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なぜ移住先が釜石だったのか

ポスティングして、声をかけたり声をかけられたりしたときに、
「なぜ釜石なの?」
と聞かれることが、よくある。

わたしは2020年8月に、東京目黒から岩手釜石に移住した。
理由は、離婚してライフステージを変えたから。

人生を変えるには、3つの要素が必要。
・環境:住む場所を変える
・時間:仕事を変える
・人間関係:付き合う人を変える

移住するということで、いっきに3つ、変えてみた。
ただし、時間については仕事を変えるということではなく、
地元の仕事を取り入れて、時間の使い方を変えた。

じゃあなぜ、引越し先が釜石なのか。

それは、わたしはもともと釜石との「関係人口」だったから。

2011年、親友キヨ(清宮克幸)さんと釜石に来た。
「ラグビーやってるのが困ってるから、手伝いにいこうよ」
と。

そのとき以来、早稲田大学の教員としては、
ボランティア・プロジェクトを立ち上げて、
大学生たちのチームといっしょに。

ライターとしては、
宝来館のおかみさんががんばる物語を取材して、雑誌に連載していた。

子どもの父親としては、
息子が所属する中学校のラグビー部の夏合宿を釜石でやった。
それが2011年7月のこと。
宿泊先は、鵜住居の宝来館。
まだまだ仮オープンもしていない、海に面した旅館に選手たちを宿泊させて、
それが縁で、おかみさんの奮闘ストーリーを書くことになった。

この3つが時期的に終了しても、
定期的に釜石に通っていた。
友だちができ、知り合いが増え、
そうした人たちに会いに、釜石に通っていた。

3月11日には祈りに、釜石に通っていた。

定住する「定住人口」ではなく、
行ったり来たり、好きなときにかかわっていく「関係人口」。

釜石の「関係人口」だったわたしは、
離婚をきっかけに、釜石の「定住人口」になった。