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死ぬほど後悔している高校時代の恋愛について

今でも「あの時あの場所に向かっていれば私の人生はどうなっていたか」と空想にふけることがある。

さて、ここで諸君には一つ心理テストを受けていただく

今あなたの目の前には壺があるが、一体中には何が入っているだろうか

1.砂
2.大量の小判
3.ハチミツ
4.家系図



1を選んだ人は現実主義
2を選んだ人は金に関する話で騙されやすい
3を選んだ人は甘い話に流されやすい
4を選んだ人は家柄などに惑わされやすい

といった、まあ大体予想通りの結果だろうと思う。

しかしまあここで私がこのような心理テストを引用してきた理由は、私が経験した高校時代のとある恋愛がまさにこの心理テストそのものだったからである。そのことに気付いたのがつい最近だったから今こうして文章に収める気になったという次第だ。

ああ、思い出すだけでも嫌なはずなのに、同時に自らの滑稽さを他人事のように嘲笑するかの如くこの話を綴っていくことになりそうだ。



あれは高校2年の時まで遡る。
当時の私は学校生活があまりにも面白くなく日々現実逃避のように堕落し合った友達と「死にてえ」と呟くだけの、生ける屍。たまたま学校からの帰路にいた私を見かけた母親からは「疲れ切っている姿が可哀想だった」と言われる始末。

かと言って私も入学した時からずっと死にかけていたわけではなく、何なら高校1年の時はメンバーにもかなり恵まれ、成績は学年の下位10%を彷徨いながらもそれなりに楽しい友達もいたものだ。

しかし高校2年になると状況は一変。1年の頃に仲が良かった奴らは全員理系に進み、文系を選んだ私の周りには低俗で何が面白いのかも分からないノリで盛り上がるだけの下郎が跋扈する羽目になった。

そんな中でも私は彼らに理解を示そうと一度奴らの輪に入ろうとしたことがある。
廊下で一人のイジられキャラを囲んでいつものように何一つ面白くないノリで盛り上がっている5~6人の集団のうちの一人に私は声をかけた

「今何やってるの?」

「いや、ええから。」

「いやいや、何やってるの?」

「いや、ほんまええから」

とまあ、低俗な連中に情けをかけこちらから歩みを寄せた結果がこれである。
あの時の私の心境といったら、「ああ、そうですか」と言葉にもならない呆れ。とまあこんな感じでクラスにろくに仲間もおらず、人と喋ろうと思えばわざわざ下の階まで移動して理系の教室にいる友達の元に行くしかないという、当時を思い出せば毎日が曇り空だった記憶しかないような学校生活を送っていた。

そんな日々が続く中、私は全く興味が無かったがある日世間はハロウィンを迎えたらしい。どうやらトリックオアトリートなどと言って誰彼構わず菓子を渡す風習があるとかないとか。

というか、私は例の事件が起こるまでその日がハロウィンだったことすら知らなかったし、それが何を意味しているかも勿論知らなかった。
そう、例の事件が起こるまでは、、、

あれはハロウィンの午前中の休み時間だったか、私はその日理系の友達の元に向かう気にすらなれず自分の机で伏せて寝たふりをしながら次の授業の開始を待っていた。

が、突然誰かが私に声をかける。明らかに聞きなれた声ではないし、ましてや男の声ですらない。だとしたら女子?そんなことはほぼほぼあり得ないと思いながら伏せていたのだが、どう考えても私は女子に声をかけられているのである。

クラスに一切仲間がおらず休憩時間に机に顔を伏せているこの私に、女子が!

何事かと顔を上げると、どうやらその女子は私に「ここからお菓子を受け取ってください」と、大量の菓子が入った袋を差し出し、手を突っ込んで菓子を取ることを要求していたのだ。

正直、あまりにも突然の出来事であったことに加えて寝起きだったこともあり、相手が何者なのか、今日この日に女子が私のような者に菓子を渡すことが何を意味しているのか、周りの空気はどうだったのか、頭が何一つ情報を整理できていなかった。

そしてこれが真の陰キャの真髄と言えるのが、こんなことが起こりながらも、その件についてその日クラスの誰からも「さっきの何?」と声をかけられることがなかったのだ。まあ、その方が私には都合が良いのだが。

さて、この事件が何を意味していたか、理解するのにそこまで時間を要することはなかった。帰宅しいつも通りTwitterを見ていると1件のDMが。

「今日は突然すみませんでした!5組のHです!」

どうやら私に菓子を渡してくれたのは隣のクラスのHだったらしい。と言ってもこの子、Twitterでは自分の写真をほとんど載せていないどころかツイートすらほぼゼロだし、アイコンは3人くらいで撮ったプリクラなのでどれが本人か分からないしで、DMを送られたところで依然として私からすれば不審な女子であった。

せめて菓子を渡された時にもっとしっかり顔を見ていれば。しかし顔を見る余裕がないほど目の前の状況を飲み込むことに苦戦していたと言えば、そのあまりの突然な出来事に私がどれだけ困惑していたか伝わるだろうか。

どうやらその子はこのハロウィンをきっかけに私とこうして連絡を取る口実を作ったようなのだ。顔すら認識されていないことを知らずに。

そんな関係だが、一応連絡には対応した。他愛も無い話から、他愛も無い話へ。数日連絡を取って、学校に行って「例の子はどんな人なんだろう」とトイレに行ったついでに隣のクラスを覗き込む日々を送っていたが、一向に顔と名前が一致しない。

そこで私は一つ自分からアクションを起こしてみた。
「通話しよ」と。

しかし当時の私は脱スマホ依存を掲げスマホを解約していたので、誰かと連絡を取る手段はTwitterかSkypeしか持っていなかった。当然Twitterに通話機能は無いのでSkypeでの通話を要求したわけだが、彼女はSkypeをインストールしたことがないという。結局彼女がインストール出来たのは翌日で、そこから無事に1時間半ほど通話をしたわけだが、当時の捻くれていた私は「Skype程度のインストールに苦戦し通話を翌日に延期するのは、あまりにも人間としてピュアすぎないか?」とやや憤りを覚えてしまった。

まあ、通話自体はそれなりに楽しかったのだが。

そしてその翌日、二人の運命を決定づける出来事が起きてしまう。

あれは体育の授業だった。その体育の時間は、私のクラスとHが在籍する5組の合同授業だった。

私は例の女子について名前を知っていた。クラスも知っていた。
だから最近連絡を取っている彼女がどのような風貌なのか、この体育はその全貌を明らかにする願ってもみなかったチャンスになると酷く神経を昂らせていた!

そして実際、その全貌は明らかになったのだ。隣の列を見てみると確かにそこにHはいた。

しかしその風貌は、

低身長、貧乳、短足、大根足、ブス

という私が特に気にしない身長以外全てがマイナス要素でしかない女だった。いや、低身長、貧乳、短足、大根足程度なら正直何の問題も無いのだ。世の女性達にこれだけは言っておきたいのだが、世の男達は君達の想像の遥か上を行くほどスタイルなど微塵も気にしていない。顔と性格、これが全てだ。

しかしこの女は、顔という恋愛の始まりにおいて最も重要な要素において痛ましいほどその資質を欠いていた。
いや流石にこれは語弊があるか。完全に私のタイプとかけ離れていたのだ。

あの顔と名前が一致した時の絶望感といったらもう、、あの体育までの数日間、私はこんなに面白くない学校生活にもやっと一筋の光が差したような気分で過ごしていた。向こうから声をかけてくれて、他愛のない話をし、通話も特に問題なく続く、遂に私にもこんな絶望的な日々に理解を示してくれる仲間ができるのだと。

しかし現実はこれだ。大量の小判が入っていると思い込んで開けた壺の中にあったのは、実家の庭から掘り返したようなただの土。

これが現実なのだ。その日以来、私は彼女と関わること自体に一気に冷めてしまった。そして遂に、彼女が「明日の放課後、○○(空き教室)に来てくれませんか?」と連絡をしてきた時でさえも、私はそれに返信しなかった。

言うまでもなくその当日、私はその集合場所には行かなかった。
わざわざ彼女がそこに私を呼んだ理由は、、、

読者の想像にお任せする。

恐らくそれが正解だし、それは私が考えていることと同じだ。



しかし、これだけ酷い対応をされながら。
人によっては、もしその子の立場になれば私を刺し殺してもおかしくないような、そんな酷い対応をされながらも

彼女はずっと私を追っていた。


バレンタインデーにはトイレ帰りの私を廊下で捕まえて手作りの生チョコを渡し、

鬱陶してくて私がTwitterで何度「ブロック→解除」でフォロワーから外してもフォローし直してくるし、

終いには卒業式で誰よりも早く校舎を去ろうした私を捕まえてツーショットを要求してくるし、


しかしどれだけ彼女からの愛情を示されても、私は彼女の顔と名前が一致したあの体育の授業以来、どうしても冷たい対応を止めることが出来なかった!!


そして高校卒業から数ヶ月後、何を思ったか私は高校3年間クラスが同じだった女子に通話をかけ、そこで高校時代の話をしているうちにこう告げられる

「私、高校の時むらかみさんのこと好きだった人知ってるよ」

「Hのこと?」

そうそう、なんか、素っ気無い感じがずっと好きだったんだって



私は酷く後悔した。彼女は青春という二度と帰ってこない時間の恋愛感情を、こんな下劣であさましい獣じみた人間に使っていながら、それでもなお、そんな私を愛していたというのだ。認めていたというのだ。あんな純粋な心で!!


私は当時、あの女のことをずっと「土が入った壺」だと思っていた。開けるまでもなくその壺には何の価値も無いのだと。

しかし実際は、一見土しか入っていないように見えたあの壺には、当時私が抱えていた孤独を癒すだけの、小判よりも価値あるものが入っていたかもしれなかったのだ。

私はその壺が何度目の前に現れても決して開けようとしなかった。
こんな汚らしい壺の蓋を開けたところで、私の指先が汚れるだけだと。


それ以来、私の目の前には一向に壺が現れなくなった。



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