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私と卵と、これから。それから。 第三話

35歳だけど、まだこれから誰かと出会って恋愛して家庭を築くチャンスは十分にあると思っていたから、「もう時間ないでしょ」と暗に告げる先輩のその言葉は鋭く刺さった。
失恋して間もない脆い私の心には特に、傷口に塩を塗られるってこう言うことかと思うくらいには痛く感じた。
今になって振り返って考えてみればわかる。
その先輩や同僚は悪気なく、その年齢の、30代半ばの女性として当たり前に考えなければいけない現実を言葉にしてくれただけだということが。
そして、素直にその言葉を聞き入れていれば4年後の自分が慌てふためくことはなかったかも知れないということも、今ならわかる。

ただ、タイミングが悪かったのだ。

当時の私は素直にその忠告・アドバイスを聞き入れる心の余裕がまだなかった。「この人と結婚するかも!」という盛大な勘違いから、粉々になった心の破片たちを時間をかけて繋ぎ合わせて、ようやく立ち直ったばかりの私に、新しい恋愛はすぐには考えられなかった。
でも今思うと、それもある意味においては自分に対する言い訳で、単純に現実と向き合うのが怖かったのかもしれない。
そして、たぶん。いや、間違いなく。
「私はまだ大丈夫だ」と信じたかった。

あの時、例えば違った形で卵子凍結について聞いていれば、私は立ち止まってしっかり考えていたのではないかと思う。心の準備ができていなかったにしろ、違った形でその選択肢に触れていたら、もしかしたら冷静になって卵子凍結についてちゃんと調べて検討していたかも知れない。
今更な事を考えても仕方がないけれど、振り返ると、なんでこんなに大切な事ともっと早く向き合わなかったんだろうと自問自答してしまう。

例えば、私の周りに卵子凍結をした人が他にもいたら。
例えば、その選択肢について30代女性同士で話したり情報交換していたら。
「あそこの脱毛サロンおすすめだよ!」くらいの軽さでAMH検査(卵巣予備能検査)や卵子凍結について話せる環境があったら。
それくらい身近なこととして情報に触れていれば、きっとすぐじゃなくても、もっと早く真剣に卵子凍結という選択肢について考えていたのではないかと思う。
もう時間がないから卵子凍結しておかなきゃ!と焦って動き出した39歳の夏。あんなにも気持ちが揺さぶられたのは、奇しくも35歳の時のあの大失恋以来だった。
もはや、当時の失恋相手の何が好きだったかすら記憶が曖昧になっていく中、より一層、あのタイミングの悪さが悔やまれる。
できれば私みたいにアラフォーになってから慌てふためいて苦しむ人が一人でも少なくなればいいなと思い、こうして書いているわけです。

あの(勝手に個人的に衝撃だった)資産運用セミナーから数週間。
資産運用は少し始めたけど、それ以外はそれまで通り。むしろ心の奥底で燻っているモヤモヤとした不安をかき消す勢いで仕事をこれまで以上に頑張った。そして、ごくごく稀に「卵子凍結」のことが脳裏をかすめることはあっても、目まぐるしいくらい忙しい日々の中で、簡単にそれは後回しにされてしまった。
数少ない「それ(卵子凍結)」が思い出される機会は年に一度の健康診断の時と、仕事終わりの深夜、ワインを片手に王道のロマコメを見ながら酔って「出逢いがない」と嘆く時くらい。
もちろん、酔ってるから次の日には綺麗さっぱり忘れてるけど。

前述のとおり、ちゃんと現実に向き合って子供のこととかを真剣に考えなかった裏には現実を直視したくないという「逃げ」も、少なからずあったと思う。王道ロマコメの分かりやすい展開を横目に、その主人公達のように、仕事も恋愛も思うまま!全てを手にするハッピーエンドがきっと自分にもあると、そんな展開をいい歳してまだ夢見ていたのかもしれない。
生殖機能的に考えて、もうあまり時間がないかも知れない事実を、そんな自分を、やはり素直に受け入れられる余裕がなかったんだと思う。

だから、根拠もなく「まだ大丈夫」だと思っていた。
そう思い込みたかった。
「40代になってもまだ独身だったら、卵子凍結も視野に入れよう」と、一緒になりたい相手がいないことへの言い訳のように、慰めのように、自分に言い聞かせていた。40歳になってからでも大丈夫だろうと。そして、きっとそれまでには将来のパートナー候補に出会えるだろうと。そう、思っていた。
そう、密かに願っていた。

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