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「AI×リフォーム×MBA」~早くいきたいなら一人でやる、私の人生あと何回桜を見られるのか~


●シェアリングサービスを生業としている起業家の言葉「早くいきたいなら一人でやる、大きくいきたいなら皆でやる」

●大学院の仲間であり尊敬するメンターの言葉   「私の人生あと何回桜を見られるのか」


私は建設業界で10年以上働いている。現場代理人、営業、管理一通りの経験を通じてこの業界に根付いた慣習に日々悶々としている。それは、

「先のことより今のこと」

に終始していること。同業他社の悪評を顧客にアピールして自社の優位性を保持、法外な価格提示による過当競争の斡旋、優良技能者の奪取合戦、安直な報酬制度と賃金改善、設定したゴールは何処で何を目的としているのだろうか。TwitterやSNSで見かける投稿の多くは、ネガティブワードで埋め尽くされ現状の不平不満についてばかりが目に付く。解決案も本気で考えているとは思えないほどの稚拙な内容ではないだろうか。エセ識者、売れないコメンテーターのような人間が持論を展開し賞賛を浴びる。これで良いのだろうか、斯く言う私も勉強中の身ではあるが、本気で業界の課題に正面から立ち向かう姿勢があるのならば、問題の本質を読み解く必要があるのではないかと思う。

・2025年時点で不足する技能者数 ・労働生産性の低さ ・有効求人倍率の向上 ・賃金格差による元請会社数の増加 ・参入障壁の低さから他産業からの業界参入 ・頻発する自然災害 ・突如襲来する感染症 etc... 将来の自分、会社、業界のことをマクロミクロ両視点から思案してかなければならないのではないだろうか。自社を取り巻く内外部環境を俯瞰してみれば理解できるのではないだろうか。まず5フォース分析で自社の立ち位置を確認してみてはどうだろう、きっと「何かやらなければ」との焦燥に駆られる筈だ。通期で一定の利益を確保できている、潤沢な運転資金を保有しているから大丈夫と一喜一憂している場合ではない。頻発する自然災害、感染症の襲来、予期せぬ事態は突然として訪れる。今必要なことは、不平不満を述べ満足するのではなく

「平時の際に、如何に有事に備えた計画や取組みをおこなえるか」

しかし、申し入れから決裁までの道のりが遠く険しい会社員は自分が描いたストーリー通りには上手く進んでいかない。早く実践したい、しなければならないと思うのに…。理解できるが理解したくない、苛立ちが募る一方だ。そんな時はまず一人で少しでもやってみることが重要なのではないかと思う。「早くいきたいなら一人でやる」私もこの言葉に感化され今まさに考えているビジネスプランのプロトタイプの製作をエンジニアに依頼したところ。実現したい世界や将来目指す夢の為にもまずは、一歩進むことが重要なんだろう。そして、同時に自分が何歳まで働きたいのか、何歳まで生きたいのかという願望が重なってくるはず。逆算して今何をしなければならないのかという行動目標をブレイクダウンしていく過程で「私の人生あと何回桜を見られるのか」という言葉が自分の背中を押してくれるのではないだろうか。桜は年に一回しか咲かない、あと何回桜を見れば夢は叶えられるのだろうかのだろうか、毎年桜を見て自分史を振り返ってみよう。

最後に、自発的に飛び込むファーストペンギン、背中を押されて飛び込むファーストペンギン、どちらも飛び込んだことに違いはない。過程は非常に重要だが結果を出す為には行動しなければならない。唯一無二「自分の夢は何だったか」「今本当に何をしなければならないのか」、標題で上げた二つの言葉で再確認することができた。

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