戦争のつくりかた

「戦争のつくりかた」

友人が「戦争のつくりかた」というショートムービーを、
Facebookでリンクさせていた。
もとは絵本で、2004年につくられ、
2016年にアニメーション映画に収められた。
7分ちょっとのショートムービー。
https://youtu.be/cUGu73hnjdY

この絵本は、2004年、日本が戦争へと近づいていくのではないかと気付いた人たちによって制作されたものです。この絵本をいま開くと、現在の日本や私たちの日常がその絵本に描かれている姿へと日々近づいているように思えます。
戦後70年間、直接は戦争に関わってこなかったこの国は。これまでより遥かに「戦争ができる国」に近づいてしまっているのかもしれません。
これは日本の映像やアニメーションの作家たちが集まり、新たに戦争の悲しみと不条理を繰り返してはならないと考え、この絵本をアニメーション短編映画にしたものです。

リアリティあるな、と思った。
2004年のときより、
2016年のときより、
ホントに戦争に近づいた、と思う。

ムービーの中では、こういってる。
「国の決まりや仕組みを少しずつ変えれば、戦争ができる国になる」

1999年の周辺事態法以来、
「自衛隊がいくところが、非戦闘地域」
ということになった。
自衛隊は海外にもいく。
戦闘中の戦艦に、給油もする。
集団的自衛権も認めた。
2015年、安保関連法もできた。

国の決まりや仕組みは、少しずつ変えられてきた。

「自衛隊は、世界の平和を守るため、
困っている人を助けるため、に戦争しにいく」

安保関連法のとき、そういっていた。
「逃げ遅れたおかあさんと子どもを見捨てるのですか?」
と。

「政府が戦争すると決めると、
テレビやラジオや新聞は、
政府が発表した通りのことをいう。
都合の悪いことはいわない、
という決まりをつくる」

すでにそうなりつつある。
政府が公的文書を改ざんしても破棄しても、
なんら咎め立てもしない。

「どうして?と聞けるような雰囲気じゃなくなる」

不寛容になっている。
異論を唱えられなくなっている。
『表現の不自由展』は、
中止に追い込まれた。
愛知県や名古屋市が介入したことでも、
官房長官が「カネ返せ」みたいなこといったことでも、
そんなことで津田大介さんは中止にしたのではないだろう。

中止にした原因の中心は、
世の中の不寛容空気、
だ。
「どうして? と聞けるような雰囲気じゃなくな」
ったいるからだ。

憲法は、戦争しないと決めている。
しかし、仕組みはできあがっている。

こぶしも振り上げてしまった。
韓国に対して。

「韓国が先に挙げただろ?
だからこれは、正当防衛だ」

戦争する条件は、じつは整っている。

後藤田正晴『情と理』という名著がある。
政治は、感情の部分と理屈の部分とで成り立っている。
情では、戦争したくないだろう。
でも理では、戦争は外交の延長線上だ。

世論の黙認が、
「情と理」であるはずなのに、
「情<理」を認めて、
暴走させる。

世論は、
「戦争賛成」になる。

世論は、認めた。

いまの政府は、
選挙のたびに、そう解釈してて、
ことを進めてきた。