね。僕はこういう者だ、と名刺を出した。
霊能探偵者 洒落神戸毒路丸。
そして彼は助手の閻魔ドロン君。
「フォーウ!」閻魔ドロンは熱烈な挨拶をした。
「ワタシタチの助けが必要ですかア?子猫ちゃん。」ドロン氏の開襟シャツから胸毛が覗いている。顎が割れている。二重まぶたがハッキリし過ぎているし、まつ毛が長すぎる。一言で表現するなら「キモイ」。

今や藁にも縋りたい杜夫であったが、この珍獣に縋って良いものかどうか、暫し悩んだ。

「フォーウ!」閻魔ドロンがバチンとウインクした。

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黄泉比良坂霊能探偵事務所の中で、猫之助はぐったりとしている。
「先生、暑いんだけど」
「知ってる」
「エアコン付けないんですか?」
「昨日壊れた」
「直さないんですか?」
「ああ」
黄泉比良坂墓地太郎は生まれてこの方人肌の温もりを知らない。冷えきった彼の人生が彼の周囲に冷気を纏わせる。黄泉比良坂墓地太郎は暑さに滅法強いのだ。
この炎昼に涼しい顔をして汗ひとつかかない。

反対に人三化七猫之助は暑さに滅法弱いのだ。二人の身体感覚の相違に辟易としている。先程から小型の扇風機の風に当たっているが、ちっとも涼まる様子はない。

「おう」と玄関を開けて事務所に入って来た者がある。墓地太郎の唯一の友人の賽河原地獄彦である。
「アイス買ってきたぞ」
と地獄彦は袋を掲げた。
「にゃあああ」
猫之助は猫耳(的なヘアスタイル)を立てて喜んだ。
ちらりと、墓地太郎は掲げられた袋を蔑視した。何も言わないが明らかにそわそわとしている。
本当はアイスが欲しいのに素直に言い出せないので、「アイスでも食べよう」と誘われるのを待っている。誘って呉れないかな、とそれとないアピールをしている。
そうした態度が鬱陶しい。コミュニケーションスキルの欠如が墓地太郎が嫌われる要因にもなっている。
「アイスでも食べようぜ」と地獄彦は言った。
地獄彦の性格は良く言えばおおらかである。悪く言えば雑である。
墓地太郎の面倒な一面は一向に気にしない。
細かな事を気にしない地獄彦と、屈折して性格が複雑骨折している墓地太郎は相性が良いのだ。
地獄彦はテーブルにアイスを並べた。
チョコミントのアイスバー、チョコミントのカップアイス、チョコミントのアイスパフェ、チョコミントの大箱アイス・・・。
「何で全部チョコミントなんだよ」墓地太郎は愚痴った。
地獄彦は笑った。
「何で全部チョコミントなのよ。」猫之助は項垂れた。
地獄彦は笑った。
地獄彦はチョコミントが好きなのだ。
そして、墓地太郎と猫之助はチョコミントが嫌いなのだ。
チョコミントなど歯磨き粉味である。そう言って憚らない。
地獄彦はおおらかに笑った。
チョコミントが好きなのだ。他の人間の好みなどおおらかな地獄彦は気にしない。

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「という訳でさ。」猫之助は久々に探偵事務所に現れた珍客について地獄彦に説明した。
壊れたエアコンが直せないのは事務所に金が無いからで、事務所に金が無いのは墓地太郎があらゆる客を怒らせて帰してしまうからだ。と聞こえよがしに墓地太郎と夏の太陽を責めた。

「廃村のソーラー発電所か。」
地獄彦は言った。
「新聞に出ていたな」

件の記事はすぐに見つかった。
廃村を更地にして大規模なソーラー発電所を作る計画がある。
と書かれている。

記事によれば五十年前にも一度同じ場所で同じ計画が持ち上がったらしい。
「だが失敗したようだな。計画が頓挫している。今回、五十年越しに大規模ソーラー発電所が計画されたが、やはり上手く進まないらしい。」
チョコミントのアイスバーを食べながら地獄彦が言った。
「どうしてですか?」猫之助が尋ねた。
「関係者の相次ぐ怪我、機械の故障、重なる不運。」
「なんだか呪われていますね。」
「場所が墓地だけにな。」

「墓地を更地にするなんてトンデモない計画もあったもんだ。」とチョコミントのアイスバーを食べながら墓地太郎は言った。
「そりゃ罰も当たるだろうさ」

「誰も立ち寄らない廃村だったのだが、近年は廃墟巡りと廃村にあるお寺がエンジェルスポットに認定されて若者が集まっているらしい」とチョコミントを食べながら地獄彦は言った。
「廃墟のお寺が流行るなんて変な時代だなあ」とチョコミントを食べ終えた猫之助は言った。
「人も集まるので廃寺には管理人のような人が住んでいるらしい。かつての僧房に泊まる事もできるらしいぞ。」とチョコミントを食べながら地獄彦は言った。

「一体、いくつ食べるんだ」先程からチョコミントのアイスバーを食べ続ける地獄彦を見ながら、墓地太郎は言った。
そう、地獄彦はチョコミントが(略)。

「そう言えば、その廃寺の管理人が仕事の依頼を出しているぞ。」アイスバーを食べながら地獄彦が言った。
「何の仕事?」墓地太郎が言った。
地獄彦は鞄から書類を出した。
「墓守?」墓地太郎は眉をしかめた。
「仕事は地味そうだが報酬は結構出るぞ。」それに猫之助が食いついた。
「やりますやります!先生、エアコン修理する好機ですよ!」

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電車で幾つも山を越えると其の廃村がある。
村の名前はとうに地図から削除されている。近現代の変遷で時代は車社会になったが、この村には村と外界を繋げる車道と言うものがない。流通や人の移動の唯一の手段が鉄道であったがために不便が重なってとうとう人は村を棄てた。
山間を抜ける線路だけは今も生きていて、廃墟の中にある駅としてローカル鉄道マニアたちが下車をして写真を撮っている。最近は廃墟マニアとエンジェルスポットめぐりの婦女子が加わり、廃村は雑多な人種が入り乱れて混沌の様相を呈する。

「変な奴がいっぱいいますよ。」猫之助が言った。
チェック柄のネルシャツを着てリュックサックを背負っているのは鉄道マニアだろう。大きなカメラをぶら下げている。
「撮り鉄って奴かな。」
「あちらにいるアウトドア志向は廃墟マニアかな。」登山バッグにテントを背負っている。
そうした連中がうろうろしている合間に黄色い声のギャル組がいる。
駅舎を出ると出店が立っていた。
「廃墟団子・・・ですって、先生。」猫之助がゴロゴロと喉を鳴らした。

「いらっしゃい。」団子売は言った。
「竹炭を練り込んでいるんだ。廃墟をイメージして。」
「うわあ、先生真っ黒い団子ですよ。」
「食欲が沸かないな」墓地太郎は猫之助に耳打ちした。これが墓地太郎の悪い癖である。墓地太郎は性格が歪んでいるため、物事の捉え方が随所に渡って否定的である。そのネガティブを逐一隣の猫之助に耳打ちして伝える訳だが、その声が大抵周囲にも聞こえている。コソコソと悪口を話すのだから尚タチが悪い。この悪癖故に大概の人物が墓地太郎を嫌う。
団子売がじろりと睨んだ。
「ななな、何いってんですか。美味しそうじゃないですか。」猫之助が言った。
「これ作った奴は頭に虫でも湧いてるんじゃないのか。」墓地太郎がこそこそと言ったし、勿論これも団子売りには聞こえている。「頭の中が廃墟だぜ。」
団子売の額に浮かんだ青筋に気付かぬ墓地太郎がニヤニヤと嗤う。

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墓地太郎と猫之助は件の廃寺に着いた。
「御免下さい。」猫之助は声をかけた。
寺務所には誰もいないようだった。
「お守りとか御神籤が売られていますよ」
値札が書かれた御守や破魔矢などが寺務所に置かれている。小さな賽銭箱があるので、欲しい人は代金を入れて勝手に持っていくのだろう。
猫之助は御神籤を引いた。
「凶だ!」
墓地太郎も御神籤を引いた。
「凶だ!インチキなボロ寺
め!金返せ!」そして猫之助に言う。
「お金払わずにもっかいやり直して良いかな?」

それを無視して「御免下さい。」と再び猫之助は声をかけた。
「はいはい。」
隣で返事があった。
木彫りの民芸品に混じって老婆がいた。
「うわ、吃驚した!」
「人形かと思った!」

老婆は生きていた。しわくちゃになりながら生きていた。
老婆の依頼は斯くのようなものだった。

墓地には地元で少し名の知れた賭博師が埋葬されている。
地方が運営している競輪場で幾度も万券を当てた事で伝説になっている。
その競輪場に通い詰める競輪狂いが墓参りに来て墓石を削るのだと言う。

「そんなこと言っても年中見張ってられる程、暇じゃないんだぜ。」と墓地太郎が言った。
「暇なくせに」と猫之助が言った。
「そんなもんに付き合ったら婆さんみたいな皺くちゃになっちまうよ。」と墓地太郎が言いながら猫之助を肘でドスンと突いた。
「先生、年長者に口の利き方がなってないですよ。」と猫之助が言いながら墓地太郎の足をギュウウと踏んだ。

「明後日はその賭博師の命日でございまして、明後日までで良いのです。」老婆は言った。
「墓石を削るのは命日までと相場が決まっておりますので。」

「それが霊能探偵の仕事かねえ」
「先生、余計なこと言わない」

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恐山杜夫は暫く洒落神戸毒路丸、その助手の閻魔ドロンと行動を共にしていた。
恋人である仮死魔・アントラ・零子が行方不明になったことも説明した。
「フオーウ」閻魔ドロンは言った。
洒落神戸は静かに話を聞いている。
頭の中に女が住み着いていることも説明した。
「フオーウ」ドロンは言った。
「呪われているんです。」杜夫は言った。
「エキサイティング・アンド・エキセントリック」ドロンは言った。
洒落神戸は静かに話を聞いている。

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墓地太郎と猫之助は老婆の勧めで廃寺に泊まっていた。
「考えようによっちゃ墓守なんて楽な仕事だな」と墓地太郎。「見てるだけで金が貰えるんだ、ぼろ儲けだな。ひひ。」
そんな余裕風を吹かす墓地太郎に猫之助は一抹の不安を覚える。墓地太郎の性格が災いするのか、此奴は稀代のトラブルメーカーなのだ。赤子が手を捻る如き平易な仕事が墓地太郎が関わる事によって複雑怪奇な事件に発展するのだ。墓地太郎に言わせるとそれも名探偵の条件なのだと嘯く。猫之助の不安は晴れない。
風がそよ吹く静かな夜であった。
夜行性の習性に惹かれて猫之助は寝室を起き抜けて深夜の墓地に出てみた。
田舎の墓地とは云え、思っていたよりも広い。墓石が整然と並んでいた。
もっと夏草が茂って荒れた墓地を想像していたが、老婆が手入れをしているのか至って変哲のない墓地である。
猫之助は探偵事務所にぶらりと現れた恐山杜夫の事を思い出す。不思議な因縁だ。
杜夫の依頼は結果的に請け負わなかったにも関わらず、今自分たちはその現場に来ている。
猫之助は墓石の中を歩いた。夜の暗闇に墓石の黒色が重なっている。
確か奥に一等古い墓石があった筈だ。その墓石から血が吹き出たという。
果たして最奥に件の墓石があった。墓石と云うよりも粗末な漬物石という表現が似合う。単なる石であるので墓碑は無い。卒塔婆もない。何が埋葬されているのか分からない。墓石に対峙して猫之助は感覚を研ぎ澄ました。

温い風が吹いて猫之助の髪をさやと揺らした。

杜夫はこの墓石に女を見たと云う。蒼白の無表情で睨めつける女。猫之助は物陰から、木陰から、或いは背中越しにそんな女が今もじっとりと猫之助を睨めつけているような気になった。
もしかしたら振り返るとそんな女が居るのではないか。
猫之助は振り返った。

女が居た。
虚ろな顔で猫之助を見ていた。
女が手を挙げて、猫之助を指さした。
「わたしのこどもをかえして」
猫之助は子供など知らない。

「こんばんは。」
不意に背中から声を掛けられた。振り向くと男が居た。
「真夜中にお散歩ですか。」
と尋ねられた。
猫背で丸眼鏡。薄汚れたシャツを着ている。愛想の良さとは裏腹にいかがわしさを感じさせる。

「まあね。」猫之助は答えた。
「マボロシ卿の墓をご存知ありませんか」
マボロシ卿とは件の賭博師の渾名である。
「知ってるよ。」
「案内して頂けませんか?」
「駄目だね。」
「何故です?」
「僕はおたくみたいな連中から墓を守るために雇われたんだよ。無理をするようなら警察を呼ぶぜ。」
警察の言葉を聞いて男は怯んだようだった。
「そんなつもりは無いんで御座いますよ。拝むだけ、拝むだけなんです」
「本当に?」
「勿論でございます」
猫之助は老婆から教わったマボロシ卿の墓石に男を案内した。
マボロシ卿の墓石の前に人頭くらいの大きさの丸い石がある。老婆から依頼されたのがこの丸石の保護であった。マボロシ卿の霊験を狙ってこの石を盗もうとする輩が絶えぬらしい。
「ありがたや」と男は墓石を拝んだ。
そして丸石に手を掛けるとばっと飛び上がった。
「なんと」猫之助は男の身体能力に驚いた。男は忽ち杉の木の頂上に登った。
「石は頂いたぞ!」
と叫んだが
「おい」と矢張り瞬間的に杉の木の頂上に飛び移った猫之助に制された。猫之助は男から石を奪って男を下に叩き落とした。
起き上がった男の傍らに既に猫之助は立っていて、威圧的に男を見下した。
男を踏みつけて、その足に徐々に力が入る。日頃、腹など立てない猫之助であったが何故か無性に怒りが湧いてくる。

「ひい」
猫之助に敵わないと悟ったのか、男は慌てて逃げ出した。

それで猫之助も我に返った。少し怒り過ぎたか。反省をした。それにしても墓石を奪おう等となんと不遜である。
死者たちが怒るのも仕方ない。猫之助は溜息をついた。

それから猫之助は僧房の寝屋に戻り床に着いたが、墓場の最奥で首括りの遺体が見つかったのはその翌朝の事である。

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死体発見の通報を受けて大勢の警察関係が廃村にやってきて検分が行われていた。
死んでいたのは廃墟マニアの女子大生で、他の友人二人と旅行に来ていた。

友人の話に寄ると夜中に起きてぶらりと外に出て行ったのだと言う。丁度気配で目を覚ました友人が声を掛けたが何も応えずに出て行ってしまった。
大方トイレだろうと気に留めず、友人も寝て仕舞ったが、よく考えれば様子がおかしかった、という事であった。

最近、彼氏との関係で悩んでおり、今回の旅行もこの廃寺がエンジェルスポット協会のガイドブックに認定されたことを受けて運気を上げるために当人が企画をしたらしい。

遺体に損傷がなく、周囲に争った形跡もないため、それなら自殺でしょう、と警察も結論して廃村に居た者共に形式的に事情聴取して事は終わるようであった。

墓地太郎達も稀有な出来事に遭ったものだと、互いに話し合った。墓守は二人が交代で行う事にした。日中は墓地太郎。夜間は猫之助が主に石を見張る。老婆によればあの石がマボロシ卿の力の源なのだと言う。猫之助は僧房の日陰ですやすやと寝た。

猫之助が夕方、起きると寺務所を務める老婆に警察が挨拶をしている所であった。
一通りの事情聴取が終えてこれから街場に帰るという。

ところが其処に団子屋が駆け込んできた。
また死体が上がったという。

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また、女がいた。
猫之助の前に女が立っていた。
「あんたのこどもなんて知らないよ」
猫之助は言った。
「苦しい」
女は言った。
「苦しい」
女は口を開いた。真っ赤な口内。犬歯が伸びて牙になった。女は鬼に変じた。
「苦しい」
女鬼は言った。

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廃村にいる人々は騒然となった。
墓地太郎たちも仰天した。
帰ろうとしていた警察関係者たちも大わらわのうちに再び検分の準備を始めるのであった。

今度の死体は先に死んだ女子大生の同行者のうちの一人であった。発見されたのは墓地の最奥。
漬物石の墓所である。
漬物石の上に首が乗っていた。
体は隣に座っていた。腹が割かれていた。
これは流石に自殺にはならない。殺人事件として捜査が開始された。
これが殺人事件ならば先の女子大生も殺されたのではあるまいか。事態は遡って事件性を帯びて当該事案は連続殺人事件に成ったのである。

女子大生は三人組であったので、死んだ二人の他にもう一人の女子大生が居る筈であったが、行方が知れない。
相成らば其奴が犯人であろうとか、其奴もまた何処かで殺されているのだとか廃村の人々は色々の事を話した。
警察はその娘の行方をテッテ的に探した。
車道の通じていない廃村から出るには鉄道に因るが、鉄道に乗った形跡は無い。奥深い山山に入るのは自殺行為で其れも考え難い。矢張り殺されて埋められでもしたのではあるまいか。成らば娘を殺した犯人は他に在る訳で、第一犯行から第二犯行、更には想定される第三犯行に至る迄、この廃村に居た人間は数が知れている。そこから犯行時間に他人と接点があり、犯行が不能であったと看做される人間を除外すれば、犯人と疑わしき人物は僅か三人であった。

まず容疑者の第一は旅烏新衛門。廃墟マニアでこの数週間、古民家に忍び込んで暮らしていた。廃村の家は朽ちた家屋も多いが中にはまだ暮らせるような家屋も僅かにあり、時折無法者が侵入している。廃村故に其れを気にする村民もおらぬ。中には数ヶ月住む者もあり、不意に同居人が出来る事もある。旅烏は大学生という事であった。大学を休学して全国を旅しているらしい。この村が気に入って暫く住んでいる。住むうちに寺務所の老婆とも親しくなって、老婆から野菜など貰ったり、ひねもす世間話しながら暮らしている。
性格は宜しいが一人で廃屋に住んでいるため、無実を証明できる者がいない。故に容疑者の候補に成って仕舞った。

第二の容疑者は江洲恵留泥吾一。撮り鉄である。霧の中の電鉄と絶景駅を撮ろうと数週間滞在して線路沿いにテントを張って暮らしている。霧を狙って明け方に活動しているため、日中はテントの中で寝ている。そのため、人目に付くことが少なく犯行不可能を証明出来る人間がいなかった。シャッターチャンスに恵まれず苛苛している姿が頻繁に目撃されている。
他の滞在者と関わろうとする事も無かったため、性格は知れない。

最後の容疑者候補は黄泉比良坂墓地太郎であった。
僧房に下宿していたので、常に所在が知られて居そうなものであるが、人間嫌いの性格が災いし、他人と接点がないこと、存在感が希薄であること、老婆や団子屋の心証が宜しくないため積極的に庇う人間が居ないことが重なって容疑者扱いされてしまった。
猫之助は熱心に墓地太郎を弁護をしたのだが聞き届けられなかった。猫之助と墓地太郎は交互に墓守をしていたため、猫之助も墓地太郎のアリバイを証明できない事も理由となった。
猫之助が刑事に最有力の犯人候補は誰か尋ねた所、圧倒的に墓地太郎であると教えられた。
一連の猟奇殺人に前二者は相関を得にくい。しかし霊能探偵等と巫山戯た肩書きの墓地太郎はすこぶる猟奇殺人の犯人として「似合っている」のであった。

墓地太郎と猫之助にとって紛れもなく窮地が訪れていた。

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「フィーチャー!」
そんな折に廃村に洒落神戸毒路丸とその助手閻魔ドロン、そして二人に同行する恐山杜夫が到着した。
「アバンギャルドゥ!」

「チミ達、イカしてるんじゃナーイ?」
警察が詰所にしていた廃屋に現れた洒落神戸達に、警察官達が敬礼した。
「トゥゲザー!」
ビシッと両手の人差し指をキメるドロン。その傍らに静かに佇む洒落神戸に警察の上長が事情を説明した。
「アーハーーン!トワイライト!」

洒落神戸は探偵の立場で県警に協力し、幾つかの難事件を解決していた。コロッケ殺人事件の時に、コロッケ屋の主人を殺したのは雇われていた女中で、犯行に使われた凶器は凍らせた挽肉だったことを喝破した話などは署内の伝説になっていた。

「洒落神戸殿は一体此の事件をどのように見ますか?」と上長である勅使河原警部は尋ねた。
「勅使河原殿。真実とは全きシンプルで美しいものです。私に言わせれば事件とは精緻に作られた芸術的なパズル。」
「ほほう、というと?」
「事件は起こるべくして起こるのです。即ち必然。三人がそれぞれ犯人だったとして、その時の動機を考えてみれば良いのですよ。廃墟マニア殿がJDを殺した動機は?首を括る動機、首を切り落とす動機。腹を割く動機。」
上長は考えてみたが、旅烏が女子大生の首を切り落とす事などに動機は思い浮かばない。それは撮り鉄の泥吾一にしろ同じであった。
「となると…」
「左様、犯人は黄泉比良坂氏でしょうねえ。何せ彼奴は霊能探偵等と巫山戯た職種。さっさと捕縛して打首獄門に処するのが宜しいでしょう。」
「うむ」と勅使河原警部は頷き部下達にその命を下した。
という訳で早々に暴れる墓地太郎は大勢の警察官に抑えられながら市街の警察署に運ばれて仕舞った。

猫之助は思う。人徳の欠如した人物は生きていくのが難儀だな、と。

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かごめ論考2
「かごめかごめ」の後段は「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」とある。夜明けの晩は夜で無く昼でない時間。その中有は「彼は誰時」、或いは「誰そ彼時」と言われる薄明薄暮であろうか。
物事の分別が曖昧となる時間である。
鶴と亀は縁起物であるが、滑るのは忌み事でここにも二律背反が生じている。
この時間、乃至は空間は同時に何もかもが存在する事の示唆とも取れる。生者と死者が、聖なるものと邪しまなるもの。

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猫之助に洒落神戸が語る。

「猫君。」
見給え、この森を。
かつて樹木葬なるものが流行した事がある。墓石の代わりに樹木を植えたのだ。

森林の中を二人は連れ立って歩く。木々は喬く生えていた。長久の樹齢を累ねている。盛夏の太陽は樹影に遮られて森林の中には届かない。淡い光が木漏れ日になって仄かに光の礫を落としていた。木々は何も喋らない。二人の遥か頭上で静かに葉擦れの音を立てていた。
猫之助は洒落神戸の話を聴きながら森林の音に耳を澄ませていた。
生き物達がいる。小さな動物、昆虫たち。原始的な節足動物。土の中の環形生物。微細な分解者たち。大小の様々の生き物達がパズルピースのように凝集して森林という一の生き物を形作っていた。その胎内に猫之助たちはいる。
命の声が重奏して荘厳な音楽を奏でていた。

森林に鳴り響く生命の交響曲の中で人間の声は矮小であった。その矮小の声で洒落神戸は語る。

植えられた樹木は生長して森林になった。
ほらよく見るとどの木にも墓碑が付いているだろう。
木々のひとつひとつに死者の追想が刻まれていた。

生と死が同梱している。猫之助は生と死のひしめく狭間に立っているのであった。

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独りとなった猫之助はマボロシ卿の墓守をしていた。
墓地に陰はなく太陽は猫之助を直射した。
整然と並ぶ墓石が幾何学の影を作っていた。太陽熱で意識を朦朧とさせながら猫之助は自らが何十年と彳む一体の墓石になったかのように錯誤した。

陽炎の中から男が現れた。ひとつふたつと猫之助は蒙昧の中で男達の頭を数える。ひとつ、ふたつ、みっつ、男達は八人いた。
どの男も同じ顔をしている。
「マボロシ卿の墓は此方でござるか」男達は言った。
「如何にも」猫之助は言った。
「墓の丸石を頂きに参った」と男達は言った。
「我は墓守。丸石を渡す訳にはいかぬ」と猫之助は言った。
「とすると何とする。」
「お引き取り願おう。」
「我らは親から授かった仁義礼智忠信孝悌を忘れた忘八兄弟。我が名は長兄忘一。仁心の亡き者。」と錫杖を鳴らす。次いで隣の同じ顔の男が今度は
「我が名は次兄忘二。義心亡き者。」と錫杖を鳴らす。
忘八達が錫杖を鳴らしながら猫之助を取り囲み、輪を狭めていく。輪を狭めながらくるくると周囲を巡る。
錫杖が鳴る度に、男達が廻る度に猫之助は抗し難い痛みを感ずるのであった。
「いざいざ丸石を与え給え。」
打鐘打鐘と錫杖が鳴る。
「阿」と猫之助は今や己が存在の危機を識った。このままでは猫之助は霧散してしまう。打鐘の中で猫之助は混迷に己が自同律を保つ。危機、危機、危機。金属が摩擦するような断絶の音が猫之助の頭内に響く。意識が潰える。

ぱん。
と柏手が鳴った。
猫之助は我に返った。
八つ子達は消えていた。
傍らに洒落神戸が立っていた。

「もう大丈夫だ、猫君。」
と洒落神戸は言った。
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かごめ論考3
正邪の混沌の中に存在出来る者。一体其れは誰なのか。その者が「後ろの正面」にいる。

前段の「籠の中の鳥」囚われの虜囚が如何なる暗示であるのか人々は空想を膨らませる。曰く妊産婦であったり死刑囚。
「かごめ」の「め」が「女」に通じる事から女性に絡んだ連想がされる事が多い。
妊産婦や死刑囚もまた対当関係、つまり矛盾を含む存在である。妊産婦は同時に二つの命を持つもの。死刑囚は生きている死者。他には胎児。胎児は未だ生なき生。

死体。これもまた矛盾を含む。個性を持って生きていた人間が姿かたちはそのままに、つまり半分は生命体のまま、半分は非生命体である。
人間は無から生まれて無に還る。そうした不可避の矛盾的状況に対する根源的恐怖が共通認識となってこの童歌を支えている。

「後ろの正面だあれ」
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その晩。
廃寺の本堂に老婆と団子屋、猫之助、洒落神戸に恐山杜夫が集まった。

「さて。本事案は或る独りの男が呪いを受けたと訴える事に端緒する訳ですが。そろそろこの物語も締めたいと存じます。」

猫之助は洒落神戸の話に耳を傾けていた。男とは其処に座っている恐山杜夫の事である。彼を男と言うのであれば、だが。猫之助から見て恐山杜夫の奇異感は初見から今に至っても未だ消えない。

「先ず結論から申しますれば、かの男の訴える呪などございません。その男の迷い事で御座います。」

「先生、お言葉ですが俺は本当に呪われているんでげす。」杜夫は言った。
俺の大切な零子がいなくなったんです。
俺の頭の中に誰かが住んでいて、歌を歌っているんです。

これは事実なんだ。
杜夫の怒声に誰もが静寂した。
「奇異だ。」猫之助は思った。

その時。

カゴメ・・カゴメ・・カゴノナカノ・・トリハ・・
本堂の暗がりに小さな声で歌が聞こえだした。

「歌?」
誰かが言った。歌が聞こえている。少女の声で。

これが杜夫の言っていた頭内の歌なのだろうか。猫之助は思った。奇異だぞ、奇異。
だってこの歌は他でもない「杜夫自身」が歌っているのだから。男だと自称し、声色を使って話す杜夫が、自身のまだ少女の態が抜けぬ自らの肉体、その声帯を使って歌っているのだ。まだうら若き乙女「杜夫」が。
そもそも黄泉比良坂墓地太郎が杜夫の話を取り合わなかったのもその所為である。少女が突然現れて自分は男で呪われている等と語るものだから、つい面倒になって追い返してしまった。一体、自分は、自分たちは何の茶番を見せられているのだろうか。

猫之助は其の杜夫と名乗る少女の珍妙な一人芝居を見守った。

「もう良いよ」と
呻く杜夫の肩に手を置いて洒落神戸が言った。
「もうお仕舞い。」
そしてぽんと柏手を一つ打った。

少女は気を失くして倒れた。そしてその少女の肉体から黒いものが幽と抜けた。
それは一体の幽魂であった。男の体をしている。
幽魂は周囲を見回した。そして唖然とした。

「ひ」
老婆が頓狂な声を挙げた。
「杜夫」

「そう。皆様、改めましてご紹介致しましょう。恐山杜夫氏で御座います。」と洒落神戸は幽魂を紹介した。

「本当に?」老婆は呻いた。

「本当ですとも、五十年前の太陽光発電所を作る為の造成工事で事故死した、あなたの伴侶たる恐山杜夫氏ですよ。」

「嗚呼、嗚呼」
老婆の目から泪が溢れた。
「杜夫さん」

霊魂である杜夫氏は事情が飲み込めないようだった。「誰?」と狼狽している。

その杜夫に洒落神戸は言った。
「あなたの探していた仮死魔・アントラ・零子さんですよ。あなたが死んでから五十年の月日が賦課されておりますがね。」

「え?」
「ええ?」

「あなたがこの廃村の墓地に葬られて、ずっと彼女は墓守をしていたんです。ソーラー発電所の再開発計画に一人抵抗しながら。」

「零子なのか?」杜夫は尋ねた。
「そう、そうよ」仮死魔・アントラ・零子は答えた。「もう、おばあちゃんになっちゃったけど」

「彼女はね、あなたの墓石をずっと見守って来たんですよ。マボロシ卿と異名を取ったあなたの墓石は多くの人間が運にあやかろうと墓石を削りに来た。それをアントラさんは独りで守ってきたんだ。」

杜夫は洒落神戸の話に黙って耳を傾けた。

「ほら、何か言ってあげて下さい。」

杜夫は言った。
「零子」
零子は答えた。
「うん」
「変わらないな、君は。今も綺麗だ。」

二人は無言で視線を交わした。視線の中に五十年の言葉が交わされているようだった。

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猫之助は再び洒落神戸と森の中を歩いていた。

結局、恐山杜夫氏は五十年前に死んでいたんですね。
と猫之助は尋ねた、

そう。杜夫氏は墓石から血が吹きでたと言ったろう?本当はね、砕けた墓石の破片が弾丸の如く杜夫氏の顔面を貫通したのだ。彼は頭部を半分無くした。彼が最後の瞬間に見ていた血は自分から噴き出した血だよ。
墓地を無碍に扱ったからね、バチが当たったのさ。

君も見たろう?最奥の墓石を。

ええ、あの墓は誰の墓なんですか?
あれは産女の墓だよ。
産女?
そう、姑獲鳥(うぶめ)。出産時に死んだ女は産女という妖怪になる。自分の子供を探して迷い出る鬼になるんだ。
この村の風習では産女になる死体は墓に入れない。あの奥の石の下に埋められるんだ。あの石は死体が生き返らないようにするための重石の役目をしているんだね。
あの下には弔いもされずに封じられた何人もの死体が埋まっているんだよ。

先生、

なんだい猫君

この度の依頼は何だったんでしょう?

君はマボロシ卿の墓守を頼まれたんだね。
そうです。

君が守っていたものはマボロシ卿の墓であって、本当はもっと違うものだったんだよ。

先程の産女の封印石は母石と呼ばれれる。本来、母石の上に子石と呼ばれる小さな石を置いたんだ。生まれなかった子供の代わりにね。

僕が見た時にはそんな石はありませんでしたよ。

そう、その石は他の所にあったからね。
マボロシ卿の墓の上に丸い石があったろう?
お婆さんは削られてしまったマボロシ卿の墓だと言っていたけれど違ったんですね。

仮死魔さんは、君に子石を守らせていたんだ。
そして君の前に現れた者共はマボロシ卿の墓場ではなく子石を奪いに来ていたのさ。
どうしてそんなことを?

呪いを作るためだよ。

母石は産女の封じ石であると同時に産女の化身でもあるんだ。子石を乗せておかないと産女が子石を探して強烈な呪いが発生する。「祟り」と言う奴だよ。

仮死魔さんはね、マボロシ卿、つまり恐山杜夫氏の墓があるこの墓地をずっと守ってきた。
所が、最近になってこの墓地に再び発電所計画が浮上した。既に高齢で他に協力者のいない仮死魔さんにはもう反対運動などする力はない。だかは仮死魔さんは、呪いの力で工事を阻害していたんだよ。母石から子石を奪ってね。敢えて近付く者が呪われる状況を作ったのだ。

地質調査でボーリング工事機械が倒れる。落盤が起こって怪我人が続出する。女の霊に悩まされて工員が発狂する。
工事はいつまでも始まらない。
この工事契約には発注主の特約条項があってね、決められた期日までに請負業者が着工できなければ契約は請負業者の責任で反故される。当然契約金は支払われない。それまでに発生した費用への保証もない。
請負業者は必死になって着工しようとする。だが不運が重なって着工できない。
その時に子石の存在に気付いたんだ。
子石を母石の上に置けば祟りが治まる。
君の前に現れた者共は工事業者から差し向けられた刺客だったんだよ。
君は見事に子石を守った。つまり、この地場に発生している呪いを、守った。

昨日までに着工出来なかったこの工事は特約が発動して反故になったのさ。

そして子石は母石の上に。これで一件落着。

それにしてもどうして恐山杜夫は蘇ったのでしょう?

うん、多分ね。
仮死魔さんは、子石を母石から奪って何故か恐山杜夫の墓にそれを置いた。
子石も呪具だからね。恐山杜夫に呪いの力が少しづつ蓄えられたんだ。
そうして子石と恐山杜夫に呪力の供給関係ができた。所がそれを壊した人間がいる。

あの、と猫之助の背後から声がした。
見ると女の子が立っている。
それ、多分あたし、です。

彼女の名前は夜蝶アゲハ。この物語には最初から登場している。そう幽魂である恐山杜夫の依代として。黄泉比良坂霊能探偵事務所に現れたのが彼女であった。彼女は巫者の血族で日常生活に支障を来すほどの憑依体質だった。

夜蝶アゲハは語る。エンジェルスポット巡りをしていて一番奥の墓石を見て、それから帰り道にマボロシ卿の墓の前を通ったら、無性にこの小さな石が気になって。何かに促されたような気になって。
気が付いたら手に取って眺めていた。
そしてあの、感じが彼女を襲った。
彼女は憑依体質の人間である。彼女に何者かが憑く時、彼女は「裏返る感触」を味わう。背中の肉がめくれて蝶々の翅になって、その翅が彼女を包み込むような。憑依されている間、彼女は翅の中で眠る。彼女の肉体に起こる出来事を夢の中から見ている。

「かごめかごめは、君が歌っていたのか。」猫之助は尋ねた。
「夢うつつの中でかごめかごめと歌って居たような気も致します。」
「もしかしたらその歌は封じ石の下に眠る産女達への鎮魂歌であったのかも知れないね。」洒落神戸が言った。

「お騒がせして本当にすみませんでした。」と彼女は頭を下げた。

「先生、もうひとつ気になることが」猫之助は洒落神戸に問うた。
「何かな?」
「女子大生は誰に殺されたんでしょう?」
「そうだなあ。」

あの時の墓地は産女の呪いが発生していて、誰が産女に取り憑かれてもおかしく無かった。
その狂気に侵されて誰が殺されても殺してもおかしくない。少しの狂気が何十倍にも膨らむ状況だったんだよ。
でも折角だから聞いて見ようか?

誰にですか?

死んだ本人にさ。

夜蝶アゲハは気持ちを鎮めて呼吸を整えた。目を瞑ってじっと動かずにいる。そうすると夜蝶アゲハの背中に近付いてくる者がある。

誰ですか、とアゲハは尋ねたが返事は無い。このような得体の知れぬ者に憑依されるのは気持ちの良いものでは無い。嗚呼、また。
アゲハは黒い翅に包まれて眠りに落ちていく。
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「僕は、殺された。」

夜蝶アゲハが話し始めた。
夜蝶アゲハには今、何者かの霊が降りている。先程までの夜蝶とは明らかに様子が異なる。
「僕」と名乗った。男なのだろうか。
「僕は殺された。」といまこの男は言ったのだろうか。
殺されたのは二人の女子大生である。男ではない。

もしかして。
第三の殺人が猫之助たちの知らぬ所で行われたのだろうか。

「あなたは今、何処にいるんですか?」
「水の底に沈んでいる。ここは暗くて、寒い。そして悲しい。」
「あなたの名前を教えて下さい。」
「えすえる・・・でごいち」
猫之助には聞き覚えのある名前であった。確か女子大生殺人を巡って警察が示した重要参考人のうちの一人。鉄道マニアで駅の写真を撮りに廃村に来ていた。線路沿いにテントを張って自炊していた筈だ。昨日警察から調書を取られているのは猫之助も見ている。その後にまさか殺されたのだろうか。

「あなたは誰に殺されたんですか?」
洒落神戸が言った。

「ねこのすけ」と泥吾一の霊は言った。

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猫之助と洒落神戸、その助手の閻魔ドロン、夜蝶アゲハはローカル鉄道のボックス席に座っていた。出発までに間があるので適当に時間を潰している。
「ポッキー食べる?」
ドロンが猫之助に聞いた。
「いや結構」
丁重に断る猫之助。
「ポッキー食べる?」
今度は夜蝶に尋ねた。
「じゃあ」と夜蝶はドロンからポッキーを受け取ろうとしたが、ドロンはそれを口に咥えてポッキーゲームを夜蝶に強いる。
「止めなさい、ドロン君」
洒落神戸がドロンを諌めた。
「ドロン君の冗談だから気にしないで」
と夜蝶にフォローした。

昨日、大学生の旅烏が逮捕された。
旅烏は撮り鉄の江洲恵留泥吾一を殺害したのだ。
旅烏と泥吾一は女子大生一行と廃村で知り合いその中の一人に惹かれ三角関係に発展していた。
その女子大生が行方不明となっていた水瓶座やぎである。その三角関係の確執から旅烏は泥吾一を古井戸に沈めたのである。
だが旅烏が水瓶座やぎと結ばれる事は永遠にない。水瓶座やぎは泥吾一が殺しているからだ。死体は山中に埋められていた。猪が掘り起こして、半分はケモノに喰らわれてしまった。水瓶座やぎに恋慕していた泥吾一であったが、水瓶座やぎが殺した女子大生、夢路うたたねを「バラす」手伝いをさせられた事から水瓶座やぎを恐怖するようなり、因業を断つために殺したのだと言う。
夢路うたたねの死体は隠蔽のためにバラバラにされる予定であったが途中の猟奇的段階、つまり首を切り落とし、胴体を切り分けようとした時点で発見されてしまった。
旅行のためにこの廃村に訪れた時、水瓶座やぎ、夢路うたたね、黄色ぼたんの女子大生三人組は決して仲の良い三人ではなくなっていた。知らずのうちに三人ともが同じ男性と付き合っていた。それに気付いたのは最初に殺された黄色ぼたんであった。ぼたんは夢路うたたねに其れを話して諦めて貰おうとしたが、実は夢路うたたねは男の子種を宿していた。うたたねは「つい」逆上しぼたんを殺してしまう。自殺に見せかけるために首を括った。
つまり、黄色ぼたんは夢路うたたねに、夢路うたたねは水瓶座やぎに、水瓶座やぎは江洲恵留泥吾一に、江洲恵留泥吾一は旅烏新衛門に、それぞれ殺されていた。

夜蝶アゲハに泥吾一の霊が降りて自供された後に、村の中に隠れていた勅使河原警部と閻魔ドロンによって旅烏は速やかに逮捕されたのだ。本人も罪状を認めている。

「泥吾一の霊が僕の名前を名指しした時は驚きましたよ。」
「呪いの地場を守っていたのがキミだったからね。泥吾一は呪いの正体に気付いていたんだ。」
「先生は最初から墓地太郎が犯人では無いと分かっていたんですね。」
「犯人が分からなかったから、警察が身を隠して犯人を炙り出す必要があった。だから事件に無関係な墓地太郎氏にはご退場願ったんだよ。勿論この事は勅使河原警部しか知らないから、墓地太郎氏は未だ拘留されているけれどね。人に無遠慮な彼には良い薬だよ。」
「疑いも晴れたから猫君が身柄を引受に行くのかな」
「そうなりますね」
「墓地太郎の所なんて辞めてウチに来ない?」
「いやいや…」

「あ、団子屋さんと仮死魔さんが見送りに来てくれましたよ。杜夫さんもいますね。」
杜夫が再生したのは産女の封じ石の子石の呪力によるものであった。いま子石は母石の元に戻され杜夫への呪力供給は絶たれた。いずれ杜夫の幽魂は消失するのだと言う。
仮死魔さんが深々と頭を下げた。
団子屋さんが窓から廃墟団子を手渡してくれた。

ホームでベルが鳴り電車が動き出した。
猫之助は拘留中の墓地太郎の不遇を想像してくすりと笑った。

(短編小説「黄泉比良坂墓地太郎事件簿「かごめ」」)

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20200801初稿