「推し活」ブームで危惧していること

以前から昨今の世の中の娯楽依存傾向について色々と思うことを書いてきていますが、今回は「推し活」ブームについて考えてみようと思います。これまでは、苦しい家計と過剰な娯楽依存の謎という記事や、楽しみが「与えられた娯楽」だけなのはさみしいといった記事などに似たようなことを書いてきました。最近は本当にメディアが「推し推し」ゴリ押ししていて(笑)、さらにこれを商機と見た企業も推し活グッズを出しまくっているという状況です。推しカラーの日用品だったり、イベントで使えるアイテム、ぬいぐるみ関係、収納グッズなど、こんなに種類があるのか!と思うほど色々出ていてびっくりします。

以前の記事にも書きましたが、私が気になるのは人々が精神的に過剰に「推し」的なもの(前は「娯楽」と書きましたが)に依存しているのではないか、ということで、その夢中っぷり、陶酔っぷりにちょっと温度差を感じてしまう部分があるんですよね。推しの行ったところに行き、身につけたものを調べ、良いと言ったものや宣伝しているものを買い…そこまでいくと、ちょっと自分の考えというか自分というものがなさすぎでは?と思ってしまったりもします。そういう人がいるからこそ「宣伝・広告」が成り立つようなところもあるわけで、メディアや体制側は次から次へと人気者やスターを担ぎ上げて、場合によっては弱みを握って使い捨てにしたりと、時流を見て操作しているようなところがあります。

推しを応援する気持ちというのは、恋愛感情に近いものがあって、対象に対して過度に幻想を抱きがちになってしまいますよね。私がちょっと危ないと思うのが「盲信」してしまうことで、このことは以前に野心・保身・妄信という「シン」御三家という記事にも書きました。対象が何であっても、盲信するというのはとても危ないことで、冷静な判断力を欠いてしまうことになりかねません。政府やメディアを信じすぎるのも危険ですが、推しの場合は恋愛感情に似ていることもあって、感情が大きく揺さぶられることが多いです。どうしても…何としても…という気持ちが強くなりがちなので、その欲望が転売ヤーなどに目をつけられ、彼らの商売も成り立つ…という状況になっています。推し活グッズを出す企業も同様です。まさに恋は盲目…ということですね。

私も星野源とか、おじゃる丸も大好きですが、そこまで盲目的に応援しているわけではありません。それこそ若かりし学生時代はジャニヲタでしたので、盲目的だった時期もありました。それでもそれは学生時代くらいまでで、大抵の場合大人になるにつれてそういった過剰な気持ちは薄れていくものだと思っていました。ただ、昨今の推し活ブームは学生のような若い方だけではなく、大人もハマっているようなところがあり、そこもちょっと「うーん…」となってしまうことがあります。

推し活は恋愛感情に似た部分があると書きましたが、恋愛感情≒性欲とも言え、性欲の高まりを「応援する」という行為に昇華(発散)している部分は多分にあると思っています(意識無意識に関わらず)。大人で推し活に夢中という場合、パートナーとの関係はどうなっているのかな、と思うことはあります。子育てもひと段落、パートナーとの仲は倦怠期…という時にハマりやすいといったことはあるかもしれません。若い世代の場合、リアルな恋愛関係の代替として作用している部分もあるのかなと思っていて、今後「推しがいるのでリアルに結婚しなくてもいいんです」といった価値観が広まっていく可能性もあるなと感じています。

推し活に自身がハマっていたり、肯定的な人の方が多数派なのだろうとわかってはいるのですが、ちょっと勇気を出して(笑)、危惧することを書いてみました。現実が辛いものになればなるほど、精神的に娯楽(的なもの)に依存してしまう傾向になるのはとてもよくわかるし、私もそうなりがちな一人ですので完全に否定しているわけではありません。メディアや企業は「推し推し」ゴリ押しするばかりで、なかなかネガティブな意見を見ることはないのですが、なんでも行き過ぎると良くないということで、日ごろ思っていることを書いてみました。

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