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富山・放生津奇譚と坪野鉱泉未解決事件/吉田悠軌・怪談解題

24年前に富山で起こった、若い女性ふたりの突然の失踪事件。2020年3月には四半世紀ぶりとなる大きな展開があったことが報道されたが、いまだに解決されない謎も残る。そして事件現場である富山新港には、250年前にも無気味な「失踪体験」を語る人物が存在した。

吉田悠軌(よしだゆうき)/怪談サークル「とうもろこしの会」会長、『怪処』編集長。『恐怖実話 怪の残響』(竹書房)、『 怖いうわさ ぼくらの都市伝説』シリーズ(教育画劇)発売中。ほか『うわさの怪談』(三笠書房)、選定・監修した『ムー実話怪談「恐」選集』(学研)、『禁足地帯の歩き方』(学研)など著書多数。

水難事故が起こるわけ

 1768年、旧暦6月末ころ。俳人・堀麦水(ほりばくすい)は放生津(ほうじょうつ)の湖を訪れた。現在でいうなら富山県・伏木富山港の射水(いみず)市側、「新港地区」となる。怪談収集マニアを自認する麦水のこと、ここでも地元民の「松氏」からとある奇譚を取材したようだ。

「ここ最近、この湖にまつわる不思議な出来事が3つ、起こりましてね」と松氏がいう。
「まずひとつ目。ここでは田作りのため、湖底の泥をすくっています。ただその作業中、なにものかに後ろから抱きつかれ、そのまま水死するという事故が相次ぎまして。どうもこれは、昔から湖に棲みつくアカエイかスッポンの祟りではないか……と。なので今年から、湖上の人工島に『亀の宮』を建立し、3月17日から『亀祭り』を催すようになったのです。
 ふたつ目。湖の西側に放生津城の跡地がありますよね。ここには1000年を経た桑の古樹があるのですが、そこに棲む蛇が、夜ごと鳴き声をあげていた、との報告がありました。
 3つ目。例の亀祭りの最中、湖に多くの遊船がくり出したのですが……私がそこで、異様に巨大な鮒を釣り上げたのです。
 と、これら3つの奇事。バラバラのようでいて、実はひとまとまりの事件なのではないか、とも思うんですよ」

 なぜなら松氏の知り合いの知り合い――仮にA氏としよう――が、ここ最近、奇妙な体験をしたからだという。
 少し前、A氏が放生津の湖に出かけたときである。猛暑のため水浴びしているうち、つい居眠りしてしまったらしく……A氏はこんな夢を見たそうだ。
 いつのまにか自分が黄色く大きな鮒となって、水中を泳いでいる。そのうち城のような場所に着くと、そこでは河伯(かはく=ここでは中国の水神だろう)をリーダーに、水棲生物たちによる会議が開かれていた。
「最近、湖にて人間たちが次々と水死する事件が起きている。住処を荒らされて怒ったアカエイが、部下のスッポンを使って殺害しているのではないか。ならば罰せねばなるまい」
 との河伯に対し、アカエイが反論する。
「違います。人間たちのせいで、泥の中に住むスッポンの子どもたちが次々と踏み殺されているため、それを阻止せんとスッポンが抵抗しただけです」
 またスッポンも主張する。
「殺す気などなく、ただ抱きついたら、水に不慣れな人間が亡くなってしまったのです。また、放生津城跡の千年桑に棲む蛇も泣いています。『このままでは人間たちが、古木を焚いてスッポンを退治しようとするだろう。そうしたら自分の住処まで失われる』と……。なんとか事を収めてください」
「それならば」と河伯は提言する。
「お前たちはもう人に害をなすな。その代わり、村人たちには人工島に子亀を祀るための祠を建てさせる。これで手打ちとしよう」
 続いて河伯は、鮒の姿のA氏に告げる。
「そこのお前、釣られることで魚身を脱げるから、早く人間に戻ってこのことを伝えなさい」
 A氏もこの指令を実践しようと泳ぎつづけるが、なぜかまったく漁師と出会えず、いたずらに月日がたっていく。そのうち、しびれをきらしたスッポンが村人たちの夢に現れ、一連のお告げを託宣。A氏の復活を待たず「亀の宮」は建立され、盛大な「亀祭り」が開催、湖には多くの船が出て賑わった。
「しまった、出遅れた」と水上に飛び出したところで、A氏はようやく網にかかることができた。そのまま、知り合いの料理人の包丁によってぶつ切りにされたと思いきや……。
 A氏は目を覚ました。すると驚いたことに、眠る前にはなかったはずの亀宮が、とっくに建立されているではないか。となると、ただ奇妙な夢を見ただけでなく、タイムスリップまでしたことになる。
「この体験談を、A氏はあちこちで声高に主張しつづけているようですが、地元の人々からは、頭のおかしい世迷い事だと、まったく相手にされていないそうです」
 そう、松氏は語り終えたのである。

奇談は史実に基づく実話怪談だったのか

 宝暦・明和にかけての北陸の怪談が収集された「三州奇談」。その一編「龜祭の紀譚」を大幅に簡略化したものが冒頭の文章だ。それでも原文の、やけに細かいディテールと右往左往する展開が伝わったかと思う。「創作」ならばここまで未整理な物語になるはずもなく、実地に聞き書きした「実話」なのだろうな、と感じさせるリアリティがある。

 実際、話中の出来事は史実に基づいている。明和4年、湖底の泥の除去作業中に水死事故が多発したため、人工島に海竜社を建立。亀の甲羅に似ていたので「ガメ社」と呼ばれ、明和5年から祭礼を行ったところ事故がなくなった、というのも事実のようだ。その祭りは今も「富山新港新湊まつり」なる花火大会として続いている(さすがにコロナ禍の今年は中止だが)。この起源譚を、実体験談にすりかえていいふらした男(A氏)は、当時、確かに実在したのだろう。

 現在の新港には、放生津だったころの面影はみじんもない。もちろん人工島の海竜社も遷座しており、関連するものといえば、緑地公園にアルミ製の弁財天が立っているのみ。

 さて、なぜ今このエピソードを紹介したかについては、ピンとくる読者も多いだろう。現在は新港地区となったこのポイントにて、数か月前、ある「心霊事件」の新事実が発覚したからだ。まずは背景を理解してもらうため、私が6年前、自分の同人誌に執筆した記事を読んでもらいたい。

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