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おわりに ~モト多きジンセイを歩もう~(ジンセイのトリセツ)

◆人生とは何か? には「答え」がちゃんとある

 癒やさない! 霊感ゼロのスピリチュアル理論『モトの話』上級編、お疲れさまでした。ジンセイのトリセツは無事に完成しましたが、いかがでしたか?

 『モト』という新しい考え方をひもとくことで、今までだれも聞いたことがなかった新しい「僕たちの現状」と「そこでの過ごし方」の正解が『言葉で説明できる』ことがお解かりいただけましたでしょうか。
 一般的に、世の中で言われるような

  • 「ジンセイとは何か?」という問いに明確な答えがない

という今までの常識は、それがこの上級編で書いたとおり

【個別のドラマ】

の部分を見ているからです。そういう視点ですと確かに「ジンセイとは人それぞれ、自分で答えを見出すもの」とあいまいになってしまい、それはそれで正しいものになってしまいます。
 ですがこの【個別のドラマ】というベールに包まれた『仕組み』は、万人共通のはずです。この『モトの話』はそこに焦点を当てています。

 実は、ジンセイとは何か? というふうに考えるとき、僕たちがつい見落としてしまうことがあります。それは

人間は生き物である

という視点です。

 ともすれば、僕たち人間は「特別な生き物」で、犬や猫、鳥や獣、虫や草木とは違う「優れた存在」である、くらいに

『勘違い』

してしまうものです。確かに、人間は社会や文明を創り、文化をたしなむ「ちょっと変わった」生き物ではあります。ですが、僕たちはそういうことを「生き物が生きていく範囲内で」行っています。メシを食わないと死にますし、他の生き物をぶち殺さないとメシは食えません。やっぱり僕たち人間も「生き物」という厳密な『仕組み』の上で生きているわけです。
 この『仕組み』が理解できていないのに「人生とはなんちゃらかんちゃら……」などと考えても仕方がないのではないかと、僕は若い頃からずっと考えていました。そんなわけで、僕が見つけた「ココロの仕組み」である

『モト』

という新しい視点で、この『生き物の一生』というのがなぜあるのか? という疑問を出発点に、上級編で書いてきたことを30年くらいかけて少しずつ考えていきました。
 最初は僕のアタマのあちこちに思想がバラバラに存在していたのですが、こうやって系統立てて順番に整理していくと『言葉でちゃんと説明できる答え』としてこの

  • ジンセイとは何か?

  • どういう生き方が『正解』なのか?

という疑問に取り組めたのではないかと思っています。


◆幸せの「正体」と人類の構造

 さて、本文中にも書きましたが、僕たちのココロには

  • 幸せを感じる機能

がついています。この機能があるからこそ「幸せなジンセイ」「不幸なジンセイ」というものが存在するわけで、この『機能』さえなければそんな問題は発生しません。ですよね?
 生き物が誕生したときからずっと、この機能は「ココロの標準装備」としてすべての生き物についているわけですが、実は

「ついているからにはちゃんと『理由』というものがあるのではないか?」

という問いが上級編の思索の根本にあります。

 もし生き物にココロがなかったら、生物は生存と繁殖に物理的に特化した形状に進化し、それこそ恐竜時代の終わり頃のように、最強の攻撃力をもった生物と、最強の防御力を誇る生物に二極化していたでしょう。
 だけど、恐竜は滅びてしまいました……生き物にはココロがあるからです。このココロという機能がある以上、生き物はどうしても『幸せ』を求めてしまう性質を持ちます。恐竜の最終的な進化形態(より大きく、より強く)では、ココロが『幸せ』を感じられなくなってしまったのかもしれません(中級編のオカネの話に似ていますね)。
 そういう意味で、今の地球上で人類が繁栄しているのは、この「ココロ」の存在を【アタマ】で認識できたからではないか、と僕は考えています。

 そこで『幸せ』というものの定義が、生きるために大事なことになります。定義というものは【アタマ】で認識するものだからです。

 さて、シリーズ全体で何度も書いている通り、ココロには『モトの集まり』という実態があります。これが【うにのトゲ理論】の構造をしていると考えると、その「ココロ」がこの【地獄世界】で「生活する」ためにカラダやアタマが進化によって生み出された、という順番のようなものがあるのではないかと考えられます。ですから僕自身は、生き物の根本は「モトの集まりであるココロ」だ、と考えていいのではないかと思っています。このココロというパーツこそが生き物の本体のようなものなのではないか? という考え方です。
 とはいえ現実問題として、入門編で書いたとおり「三つのパーツの集合体」(ココロ・カラダ・アタマ)こそが『地獄世界にいる間の僕たちの姿』です。ここだけは「今起こっている現実」という紛れもない『現象』です。そして、入門編でも書いたけれど、この三つのパーツが「調和」することが「幸せに生きる唯一の方法」であるのは確かなんです。なぜならアタマやカラダが「不快感」をココロに送っていては、モトの量を高止まりさせづらいからです。
 「カラダの不快感」というのはすごく分かりやすいですが、「アタマの不快感」というのはちょっと分かりづらいかと思います。ですが、上級編の最後にあった『許す』ことがヒントになるはずです……『許せない』という「考え方」こそが「アタマの不快感」の正体だからです。

 これを踏まえて、三つのパーツの『調和』を目指すとココロが喜ぶ『幸せ』を見つけやすくなるのではないかと思っています。

 これを読んでくださったみなさんが、楽しくて面白くて、ほっこりして幸せでワクワクするモトあつめができますよう、お祈りしています。
 だって、あなたは僕なんですから。あなたが幸せに生きることが、僕が幸せに生きることに、文字通り「直結」しているんです……うにを経由して。


◆シリーズのお約束『僕の話を信じないこと』

 最後に、このシリーズの巻末で必ず書いていることをこの上級編でも書いておきます。この本を読むときは

  • 僕の話を信じないこと

というスタンスで……これだけは必ず守っていただきたいと思っています。

 もちろん僕自身はこの本で、そして以前の本で(もちろん次の本でも)お伝えしてきたことは、理論的に正しいことだと考えています。ですからこの「モト」というものが存在していて、それが「ココロの材料」になっていることや、そこから考えられる「人生という現象の正体」という話は至極マジメに、真剣に、そして自信を持ってお伝えしています。

 とはいえ、この『モトの話』を初めてお聞きの方は特にそうだと思うのですが、信じられないような「新しい考え方」の話だと思うんです。ですから、一度は
「ウソでしょ……?」
という『疑い』をもって、この話を「ご自分で考えて」いただきたいんです。たとえば、身近なこと……

  • ココロは本当に「モトでできている」のか?

  • ココロとココロが「モトをやり取りしている」のは本当か?

  • そこから「人生とは何か」が説明できるようになるのか?

 そういったことを「ほんと!そうなんだ!すごい!」と『鵜呑み』にしてしまうのではなく、ご自身でウソか本当かを確かめてほしいと思っているのです。その上で、この話に「納得できる点」がもしあれば、ぜひそれをご自身の生活に取り入れていただきたいと願っています。

 僕がこの話を広くたくさんの人に伝えようとしているのは、本文中に出てきた【二番目のモトあつめ】をできるだけたくさんの人がいっぺんに行うことが、僕自身が幸せに生きるための近道だからで、他意はありません。ただ、その「動機」を理解していただくためにも、やはりこの『モトの話』に「納得」していただく必要があるとも思っています。
 ですからまずは疑って、それこそ「論破する」つもりで疑ってみてください。この『モトの話』はそうして初めて「理解」して「納得」できる話なのではないかと考えています。

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 では、次巻「エキスパート編」についてここで少し。

 エキスパート編では、これまでの話でアイマイにはぐらかしてきたことを全部きちんと説明します。例えば

  • モトとは何か? なぜ「在る」のか?

  • 地獄とは何か? なぜ「在る」のか?

  • 時間とは何か? なぜ「在る」のか?

  • うにとは何か? なぜ「在る」のか?

  • なぜ『モトあつめ』が「できる」のか?

  • なぜ「時間や宇宙の終わり」が来るのか?

  • 僕たちはどこから来て、どこへ行くのか?

  • 神さまはいるのか?

 こういったことにも、モトというものは「白黒ハッキリする」明確な答えを与えてくれます。次巻では今回の本では書ききれなかった、ジンセイという現象の「仕組み」のお話をじっくりするつもりです。

 特に……最後の『神さま』については、ここで「いますよ」と断言しておきます。ですが多分これを読んでいるみなさんが『神さま』と聞いて想像するものとは、全ッッッ然違うと思います。ご期待ください!

 では、最終巻『モトの話⑤:エキスパート編』でまたお会いしましょう。みなさんのジンセイにモトがたくさんありますように!


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)