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時事無斎ブックレビュー(10) 『チ。-地球の運動について-』について、そして科学と宗教の相克について

 遅ればせながら新年おめでとうございます。2023年初となる今回の投稿は、前回のこのコラムと関連する内容になります。

※前回はこちら

 個人的に2021年から2022年にかけては近年になく良作漫画(連載中・完結を問わず)に数多く出会えた期間でした。一部を挙げただけでも、アニメ化もされ好評を博した遠藤達哉『SPY×FAMILY』を初め、グレゴリウス山田『竜と勇者と配達人』、ゆうきまさみ『新九郎 奔る!』、堀尾省太『ゴールデンゴールド』、林田球『大ダーク』など、将来このコラムでも取り上げたい作品がいくつもあります。
 今回はその中の一つ『チ。-地球の運動について-』(以下『チ。』)について、関連するテーマを扱った他の本と併せて紹介したいと思います。


1.魚豊『チ。-地球の運動について-』(小学館ビッグコミックス、全8巻)

※全8巻セット

 2022年の手塚治虫文化賞受賞作。最初は単に奇をてらったタイトルかと思って敬遠していたのですが、実際に読んでみるとタイトルそのままの内容でした。思い込みで物事を判断するものではありません。この場を借りて懺悔させていただきます。
 『チ。』は大地・地動説の「地」であり、「知」であり、人々が事実を求める中で流される「血」でもあります。時代はコペルニクスに先立つ15世紀。舞台となる場所は、作中で「H戦争」(フス戦争のことと思われます)について述べられていることから、おそらく当時のボヘミア(現在のチェコ周辺)あたりでしょう。異端の思想とされ死刑をもって禁じられている「地動説」を、時には自然の法則の中にある真の美しさを求めて、時には名誉欲や教会への怨恨から密かに研究し世に広めようとする者たちと、彼らを執拗に追う異端審問官・ノヴァク。彼に追われる歴代の主人公たち(次々に入れ替わります)は、あるいは捕らえられて自決し処刑され、あるいは戦いの中で命を落とし、ただ彼らが命を賭けた研究の成果だけが次代の主人公へと伝わっていく――。
 作中で「キリスト教」ではなく「C教」という名称が使われていることからも分かる通り、いちおう架空の世界の物語という体裁を取っています。実際の歴史でも地動説に対してここまで大規模な弾圧が行われたことはなかったようです。ただ「だから地動説への迫害などなかった」というのはそれこそ歴史の改竄で、地動説が当時、摘発されれば火あぶりにもなる「異端思想」と見なされていたことはまぎれもない事実です。有名なのはガリレオ=ガリレイが地動説を唱えたとして異端審問にかけられ、自説の撤回を強いられた上に終身軟禁状態に置かれたガリレオ裁判でしょう。そして教皇庁がガリレオ裁判の間違いを認めて公式に謝罪したのは、驚くなかれ人類の月着陸から20年以上が経ち無人機による火星探査も開始されたあとの1992年にもなってからのことでした。史実で地動説への大規模な弾圧がなかったのは単に当時の地動説が一部の知識人層の間だけで知られる存在だったからで、もしも社会に広く受容されるほどの影響力を持っていたなら、間違いなく本書のような血みどろの弾圧が行われていたでしょう。「まさか」と思う人は、実際に現在も続いている宗教から科学への攻撃について、このあと紹介する本を読んでみてください。
 作者の魚豊氏には次回作で例えばスコープス裁判などを取り上げてもらえないだろうか、などと勝手に考えています。

2.ナイルズ=エルドリッジ『進化論裁判』(渡辺正隆訳、平河出版社)

 前回のこのコラムで取り上げた『ニワトリの歯』の著者・スティーブン=ジェイ=グールドと共に「断続平衡説」を提唱した進化生物学者のナイルズ=エルドリッジが、米国に深く根を張る進化論否定に警鐘を鳴らした書です。
 『チ。』の時代から500年あまり。科学と宗教の戦いは、かつての天文学から(注1)、まさに私自身が身を置いている生物学や環境科学――進化論や地球温暖化論、さらに医学といった分野に主戦場を移して今も続いています。聖書の記述が単なる比喩や伝承ではなく一字一句に至るまで全て歴史的・科学的事実であるとして「生物の進化などなかった」「地球の本当の年齢は数千年」と主張するキリスト教原理派(ファンダメンタリスト)の「創造論」と、彼らによる理科教育への攻撃。それはさらに、彼らの思想に共鳴しその集票力を利用しようとする保守派政治家とも結びついて米国の社会を蝕んでいく――。
 断っておくと、日本がこの問題と無関係なわけでは決してありません。例えば2022年の安倍元首相銃撃事件をきっかけに政権与党とのズブズブの関係が注目された(そして例によってうやむやのままで幕引きが図られようとしている)某宗教もやはり進化論を否定する立場を取っています。私自身、かつて街頭で学校での進化論教育の廃止を求めるビラを撒いていた信者に「人類はどのように生まれたと思いますか」と(非常に高圧的な態度で)訊ねられ、「長い時間をかけて猿と共通の先祖から進化してきたのです」と答えたところ「それは間違いです」と頭ごなしにわめき立てられ、こちらも言い返してかなり激しい言い合いになりました。「では地層の中から出てくる化石はいったい何なのですか」という問いに「あれは人を騙すための作り物です」という答えが返ってきたことからも分かる通り科学的には不毛としか言いようがない議論でしたが、こういう主張を、これまた政権与党とズブズブの関係にある某新聞あたりが科学的に価値のある議論のような扱いで記事にしたりしているのですから(注2)笑い事では済みません。
 恐ろしいのは、彼らが『チ。』の時代のような(あるいはナチス時代のドイツやタリバン政権下のアフガニスタンのような)社会で権力を握れば、自分たちと異なる意見を持った「異教徒」「異端者」たちを容赦なく火あぶりにするであろうということです。私など真っ先に火刑台送りでしょう。もともと小学校高学年から中学校にかけての時期に聖書を熱心に読んでいて正式に洗礼を受けるべきか迷っていた私が最終的に今のような戦闘的反宗教派に転じたのも、宗教のこうした偏狭さ・残忍さ・非論理性に愛想を尽かしたのが理由の一つでした。

注1:残念ながら地動説が完全勝利したわけではありません。現在の米国でも平面世界フラットアース論のような天動説派が無視できない影響力を保っており、しかもここ数年勢力を拡大しつつあるとされています。
注2:「インテリジェントデザイン 産経新聞」で検索するとこの問題を取り上げた記事がいくつかヒットします。

3.スーザン=ジョージ『アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?』(森田成也・大屋定晴・中村好孝訳、作品社)

 結局、「進化論(あるいは地動説)が事実か」というのは科学の問題ではなく、科学の皮を被った宗教的イデオロギーと、それに便乗する政治の問題なのです。1970年代以降米国に浸透したそうした動きが、最終的に米国社会をいかに支配するようになったかを膨大な資料に基づいて分析したのが本書です。
 実は米国の宗教勢力が攻撃対象としているのは進化論だけではありません。例えば地球温暖化を初めとする環境問題への取り組みでは「神様が何とかして下さるから大丈夫」の脳天気から「キリスト再臨のためには一度世界が滅びねばならない」とする終末思想までがこぞって批判や妨害に回り、結果として彼らの支持を受けるG=W=ブッシュ政権(やその後のトランプ政権)下でまともな対策が取られなかったことで事態の悪化を招いています。医療に関しても「命を与えたり救ったりする力は神だけのもの」という思想から近代的な医療行為を敵視し、ワクチンの接種や妊娠中絶、さらに避妊や輸血や感染予防のためのマスク着用までを否定する動きが原理主義者の間で以前から根強く、それが新型コロナ禍での死者数の増大を招きました。妄信が人を殺すのは火あぶりに限ったことではないのです。日本でいわゆるネトウヨ界隈を中心に叫ばれるCO2による地球温暖化の否定や反ワクチン論・反マスク論なども、元をたどれば米国の原理派セクトの主張の受け売りである場合が少なくありません。
 絶望的な気分になるのは、こうした主張に対して科学者やリベラル派がいくら理を尽くして反論を行っても、しばしば宗教と権力の圧倒的な力の前にかき消されて社会に受け入れられないまま終わってしまうことです。おそらく我々が暮らす社会は『チ。』の時代からそれほど進歩しているわけではないのでしょう。

4.ボビー=ヘンダーソン『反★進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書』(片岡夏実訳、築地書館)

 原理派相手にまともな議論が通用しないなら、逆に思い切りまともでない議論で対抗してみてはどうか。最後にそういう発想で書かれた本をご紹介します。
 生物の進化に関する研究が進み、かつてのような単純な創造論が唱えにくくなった原理派が新たに持ち出してきたのが「インテリジェントデザイン」(以下「ID」)論です。――複雑で精巧な生命活動の背後には、それを生み出した「何らかの知的な存在(=神)」がいるはず。違うと証明できないからそうに違いない。これは宗教ではなく科学的な主張であり(注3)、公立学校の理科の授業では進化論だけでなくID論も「公平に」教えるべき――。
 例によって組織力を総動員した運動によりID論を理科教育に持ち込む流れが広まりつつありますが、それに対抗してID論者の展開する屁理屈をそのままパロディ化して作られた冗談宗教がこの「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教団」です。
 万物は至高の存在である空飛ぶスパゲッティ・モンスター(以下「スパモン」)が5千年前に創造したもの。違うと証明できないからそうに違いない。スパモンの信徒は海賊の服装をすべし。聖なる食物はスパゲッティ。祈りの言葉は「ラーメン」。これは科学的な主張なのだから公立学校では進化論やID論の他にスパモンによる創造も公平に教えるべき。布教の際の方法は――。
 タイトルで「反・進化論」を謳っているものの、実際には進化論(および原理派が唱える反進化論)についての記述はそれほど多くありません。日本人には元ネタが分かりにくいギャグが多いため読んで笑えるかどうかは微妙なところですが、教義自体は全体として理性・寛容・博愛を説く至って穏当なものとなっています。
 ただ、残念なのは、おそらく著者が本当に訴えかけたかった相手――創造論やID論を無批判に受け入れ、宗教的な法悦に浸りながら「他者」を憎悪する人々の多くが、結局のところ本書の内容に「神を冒涜している」「不道徳だ」という反応しかできないことでしょう。実際、著者のもとにはそうした批判が多数寄せられたようです。
 それでも本書が、その笑いによって、蒙昧と偏狭さの闇に迷える子羊たちを一人でも多く救い出すことができるのであれば――。
 アーメン(くあらせたまえ)、ではなく、ラーメン(角煮あらせたまえ)……。

注3:実際には「違うと証明できないから正しい」ではなく「それが正しいことを証明しなければならない」なのですが。実在も証明されていない存在を持ち出して強引に物事を説明しようとしても、それは「科学的」でも何でもありません。

※2023.8追記

 この記事を投稿してから8か月ほどしてAmazonに書いていた自分のレビューを見返したところ、『進化論裁判』『アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?』『反★進化論講座』の3つのレビューが全て削除されていることに気づきました(『チ。』はもともとAmazonへのレビューを書いていません)。おそらくこの記事を読んで気分を害したどこかの信仰心篤い方が、異端者を火あぶりにするのと同様の高揚感に打ち震えながらAmazonに私のレビューを削除するよう訴えたのでしょう。そう、結局今の日本でも『チ。』で描かれた異端者狩りと同一のベクトル上にある行為が公然と行われているのです。まさに私が書いた内容をそのままご自身の行為で証明して下さった(そしてご自身の魂を汚した)当事者の方に、心から哀悼の意を表します。

※2024.3追記

 その後さらにしばらくして、リンクの張り替えのため本記事で取り上げた本のページを覗いてみたところ、最低ランクの「星1つ」評価が大量に投稿されている(おそらく組織票)のを発見しました。どうやらAmazonは、私が書いたような評価はすぐに消す一方で、そういう人たちには大変甘いようです。
 そうやって宗教的な法悦に浸りながらご自身の魂を汚し続ける人たちに、次のイエスの言葉を贈ります。「人はその犯した全ての罪も、神への罵りの言葉も許される。だが、魂までを汚した者は決して許されることはなく、地獄へと投げ落とされるであろう。」

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