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コティングリー妖精写真に宿る「不安」の記憶/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

昭和の怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想する。今回のお題は心霊写真……の前に、世界を騒がせた「妖精写真」について回想する。いまでいうフェイク、捏造された不思議写真は、妙な不安を抱かせる異界の窓のようだったのだ。

文=初見健一 #昭和こどもオカルト

「心霊写真」ブーム…その前に

 今回から数回にわたって、昭和のオカルトブームのなかでも最大級の大ネタのひとつ、70年代初頭に勃発した「心霊写真ブーム」について回顧してみたい。本コラムはあくまでも『昭和こどもオカルト回顧録』なので、もちろん小・中学生たちの間でのブームの経緯を中心に展開を追ってみる予定だ。
 語りたいのは「心霊写真の歴史」ではなく「70年代心霊写真ブームの経緯」なのだが、その前にまずは「心霊写真」そのものの成り立ちについて考えてみよう。

 最初に押さえておきたいのは、いきなりミもフタもない話になってしまうが、いわゆる「心霊写真」が一般に認知されるよりも先に、「合成写真」「トリック写真」などが存在していた、ということである。この種のフェイクによる「不思議な写真」は、ほぼカメラの普及と同時に誕生していたようだ。
 当時、写真は現実の記録というだけでなく、絵画に代わる新しい表現方法として、ひとつのアートのような形でも捉えられていたため、その黎明期から「写真に細工をする」といった作為的な表現方法は珍しいものではなかった。それらは芸術作品として発表されることもあれば、ポストカードのような形で書店や土産物屋などで販売されることもあり、そうしたもののなかから「不思議な写真」として人々の注目を集める作品もあったようだ。

 それらの作為的な「作品」としての「不思議な写真」を「心霊写真のルーツ」と呼ぶわけにはいかないが、「心霊写真」という概念が成り立つひとつの背景となったことは間違いないと思う。つまり、当時の人々は写真に(作為的なものであれ)「不思議なもの」が映るという感覚には、すでに慣れていたのだ。

 その一方で、19世紀後半あたりから欧米でブームになった心霊科学・超心理学の研究グループによる「実験」などでカメラが使用されることが多くなり、「正真正銘の心霊写真」が降霊術などの「心霊実験」の成功例の証拠として提示されることが増えていく。これによって今でいう「心霊写真」の概念に近いものが形成されていった。時系列的にいえば、最初に眺めて楽しむ「トリック写真」があり、後に(撮影者が「作為はない」と主張する)「心霊写真」が登場した、という流れなのだ。

 つまり「心霊写真」は、いずれにしてもその歴史の幕開け段階から「真贋入り乱れる」という状態だったわけだが、その当時の独特の「感じ」がもっと端的に現れているのが、かの有名な「コティングリー妖精写真」である。

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1994年10月号の「ムー」より。「心理写真」の歴史と19世紀末のスピリチュアル研究の歴史を概観する特集。

「コティングリー妖精写真」

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