夏目漱石から始まる「怪奇と幻想」の血脈! 内田百閒・芥川龍之介・寺田寅彦らを襲った怪現象/東雅夫
日本近代文学の大文豪、夏目漱石。『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』『三四郎』など、人間模様や恋愛模様をテーマにした作品で知られるが、一方で、幻想文学の先駆けとなった「夢十夜」に見られるように、怪談や霊的世界にも関心を持っていた。そんな漱石と、彼を師と仰ぎ、その「おばけずき」気質を受け継いだ作家たちが紡ぐ怪奇の物語をお届けする。
文=東 雅夫
イラストレーション=シブヤユウジ
日本を代表する文豪が見せる意外な一面
夏目漱石といえば、だれでも名前くらいは知っている、日本近代文学の文豪中の大文豪だ。出世作となった『吾輩は猫である』や、青春文学の名作『坊っちゃん』を、胸ときめかせてお読みになった方も少なくないだろう。
そんな漱石が、じつは〈幽霊〉の実在に大いに関心を寄せていたことを、ご存知だろうか?
論より証拠、ここで、ある人物の証言を引用しておこう。
〈その晩はこわい話ばっかりしましてな、とうとう、先生が幽霊ちうもんはあるお云いるやおへんかいな、こんなえらいお方がお云いよるのどすよって、ほんまにあるもんかしら思いましたえ。先生とお君さんとあたしが、こう膝を突き合して、夜通しそんなこわい話ばっかりしたんどす。よう覚えまへんけどそんなお話の中ででも、たんとええ事を聞かしておくれやしてな〉
これは祗園の花街で〈文学芸者〉の異名をとった、大の漱石ファンの名妓金之助(漱石の本名でもある)こと梅垣きぬ女の回想談である(昭和3年版『漱石全集』月報第12号(昭和4年2月)、十川信介編『漱石追想』岩波文庫所収)。
祗園の芸者衆と、夜通し膝を突き合せて、怪談話に興じる漱石……なんとも微笑ましいというべきか、意外な一面ではあるまいか。
注意すべきはこれが、漱石の作家デビュー後、すでに人気作家として名を成した後の出来事であるということ。彼が英国留学や帰国直後に、いわゆる怪奇幻想文学の世界に大いに関心を寄せて、幾つかの作品でそれを実践していることは知られているが、そうした分野の創作から離れて以降も、霊的世界への関心は持続していたと察せられる点だ。
作家たちが真面目にゴリラを語り合う?
そのことを裏づける一資料を、ここで私は提示しておきたいと思う。
東京・新宿にある漱石山房記念館の今野慶信学芸員と亀山綾乃さんには、双葉文庫版『幻想と怪奇の夏目漱石』刊行などに際して、いろいろ貴重なご教示を賜わった。
今回も漱石山脈の起点たる〈漱石山房〉の写真をお借りするため、久方ぶりに亀山さんに連絡をとったところ……たいそう耳よりな話を伺ったのである。
大正5年(1916/漱石逝去の年である)、初めて漱石山房を訪れた、菊池寛ら第四次「新思潮」メンバーと漱石との会見の席で、なぜか「ゴリラ女房」の話題が出た、というのだ。
具体的な典拠は、これまた『漱石追想』所収の菊池寛「先生と我等」(『新思潮』大正6年3月号掲載)に見える、次の一節である。
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