見出し画像

釜石への移住は3年目に

ウノスタのこけら落としの日

今日で3年目になる。
2020年の8月19日、いつものように6時04分発のやまびこに乗って、
東京目黒から岩手釜石に移住してきた。

その2年前、2018年の8月19日は、
釜石鵜住居復興スタジアムのこけら落としとして、
釜石シーウェイブスとヤマハジュビロの試合が行われた。
このとき、ゼミの卒業生たちと釜石に来て、
ラグビーの試合とかいろんなセレモニーを楽しんだ。

そしてそのほぼ1年後の7月27日、
ラグビーの国際試合が行われた。
日本対フィジー。

国際ランキングでは格上のフィジーに対し、
日本代表はスクラムで勝ち、ラインアウトもミスがなく、
バックスの活躍もあって、見事な勝利をものにした。

この釜石での試合で勢いがついて、
直後から開催されたラグビーワールドカップでの、
日本代表チームの快進撃につながった、
と、いわれている。
(少なくともわたしはそう思っている)

ジェットコースター的な人生

その試合、前のカミサンと見に来ていた。
東京から新幹線に乗って、
普通に並んでスタジアムに入って、
メインスタンドなんだけどガンガンに陽の光を浴びて、
めいっぱい日本代表チームを応援して、
夜はみんなで魚河岸テラスで騒いで、
宝来館に泊まった。

そのほぼ1年後に離婚しての移住。
なかなかのジェットコースターな人生だな、と思うけど、
これがすっとできたのは、「プランB」を持っていたからじゃないか、
と思う。

「プランB」って?

そのまま、これまでの延長線上にある生き方としての「プランA」、
と同時に、移住もしくは2拠点生活としての「プランB」。

「プランB」は、次善の策や代替案ではなく、
「プランAよりも劣る内容」でも「間に合わせの案」「控えの案」でもない。

「プランB」とは「予想外の事態に対応する一手」「自らの読みの甘さを踏まえた上での挽回の一手」でもある。状況の変化、悪化に「こんなことがあっていいはずがない」と呆然として、現実逃避をしたり、過去のプランAの破棄をするのに逡巡したりしていたら、あっという間に経営も組織も破綻してしまうだろう。(『「プランB」の教科書』p12)

「プランB」が頭の中にあって、予想外の事態に対して、
「それはちょうどよかった」の心理的柔軟性の対処の仕方を知ってたから、
心理的にも具体的な行動でも、すんなりと釜石移住に踏み切れたんじゃないか、
と、思おうと思えば思えなくもない思いがする。

人生の「プランB」をもっておくことは、
人生100年時代ににはとても大切かも。

ともかく、釜石に来た3年目は朝から快晴!
スッキリといい感じ。

thanks to 『「プランB」の教科書』 尾崎弘之 集英社インターナショナル新書 2022年