見出し画像

時事無斎ブックレビュー(9) 鳥は恐竜、人は猿、そしてどちらも硬骨魚 ~分岐分類学を知るための3冊~

 本業で海の生物学をやっていると、外部の方から時々、捕まえたり拾ったりした見慣れない生き物について「この生き物は何でしょう」という質問を受けることがあります。むろんそれもお仕事の一環なのでむしろ嬉々として調べて回答するのですが、その時に少し困るのが「○○の仲間」という言葉で説明しなければならない時です。
 一例として、過去に「サルパ」という生き物の説明をしたことが何度かあります。ちょうどクラゲのようなゼラチン質の体を持ち海中を浮遊する生き物で、時々大発生して人目に触れることがあります。多少簡略化していますが、その生き物が持ち込まれた時に以下のようなやりとりが行われることがありました。

質問者「これは何というクラゲでしょう。」
時事無斎(以下Z)「これはサルパです。」
質問者「サルパというクラゲなんですか?」
Z「いえ、クラゲではなくサルパです。」
質問者「???」
Z「………。」

 最終的には「見た目はクラゲに似ているものの、実はサルパはクラゲではなく分類上はホヤに近い仲間」ということを説明してご理解いただいていますが(ご理解いただけていないとすれば私の不徳のいたすところです)、こうした認識のズレが生じる原因の一つとして、生物の分類学的な位置が必ずしも見た目や生態と一致しないことが挙げられます。今回はそうした「生物の分類」、そしてそのバックボーンとなっている進化生物学についての本をいくつかご紹介します。
 はるか昔、人々は生物を見た目や生態が似ているかどうかで分類していました。翼を持ち空を飛ぶ生き物であれば「鳥」、水の中を泳ぎ回るものは「魚」、地面を這いずり回る小さな生き物は「虫」というようにです。こうした分け方は実用上便利なこともあって今も生活のあちこちに残っており、例えば水産業の統計では頭足類(イカ・タコ)もクジラも貝類も海藻も全てひっくるめて「魚」と同じ扱いになっています。
 やがて生物を専門に研究する学問が生まれ生物の体の構造や生理についての知識が豊富になってくると、器官の有無、骨の形や数、発生の形といった要素を基準にした分類が行われるようになります。クジラやコウモリは魚や鳥ではなく実はゾウやネズミと同じ哺乳類であることが分かり、イカやタコも魚ではなく貝類やナメクジと同じ「軟体動物」に含められます。冒頭で述べたサルパも、見た目が似ているクラゲではなく、体の構造や発生の様子からむしろホヤに近い仲間とされ、さらにその仲間は哺乳類を含む脊椎動物と近縁であることも明らかになりました。サルパは実はクラゲより我々ヒトに近い生き物なのです。
 こうした複雑な生物のグループ分けを体系的に行う方法として、18世紀にカール=リンネが「界-門-こうもく-科-属-種」の階層的な分類法と「属名+種小名」で種を表す命名法の原則を提唱し、それが現在に至る生物分類のスタンダードとなりました。そしてダーウィンから始まる進化生物学によって、生物の間に見られる階層的な類似性はその種が過去にたどってきた進化の経路を反映したものであることが明らかになります。その考えを取り入れて最近主流になった「分岐分類学」では、共通の先祖を持つ「クレード」を単位として生物を分類するようになります。

図1 親戚の関係に例えた生物の分類

 「クレード」などというと難しく聞こえますが、要するに「共通の先祖から生まれた種はまとまった一つの集団として扱う」ということです。親戚の関係に例えると解りやすいでしょう。図1に親戚同士の関係を生物の分類に当てはめた図を示しました。図中の「ぼく(種)」を起点として見ていくと、まず「親が同じ集団(兄弟姉妹)」があり、その上に「祖父母が同じ集団(いとこ同士)」があり、さらにその上に「曾祖父母が同じ集団(またいとこ同士)」があり……、と順繰りに大きな集団に属していくことになります。このとき注意しなければならないのは、同じ先祖を持つ子孫の一部だけ、例えば図1で◆マークが付いた集団を「顔が似ているから」「同じ職業に就いているから」などの理由で独立したグループとすることはできないということです。これが分岐分類学の大まかなルールです。

図2 ヒトを起点とした他の生物との類縁関係

 それを、我々が属する種であるヒトを起点として実際の生物の分類に当てはめたのが図2です。順に見ていくと、ヒトはまず他のサルと同じグループに属し、次にその他の哺乳類と同じグループに属し、鳥類や両生類と同じ四肢動物に属し、その次は……。
 ここで「あれ?」と思った方もいるでしょう。その次に来るのは、シーラカンスやハイギョを含む「肉鰭類にくきるい」という魚類のグループなのです。そしてその次には、我々が日常的に目にするサケ・ウナギ・マグロ・カレイ・フグなどほとんどの魚類を含む条鰭類じょうきるいというグループが来ます。そこからさらに一つ分岐をさかのぼった場所に、全身の骨が軟骨だけでできた「軟骨魚類」、つまりサメとエイが位置します。そこからもう一つ離れたグループがヤツメウナギやヌタウナギなどの「円口類えんこうるい」で、ここまでが「脊椎せきつい動物」、さらに一つ遡ってホヤやサルパまでを含めた集団が「脊索せきさく動物」となります。
 つまりシーラカンスから見てマグロは哺乳類よりも遠い関係にあり、そのマグロから見ればサメは哺乳類より遠い関係にあることになります。「とすると一般にいう『魚類』は一つのまとまった集団ではないのでは?」と思われた方、まさにその通りなのです。分岐分類学のルールに従えば、共通の先祖を持つ四肢動物を除外して肉鰭類・条鰭類・軟骨魚類だけを「魚類」というグループにまとめることはできませんし、逆に条鰭類と肉鰭類をまとめた「硬骨魚」というグループを作ろうとすれば肉鰭類と近縁な四肢動物もそこに含まれなければなりません。分岐分類学の基準では「魚」というグループは存在しないことになるのです。


1.キャロル=キサク=ヨーン『自然を名づける』(三中信宏・野中香方子訳、NTT出版)

 とまあ、大まかに言えばこのような生物分類学の歴史とシステムを、より詳しく、さらに「環世界かんせかい」というキーワードで「人間は世界を、特に生物をどのように認識しているのか」という話題とも絡めながら解説したのがこの本です。
 どうやら「生物を分類しそれぞれに名前を付ける」という行動は人間にとって先天的に備わったもののようです。詳しくは本書を読んでいただくとして、単に分類学の話に止まらず、人間の脳の機能そのものについても色々と興味深い話題が取り上げられています。特に、人間の脳が生物と無生物の分類をそれぞれ別の場所で処理している(病気や事故で脳の一部に損傷を負った場合、生物の区別だけができなくなる場合がある)という話は驚きでした。とすると、本物そっくりのぬいぐるみや架空の生物、人型アンドロイドなどの情報はどちらで処理されるのでしょう。そのあたりも知りたいところです。
 面白いのは、近代科学以前の生物の分類や名付け方が文化によって異なるように見える一方で、全人類に共通する感覚のようなものも見受けられることです。何の予備知識もない米国の学生がペルーの先住民の言語での鳥と魚の名前を統計的に有意なレベルで正しく分けることができたという話(第五章)などその一例でしょう。同じような例は現代の科学的な分類法との間にも見られ、近代以前の生活をしている民族の間での生物分類が、最新の科学的な分類とほぼ一致するという例(第四章、第十章)などもあります。
 著者は、遺伝的な類似を基準にした生物の分類が人間が元々持っている「環世界」の感覚とかけ離れたものになっていくことで結果的に人々が自然や環境への興味を失うことになるのではないかと懸念していますが、私が専門としている生態学の世界では未だ環世界的なものの見方は健在です。例えばサルパも、分類上は脊椎動物に近い仲間とされつつ、一方で海洋生態系の中では見た目や生態がよく似たクラゲやクリオネなどとともに「ゼラチン質プランクトン」という集団に含められています。少なくとも人が生の自然に接する機会が失われない限り(むしろこちらの方を憂慮すべきでしょう)、生物の分類法がどう変わろうと環世界的なものの見方は保たれ続けるのではないかと私は思うのです。
 こうしたシステムの変更、そして最新の調査結果が分類に大きな変化をもたらしたのが、皆さん大好きな(少なくとも私は大好きでした)恐竜、そして鳥です。

2.土屋健・著、小林快次・監修『そして恐竜は鳥になった』(誠文堂新光社)

 私と同年代でやはり子供のころ恐竜に夢中になっていた方なら、そう遠くない昔には、恐竜は爬虫類、鳥は独立した鳥類として分類され、それぞれ別の仲間とされていたことを覚えているでしょう。やがて「鳥は恐竜の子孫」という考え(注1)が一般にも知られるようになり、現在では「鳥は恐竜の仲間」として一つのまとまった集団の扱いになっています。

注1:鳥と恐竜(特に小型獣脚類)との間に連続性があるという考え自体は、実はかなり古くからあったものです。

図3 鳥類を起点とした恐竜および他の爬虫類との類縁関係

 「鳥は恐竜の子孫」と「鳥は恐竜の仲間」がどう違うのか分かりにくいかもしれませんが、ここでも分岐分類学の考えが鍵になります。図3に鳥類を起点とした恐竜そして他の爬虫類との類縁関係を示しました。見て分かる通り、鳥類はまずティラノサウルスなどを含む獣脚類じゅうきゃくるいの恐竜に近縁で(注2)、次いでカミナリ竜などその他の竜盤類りゅうばんるい、さらにトリケラトプスやステゴサウルスが含まれる鳥盤類ちょうばんるい、翼竜・ワニ類など他の主竜類しゅりゅうるいと順に近縁になっていきます。
 そもそも「恐竜」の定義とは何かですが、大まかに言うと「竜盤類と鳥盤類を共に含むクレードに属する生物」です。とすると分岐分類学のルールに従えば、ティラノサウルスとトリケラトプスが共に含まれる集団、つまり「恐竜」の仲間には、ティラノサウルスから見てトリケラトプスよりも近縁な鳥類も含まれねばなりません。これが「鳥は恐竜の仲間」されるようになった理由です。

注2:ただ、時々誤解している方がいるようですが、現生の鳥類がティラノサウルスのような大型獣脚類から進化したわけではありません。

 そう考えると、遠くない将来、「爬虫類」という分類群は解体され、例えば「トカゲとヘビを含むグループ」「恐竜(鳥を含む)とワニを含むグループ」「哺乳類とその祖先の近縁種を含むグループ」のように再編成されることになるのでしょう。カメや首長竜がどこに入るか(独立したグループとして扱われるのか、他のグループの一員に含められるのか)については私自身も専門ではないのでよく分かりません。
 恐竜が鳥へと進化していく過程がどのように解き明かされていったかは実際に本書を読んでいただくとして、強調しておきたいのは、鳥類への進化にはこれからも解明すべき点が数多くあることです。特に飛翔の起源、羽毛や翼がどのように発達してきたかなどは、最終的な結論が出るまで本書の内容からさらに二転三転がありそうな気がします。その中でさらに驚くような事実が発見されることもあるのでしょう。お楽しみはまだまだこれからなのです。

図4 ヒトを起点とした他の霊長類および他の哺乳類との類縁関係

 最後に、我々自身の種であるヒトと他の種との関係をもう少し詳しく見てみましょう。図4にヒトを起点とした現生の霊長類の類縁関係を示しました。まずヒトに最も近いのはチンパンジーとその同属のボノボで、次いでゴリラ(ニシゴリラとヒガシゴリラ)が近く、少し離れてオランウータンが位置し、ここまでが「ヒト科」となります。一般に言われる「類人猿」は(「魚類」と同じく)まとまった分類上の集団ではなくヒト科に属する種からヒトだけを除いた便宜上のグループに過ぎません。さらにヒト科は他のサルと共に、哺乳類の一グループである霊長類(サル目)という集団に含まれます。
 この場合も、共通の先祖を持つ他の類人猿、あるいは霊長類全体からヒトだけを除外して独立した集団とすることはできません。そういう意味では、よく言われる「ヒトはサルの子孫」という言葉は(「鳥は恐竜の子孫」と同様に)厳密には間違いで「ヒトはサルの一種」というのが正確な表現になります。
 サルはもちろん哺乳類の仲間です。したがってヒトは、サルの一種であり、哺乳類の一種であり、四足動物の一種であり、そして硬骨魚類の一種でもある、ということになります。
 なぜここで改めてこういう話を持ち出したのかというと、この問題が単に生物学にとどまらず、往々にして非常に政治的な色彩を帯びてしまうためです。

3.スティーブン=ジェイ=グールド『ニワトリの歯』(渡辺正隆・三中信宏訳、ハヤカワ文庫、上・下巻)

 「断続平衡説だんぞくへいこうせつ」(注3)の提唱者でありエッセイストとしても名高いグールド教授の著書。こちらは正確には分岐分類学を扱った本ではなく、生物の歴史や進化と関連するテーマを広く扱ったエッセイ集です。書かれたのも分岐分類学がまだ生物分類のスタンダードとなる前の1970年代から80年代にかけてですが、ところどころで現在の分岐分類学とつながる考えが説明されているため、その点でも参考になるでしょう。もっとも今では少し古くなってしまった内容もあり、例えば第28章ではヒト科のうちチンパンジーとゴリラがまず近縁でヒトはその次に位置し最後にオランウータンが来るように図示されていますが、現在では図4のようにヒトとチンパンジー(とボノボ)がまず一つの集団を作り次にゴリラが来るとされています。

注3:生物の進化は比較的形態的な変化の少ない時期と急激な形態の変化が起こる時期を繰り返しながら進むという考え。

 本書でもう一つ重要なのは、後半(下巻)を中心に、生物学を初めとする科学と政治や宗教との軋轢について、特に米国におけるその実態を詳しく描いていることです。聖書の内容が全て歴史的事実であるとして「進化論は嘘」「地球の実際の年齢は数千年」と主張する勢力(注4)による学校教育への介入。それによって萎縮する教育現場と結果として起こる科学教育の遅れ。何より深刻なのは、少なからぬ米国人がそうした動きを、時には無批判に、時にはむしろ積極的に受け入れてしまっていることです。

注4:まさに本稿執筆中の2022年10月現在、政権与党とのズブズブの関係が取り沙汰されている某宗教もこの勢力に属しており、実際に私自身も「進化論は嘘」と主張する信者に絡まれて言い合いになったことがあります。

 残念ながら、この状況(日本には無縁というわけでは決してありません)は本書が書かれた1980年前後から全く改善していないどころか、むしろ悪化しているようにさえ思えます。さらにそれは進化論だけでなくCO2による地球温暖化やワクチン接種の有効性や時には地動説さえ否定するような反科学・ニセ科学、学校教育での宗教的な価値観の押しつけ、女性や民族的・文化的・性的マイノリティへの差別や人権侵害といった問題とも大きく関連してくるのですが、それについては他の本の紹介とも絡めながら回を改めて取り上げたいと思います。

※続きはこちら

時事無斎ブックレビュー(10) 『チ。-地球の運動について-』について、そして科学と宗教の相克について|MURA Tadasi (村 正) (note.com)


この記事が参加している募集

生物がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?