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いまどきの高校生たち

シャイ(内気)とか慣れてない、ということではない。

釜石高校で釜石コンパスに参加した。
10人ぐらいの生徒たちに、
自分の仕事とか人生を語る。
生徒たちはそれを聞いて、
将来の仕事とか人生の意味をおしはかる。

わたしのテーマは、「授業は自分たちでつくる」。

わたしのほかにも何人(組)かゲスト講師がいたが、
わたしには強力なパートナーがいた。
釜石高校出身、早稲田大学国際教養学部1年のリホだ。
まもなく受験生となる高校2年生たちにとって、
これはもう、どんな有名人だろうが、かなわない。

リモートで行わたこの授業で、
生徒たちはそれぞれカメラの前で前のめりになり、
リホの合格体験を聞いて不安を解消し、
リホのキャンパスライフを聞いて胸をふくらませる。

わたしの出番なんて、リホの前座でしかない。
わたしの話なんて、はいはい、ってなもんである。

だけど、どんなに不安があって胸をふくらませても、
質問タイムに手は挙がらない。
さっきまでの前のめりが、うつむく姿勢になってしまう。

だけど、匿名で質問や感想を投稿できるアプリを使うと、
とたんに饒舌になる。
舌がなめらかになるだけではなく、
いい質問、いい感想が飛んでくる。

これは高校生たちだけではなく、
大学生も同じ。
2020年からオンライン授業になって、
質問をアプリやzoomのチャットに求めると、
対面の授業ではありえないくらいの質問が提示される。

だからダメなんじゃなく、
これしか生徒たち、学生たちの意思表明の方法がないのだ。

もちろん、実際に発話することもできる。
だけど、発話した途端、叱られたり笑われたり、
教室内がネガティブになる失敗体験を積み重ねてきているから、
どうしても発話する気になれない。
それは小学校の教室であり、中学校の教室であり、
そして高校でも同じような体験をする。

先生たちが悪いのではなく、
もはやそれが、長年に渡ってのカルチャーになっているから、
ひとりふたりの先生たちの努力では、どうしようもないのだろう。

だったら、アプリを使ったほうがより発言量が増え、
インタラクティブ性が上がって、コミュニケーションが生まれ、
学習の効果が上がるかもしれない。

効果が上がる、生徒たちの成功体験が増えれば、
生徒たちの自己肯定感が高まって、
やがてアプリを使わなくてもよくなるかもしれない。

げんに昨日、アプリを使って何度かやりとりしたら、
すぐに発話しての会話もできるようになった生徒もいた。

生徒たちが授業中に発言しない、手を挙げないのは、
シャイだからでも慣れてないからでもない。
そういうカルチャーだからだ。