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七つの前屈ep.硝子張響「血塗の赤春~壊せ、傷。~」⑨


9.


「──ま、なんにしても無事でよかったぜ」


「無事じゃねえよ! 死にかけたわ!」


 港の倉庫街における、脅迫男とその手下たちとの抗争(?)から、数時間後。

 日が傾いてオレンジ色に移ろいゆく空の下、いつもの公園のベンチに、硝子張響と利手川来人は並んで座っていた。


「命さえありゃみんな一緒だろ」


「おま、お前なあ──」

 自分を投げ飛ばした相棒に、苦言を呈そうとして。
 
 しかしその男の、実はだれよりも増えている傷が視界に入り──乱闘のさなかにおいて、響は来人を相当庇いながら戦っていたらしく、だから最後のとどめで特攻がかけられなかった──押し黙る。


「──まあ、そうかもな。命さえありゃ、何度だってやり直せるしな、人生なんて」


「なんだお前、いきなり悟ったように。気持ち悪ぃ」


 そこまでの勇猛をまざまざと見せつけられて、文句もなにもあったものではない。


 利手川来人にとって硝子張響は、いつまでも憧れそのものなのだ。


 初めて拳を交わした、あの日から。


「しかし、今日のあの男……俺が三年前に属してたチームのボスと、なんか似たとこがあったなあ。ま、格っつーか、悪党レベルはけた違いに低かったけど」


「あー……あの、『なんとかカービィ』みたいなやつか?」


「『ニードルビー』な。俺やだよ、そんな真っピンクなカラギャン」


 放課後の教室や練習後の部室で繰り広げられるみたいな、たわいもない雑談。


 友達と呼ぶには生々しく、親友と呼ぶには照れくさく、仲間と呼ぶには気恥ずかしい関係。


 互いの背中の温度を知る、男同士の会話。


「ただ──あいつの懐から出てきた袋。あれは見過ごせねえ」


 騒動の後、響は完全に伸びている脅迫の男の傍に、小さな袋が落ちているのに気づいた。

 拾い上げてみると、そこには白い粉が入っていた。


 快楽と引き換えに、人間を壊す魔性の薬。


 響は、姉の目に着く前にさっと自身の懐にそれを押し込んでから、脅迫の男をもう一度、力強く踏みつけた。


「あいつ、キメてやがったのかな。あんな行動起こすくらいだし」


「いや、野郎はただのウリだ。……ほんとうにぶっ壊れちまった人間は、目つきが違う。相当強力なバックがついてやがるんだろうぜ、大胆な喧嘩を吹っ掛けてきたのも金云々の話も、おそらくそこだろうな」


「じゃあ……どうするつもりだ?」


 域還市では最近、高校生も巻き込んだ麻薬物の売買が頻繁に摘発されている。


 国家公務員もようやくその重い腰を上げ、事態の収拾に身を乗り出している。


 近隣の学校でも、なんらかの対策を施さねばという動きもあるらしい。


 事件は刑事や教師も巻き込んで、より複雑になっていく。


 その全貌を掴むには、いろんな角度から世界を眺める必要があるだろう。


 流動に呑まれるがまま定義を誤れば、文脈は崩壊する。


「決まってんだろ。全部ぶっ壊してやるだけだ」


「……だよな。お前の勇猛は、いつも不条理を壊すためにあるもんな」


 雀蜂鋭利。すずめばちえいり。『ニードルビー』元族長。黄色い注射器。狡猾軍師の危険信号。


 絡糸操指。からめいとそうし。『ニードルビー』元構成員。感興篭絡の「人形遣い」。


「まあ、まずはこの街でなにが起こってるのかを把握することが先だろうな。話はそれからだ」


 物語はそれからだ。


 突き進んではぶっ壊し、喧嘩を売っては恨みを買ってきた硝子張響の人間性は、幾多の血塗られた固有名詞と抗争の果てに成立している。


 しかしそれはまた、別の話。


 まずは過去より、未来へ進もう。


「そっか、そうだな。……じゃあ俺は、もうひとつの戦いにケリをつけとくわ」


「もうひとつの戦い?」


「告るわ。あの子に」


「あのバカっぽい女か。まあ勝手にしな」


 ──そういや信号で居合わせたあの女が、雑魚共が隠れてやがることを教えてくれたのは、まあラッキーだったか。さすがにあの人数にいきなり襲い掛かられでもしたら、ぶっ壊れてたのはこっちだったかもしんねえ……それにしても、どっかで見たことあるような顔してたか──などと、彼にしては珍しく、もうすれ違うこともないであろう少女のことを思い出しながら。


「でもだいじょうぶ! 彼女ができても、俺はお前の右腕として、スカイレッドを守り続けるから。この夕暮れ刻みたいな赤い空こそが、俺達の青春だ」


「ふん、くだらねえ」


 親友の恋を鼻で笑う。


 この先遠くない未来、そのほんと数日後に、いつも傍にいた彼とは連絡すら取れなくなることも、先刻の信号で偶然交わった破綻と幸福のふたつの道が、今度は決定体に交錯することなど、これっぽちも考えずに。


 とにもかくにも、物語の軸は、流動する。


 いくつかの崩壊と成長に向かって。


「それにほら、右腕だとか言われてもよ──」


 次の舞台の主役は、彼。


 生傷絶えない先兵大将。


 矛盾を抱えたモスキート。


 血で血を洗うカラーギャング。


『勇猛』に破綻した喧嘩屋──硝子張響。


「俺は、左利きなんだよ」


 進めば壊れる彼が選択を神に委ねるまで、あと──。

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