大学のあり方に見る「求められる人物像」の変化

大学について色々掘り下げてみようと思ったのは、私自身が受験戦争で疲弊してきた学生時代を送ってきたということもありますし、大学というのはそこに至るまでの教育にも、そこから先の雇用や就職にも深くかかわる機関なので、社会を見つめる上で重要なポイントになるなと思ったからです。一般的に「教育」と言うと、どうしても「いい大学にいくためには」的な話になりがちなのも気になっていました。そこで、大学に関する本をいろいろ読んでいたので、気づいたことなどを書いてみたいと思います。

いろいろといっても、主に天野郁夫先生という方が書いた大学に関する著作を6冊ほど…なので、かなり偏りはあるのですが、明治維新からの大学設立の流れや戦後の教育システム改革、試験制度の確立などの大まかな部分はつかめたと思います。大学というのはそもそも東京大学(帝国大学)しかなく、主な設立理由は官僚養成&選抜のためでした。江戸から明治にかけて事実上の失業者となった士族の出世意欲をかき立てるものでもあり、高い教育を受けられたのは士族出身者が多かったようです。身分制度や藩閥の時代から、実力主義や学閥の時代へと変わる大きな変革時期でした。東京大学の設立当初は無試験で好待遇の官僚になれたので、とにかく別格だったようです。早稲田、慶応、明治などの私学は、官僚任用試験への予備校のような立ち位置で、主に法学からスタートしています。最初から大学だったわけではありません。

明治から昭和の戦後くらいの時代にかけては、近代化・産業化が急激に進んだ時期でもありますし、戦争の時代でもありました。大学のあり方は戦争と切っても切れないもので、戦争時期には理系分野の拡張が国から求められ、理工学部が増加、また、軍医養成の必要から、医学系の学校も増やされました。明治からの軍国主義はとにかく「国策」という言葉に尽きるなと思うのですが、銀行や企業の発展も大学のあり方も、すべてはお国の(戦争の)ためという意味合いが強いと感じています。明治期の国策については『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』吉田祐二著『日本近現代史入門 黒い人脈と金脈』広瀬隆著という本がおすすめです。

教育の大まかな部分が現在のように整ったのは戦後でした。「6・3・3・4」という学校の年限や接続関係が定まり、人々に遍く教育を受けさせる仕組みができてきます。それまではもっと早い段階でエリートコースとそうでないコースにふるい分けられる仕組みで、年限も定まっていなかったり、大学の予科があったりとカオス状態でした。GHQが入っての議論だったので、アメリカ型の教育システムの影響があったものと思われます。教員養成校としての師範学校が学芸大学になったり、専門学校が大学になったり統廃合があったり、大学院や短大はどうするかなどいろいろ整理され、今の形に近い制度ができたということのようです。

非常にざっくりと書いてしまいましたが、だいたいはこういった流れです。本を読んでみて、大学のあり方というのは、国(や支配層)の求める人物像を反映しているなとつくづく思いました。支配層は人々に賢くなってほしいなどという気持ちで教育をしているのではなく、支配層にとって都合の良い人物を養成するための教育をしようとしているということがまず基本ですね。明治の黎明期はとにかく西洋化・産業化という至上命題があったので、人材育成が急務であり、教育の中身にも価値があったのだろうとは思いますが、現代においてはどうなのでしょうか。教育が人々に普及するにつれて、その存在意義が、教育の中身よりも試験や選抜に重きが置かれるようになっているようにも感じています。

江戸から明治にかけての身分制から実力主義への時代の変化という意味においては、大学の成立と試験制度の確立は、身分が低くても学を積めば立身出世ができる、ある意味平等・公平な選抜というポジティブな側面もあったとは思います。それでも今も昔も「経済力の格差が教育格差」になりがちなのは事実です。ただ、当時はまだ平民も自営が多く、家業を継げば学がなくても生活できるという世の中でしたが(だからこそ士族が大学を目指した)、現代は雇用されて組織から給料をもらう形態が主流であり、そのためには大卒という資格が必要であるため(全部ではないです)、借金を背負ってでも大学にいくべきという風潮になるのもやむを得ないのかなと思います。

私は今の大学のあり方に見る国(支配層)の求める人物像というのは、「借金を背負わせる」こととも無関係ではないのでは、と考えてしまっています。社会に出て働く前に奨学金という形で借金を背負わせることで、組織に従順でどんなにコキ使ってもお金のために辞められない人間を養成しているのではないか、ということです。現代では外国人留学生を多く受け入れている留学生大学のような学校も存在していますが、彼らもほぼ例外なく借金を背負わされていると思います。借金を背負わせて組織の言うことを聞かざるをえない若者の労働力を供給するのが今の大学…ということにはならないでしょうか。ブラックな結論になってしまいましたが、大学はいつも「国策」と共にある機関です。大学をありのままに見つめると、そういった側面があることも否定できないのではないかと思います。

※読んだ本 全て天野郁夫著
『大学の誕生〈上〉帝国大学の時代』
『大学の誕生〈下〉大学への挑戦』
『新制大学の誕生【上巻】―大衆高等教育への道―』
『新制大学の誕生【下巻】―大衆高等教育への道― 』
『増補 試験の社会史 (平凡社ライブラリー) 』
『学歴の社会史―教育と日本の近代 』

※関連記事
奨学金が「就職するための借金」になっている
大卒も共働きも、「当たり前」になると苦しい

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
19
1987年生まれ。2015年に突然市役所を退職。ホリスティックな健康をサポートする「Green Cosmo」サイト運営しています。資本主義の次は共同創造・個人の時代。FB友達申請お気軽に。サイトhttp://muraharu.com