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「よそはよそ、うちはうち」という言葉について思うこと

はじめに

おはようございます。
むぎです。

よそはよそ、うちはうち

我が家ではよくきいたこの言葉。

この言葉にどれだけ苦しめられてきたか。

しかし、ある面ではすごく腹落ちのする
好きな言葉だったりします。

今日はそんな不思議な言葉について
深掘りしてみたいと思います。

あまりにも都合よく使われてきていた言葉

「よそはよそ、うちはうち」

私の幼少期を振り返ると、
なんて都合のいいように使われていたのかと
思ってしまいます。

保育園に通い、初めて外の世界を知る。
すると、自分とは違う人ばかり。

他の家ではこんなことがあった、したんだって
という話をしようものならば
「よそはよそ、うちはうち」
そりゃそうだ、というのは幼いながらに腹落ちしていました。

でも別に自分もそうしないなんて言っていない。
ただ、自分の知らなかった
新たなことを知った喜びを共有したかっただけ。

親の気持ちもわかるんです。
そういうことをさせてあげられない状況に対して
ある種のコンプレックスを抱いていたこともあるのでしょう。
だからこそ出てくる言葉。

だからその言葉を間違っているとは思ったことはない。

でも、だったらその言葉を貫いてほしかった。

小学校を経て中学校、高校となるにつれて、
だんだん自分の成績に対しての定量的な
「評価」や「順位」がつけられるようになります。

すると出てくるのは
「〇〇さんのうちの子はあんなにお利口さんでいいね、
なのにうちの子ときたら」
と言い出す。

話が違うだろ。

「よそはよそ、うちはうち」
と言っていた人間がなぜ定量的な数字で
他人と比較する。

実際、その子と比べて全ての成績が劣っていたわけでもない。
しかしある一点だけで比較される。

思えばこの頃からだったはず。
大人の発言を信用しなくなったのは。

こんなことがあって、いっときは
「よそはよそ、うちはうち」
という言葉は大人が子どもを都合のいいように
納得させる汚い言葉だと思っていました。

なんだかんだ隣の芝は青く見える、それでも

そんな過去の経験もあってか、
思春期に突入した私は
他人と比較して浮き沈みすることが増えてしまいました。

他人よりできないとまた親に否定される、
何より自分が嫌いになる。

こうして私の自己肯定感の低さは育まれていったんでしょう。

自分のできないことに目がいってしまう。

「できない」というレッテルがつくのが嫌で
とにかく「いい子」であろうとした。

それでもある日気がつきました。

自分はいい子にはなりきれない

多分、このままみんなと同じようにというのが
耐えられなかったんだと思います。

世間一般でいう「いい子」というのが
従順で与えられた課題に対していい成績を残すことだとしたら
それは耐え難いと感じました。

「よそはよそ、うちはうち」
から始まり、

次第にみんなと同じように
という同質性が求められるようになり、

そんな中でもやっぱり
「隣の芝は青く見える」

そんな移り変わりを経て、
今はやっぱり
「よそはよそ、うちはうち」
それを通り越して、
「他人は他人、私は私」
というのが1番しっくりくるなと思います。

他人と同じであることには
なんの面白みもない。

ましてやその狭い枠組みの中でつく優劣に
どれだけの価値があるのか。

むしろ違いを理解してその特徴を最大限に伸ばす。

自分の好きな枠の中でのびのびとやる。

これが今の自分の中で軸になっている考えです。

周りと同じことをやって、
その中で優劣をつけるだけで済むような
人生にはしたくない。

だからわざわざ誰とも比較しない。

自分は自分の心踊る場所で1人気が済むまで
行動していればいい。

そんなことを考えるようになりました。

おわりに

幼少期から今までを振り返って、
やっぱり納得いかないなと思うことは多いです。

理不尽を受け入れるのが社会だとか言いますけど、
理不尽なものは理不尽なんです。

そんな長いものに巻かれる思考には
一生なれないと思います。

つい他人と比べて自分のできないことに
目がいってしまう。
これも昔よりはるかによくなったとはいえ、
まだ完全にその思考を捨てきれているとは思えません。

この記事を書いたことをきっかけに
また改めて意識したいですね。

しかし本当に学校教育の場というのは
あまりにも個性を潰しにかかっている
ような気がしてなりません。

みんなそれぞれの得意不得意があって、
それを最大限活かそうとはせず、
とりあえずみんな同じくらいの
曖昧な水準までで収めようとする。

もしかしたらたまたま私の通っていた学校が
そうであっただけなのかも知れませんけどね。

これに関しては現場の教員の方を
悪くいうつもりはありません。
現在の教育システム、
その根幹に課題があると考えています。

それが当たり前として成長していった大人たちが
その価値観を後の世代に引き継いでいくことを考えると、
今すぐにでも変化が欲しいところですよね。

そのうち私も子どもを育てるようになったら
できることもできないことも
受け入れてあげられるようになりたいですね。

「よそはよそ、うちはうち」
よりも、
「他人は他人、あなたはあなた」
ということを教えてあげたいと思います。

今回も最後までご覧いただき
ありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。

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