空を飛ぶ鯨

『追憶の浜辺』

本作品は、短編小説集『クジラ姫と悪質電波』の中の一作品となります。

クジラ姫と悪質電波
 -追憶の浜辺 
 -ローランの遺体
 -クジラ姫と悪質電波

テーマ:孤独

Ⅰ 座礁の観測

 最近はよく空クジラが座礁するという。
 浜辺で空クジラの死がいが発見されるのだ。今月に入ってもう三件も座礁が目撃されている。本当はもっと多いのかもしれない。空クジラが打ち上げられると、野次馬がこぞってそれを見に来た。その死体が残っているうちに、一目見ておきたいというのが彼らの心情なのだろう。彼らにとって空クジラの座礁は普通のクジラのそれよりも珍しいものだし、そして何より、それは不吉な感じを漂わせている。
 私もその場面に居合わせたことがある。
 それは土曜の昼過ぎのことだった。私は浜辺の近くを散歩していた。午前中から作業をしていたのだが、その息抜きに近所をぶらぶらと歩き回っていたのだ。その日は快晴で、青い空はどこまでも広がっていた。太陽は穏やかに光を放ち、顔を上に向けると、その温かみを肌で感じることができた。春先の気持ちのいい一日だった。
 私は浜辺に人だかりができているのに気が付いた。十人だか二十人だかが、何かを取り囲んでいた。私は嫌な予感がした。何かが打ち上げられたのだ。そして、それは本来なら打ち上げられてはならないようなものなのだ。例えば、人の遺体とか。流木やら廃品やらが流れてきて人目を引くはずがない。私は見に行こうかいくらか迷ったが、結局行くことにした。好奇心が理性に勝ったのだ。
 近づくにつれて、人々の中心に、何か大きなものが横たわっているのが見えた。それは5メートルほどの大きさで、のっぺりとした形をしており、表面が半透明だった。まるで水が不思議な力で優しく固まったような、淡い青色のゼリーみたいな表面だった。皮膚の中で、太陽の光が鈍く反射していた。よく見てみると、体の中に、かすかに内臓のようなものを確認することができた。しかし、それ自身も半透明だし、私は動物医学に詳しくないので、それが何の臓器なのかはわからなかった。
 空クジラだ、と私は思った。本物の空クジラが、今目の前で、砂浜に横たわっているのだ。
 私は静かに息を呑んだ。周囲の人々は複雑な面持ちで、その死がいを見下ろしていた。彼らは地元住民らしく、親子連れや近くの中学校に通っている少年たちが見受けられた。前者は砂浜で子供と遊んでいて、後者は部活帰りに立ち寄ったとか、そんな感じだろう。
 私はその人だかりに交わりながら、空クジラを見下ろした。外見は少々クジラと似ているが、類似しているのは大まかな見た目だけで、本当はクジラとは全く異なる動物だ。まず、空クジラの体は半透明だ。まるでクラゲのように、体の向こう側を透かして見ることさえできる。また、彼らはその名の通り、海ではなく、空を泳いで生活している。時折ではあるが、上空を優雅に泳ぐ空クジラを目にすることがある。彼らはゆっくりと、気持ちよさそうに青空を浮遊している。雲と同じくらいか、あるいはそれより高いところを浮いているのだ。しかし、体が透けていることもあるし、そもそも個体数が少ないのか、なかなか空クジラの実物を目にすることはできない。さらに、やっかいなことに、空クジラはこの街固有の動物らしく、他の土地で発見されたという報告は存在しないのだ。つまり、それは伝説や幻とまでは言えないものの、極めて珍しい生き物であり、生態は全く明らかにされてはいなかった。
 地元の漁師たちが数人がかりで、空クジラの死がいを海際から遠ざけていた。ある者はヒレを引っ張り、ある者は空クジラの体を砂浜側へ押し出していた。死がいが沖に流れていってしまわないように。彼らは言葉少なに無表情で、手際よくその作業を進めていった。野次馬たちは少し離れたところからその様子を見守っていた。波と、砂のこすれる音が、奇妙な静寂の中で響いていた。
 ようやく空クジラが波の届かないところまで引っ張り上げられると、すでにその体が分解され始めていることに私は気が付いた。死がいは尾の部分からゆっくりと失われていった。皮膚が細かい粒子になって、淡い光を放ちつつ、綿毛のように空中へ飛んでいった。それはほんの少しだけ光を保っていたが、やがて完全に輝きを失い、見えなくなった。体の分解はどんどん死がいの上部へと広がっていき、すでに尾の部分は完全になくなってしまっていた。ほのかに光る体の粒子は、野次馬たちの頭上へと飛来していき、音もなく消えていった。我々は黙ってその様子を見ていた。死がいの分解はゆっくりではあるが、着実に進んでいき、ついには顔の部分にまで分解が到達した。
 空クジラの顔が失われるとき、虚空を見つめるその瞳が最後に分解された。それが終わってしまうと、我々が見下ろしている砂浜には何もなくなっていた。透明な皮膚も、透明な臓器も、まるで最初からなかったかのように、その場から消失していた。唯一、砂の上には空クジラが引きずられた跡が残っていた。
 野次馬たちはぼそぼそと声を出し、首を振りながらその場から去っていった。いつしか、引き上げを担当していた漁師たちも、自分の仕事へと帰っていった。
 気が付くと、その場にいるのは私だけになっていた。私は一人で、空クジラのいた場所を眺めていた。そのとき、私の脳裏には過去の記憶が蘇っていた。遥か昔に封印し、二度と開けまいと思っていた記憶だ。それを思い出したのは、まさに息絶えた空クジラをこの目で目の当たりにしたからだ。
だいぶ時間が経ってから、私は砂浜を去った。空クジラが引きずられた跡のほとんどは波によって消されていた。本当に、そこにはもう、何も残ってはいなかった。空クジラも、ちりとなった彼の体もなくなり、それを見物していた聴衆たちもいなくなっていた。私はうつむき加減に階段を上り、自宅へと向かった。

Ⅱ 精神の休暇

 私がこの街に滞在して一週間になる。ここは静かで綺麗な街だ。主要な産業は漁業と観光で、街の南東部には有名な海水浴場があり、そこには毎年の夏に多くの海水浴客が訪れる。近くには小規模ではあるがショッピングモールさえある。都市とまでは言い難いが、少なくとも生活するには何不自由ない土地だった。私が住んでいる場所は、街の中心部から車で十五分ほど離れたところにあり、そこには地元住民がひっそりと暮らす集落があった。集落の住民は、かつて漁師だった老人たちや、その子供あるいは孫によって構成されていた。民家の数は少なく、近くにはコンビニさえもなかった。買い物するには車で出かけるのが最善手だった。集落の住人たちは、朝になると各々の向かうべきところへ向かって行った。学校へ行く子供たち、街の中心部へ働きに行く大人たち、そして散歩へと出かける老人たちだ。彼らは近所の人間に、元気に挨拶をしながら出かけていった。その時間が終わると、集落は奇妙なほどしんとしていて、どこかの家から聞こえてくるラジオの音がかすかに耳に入るほどだった。
 私は先週ここへやってきた。知り合いの作家がこの土地に小さな別荘を持っており、私にそこで住まないか、と持ち掛けてきたのだ。彼は毎年に最低二回は別荘で休暇を過ごすことにしていたのだが、昨年は仕事が忙しくて長期の休暇が取れず、ほぼ未使用のままそれを放置してしまったという。今年に入っても、少なくとも夏まで行く機会がないとのことだった。
「別荘の管理ってな、けっこう面倒なんだよ。定期的に行かないと、設備が壊れちゃったり、ネズミが住みこんだりしちゃってさ」と彼は言った。「一度、備蓄しといた食糧をネズミに食われたことがあったんだよ。あれはひどかったな。半年以上行かなかったからね。良い家なんだけどね」
「ありがたい申し出ですが、私なんかが行ってしまっていいんですか?」と私は言った。
「かまわんよ。適当に使って掃除しといてくれればいい。夏までずっと住んでもいいんだぜ。俺はしばらくスイスに行ってしまうし。あんたもしばらく集中して書いてみればいいよ。あそこは静かだしな」
 私はうなずいた。悪くない考えだった。私は少々、今の生活に嫌気がさしていたこともあり、しばらく休みを取りたいと思っていたのだ。しかし、どこへ行くというあてもなかったため、半ば途方にくれていたのだった。だから、彼の提案は正直なところ、とてもありがたかった。私は別荘なんか持っていないし、そして共に出かけてくれるような伴侶も持ち合わせていなかったからだ。
 そうして、私はキャリーバッグに最低限の荷物を積み込んで、彼の別荘がある土地へ向かった。東京から新幹線に乗り、途中ローカル線に乗り換えた。乗車時間は長かったが、大して苦ではなかった。そもそも荷物が少ないから負担もあまりないし、窓から風景を眺めながら時を過ごすというのはなかなか楽しいものだった。あまりこういった旅はしたことがなかったのだが、いざやってみるとずいぶん気持ちをゆったりとさせることができた。
電車から降りると、まず感じたのが海の匂いだった。そこはまだ海から離れた駅だったのだが、それでも私はかすかに磯の香りを感じ取ることができた。そこでようやく、私は遠いところに来たのだという実感を得た。そうだ、私は休暇に来たのだ、と私は思った。私は休むためにここに訪れたのだ。だから、もうめんどうなことや、不愉快な過去について思い悩む必要はないのだ。
 私は駅の横にあるレンタカーショップで車をレンタルし、カーナビを頼りに別荘のある場所へと車を走らせた。途中、車の中から日本海を眺めることができた。それは電車の中から見る景色とは違ったように見えた。すでに日が落ちようとしていて、どこまでも続く紅い海を遠くまで見渡すことができた。私は和んだ気持ちを抱きながら、目的地に向かった。
 私に別荘を貸してくれた知り合いの作家は、私より歳が十ほど離れていた。作家としての経歴も長く、彼の手掛ける小説の分野においては著名人と言ってもいいほどだった。彼は主に、企業犯罪や国家の闇を、正義感の強い主人公が暴こうとする社会派小説を書いた。取り上げる題材はテーマとしては重いものの、物語的な面白さと勢いを重視しているため、単純な読み物として人気があった。その作家は元証券会社の営業マンであり、経済に関してもある程度精通していた。彼の作品が一度だけ連続ドラマ化したこともあった。
 私はそもそもそういった小説を読まないし、私が執筆している小説の範囲(カテゴリーとして区別するのが困難ではあるが)と彼のそれは大きくかけ離れていた。しかし、彼はなぜか私の小説を気に入ってくれたし、個人的に私と親しくしてくれた。私としては、当初彼が持つ、ある種の豪快さと自信過剰な性格が苦手ではあったが、話してみると、人としての「気持ちの良さ」を感じたので、意外にも心を開いて話をすることができた。私は素直に、彼の描く物語に強い推進力があることを尊敬していたし、小説家として私よりずっと腕前が良いと思っていた。そして、彼自身も、私の書こうとしている――あるいは、言わんとしていることは多少は評価してくれた。そんなわけで、彼と私の関係は一応友人と言っても差し支えないものだった。
そんな彼が紹介する別荘なのだから、きっと派手で無駄に凝った建物かと思っていたが、そんなことはなかった。別荘は簡素な造りの一軒家で、街から外れた土地に立地していた。その周辺には小規模な集落があり、年季の入った家が散り散りに建っていた。おそらく地元住民が古くからここに住んでいるのだろう。別荘はその中で、多少浮いたような存在に思われた。比較的新しい建物だし、何より他の立派な家に比べると小さすぎるからだ。別荘は短期滞在を目的とした住居であるから、何よりもシンプルさが重視されていたのだ。
 しかし、そこに一人で住むとなると、別荘は生活するには十分だった。家の中は整頓されていて綺麗だし、キッチン周りの設備も問題なく利用することができる。家の中には生活感は皆無だったが、そのおかげで私はすんなりと家に溶け込むことができた。他人の家という雰囲気があまりないからだ。あの男がここまで綺麗に家を利用できるのかと驚きも感じたが、なんてことはない、たいていは女性と共に来るのだから、その人に掃除をやらせているのだろう。そう思うと多少うんざりした気持ちになったが、せっかく落ち着いた土地に来たのだ、気分をリフレッシュしようと思い、雑念を頭から追い払った。
 私はこの街にいる間、手記のようなものを書いたり、読もうと思った本を読んだり、あるいは趣味の範囲で株式の取引をしたりして時間を過ごしている。小説は一切書いていない。いざ執筆しようと思ってパソコンに向かっても、私の中で言葉は一向に湧いてこなかった。まるで森の奥にある池のように静かな心境だった。そのため、私は最初から、少なくともここにいる間は物語を書くまい、と心に決めていたのだった。その代りに、私は落ち着いた時間を過ごし、少しでも心に余裕を作ろうと努めた。
 実際のところ、この街はとても静かな街だった。騒音とは無縁の空間だし、休日の朝には外から子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。私は彼らの声を聞きながら、コーヒーを飲んで、焼いたパンを食べた。まるで他人の生活にふと入り込んだような気がした。
三日に一度は車でスーパーマーケットへ行って買い物をするか、街の中心部で用を足した。街では何かの支払いをしたり、本屋に寄ったりした。街は多少がやがやとしていたが、東京の喧騒よりはずっとおとなしかった。人々の流れに交じって歩くと、自分がまだ社会に含まれているのだという実感を得た。
 買い物帰りに海沿いの道路を車で走ると、なかなか気持ちが良かった。窓を開けると、温かい潮風が私の顔を撫でた。私の過ごす日々は間違いなく穏やかな時間の連続だった。
 しかし、空クジラの座礁を目撃してからは、私の心は平静を失っていた。胸がざわざわとしているし、なんだか落ち着きがなかった。まるで忘れていた悪いことを、何かの拍子に思い出してしまって、そのせいでそわそわしてしまうような感じだった。私は自らを落ち着けようと、ジョギングに出かけたり、買っておいたワインを飲んでチーズを食べたりした。そうすることで気持ちを紛らわせることができると思ったのだ。しかし、私の脳裏にこびりついて離れないのは、浜辺に打ち上げられ、空しく息絶えている空クジラの死体だった。それは生命の気配を一切失って、ただの物体のように静かに捨てられている。私はそれを前に、一人でたたずんでいるのだった。私は暗闇の中で、たった一人で空クジラの死がいと対峙していた。
 私が座礁した空クジラを目にしたときに感じたのは、何とも言い難いような、寂寥の念に近いものだった。その思いは私の胸の中を音もなく満たした。そんな思いを抱いたのはとても久しぶりだったし、どうしてそれが生じたのかもわからなかった。私はソファーに座って、窓の外を眺めた。外は夜のために暗く、その奥を見通すことはできなかった。私はその黒い空間に、頭の中で白い文字を書いていった。ちょうど黒板に白いチョークで記していくのと同じように。私は自分の考えをまとめようとしていた。混乱したとき、迷ったときに、私はいつもそうした。長年の間、相談相手を持たず、自分で考え自分で行動することを余儀なくされた者の特技だ。私は三十分ほど、その作業を脳内でしてから、寝る準備を始めた。シャワーを浴びて歯を磨き、ベッドに入って眠った。 
 翌日から、私は空クジラに関する情報をまとめ、文章にしようと試みた。ネット上の論文を読んで生物学的な知識を仕入れたり、街の図書館へ行って図鑑を閲覧したりした。B5サイズのノートを買って、そこに取得した情報をまとめた。しかし、調べてみてわかったのだが、そもそも空クジラに関する研究はあまり数がなく、あったとしてもその内容には推測が多分に含まれていた。まず、彼らの体はクラゲと同じゼラチン質でできていることが予想される。半透明だし、その表面は柔らかそうで、クラゲの特徴と一致する。だが、空を飛ぶ原理は良くわかってはおらず、現在研究が求められている。死後、体がちり状に崩壊するメカニズムも不明だ。サンプルを確保することができず、研究データが蓄積されていないからだ。要するに、彼らの生態について確固たる情報はないというわけだ。
 また、空クジラの生態において、最も大きな疑問とされていたのが、彼らの食に関する問題だ。空クジラは何を主食としているのか、判明していなかった。空を飛ぶカモメを食べているという説や、時折海に降りて魚類を捕食しているという説もある。どちらにせよ、実際に空クジラが何かを食べていたという目撃情報がないため、彼らの食生活が明らかになっていないのだ。空クジラが生物である以上、何かを食べて、それをエネルギーとして活動していることは間違いない。そして、それが明らかになれば、彼らの謎が大きく解明されるかもしれないのだ。
 私は空クジラに関する研究に没頭し始めた。地元の人間に聞き取りをしたり、県の大学に行って教授に質問したりした(創作活動を口実にした)。街の資料館に訪れて空クジラの映像や写真などを閲覧した。資料館には小学生が描いた空クジラの絵が飾られており、最優秀賞には水色の服を着た女の子(おそらく作者なのだろう)が空クジラの背中に乗って空を飛んでいる絵が選ばれていた。
 調査を始めて間もなかったが、どうやら既存の情報をより集めても、彼らについての知見には限界があるようだった。目撃情報が少なく、関連書籍の数も限られている。これでは研究のしようがない。そもそも、事例が多く存在するなら、私以外の誰かが既に調査を終えているはずなのだ。だが、それがないということは、研究に限界があるということに他ならない。だから、この試みはいずれ行き詰まるはずなのだ。しかし、私は時間の許す限り、空クジラの知識を収集した。いつの間にか、暇つぶしの読書や株式取引をやらなくなっていた。私は休暇でこの街に訪れているということを忘れてしまっていた。

Ⅲ 対象の考察

 空クジラの研究を始めて数日が立った後、知り合いの作家から電話がかかってきた。彼は今、スイスのジュネーブにいるという話だ。
「よお、元気にしてるか」と彼は明るい声で言った。
「おかげ様で」と私は言った。「楽しくやっていますよ。ここは静かですからね」
「すまんな、急に電話して。寝てたか?」
「まだこっちは夜の七時ですよ。お部屋で酒を飲んでいました」
「ふうむ。こっちはビールもうまいが、ワインもいけるぞ。なんだっけ、あの葡萄……シャ……」
「シャスラ」
「そう、シャスラだ。それそれ。白ワインのやつ」
「チーズはどうですか? 僕が以前行ったとき、ずいぶんうまかった印象があるんですが。グリュイエールチーズです」
「チーズ? そうだな、まあまあだよ。いや、やっぱりワインがうまいな。日本に持って帰りたいくらいだ」
「可能なら持ってきてくださいよ。まあ、無理でしょうけど」と私は言った。「ところで、どういった要件でしょうか?」
 私はこの男が世間話程度で電話をかけてくることはないのを知っていた。きっと彼は何か私に用事があって、わざわざスイスから電話をかけてきたのだ。そういう意味で彼は実務的な性格を持っていた。
 電話の向こうでかすかに咳払いをする音が聞こえた。
「そうだな」と彼は言った。「伝えておきたいことがある。インタビューのことだ」
「インタビュー? 何のことですか?」
「そっちの地元紙の記者があんたにインタビューしたいんだと。その記者は俺が大阪にいたころから世話になっていてね。やつは五年前から地元紙に鞍替えしたんだが、俺が別荘に帰るたびに、まあ仲良くしているんだよ。こないだ電話したときにあんたの話になってさ、機会があればぜひ話をうかがいたいとのことだ」
 私は話の流れについていけていなかった。そもそも、私は記者と会うなんてことは初耳だった。自分から受けるといった覚えもない。つまり、この男は勝手に話を進めているということなのだ。
「ちょっと待ってください。そんなこといきなり言われても」と私は言った。「だいたい、僕はインタビューなんてほとんど受けたことないんですよ。何を話せばいいのか」
「いやあ、別に大したことは言わなくていいだろう。その男も別にあんたの作品を批評したいわけじゃない。つまり、その地元とゆかりのある作家に話を聞いて、記事にしたいってわけだ。まあ、確かに、あんたはそこの土地に初めてきたんだし、それほど縁があるわけじゃない。だが、俺からのつてってことで、適当に話をしてくれればいいよ」
 私は頭が痛くなってきた。この男はこういう風に、ときどき自分の中だけで話を進めることがあるのだ。金もあり、実力もあると、人間は傲慢になるものだ。
「すまないな、俺の顔を立てると思って、どうかそいつに協力してはくれまいか」
「僕がどうのこうの言う前に、もう話は進めてしまっているんでしょう?」
 私は、電話の向こうで彼が口角を釣り上げているのを感じた。
「もちろんだ」と彼は言った。
 知り合いの作家はインタビューの日程を伝えると電話を切った。私はスマートフォンを耳から離すと、ため息をついた。私はこういう風に何かを押しつられるのは好きではない。別にインタビューを嫌っているというわけではないし、あの男から別荘を借りているという義理もあるので無下に断ることもできない。だが、せめてお願いする前に一言言っても良かったのだ。
 三日後、私は街中にあるカフェへと向かった。個人経営の静かなカフェだった。各テーブルの間に白いパーティションがあって、半個室といった感じの席が設けられていた。確かにインタビューをするのに都合が良い。
 しかし、カフェで待っていたのは、私が想像していた男性記者ではなく、若い女性だった。白いパンツに、黒と白のボーダーカットソー、そしてその上に紺のカーディガンを羽織っていた。縁のないメガネをかけており、長い髪を後ろでまとめている。小柄だがすらりとした体型に見えた。まずまずの美人だった。顔にやわらかい笑みを浮かべて、私に頭を下げた。
「初めまして。本日はよろしくお願いします」と彼女は言った。
「よろしくお願いします」と私は言った。「男性の方がインタビューするとうかがっていたんですが」
 すると、彼女は申し訳なさそうな顔をした。「すみません。本来なら担当するはずだったんですが、急用が入りまして、急きょ私が本日お話をうかがうことになりました。御迷惑をおかけしてすみません」
 私は首を振った。「いや、迷惑だなんて、そんな。むしろ若い女性に話を聞いてもらった方が、こちらも楽しいですよ。ここだけの話ですが」
 彼女はにっこりと笑った。「ありがとうございます。私は木嶋さんの小説が大好きなので、前から同席したいとうちの者に言っていたんですが、こういった形で叶って本当にうれしいです」
 その時、私は参ったな、と思った。というのも、私がインタビューに慣れていないというのもあるのだが、そもそもファンの方と話をするのが得意ではなかったからだ。小説家に限らず、創作をする者であれば、ファンの人たちとの付き合い方に悩む気持ちがわかるはずだ。特に、私はこういった対談が苦手だった。だが、せっかくこの場を設けてもらったこともあるし、あの男との約束も守る義務があるので、私はできる限り平静を保つことにした。
 席に座り、コーヒーを注文して、インタビューが始まった。彼女は分厚い手帳を開き、ボールペンを手にもって、私の顔を見た。
「先生の本は愛読しています」と彼女は言った。
「ありがとう」と私はにこやかに言った。「ただ、先生っていうのは、できれば止めてもらえませんか。あまりそう呼ばれるのに慣れていないもので」
「失礼しました。では、ペンネームの方でお呼びすればよろしいでしょうか?」
「そうしてもらえると助かります」と私は言った。
「では、木嶋さん」と彼女は言った。「木嶋さんは、今回が初めての滞在になるんですよね? 滞在の目的は何でしょうか」
 私は答えた。「純粋に休暇を取ろうと思っていたことと、この綺麗な街に住むことで創造力がかき立てられたら良いだろうと思っていたことの二つですね」
 私は少し間を開けて、彼女がメモし終わるのを待った。
「先月に短編小説集を上梓したことで、まとまった時間ができたので、しばらく多忙だったこともあり、これを機会に少し休憩しようと思っていました。まあ、短編小説といっても、日ごろ書いていたものをもう一度まとめあげて、多少書き直しただけですが」
「この土地は以前からご存知だったんですか?」
「ええ、まあ。なにせ空クジラで有名な街ですし、私の先輩がここに別荘を借りているという話を聞いていたので、前から気にはなっていました」
「住み心地はいかがですか?」
「良いですね。街並みも海も綺麗ですし、思ったより天気も安定しています。私は普段、東京の世田谷区に住んでいるのですが、そことは全く違う環境なので、とても新鮮です。魚介類もおいしいです。ただ、少し風が強いのが気になりますが」
「そうですね、風は昔から強いんですよ。私も何度か傘を壊しちゃいました」
「なるほど、通りで。ただ、生活するにはとてもいいところだと思います。今はオフシーズンで人が少ないそうですが、ちょうどいい時に来たと思っています」
 インタビューの滑り出しはまずまずだった。私もよどみなく話すことができた。こういった機会は久しぶりだったので、多少の緊張はあったが、しだいに緊張はほぐれていった。女性記者も途中からは表情が和んでいったのを感じた。
「大学を卒業してからは、一度民間企業の経理部で働いていらっしゃいましたよね。その間も小説をお書きになっていたんですか?」と彼女は尋ねた。
 私はうなずいた。「はい。まあ、仕事帰りにカフェに寄ったり、休日にまとめて作業したりして、執筆を進めていました。なかなかまとまった時間が取れなかったので色々と苦労しましたし、仕事との両立で忙しい毎日でしたが、割と充実していたと思います」
「入社して四年で仕事をお辞めになったのは?」
「二度ばかり新人賞に応募して、二つ目の作品で選考対象になったんですが、残念ながら落選してしまいました。そこでもう小説は諦めてしまおうかとも思ったんですが、どこか納得のいかない部分もあったので、自分を追い詰める意味で退職して、小説に専念しました。幸い、私の作品を評価してくださる方もいらっしゃったので、それを励みに長編小説を執筆しました。それがご存知のように、新人賞に選ばれたわけです。それ以来、基本的には小説の執筆をメインの仕事にしています」
 すると、彼女はほんの少しの間だけ、考え込むような表情を浮かべた。それはわずかな時間だったが、私はその表情を見逃さなかった。
 女性記者は切り出すように言った。
「木嶋さんの小説からは、何かこう、強い訴えのようなものを感じます。一貫して孤独を描写されているような気がするんです。静謐な孤独、無垢な孤独、救いのない孤独……」、彼女は私の目を見つめた。「そういったものは、木嶋さんの実体験を元に描写されたのですか?」
 私は曖昧に笑った。「どうでしょう。小説の登場人物が経験したような境遇はすべて創作ですから。確かに、作中では私の実体験はいくつか盛り込まれていますが、あなたのおっしゃるような事柄は主に私がオリジナルで作り上げたものです」
「そうですか。私としては、それらの描写がとてもリアルで、とてもゼロからの創作には思えなかったので」
「ただ、本当にゼロからかというとそうではありません。私の作品は、たくさんの著作からも影響を受けていますし、他にも映画や詩に関連する知見も取り入れています。ひょっとしたらご存知かもしれませんが、昔から愛読しているヘルマン・ヘッセの著作も、私にずいぶんと影響を与えてくれました」と私は言った。
 彼女はわずかな、視線を伏せた。期待する答えを得られなかったからかもしれない。やがて女性記者はすまなさそうに言った。
「すみません。個人的に気になったもので」
「かまいませんよ。普段、そういった質問を受けることがないので、新鮮ですし」
「いえ、本来ならこういったことはお聞きしないのですが……失礼しました。では、予定していたことをお尋ねしたいと思います」
 その後もインタビューは続いた。質問内容はやはり、この土地に関連することだった。観光、産業、この土地ゆかりの詩人など。私は自分の答えられる範囲で答えようと努めた。できるだけ私独自の視点を取り入れ、記事にしやすいような回答になるよう心掛けた。女性記者は私の答えを素早くまとめた。私の作品に関する質問はもう出なかった。おそらく上司から命じられた質問事項はすべて地方紙向けの内容だったのだろう。
 彼女の質問に答えていくうちに、私は相手に自然な好意を抱くことができた。この子は真面目で、とても丁寧で、親切な人なのだ。インタビューをする相手にも敬意や礼儀を忘れない。真剣な表情でこちらの話を聞いてくれる。まだ若いのに、よくできた子だと私は思った。以前もこんな風に、ある新聞記者からインタビューを受けたことがあった。そのときの新聞記者は、私の方が年下ということもあり、ずいぶん尊大な態度を取っていた。口の利き方もぞんざいだったし、こっちが聞いてやっているんだ、という気持ちが見え透いていたのだ。それ以来、私はあまりこういったインタビューを受けなくなったのだ。しかし、それとは対照的に、私は和やかな気持ちで彼女と会話をすることができた。自分の小説について答える必要もないので、肩肘張ることもない。
 質疑応答が四十分ほど続いた後、彼女は言った。
「インタビューは以上になります。本当にありがとうございました」と彼女は言った。
「ありがとうございます。参考になれば幸いです」
「先ほどのお話は後日、こちらで記事にしますので、完成次第、木嶋さんにお送りいたします。文章を読んでいただいて、問題がなければ、そのまま弊社が発行している夕刊に記載となります。それでよろしいでしょうか」
「けっこうです」
「ありがとうございます。では、後ほどご連絡するために、普段使われているメールアドレスを教えていただけないでしょうか。また、よろしければ、緊急時のために電話番号も併せて教えていただけると助かります」
 私は言われた通りに、メールアドレスと電話番号を彼女に教えた。女性記者はそれをメモ帳に丁寧にメモした。
「ところで」と私は言った。「もしよかったら、今度食事でもどうですか。最近は一人でご飯を食べているので、たまには誰かと一緒に食べたいと思っていて」
 彼女は驚いたような顔をした。「私でよろしいんですか?」
「もちろん」
「ぜひご一緒したいと思います。嬉しいです、いつか木嶋さんとゆっくりお話したいと思っていたので」
 彼女は本心から喜んでいるようだった。その様子を見て私も安心した。我々はその場で食事の予定を立てた。彼女は言い店を知っていると言った。それはありがたかった。私も何回か街で食事を取ったことがあるが、だいたいは自宅で自分の作ったもので済ませていたので、良い店を全く知らなかったのだ。
 その週末の夜、私とその女性記者は街のイタリアンレストランで食事をした。休日であるため店は混んでいたが、雑音はそれほど気にならなかった。食事はやはりうまかった。リゾットはボリュームがあったし、街の港で獲れたという鯛のアクアパッツァは香りがとてもよかった。我々はその料理を食べながら、色んな話をした。とは言っても、私がほとんど聞き役に回った。女性記者はこの地元で育ち、一度大学で県外に出たが、卒業後にここの新聞社に就職したという。地元に愛着があり、この土地に貢献したいという思いがあるという。
「いつか本を書いてみたいんです」と彼女は言った。「地元の産業を対象にした本です。私は大学で地場産業の実態について学んでいて、卒業論文もそれをテーマにしたんです。この仕事も、地元のことをよく知れるからと思って選んだんです」
 私はますますこの若い女性記者に好感を持った。知的な外見とは対照的に、中身には前向きな精神と固い目的意識がある。私とは正反対の人物だった。だから惹かれたのかもしれない。でも、彼女は私のことを知りたがった。「もっと木嶋さんのことを教えてほしい」と。私は言葉を濁した。私と彼女は歳が十ほど離れているのだ。改めて私から語ることもない。
 食事が終わると、彼女は私の別荘に行ってみたいと言い出した。遠いから申し訳ないと言ったのだが、彼女は別にかまわないと言った。最悪兄に車で迎えに来てもらうということらしい。私も特に断る理由がないので、彼女とタクシーで別荘に向かった。
「大したことないでしょう」、別荘についてから私は言った。
「綺麗な家ですね」と彼女は言った。「ずっとここに住んでいるんですか?」
「もう二週間くらいになるかな」
 家の中に入ると、私は二人分の酒を作って、彼女と飲んだ。先日買っておいたピーナッツとチーズがあったので、それをつまみに食べた。我々はレストランでの話の続きをした。彼女の顔は赤みが差しており、多少酔いが回っているようだった。彼女はとても楽しそうだった。私も久しぶりにゆっくり人と話して、とてもリラックスした気持ちになっていた。悪くない気分だった。
 話が一瞬途絶えた時だった。女性記者はふと目線を外し、テーブルに置いてあったノートに手を伸ばした。それは私が空クジラに関してまとめたノートだった。しまい忘れていたのだ。私は彼女が読むのを制止しようかと思ったが、結局止めた。読まれて困ることは何もないはずだった。
 女性記者はぱらぱらとノートをめくった。彼女の目には好奇の色が浮かんでいた。
「すごい」と彼女は小さな声で言った。「とてもよく調べてある。空クジラの文学的位置づけまで考えているんですね。生態学にはとどまらず?」
 私は答えた。「空クジラは昔から創作意欲を駆り立てるものだったらしく、数々の文学作品にその描写が存在するんだ。例えば三島由紀夫も『飛ぶ鯨』という短編小説を書いているし、夏目漱石の書籍の中にも空クジラについて言及しているシーンがある」
「へえ、知らなかったです」
「他にも何人かの著名な作家が空クジラを描写している。私が読む限り、その記述はどれも『不思議な空飛ぶクジラ』程度の扱われ方だけど。まあ、これは現代の人々が持つ一般的な捉え方と同じだけどね。正体の知れない、謎の生物ではあるが、おそらく敵ではない、という見方だ。この街も観光資源として利用していて、空クジラグッズなんかが道の駅などで販売されているのを見た。すでにこの土地に溶け込んでいる証拠なんだ」
「そうですね、ずっとここに住んでいるけど、私もそんな感じかな」と彼女は言った。「考えてみれば、本当に不思議な生き物だけど、それがいるのが当たり前だから、特に気にしたこともないんですよ」
 私はうなずいた。「そうだと思う。空クジラはすでにこの街に当然のように定着しているため、住人達は違和感なくそれを受け入れられているんだ。だが、私のような新参者にとってみると、その生き物はこの上なく異質に思えてくる。だから、こうやって空クジラを対象とした研究をしているんだ」と私は言った。「そして、空クジラと人々との関わりを考えるときに、古文から読み取れることも多くある。例えば、彼らは何か悪なるものを食べる存在として描かれている場合がある。これは中世日本によくみられる描写だ。具体的には、14世紀に寺院の関係者が残した文書がある」
「私もそれは読んだことがあります。小学生のときに、街の博物館で展示されているのを見ました。もうよく覚えていないけど」
「その文書にはだいたいこんなことが書かれてあった。飢饉で村が飢えているとき、空から空クジラが降りてきて、飢饉の原因となるものを持ち去ってくれた、と。その原因となるものは描写されておらず、また空クジラがどうやってそれを持ち去ったかも書かれていない。人々は『いさな降りたり』と言って騒ぎ立てた」
「いさな?」
「クジラのことを、古文ではいさなと言うんだ。当時はまだ、空クジラという呼称がなく、人々は単純に彼らを空飛ぶクジラと考えていたらしい。そして文書の中では、空クジラが去った後、村は飢饉から救われた、とある。この記述から読み取れることは、空クジラが何か不吉なもの、あるいは悪いことの原因となるものを運び去る動物として描かれていることだ」
「そういった描写って珍しいものなんですか?」
「そうだね、珍しい。なぜなら、日本に現存する書物に登場するものは、たいていが何かを与えるものであって、何かを運び去ることはないからだ。具体的な例で言うと、地蔵がそれに該当する。日本では古来、土着の仏教が成立していて、特に地蔵信仰が特徴的だ。今昔物語集では、民衆に仏教を広める目的で、地蔵説話が多く収録されている。その中では、地獄から救済してくれる地蔵や、安産や現世利益をもたらしてくれる地蔵が登場する。つまり、与えるタイプの行いをするんだ」
「じゃあ、空クジラみたいに、何かを持ち去るものの例は少ないのね」
「ああ。とても少ない。というか、空クジラにまつわる話は概して何かを持ち去るタイプが多いのに対して、他の書物に出てくるものは主に福を与えるタイプの話が多い。これは、古来、日本の人々が空クジラを他の動物や宗教観とは区別して捉えていたことが原因と思われるんだ。確かに、仏教や神道と融合して記述された話もあるが、その中でも空クジラは特別視されている。どちらかというと、神や仏と関係を持たない生物として描かれているんだ」
「つまり、既存の宗教とは別個の存在として考えられていたということですか?」
「そうだね」、私はそう言って、うなずいた。「その通りだ。そのことを民俗学的に考察すると、空クジラはこの土地固有のものであり、特別視されていることから、固有の信仰対象として捉えられていた可能性がある。神の使いとか、神聖な存在とか、そういった感じだ。ちょうどアイヌ民族が狼や熊を神と捉えていたのと同じように。気まぐれで、真意は読み取れないが、おそらくは自分たちにとって負なるものを取り除いてくれる神、それが空クジラだ。それが現代の認識とは微妙に異なる。この街の人々も空クジラを概ね好意的に思っており、異質な存在とは誰も考えていない。だが、人々の益となる動物と思っている人もおそらくはいないだろう。ここに矛盾が存在する。現実的に考えてみると、空クジラが飢饉を救うなんて話は信ぴょう性がない。だが、なぜ当時の人々は彼らを神聖視していたのか?」
「食べちゃったんじゃないでしょうか。飢饉のときに」、彼女は半ば茶化すように言った。
「それもありえない話だ。まず、彼らの死体はすぐに崩壊してしまうし、人々が空クジラを獲って食べるという記録も存在しない。本物のクジラならまだしもね。その他の記述と照らし合わせても、空クジラは特別な生物として人々から信仰の対象となっていたことがわかる。そこまでは問題ない。アニミズムの浸透した日本では、動物を霊や神と考える思想は珍しくない。だが、空クジラが何を表象する動物なのかわからないんだ。稲荷神(いなりのかみ)が狐と結び付けられるのとは異なる。まるで空クジラそのものが信仰対象であったかのように思われるんだ」と私は言った。「では、空クジラは何の神なのか? 人々から何か悪なるものを持ち去る神なのだとして、どうしてそういった信仰対象となるのだろう。空クジラも同じように社会と関連しているはずなんだ。であれば、そのつながりを読み取ることができれば、空クジラの生態が多少なりともわかるかもしれない」
 私はそこまで言うと、口を閉ざした。酔いが回ってきたこともあり、ずいぶんと饒舌に語ってしまった。女性記者は黙って私の話を聞いてくれた。彼女は真剣な表情で考え込んでいた。しばらくの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「木嶋さんがこの街に来たことと、空クジラの座礁が相次いでいるのは、何か因果関係があるんですか? それとも、それはただの偶然?」
 私はわずかな時間考え込んだ。そして言った。
「なぜ空クジラは座礁しているのか?」と私は言った。「私は空クジラに関する情報を集めている。生態的な研究も、少しばかりではあるが、論文として記録されている。地元の住人にも聞いて回ったことがある。だが、空クジラが座礁することは前例がなかった。いや、そもそもなぜ座礁という形で彼らが死に至るのか、それがわからないんだ」
「私も聞いたことがないですね、そんな話は。カラスと一緒。飛んでいるところはよく見かけるのに、死体を目にしたことは一度もない」
「今回の相次ぐ座礁は生物学的にも明らかにできない。空クジラを研究対象としたデータもあまり蓄積されていないし、彼らは死んでしまうとちりになってしまうからだ。だから推測するしかない」と私は言った。「まず、彼らが座礁する理由について考えてみよう。そもそも、彼らの死体を直接目にする機会は少ない。過去の文献でも、偶然空中から落下してきて、そのまま死に至るという例がほんのいくつか見られるだけで、研究者が調査中に死体を目撃した事例は存在しない。そして、前例としてあるのは、あくまで死体が地上に落下した場合だ。空クジラはおそらく寿命を全うした後、空から落ちてきて、そのまま体が分解される。だが、何度も言うように、座礁という形で死に至るケースは初めてなんだ」
「ちょっと待って。空クジラは死んだら体がちりになるんですよね? じゃあ、どうして無傷のまま、砂浜に打ち上げられるんですか?」
「それについては、最近のニュース番組で専門家が言及したことがある。彼が言うには、海水に含まれる成分が空クジラの死体の崩壊を防いでいるという可能性がある。だから空クジラは原型を保ったまま砂浜に打ち上げられるんだと。これは地元の漁師の発言とも一致している。空クジラは水中に存在する間は崩壊がゆっくりになるが、完全に海水を離れるとそのスピードが格段に速くなるらしい。とはいえ、水中にあっても確実に分解が進んでいくけどね。このことから言えるのは、浜辺に打ち上げられる空クジラは一部であって、本当はもっと死んでいるかもしれないということだ」
「本当に? もっとたくさんの空クジラが死んでいるの?」
「その可能性はある。というか、そう考えるのが自然だ。海中にあっても分解が進むのなら、打ち上げられずに体が崩壊してなくなる空クジラもいるはずだ。そして、そう考えた場合、事態はもっと深刻になる。明らかに多くの空クジラが死に過ぎている。過去に例がないほどに。この状況は我々が思ったより根深く、おそらく人間には解決できそうにないんだ」
 彼女はわずかの間に唇を噛み、険しい表情になった。それから言った。
「考えられる原因は? 空クジラが死ぬ理由について、どんな推測がされているの?」
 私は首を振った。「いくつかの推論が存在するが、どれも推測の域を出ないし、科学的根拠に乏しい。最も有力な説は気候の変動で、近年の気温上昇が原因であるという主張だ。あるいは空気の汚染だとか、台風の影響とか。正直な話、どれも的外れだと感じる。だから、現在のところ、空クジラの集団死について論理的に説明できるような材料はないと言える」と私は言った。「彼らは私たちが思っているより多く死亡していること、その原因が不明であることという二つの問題点がある。これらは早急に対処すべきであると思える。環境省は専門家を派遣して調査に当たらせるという動きもあるが、果たして明瞭な結果が出るかどうか。だが、少なくとも研究例が増えることは歓迎すべきだろう」
 私はそこまで話すと、息を深く吐いて、残りのウイスキーを飲み干した。今日はずいぶんと多く話してしまった。それは私には珍しいことだった。彼女と話をしたからかもしれない。あるいは、私が空クジラのことを語りたかったかもしれない。
「今の話って、本にしたり、論文で発表したりしないんですか? あのノートをまとめるだけでも、すごい本が書けると思うけど。ずいぶん細かく書かれてあったし、木嶋さんの視点は独特で興味深いから、きっと興味を持ってくれる人がたくさんいるはずですよ」
「そうだね」、私はそう言って、ウイスキーを口に含んだ。それから言った。「考えてみるよ。今はまだ、そこまで計画しているわけじゃないけど」
 彼女は私と自分のグラスを持って立ち上がり、キッチンに行った。酒のおかわりを作ってくれるのだろう。ボトルの蓋を開ける音と、液体の注がれる音が向こうから聞こえた。私はソファーに座りながら、キッチンに立つ彼女の背中を見ていた。
「嫌な予感がするんだ」と私は言った。
 彼女は後ろを振り返り、私の顔を見た。彼女は尋ねた。
「嫌な予感?」
 私は首を振った。「いや、なんでもない。ただ、なんとなく感じたんだ」
 彼女はリビングに歩いてきた。両手にはウイスキーの水割りが入ったグラスがあった。私はそれを受け取り、酒を口に含んだ。いい香りがした。いくぶんスモークの風味がかかり、そのにおいが鼻を抜けて、味わいのある雰囲気を残していった。
「空クジラね?」と彼女は言った。「そのことを言っているんでしょう」
「そうだね」と私はうなずいた。それからグラスに目を落とした。「嫌な予感がするんだ。きっと、何か悪いことが起きる」
「どうしてそれがわかるの?」
「さっきも言った通り、私はなんとなくそれを感じるんだ。別に第六感が働いて感じ取ったわけでもない。ただね、おかしいと思うんだ。なぜ空クジラが急に座礁するようになったのか? 気候変動のせいか、公害の影響か、それともたまたま時期が重なっただけなのか。どの考えもしっくりこない」
「人為的影響」、彼女はぽつりと言った。その言葉は静かな部屋の中で印象深い趣をはらんでいた。まるで、何か大切なものに白い布がかかっていて、その布をゆっくりとはぎとったみたいな感じがした。
「誰かがやっているんだ」と私は言った。「だが、どうやってそれをやっているのか、なぜそんなことをしているのかわからない。しかし、空クジラの座礁は意図的に行われている可能性がある」
「でも、ニュースでそんなことはまったく知らされていないじゃない。原因不明で、専門家もよくわからないって」
「そうなんだ。だから不可解なんだ。誰もその原因を特定できない。だが、明らかにクジラの座礁は一時期から発生し、今日(こんにち)まで続いている。何か深い理由があるはずなんだ」
彼女はそれについて考えた。目を伏せて、その可能性を考慮しているようだった。だが、やがて諦めたように首を振った。
「確かに、私も空クジラのことは気になります。幼いころからここで育ってきたんだし、私も何度か空を飛んでいるところを見たことがあるから。愛着だってあります。だから、空クジラが意味もなく座礁していくのは、はっきり言って悲しい。でも、だからと言って私達にできることはあるんでしょうか? だって、空クジラの生態は何もわかっていないし、どんな原因で死んでいるかも定かじゃないんだから」
「それはわかっている」
「木嶋さんからは、何か執着心のようなものを感じます。なぜ、地元の生まれじゃないあなたが、そこまで空クジラを気にするんですか? それこそ、何か深いわけがあるんじゃないんですか?」
 私は深く息を吐いた。頭の中で思いがうねりとなって混ざり合っていた。それは酔いのせいなのか、それとも私の精神が乱れているからなのか、私にはわからなかった。
「なにもないよ」と私は言った。「いや……そうだな」
 私は考え込んだ。言うべきかどうかを迷った。しかし、迷うだけ無駄だった。
「特に何もないんだ」と私は言った。
 彼女は私の目をじっと見つめた。まるでそこから私の真意を読み取ろうとするかのように。私も彼女の瞳を見返した。お互いの視線がわずかな時間だかしっかりと交差した。そして、私の方から目をそらした。言いかけた言葉は、形を成す前に、ちりとなって空中に消えていった。死んでしまった空クジラと同じように。

Ⅳ 追憶の浜辺

 彼女が帰ってしまうと、部屋の中に奇妙な静寂が生じたような気がした。まるで流れていた音楽が唐突に終わってしまったような、中途半端な感じが空気に漂っていた。そして、私自身も胸の内に違和感を抱いていた。頭の中の黒板に文字を書く気にはなれなかった。私はソファーに深々と座り、天井を見上げていた。しばらく考えた後、私は意を決して立ち上がり、家を出た。
 私は夜の浜辺に来ていた。浜辺は静かで、多少冷ややかだった。海は黒く、暗く、穏やかだった。私は砂浜へと続く階段の途中に座り、その海を眺めていた。私は昔のことを思い出そうとしていた。それは思い出さなくてはならない記憶だった。私がこの街に来たのも、ここで空クジラの座礁を目の当たりにしたのも、おそらく偶然ではない。どこかでつながっているはずなのだ。だから、そのつながりの端緒とも言うべき過去を見つめなおさなくてはならない。私は目をつむり、聞こえてくる波の音に耳を傾けた。記憶を掘り起こすのは辛いことだった。それは私が封印し、二度と表に出さないと誓った代物だった。それでも、私は封を解くように、ゆっくりと思い出していった。
 それは私が独りぼっちのときだった。私は14歳で、孤独だった。私の目から見える世界は色味を失っていて、すべてが造り物であるかのように見えていた。何もかもが台本通りに動いているようだった。
 そうなるまでには複雑な経緯が存在した。当時の私には抱えきれないほどの現実が私自身に押し迫っていた。そのせいで私は息苦しくなり、いつも押しつぶされそうな感覚を覚えていた。だから私は逃避をしたかった。逃げる場所などどこにもなかったが、それでも今という世界から抜け出したかった。
 私は夜の道を歩いていた。秋の夜は肌寒く、私は学生服のポケットに手を突っ込み、うつむき加減に通りを進んでいた。その通りには人気はなく、街は静かで、冷ややかだった。夜空には一切の雲がなく、多少欠けた月をはっきりと認めることができた。私は歩きながら、色んなことを考えていた。考えていてもキリのないことであったが、それでも考えずにはいられなかった。十四歳の私は自分の内側にこもっていて、そこから出ることができなかった。自分自身との対話でしか、自らの思いを明らかにできなかったからだ。だから私は、その日の夜も、ひたすらに、自分の内側にある大きな壁に、言葉を投げては、跳ね返ってきた言葉を拾うということを繰り返していた。
 私は小高い丘の上に来ていた。後ろには山が静かにそびえたっていて、前方には夜の街が広がっていた。丘そのものは決して高所ではないのだが、それでもある程度は街並みを見渡すことができた。辺りはしんとしていて、空気は冷たかった。私は胸元ほどのフェンスの上に腕を置いて、街を眺めていた。あともう少し寒くなれば、息も白くなるだろう、と私は思った。試しに息を吐いたが、形にはならなかった。もしそれが白い雲として浮かび上がり、夜空の中に消えていったのなら、とても綺麗だろう。しかし、まだそうなるには、気温が少々高かったのだ。
 私はその丘から街を眺めるのが好きだった。晴れた日には生き生きとした風景を楽しむことができたし、夜にはまた違った趣のある景色を見ることができた。学校の帰り道に寄ったり、弟と散歩するときに来たりした。だが、そのときの私の目には、街はどこかよそよそしく、平坦なものに映った。どうしてだろう、と私は思った。まるで夢の中にいるみたいだった。全てが擦りガラス越しに見えているようだ。私はできる限り感情の起伏を平らにして、息を潜めた。そうすると、少しずつ音が遠くなっていった。本当に夢の中にいるみたいだった。私は透明で、純粋な存在のような気がした。
 私の精神はとても静かで、そして氷のように冷たくなっていた。触れてしまえば凍傷を負ってしまうほどに。自分がここにいるという感覚が希薄になっていき、世界はさらに色彩を失っていった。街はだんだんと立体感を喪失していき、ついには単なる背景へと同化していった。
 私は本当に、世界で独りぼっちだった。
 その孤独感を、私は具体的に言い表すことができなかった。それは言葉にするには不明瞭過ぎたし、あまりにももろ過ぎた。手に取ろうとするだけで形を失ってしまうので、他人にそれを見せようとすることなど不可能だった。だから、私はその日の夜、それをできる限りとどめておいて、形をなすのを待っていた。心を穏やかにし、精神の水面に波紋が広がらないように細心の注意を払った。あたかも瞑想をするかのように。
 私の視界には、海が映っていた。それは私の中にある海だった。空には厚い雲が立ち込めていて、そこから細かい雨がゆっくりと降っていた。その落下速度はあまりにゆっくりであるため、雨粒を目で捉えることは容易だった。世界は薄暗く、音がなかった。雨は海に落ちていき、音もなく海水に溶け込んでいった。海はどこまでも続いていた。そこには陸なんか存在しなかった。そして、私自身も存在しなかった。私はその世界のどこにもいなかった。誰の目を通して海を眺めているのかもわからない。私は自分がどこにいるのかわからなかった。
 そのとき、何かが私の心を打った。それはあまりに唐突だった。まるで急に手を取られ引っ張られるかのように。私ははっと目を開けた。私は海の世界から、現実の世界へと戻ってきたのだ。そして、頭上を見上げた。
 上空から、何かがゆっくりと降りてくるのがわかった。それはのっぺりとした細長いもので、中間の辺りが膨らんだ形をしていた。それは緩慢な速度で、しかし確実に、私の元へと下降してきた。大きなひれを動かし、ときどき体を揺らしながら、まるで海の中を泳ぐように、それはやってきた。
 空クジラだ。それも大きな空クジラだ。図鑑や動画で見たものよりも、ずっと大きい。本物の空クジラを実際に目にしたのは、そのときが初めてだった。それは空気を水のようにかきわけて、夜の海を優雅に泳いでいた。そして、おそらく、空クジラは私の元へ来ようとしていた。
 空クジラが私の目に映っているというのはあり得ないことだった。なぜなら、私の街でそれが観測されたことなど一度もなかったからだ。親も、地元の住民からも聞いたことがなかった。それはごく一部の限られた地域のみに現われる生物のはずだった。それなのに、この街にはいないはずの空クジラが、今ここに姿を現しているのだ。
 上空から降りてきた空クジラは、ヒレを動かしながら私の目の前にやってきて、崖の上で空中に停止した。その巨大な体は重力の影響を全く受けていないように見えた。彼は顔を私の前に向けていた。わずか五メートルほどの距離を隔てて、私はその生物と対峙していた。私は息を潜め、ゆっくりと呼吸した。そして、空クジラをまっすぐ見つめた。彼もまた、私に目を向けていた。その瞳は優しい老人のように穏やかで、私の心を奥底まで見通しているようだった。
 空クジラの体の中で、光が神秘的に交錯していた。それはまるで宇宙のように見えた。薄暗い水の世界の中で、星々が思い思いに輝いているように思えた。その中では、水がうねるように流れ、その輝きをかき混ぜていた。強い光や、弱弱しい光もあった。赤く光るものもあれば、淡い緑色を放つ輝きもあった。それは本当に宇宙のようだった。私はそんな美しいものを見たことがなかった。それは見る者の心を確実に捉えるような美しさだった。私はすでに考えるのを止めて、食い入るように空クジラを見ていた。
 私の中で曖昧だったものが、急に形をなしていくのを感じた。それは具体的な形状として成立しようとしていた。私の心を悩まし、かき乱していた何かが、今まさに明確な個体として帰結しようとしていた。
 空クジラは静かに私を見ていた。彼は何かを求めているようだった。私の中にある何かを欲しているようだった。私はそれが何なのかを具体的には知らなかったが、その気になればそれを手渡せることを知っていた。それを与えてもいいとさえ思っていた。例えそうすることで取り返しがつかなくなったとしても。
 私はフェンスに手をかけ乗り越えようと思った。そして、その向こうにある空クジラに触れたいと思った。その衝動は激しいものだった。私は見えない力に背中を押されていた。自分自身とは別の人格が現れ、私の体を支配しようとしていた。
 そのときだった。甲高い音が静寂を切り裂いた。それは頭を揺らすような大きな音だった。私ははっと我に返った。私はまさにフェンスに手を置き、片足をその上に上げようとしていた。
 それは車のクラクションの音だった。それがどこからか聞こえたのだ。おそらく大通りの方で鳴ったのだろう。なんてことはない、普通のクラクションだ。一度きりしか聞こえなかったし、冷静になってみれば、それほど大きな音でもなかった。私の心はこの上なく静まっていたから、クラクションがやたら大きな音に聞こえただけなのだ。
 気が付くと、私の目の前から、空クジラは消えていた。あの美しい透明な生き物はいなくなっていた。私は辺りを見回して、その行方を捜した。しかし、見つかる気配はなかった。さっきまで、あれほど鮮明にその姿を認めることができたのに、今では夜の闇にまぎれてわからなくなっていた。あるいは、私が目にしていた空クジラは幻覚で、初めからそんなものは存在しなかったのかもしれない。なぜなら、空クジラはこの土地に存在するはずがないからだ。
 私の心臓は驚きと困惑によって高鳴り、息すら荒くなっていた。私がさっき見たものはなんだったんだろう。あれは本当に現実だったのだろうか。仮に現実だったとして、私があのクラクションの音によって現実に戻ってくることができなかったら、私はどうなっていたのか。
 そこから先は、よく覚えていない。おそらく私は、困惑しつつも家に帰ったのだろう。十四歳の記憶で最も鮮明に残っているものがそれだった。目を開けると、過去の情景はまぶたの裏から消え失せ、代わりに夜の海が視界に映った。私は今という現実に戻ってきたのだ。
 私が十四歳のときに出会った空クジラを思い出したのは、まぎれもなく、浜辺に打ち上げられた空クジラの死体を目にしたのがきっかけだった。砂の上に横たわるそれからは、一切の生気が失われ、まるで単なる物体のように見えた。しかし、私がかつて目にした空クジラは、潤いに満ちており、極めて濃厚な生の雰囲気を醸し出していたのだ。その二つはあまりにも対称的だった。だから、私は否応なくその二つを結びつけてしまったのだ。
 私が今、空クジラに取りつかれているのは、あの生きた空クジラが発していた、ある種の引力のようなものを解明したかったからだ。十四歳の私を引き付けた、あの不思議な力のことだ。それは現実からはかけ離れた、未だかつて体験したことのないものだった。私の自分の中に根付く、大きな何かが引っ張り出されようとしていたのだ。
 私が空クジラに触れようとしたあのとき、何を譲り渡すはずだったのか。私はその答えを探していた。そして、今でも考える。本当にそれをするべきだったのか。あのとき、クラクションの音が鳴り、私は現実に戻った。だからこそ、空クジラは私の前から姿を消したのだ。しかし、もしあのとき、私が持っていた何かを彼に譲渡したのなら、私はどうなっていたのか。そのことをずっと考えていたのだ。
「いさな降りたり」と人々は言っていたのを私は思い出した。そう、私の前にも、いさなは降り立ったのだ。そして、彼は私の何かを持ち去ろうとした。ちょうど空クジラが飢饉の原因となるものを持ち去り、人々を救ってくれたのと同じように。だが、その試みは失敗してしまった。なぜなら、空クジラと対面した後、今に至るまで、私は一度も救われたことなどなかったからだ。
 女性記者と食事をしてから数日後に、私は別荘を離れた。休暇は終わった。もう十分だと思ったからだ。私は電車と新幹線を乗り継いで東京に戻った。今までのような日常に戻ったのだ。知り合いの作家は「もっといればよかったのに」と言ってくれたが、私はもうあの土地に滞在しようとは思わなかった。あの街が嫌いになったのではない。あの浜辺で過去を思い出したときに感じたことが原因だ。私が譲り渡すはずだったもの、それを明らかにしたくなったのだ。そして、それを知るためには、また小説を書かなくてはならないはずだ。私はかつてのように、いや、前よりもずっと自分と向き合い、自分と語り合いながら、文章を書かなくてはならない。まるで暗い穴の中にゆっくりと足を踏み入れるように、恐る恐るではありながらも、確実に闇に手を伸ばしていかなければならないのだ。
 今でも空クジラの座礁は続いているという。ニュースには力なく横たわる空クジラの遺体が映っていた。原因は今も不明で、人々はそこはかとない不安を抱いている。おそらく、彼らの集団死を止めることは誰にもできないだろう。そして、その末に何が起きるのか、私にはわからない。きっと、良からぬことが起きるのだろう。彼らは善なる存在だ。それが死に絶えるということは、すなわち、この世に邪悪なものが生まれ落ちるということに他ならない。そのことを理解しているのは、おそらく私しかいないのだろう。直接空クジラと接した私にしか、それはわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?