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「農法選択の自由」を勝ち得た、日本農業の革命的事件<りんご無農薬裁判>①〜「奇跡のりんご」を育てた木村秋則さんとの出会い


札幌弁護士会所属、村松法律事務所所長 弁護士の村松弘康です。

以前、NHKドラマ「マッサン」で有名になった余市町の隣に、仁木町という豊かな自然の恵みで果実の栽培が盛んな町があります。

今では、余市町・仁木町には個人ワイナリーも増え、日本ワインの生産地として全国のワインラバーからの注目地区の一つにもなっています。

私自身も、週末農民生活を時折送っています。

木村秋則さんと共に、ワイン用葡萄の苗を剪定する村松弘康 

今から13年前の「Hokkaido木村秋則自然栽培農学校」の立ち上げから木村校長の下で副校長として運営を支援しています。

こうした私が農業活動をするきっかけは、裁判の証人としてお願いした木村秋則さんとの出会いから始まります。

それは1989年(平成元年)3月のことでした。

札幌地方裁判所小樽支部に、仁木町の無農薬農家 江本さんが防除組合の組合長から損害賠償を求める事件が提訴されました。その理由は、りんごが黒星病に感染したのは農薬を使用しない農家に責任があるというのです。

この事件は「りんご無農薬裁判」と呼ばれ、農業と食のあり方を巡って全国的な関心を集めました。

裁判の傍聴者の中に、期日の度に青森県弘前市から小さな車で駆けつけてくる小柄な男性がいました。

この男性こそ、弘前で無農薬・無肥料で「奇跡のりんご」を育てていた木村秋則さんだったのです。

当時、木村さんは8年間に及ぶ無収穫の苦難を脱し、ようやく農薬、肥料を使わない自然栽培によるりんご栽培に成功しつつあった時で、りんごの木に青蛙が戻ってきた様子を喜々として語ってくれました。

木村さんは、「山の木は農薬、化学肥料を使わなくても成長し、たわわに実をつけている。なぜか? 土壌の微生物が働いているとしか考えられない。」と語っていました。

(次回へつづく・・・)

2022年 道新ホール(北海道札幌市)で実施した公開シンポジウム後に行われた
「Hokkaido木村秋則自然栽培農学校の卒業式の模様」
壇上 左が木村秋則さん、右が村松弘康。

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