【22日目】オカネの『正体』をあばけ(オカネのトリセツ)
◆オカネというものの『正体』
「オカネというシステム」と、モトが明らかにしたような「ココロというものの本当の姿」には、不思議な共通点があるんでしたね。
では、この「オカネ」と「ココロ」、どっちが先にできたかというと当然「ココロ」なんですよね。ココロは、この世に「生物が誕生した瞬間」からずっとあるんですから。ココロというものは、生物に共通する「器官」として、全ての生き物に必ず備わっています(理由はエキスパート編で)。
ではここで『モト』という新しい概念を通して考えた、『オカネというもの』の究極の正体を書いてしまいます。実はですね……
【オカネとは『モトのコピー』である】
と考えられます。
◆モトの「マネ」をする「マネー」
大事なことなので、もう一度書きます。「オカネ」という僕たちが慣れ親しんだシステムは、実はもとから僕たちに備わっていた『「モトの集まり」というココロのシステム』の【コピー】だったのかもしれない、というのが僕の考えです。
これまで話してきた「オカネの特徴」と「モトの特徴」の共通点、そしてその「歴史」から考えると、新しい「オカネ」は古い「モト」をマネて作ったもの、と考えると合点がいくのです。
だから「マネー」っていうんじゃないかと個人的に思っています……いや、これは冗談。
そうは言っても、今まで僕以外のだれも『モトの話』なんてしてなかったじゃないか、と皆さんは思うはずです。だから、僕が逆にオカネのシステムをマネて『モトの話』を作ったんじゃないの? とね。
そう思われてしまっても仕方がないな、とは思っています。だって、皆さんにこの『モトの話』をするのは(多分)初めてですからね。
個人的な言い訳をさせてもらうと、僕は
・「人生というシステム」がなぜあるのか
・それはどういう「仕組み」なのか
……という(上級編に相当する)思索を重ねているうちに『モト』という「感情がやり取りされる仕組み」にたどり着いたのですが、そこで「人生で大事なもの」の一つとされる「オカネ」について考えてみると、ボロボロと共通点が出てきてびっくりした、という経緯があったんです。
◆人類は黎明期から『モト』を知っていた!?
話を戻しましょう。
人類が「オカネという仕組み」を考えだした頃というのは、人間が共同生活を始めて大きな組織(ムラやマチ)ができ、それらの間で「交易」が行われ始めたころで、その時代から現代までいろいろな人が知恵をしぼってオカネのやり取りをするシステムを作り上げてきました。
そのシステムは今でも改良されながら使われていて、だから沢山の人の「知恵のかたまり」として、とても洗練された「やり取り」の仕組みとして、今もオカネというシステムが存在しているんだと思います。
そうやって、磨きに磨かれた「歴史ある人工のシステム」であるオカネという仕組みが、僕がたまたま見つけた、つまり「世界に初めからあった最もシンプルで洗練されたシステム」である【モトとココロの仕組み】に酷似していた、というのは驚異的です。
だからむしろ……人類は僕なんかに言われなくても薄々
「ココロの材料がやり取りされている」
ということに、気づいていたのかもしれませんね。
そうやって薄々気づいていた
「最も洗練された『やり取り』のためのシステム」
である『モト』の仕組みに寄せて作り上げていったのが『オカネ』という仕組みだったのかもしれない、というのが僕の考えなわけです。
そういう理由で、オカネという「やり取りのための仕組み」はとても優れたシステムなのではないかと思います。この「オカネ」があるおかげで、僕たちは「価値」を視覚化し、社会全体のオカネの流れを「見える化」して公平に「価値」を分け合おうとしている(ハズな)のです。
◆オカネはモトの『劣化コピー』だ
ですが……僕は
コピーはやっぱりコピーでしかない
のではないか、とも考えています。なぜなら、コピーであるオカネにはないけれど、本家本元のモトにはある「優れた点」というのが挙げられるからです。
こういった、本家より劣ったコピーのことを
『劣化コピー』
と呼びます。オカネというのはよくできていますが、モトに比べるとどうしても『劣化コピー』に見えてしまう、という話なんです。
それはモトに対してオカネのほうが劣っている点、というのがあるからです……大きく分けて、二つあります。
一つは
・オカネは勝手に増えない
もう一つは
・オカネをたくさん集めても、幸せになれるとは限らない
これら二つです。次回はこれらを順番に見ていきましょう。
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)