コンピューターは家具になるのか
現代の私たちの暮らしは、さまざまなテクノロジー(技術)に支えられています。
自己紹介でも触れましたように、私は、新しいテクノロジーが本当の意味で生活空間に溶け込んでいくには、ある程度の時間や試行錯誤が必要であると考えています。
「生活空間に溶け込んでいく」とは、機能価値を提供するだけではなく、快適で心地よい空間や時間をつくり、人間の自己表現の手段でもあるといった体験価値が提供できる状態になることを指します。この状態に発展したテクノロジーは、人間の文化的な暮らしにまで大きく寄与していると言えるでしょう。
技術の歴史を振り返ると、建築や家具もその道のりをたどってきました。建築は、雨風を凌ぐものから、その地域の伝統や歴史や気候を反映し社会的意味合いやアイデンティティを持つものとなり、その美的表現や創造性から芸術的な価値を提供します。椅子やキャビネットなどは、たんに座る場所や収納といった機能的価値を提供するだけでなく、心地よくくつろいだり、インテリアを自分好みにしたりという体験価値・情緒的価値を持つよう発展してきました。
そして私は、現代において、生活空間に溶け込んだ電化製品もまた「家具」と見なされていると考えます。
例えば照明です。
一般家庭に白熱電球がもたらされた時、最初は仕事の手元を照らすといった機能的価値から導入されました。その後、美しい陰影や空間を作り出せるランプシェードが時代を追って提案され、その体験価値が受け入れ、人々の暮らしの場に馴染む過程を経てさらに普及していきました。そして、詳細はまた別の記事でご紹介したいと思いますが、このように、新しい技術が広く使われるためには、効率や機能的価値だけではなく、体験価値が重要であると考えています。
それでは現在のコンピューターはどうでしょうか。ラップトップPCから、タブレットやスマホ、スマートスピーカーなどがありますが、いずれも従来の生活空間からはかけ離れた「電子機器」であることは疑いがないかと思います。では、どうすればコンピューターは「電子機器」から「家具」とみなされる日がくるのでしょうか。私は「身体性があること」と「生活の文脈があること」が重要であると考えています。
「身体性がある」とは、情報がそのまま頭(意識)の中に入ってくるのではなく、私たちの体や五感を通してコンピューターからの情報を感じ取ることです。自分の身体の延長や一部のようにより密接に感じたり、関連性のあるということです。
「生活の文脈」とは、個人や共同体が対象物をどのように意味づけ、日常生活で利用しているかを指しています。生活の文脈は、ものの配置や相互関係、一日や季節の中での相対関係、行動様式や習慣、価値観に基づいています。コンピューターのインターフェイスにおいては、毎日の生活で使うものであったり、暮らしの重要な場面と関連していることです。
これら、身体性があって、生活の文脈に沿うことができれば、コンピューターが家具になる日が来るといえるでしょう。
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